十四話 電波模様を撹拌中
「双葉さん、グーで殴って良い?」
「許可出すと思う、それ?」
「出してくれたら、罪悪感なくパンチする」
「出さなかったら?」
「罪悪感に塗れて、パンチする」
「どっちにしろ殴られちゃうんだ……。や、優しくしてね?」
「そのっ、言いっ、方っ! 翼ちゃんにっ、勘違いっ、されるでしょっ!!」
「痛い痛い、グーは痛い! パーも嫌!なんか遠慮なくなってるよ岸根!」
「あなたがっ、最悪っ、すぎるからっ、でしょっ!」
暗がりの河原沿い。そこを、最悪なことに様子のおかしい双葉さんと、二人きりで歩いていた。
……本当なら、双葉さんの魔の手から翼ちゃんを救い出して、二人で仲直りしてるはずだったのに。
やっと歩み寄れそうだったのに、良い雰囲気のところで双葉さんに邪魔されちゃったし。
しかも双葉さんは……とんでもないことを囁いて、こっちを困らせてきた。こっそり、翼ちゃんに聞こえないよう、耳打ちしてきた言葉。それは……。
『──ね、翼を嫉妬させてみない?』
……本当、悪魔みたいな誘いだった。
聞いた瞬間、ダメだって思った。
なのに、私は……。
──翼ちゃんの心を知りたくて、彼女の心を試したいって気持ちに抗えなかった。
他の人の気持ちを試すなんて……そんなの、はしたないことなのに。
……ずっと、翼ちゃんにどう思われているか、気が気でなかったから。だから、双葉さんと共謀して、こんなことしちゃってる。
今の私は、不純の塊なのかもしれなかった。
「いたた……」
「いい加減懲りて」
少し落ち着いて、ため息を吐いた。
この楽しくもない二人ぶらり旅は、一体いつまで続くのだろう。それを思うと、愉快な気分なんて全然湧かなくて。
「……それで、何のつもりなの」
「何が?」
「……あなたと、その、デートするとか、なんとか」
微塵もその気がないから、本当にその気なら捨て台詞を吐いて逃げよう。
そんな気持ちで睨みつけると、双葉さんは不思議そうに首を傾げて。
「岸根は、私の体が目当てで、それ以外いらないんじゃ……」
カスみたいな戯言を、恥ずかし気もなく口にしたのだ。
「変態っ!」
「でも、翼としばらくえっち出来てなくて、脳内に性欲が回ってるんだよね?」
「一言だって言ってない、ふざけないでっ!」
「でも、イライラしてる原因、それなんでしょ?」
「違うわよ!!」
双葉さんと会話しようとしたのが間違いだったのか、話の前提がそもそもおかしかった。
何で私と翼ちゃんが、その……えっちな関係になっているのか。それでいて、何で私が常にえっちに飢えているみたいな反応をされているんだろう。
全てがふざけた冤罪で、全くもって見当違いすぎた。
「……私と翼ちゃんのこと、何だと思ってるの」
「え、セックスレスのレズカップル」
──この人、隣にある河に捨てちゃおうか。
私は暗がりの中で、精一杯目を吊り上げて、この翼ちゃんニワカ女にシャウトした。精一杯の、気持ちと想いを込めて。
「翼ちゃんがっ、そんな汚いことっ、するわけっ、無いでしょっ!!!」
「あっ、怒る部分そこなんだ」
「それ以外にどこがあるのっ!」
「岸根はレズ」
「違うに決まってるでしょ、投げ捨てられたいのっ!」
「毎秒キレるね?」
「誰のせいだと思ってるの!!」
「……翼?」
「双葉さん、あなただよ!!」
はぁはぁと息を荒げながら、私はこの史上最悪なセクハラ魔に抗議を入れた。そんなの解釈違いな上、ヘンタイな妄想でこれ以上翼ちゃんを汚させないために。
全然、ちっとも堪えてなさそうだったけれど。
「……そもそも、何がどうなって、そんなえっちな結論に辿り着いたのかな」
「んー?」
正論では諭せないと悟って、アプローチを変えることにする。言葉を交わせているようで、いつの間にか向こうのペースに掻き乱されてしまってるから。
今度は、その手には乗らないために。
──双葉さんが何かほざく度に、全てを全否定する方向性へと。
私と翼ちゃんがレズえっちしてそうに見えた、なんて口にした日には、直ぐ河に沈める。そんな決意をして、双葉さんと向かい合って。
「……してないのに、岸根はこんななの?」
「え?」
どうしてか、双葉さんは困惑した顔をしてた。
何なら、少し引き気味でもあって。
カスみたいな御託を沢山並べられると思っていたから、予想を外されて鼻白んでしまった。
「……何が言いたいの?」
「あはは、えっと、その……やばいなぁって」
「は?」
しかも、私に対して露骨に引いていた。
意味が分からない上に、許せない。
私が支離滅裂な双葉さん相手にドン引くならともかく、その逆は天地がひっくり返ってでも許されていいはずないから。
「意味、分かんない」
ハッキリ不満を口にすると、双葉さんはお愛想笑いを浮かべて。指折り数えて、これまでのことを羅列し始めた。
「岸根は翼が一番大切で、話せないとイライラし始めて、勝手に翼のことで傷ついて、翼のことで一人でに心の自傷をはじめて、翼に他人が近づくとストレスで自分を制御できなくなる」
「それ、は……」
言葉に詰まった、双葉さんのいうこと全部にケチをつけようと思っていたのに。──紛れもなく、彼女のいうことが全部正しかったから。正しいせいで、心にグシャリと棘が刺さった。
「だからね、そんなに深い仲な二人は、恋人でえっちしてる関係性だと思ったのでした」
「……うるさい、よ」
反論が、何にも出てこない。
理論武装、全然出来ない。
だって、双葉さんなのに間違ってないから。
……正論なんて、嫌い。
双葉さんが口にするなら、特に。
「でも、やっぱり納得できないかなぁ」
そうやって、また一方的に私をやり込めたくせに、双葉さんは小首を傾げていた。私と翼ちゃんがえっちなことしてることの蓋然性が高いと、まだそう思い込んでるみたいに。
……本当、意味わかんない。
「これ以上、なんなの。……もう、余計なこと、言わないでよ」
「そう。じゃあ、余計なことじゃないから言うんだけどね」
双葉さんは私の顔なんかをわざわざ覗き込みながら、わざとらしくにっこりと笑って。
「──岸根の片想いじゃないから、納得できないって言ってるんだよ」
更に、私の心を惑わせることを口にしたのだ。
「どういう……意味?」
「まどろっこしいなぁ」
楽し気に、でも呆れた風に。
双葉さんは、それはさ、とちょっと溜めて。
「──翼も、岸根のこと大事に思ってるってことだよ」
私が望んでて、欲しかった答えを、あっさりと断じてしまっていた。これが欲しかったんだよね、と言わんばかりに。
「……分かんないよ、そんなこと」
「岸根は信じてないんだね、翼の愛を」
「愛とか……バカにしてるから、簡単に口にできるんだよ」
双葉さんの言葉が、私に絡みついてくる。
乗せられてる、おちょくられてるって思うのに……会話を打ち切れない。
「ううん、してないよ。私は翼の味方してるし」
妙に自信に満ち溢れた、双葉さんの妄言。
癪に触るのに、否定するには惜しくて。
「どうして?」
「岸根のこと、翼はずっと屋上で待ってたんだよ」
「……知ってる」
ズルズルと、引き摺るみたく会話を解けなくて。
「だよね。ずっと屋上で待ちぼうけてる翼、見てたんだよね。岸根は翼のストーカーだから」
「……知らない」
事実を指摘されても、ロクに取り繕えないまま誤魔化して。
「ね、気付いてる? 翼ってばさ、私には結構辛辣なのに、岸根には一貫して優しい言葉で喋ってるって」
「──っ」
心を硬くして誤魔化してたのに、期待で形造られたのみで、心に一撃を加えられてしまっていた。
双葉さんと比較して、私の方が大事にされているって、そんな事実だけで奇妙なまでに心が揺さぶれてしまったから。
「……単なる比較のレベルで、殆ど優劣なんてないかもしれないし」
なのに、心の底でわだかまっている言い訳を、盾にするみたいに振り回してしまう。
期待しすぎないように、喜びすぎないように……事実が明らかになった時──失望しないように。
「なら、結果が分かる明日は、結構見ものだね♪」
そんな私の心を嘲笑うみたいに、双葉さんは満面の笑みを浮かべていた。楽しみだなぁと、遠足を前にした子供みたいに。
「見もの……?」
一体、何のことなんだろう。
そもそも、双葉さんの言うことに意味なんかあるのだろうか。
双葉さんはわざとらしく唇に人差し指を当てて、うふふ、なんてイヤらしい笑い方をしていた。
「私、言ったよね。翼を嫉妬させちゃおうって」
「……言ってた、けど」
……もしかして、それがさっきカスのキスをしてきた理由だったんだろうか。
だとしたら、見積もりが甘すぎる。
翼ちゃんが、私如きでそんなに感情を動かすわけ……無いし。
「無いよ、そんなの……」
「あるよ、そんなこと」
私と双葉さんは、いつだって息が合わない。
意見が微塵も、噛み合わない。
……でも、今は。
「賭けてみちゃおっか、明日の翼のこと。岸根にベタッとしてくるか否か」
「賭けて、どうするの」
「私が勝ったら、翼と友達になりたいな。それを認めて、岸根」
「負けた時は?」
「んー、そだね。翼にちょっかい掛けない様にする、これでどう?」
……明らかに、私に有利な賭けだった。
だって、負けても、失うものはないに等しいんだから。
「……良いけど」
だから、乗ってしまっていた。
双葉さんにまんまと扇動されて、翼ちゃんが私に構ってくれるって期待を、賭け事を口実に確かに抱いてしまっていたのだ。
「ふふっ、約束だからね、岸根!」
そう告げると、長く感じた双葉さんとの二人旅は、突如として終焉を迎えた。
彼女が、クルリと背を向けたから。
……多分、もう伝えたいこと、全部伝えちゃったんだ。
「じゃあね、岸根!」
あまりに気ままで、どこまでも身勝手。
でも、なんか一生懸命な人。
翼ちゃんのために、一生懸命になれる人。
「……バイバイ、双葉さん」
明日の賭け、どっちが勝つんだろうね。
もし、もし私が負けちゃうのなら……。
ちょっとだけ、双葉さんを許容してあげられそうな気がする。
そうして朝、ソワソワしながら登校した私を待っていたのは……。
「お、はよ──り、お」
いつもの時間じゃなくて、私よりも先に登校していた翼ちゃんだった。
目を合わせてくれなくて、なのに私の近くまで来て、一生懸命小さな声で挨拶をしてくれる、そんな可愛い翼ちゃん。
でも、それも嬉しいけど、何より驚いていたのは……。
「翼ちゃん、私の、名前……」
ふわりと、胸の中で温かなものが広がる。
本当に、直ぐに結果が出ちゃってる。
翼ちゃんが、私の名前を呼んでくれた。
それだけで、世界が反転したみたいにキラキラに感じた。
賭け、負けちゃった。
翼ちゃん──嫉妬、してくれたんだ。
……なんか、ドキドキする。
気が付けば、胸の中いっぱいに、えもいわれぬ感覚が広がっちゃっていた。




