十二話 電波な理由
「これと~、これとこれ!」
「……おも、い」
「ううん、重いけど軽いの。太宰の文学は、辛いことばっかりじゃないんだよ! 太宰の短編集に収録されてる燈籠や恥とか、太宰版ギャグマンガ日和みたいなスピード感があるの。折角だから、読んでもらおっか。そういう訳で、はい追加」
違う、物理的に重いっていってるんだよ!
ボクの腕に、どれだけ積み上げる気なの!!
「……いらない」
「要るし居るよー、太宰」
太宰の話じゃない、物理的な本の重さのことだよ。
そう伝えたいけど、ボクの口は……。
「本、いらない……」
やっぱり、言葉足らず。
けど、双葉さんは気にした風もなく、ニコニコしてる。
いつもとは違う意味で無敵風味だった。
「そうだね、翼の心のなかに太宰が住まうようになったら、もういらないかもね~」
大体、何でボクはここにいるんだろう。
いつもみたいに屋上に行こうとしたら、爆速スピードでニコニコ笑顔の双葉さんに捕まって、今こうして書店で太宰を積み上げられてる。
半分くらい、江戸時代にあったらしい、石抱きの拷問を加えられてるみたいな気持ちになっていた。だって、重いし……。
「……ふたば、帰る」
そもそも、こんなにいっぱい本を買うお金を持っていない。だから無理、それを口にしたら帰るに換言されちゃっていた。
「こ~ら、翼ったら焦ったらヤだよ。──もうちょっと焦らさないと、向こうも本気になってくれないと思うし、さ」
「?」
けど、簡単には逃してくれなくて。
しっかり手を握られちゃって、ボクの逃亡を許してはくれなかった。
……向こうも本気って、何のことだろ。
双葉さんがよく口にしてる、偏在する太宰的なことなのかな?
「まっ、でも、こんなに一気に読めないのはそうだよね。じゃあ、今の翼にオススメの一冊なら読んでくれる?」
「……どれ」
「いま片付けるからね、待ってて!」
双葉さんはテキパキ積み上げられてた本を片付けて、最後に手元に残った本。
それは……。
「じょ、せいと?」
「そ、正確には女生徒を含む複数の作品からなる短編集、なんだけどね」
一冊の文庫本、タイトルには女生徒と題された作品がそこにはあった。
「──身近な女の子の誰かの気持ちがわからなくなった時、読んでみてほしいな!」
「ん」
そうなんだって、淡白な感想しか出てこなくて。
取り敢えず、ここまで来たら買っちゃおうかの精神で、会計を済ましてしまっていた。
太宰作品自体は、他の作品も読もうかなって思ってたし。
渡りに船といえば、そうだったから。
「折角だから、私がプレゼントしても良かったんだけどなー」
「……いらない」
布教のためだろうけど、そこまでしてもらう理由もないし。それはそれとして、オススメ紹介は助かったけど。
「じゃ、もう少し歩こっか」
「……帰る、違う?」
「そ、実はね、この太宰巡りはオマケで、本命はまだ別にあるから。……もうちょっと、付き合ってくれないかな、翼?」
キラリンとしてる瞳を揺らして、ボクの顔を覗き込んでくる双葉さん。
お茶目で、楽しげで、甘えるみたいな瞳。
今まで会ったことない目に、ちょっとドキッとする。
「……好きに、すれば、いい」
……別に、色香に負けちゃったわけじゃないよ。
ただ、小説紹介してもらったし、このまま帰るのもなーって思っただけだし!
「よっし、翼ったら付き合い良いよね! じゃあデート、続けよっか!」
うん、続けようか、デート!
……えっ、デート?
そうして、ボクたちはどうしてか、ベンチに座ってクレープを食べていた。いちごクレープ、食むとイチゴとクリームの味が広がって、美味しいがたくさん詰まってる。
でも、なんか食べるのが難しくて、頬っぺたとかにクリームがついちゃったりもしてた。
……これ、小さい口だと、かなり食べづらい食べ物だね。すごい美味しいから、全然良いんだけどさ。
「翼、こっち向いて〜」
クリームを地面に落とさないよう奮闘してると、とびっきり明るい声に呼びかけられて。振り向くと、そこにはとびっきり笑顔の双葉さんが、ハンカチ片手に待ち構えていた。
「クリーム、拭いたげるね」
「……いらない」
「あつ、こら! 口元ぺろぺろしちゃダメだよー!」
自分で何とかしようとしたところで、容赦なくハンカチを行使されてしまった。ゴシゴシと口元を拭われ、すっかり子供みたいな扱いを受けてしまってる。
な、なんか恥ずかしいね?
「はい、綺麗になった! もう、翼ったら赤ちゃんみたいなんだからさー」
「赤ちゃん、ちがう」
赤ちゃんなんて、初めて言われた。
違うんだけどなーって思いつつクレープを一気にモグモグすると、すぐにまたクリームがペチャって付いちゃった。
……赤ちゃんじゃないよ、本当に。
「そういうところだよ、翼!」
ニコニコしながら、双葉さんにされるがままに拭れてしまった。ちょっと反論し辛いの、悔しみがあるね。
「……本当はぺろぺろ、私がしてあげても良かったんだけどね。でもね、そこまでするとライン越えで、私殺されちゃうなーって思って我慢したの。だからね、褒めてくれて良いんだよ、翼!」
何で急に、殺されるとか言い出すんだろう。
ボク、そんなに凶暴に見えてたのなら心外だよ。
……されちゃったら、照れて暴れるけどさ。
ボクをむむってさせた双葉さんは、そんなボクの葛藤なんて知らないって言わんばかりに、手鏡を見てた。
女の子的に、顔にクリームついてないか気になるの、確かにわかるけどいじわる動作には違いない。
「ね、翼。クレープ美味しかった?」
「……まあまあ」
「素直じゃないなー!」
双葉さんもクレープを食べ終わったみたいで、ベンチから勢い良く立ち上がると、またボクの手を掴んだ。
そんなことしなくても、もう逃げないのにって思うけど、楽しそうな双葉さんを見てると、まあいっかって気持ちにもなる。
そのまま早足で歩き始めたから、ボクも早歩き気味に着いていく。行き先なんて、分かんないけど。
今日の双葉さんは、本当にフリーダムすぎた。
そうして、ボク達は夕暮れの河原をのんびりと歩いていた。
さっきまでのマシンガンみたいな話し方は無くなって、双葉さんはポツリ、ポツリと語ってくれた。
双葉さんのことについてと、今日のことについて。
「双極性障害って、知ってる?」
「……」
フルフル頭を振ると、双葉さんは言い方が悪かったかなーって呟いて。
「もっと分かりやすく言うと、躁鬱。ハイな日とローな日、極端から極端に日々が移ろいで行くの」
唐突な、そんなカミングアウト。
ずっと浮かべていたニコニコ笑顔じゃなくて、淡い、少し疲れてしまってるみたいな微笑を浮かべて。今日の双葉さんにも、昨日の双葉さんにもあんまり似合ってない、なのにその笑みが馴染んじゃってる笑み。
「それが私で、いつもはお薬で抑えているの。今日はハイな日だったね。多分、明日はローな日。お薬飲まないと、しんどすぎて何にもする気になんなくて、ずっと横になってるしかないんだよねー」
さも普通のこと、みたいに双葉さんはそんなことを口にして。ケラケラと、また笑って見せていた。
……楽しくもないはずなのに、空元気で。
胸が、チクッてした。
そんな事情、あったんだって思って。
いつも無表情だったのは、お薬で色々と抑制していたから。そうなりたくてなってるんじゃないんだって、分かっちゃったから。
……でも、それなら何で今日、双葉さんはお薬飲まなかったんだろうか。元気な日は、飲まなくても大丈夫なのかな?
「どう、して?」
「ん? どったの、翼」
「……今日、元気、なの」
口も今回は捻くれないで、素直に聞きたいことを聞いてくれてた。
すると双葉さんは、さっきみたいな笑いじゃなくて、にへーっと力の抜けた笑い方になって。
「──それはね、翼をデートに誘おうって思ったから」
「ボク、を?」
「今更だけど、ボクっ子なんだね翼。かわい」
にへにへした笑い方で、ボクの頭を撫で始めた双葉さん。
優しい手つきで、髪を梳くみたいにしてくれてるから、嫌な気持ちになれなくて動けない。ただ、されるがままに身を任せて。
「私ね、翼のこと、一目見てもしかしたら仲間かなって思ってたんだ」
そして、されるがままになりながら、双葉さんの言葉に耳を傾ける。なんでここまで親しくしてくれてるのか、その理由を話し始めてくれたから。
「無表情で、動じなくて、そっけない。お薬、飲んでるのかなって」
「……ちがう」
「うん、それはしばらく観察してたら分かったよ。翼ってば、天然物で無表情なんだって」
うん、この無表情は天然物。
この無表情のこと、結構気に入ってるよ、ボク。
「でも、太宰に興味持ってくれてて、私の話もなんだかんだ付き合ってくれる。最初のインプレッションも合わさって、やっぱり友達になりたいなーって思っちゃったのですよ」
「……うん」
そっか、双葉さんは勘違いでボクを気になり始めたけど、今のボクとも友達になりたいって思ってくれ続けてるんだ。……なんか、気恥ずかしいね。
「だから、悩める翼の力になってあげたくて──翼と友達になりたくて、今日こうしてデートを始めたの」
「ちから、に?」
でも、今日のことについては、なんか理屈が飛んじゃっていた。
ボクが岸根さんとのことで悩んでることを知って、だからこうしてデート? に誘ってくれたんだって言われても、なんで? ってなっちゃう。
遊んで、悩み事を無くしちゃえってことなのかな。……だったら、ごめん。それは無理だよ、出来ないよ。
楽しかったけど、友達と放課後に遊べて、すごい嬉しかったけど。頭の片隅でずっと、ボクは……。
「ね、翼」
気が付けば、双葉さんの顔が目の前にあった。
息を感じられるくらいに近くて、気配がビックリするくらいに濃く感じる距離感。
反射的に後ろに下がろうとしたけど、それも出来ない。──双葉さんが、ボクの肩を掴んでいたから。
「……どうした、の?」
耳元で、双葉さんが囁く。
「──操って、そう呼んでみて。きっと、面白いことになるから」
ゾクゾクってする、なんか危ないことされてるって感触に支配される。
声音的に、今の双葉さんはチシャ猫みたいな顔をしてるだろうから。
それに、まだ……岸根さんだって、そう呼べてないから。だから、断ろうとして。
「……ボク、は」
呼べないって口にしようとした。
──その、瞬間。
「──翼ちゃんから、離れて」
冷たい、まるで冬のそよ風みたいな声がした。
びくって体が震えちゃって、双葉さんはボクの肩を離して。
「……きし、ね」
振り返れば、夕焼けを背にした岸根さんが、双葉さんと入れ替わったみたいな無表情で立ち尽くしていて。
「ふふ、待ってたよ、レズ!」
「……翼ちゃんの前で、そんなふざけた呼び方、しないで!」
でも、無表情もすぐに崩れた。
表情に現れていたのは──物が切れそうなくらいに鋭利な視線。
何がどうなってるのか、全くわからない。
でも、一つだけわかったことがあった。
──岸根さん、ボクのこと翼ちゃんって、呼んでくれてる!
岸根さんは怒ってる。
だから、こんな感情は湧いちゃダメだって、分かってるんだけど……。
ごめんね、岸根さん。
ボク、翼ちゃんって呼ばれるの、やっぱり嬉しいよ。