十話 本物の電波女
屋上の扉を開けて現れたのは、ずっと来て欲しいなって願ってた岸根さんじゃなくて、図書室の主系ミステリアス少女の双葉さんだった。
相変わらず、ボクと一緒で表情筋が死んじゃってる。夕暮れ越しに、彼女の水色の髪が暗く染められてる姿は、浮世離れして見える。
……初対面時に、岸根さんがボクを幽霊と間違った理由、分かっちゃったね。
双葉さんは音もなく、そっとボクの近くまでやってきた。
屋上に用事、あるのかな。
夕焼け、見に来たとか?
「翼、お話ししに来た」
違った、ボクに用事だったみたい。
「なに」
「太宰のオススメ、したい」
そう言って、双葉さんはスカートのポケットから一冊の文庫本を取り出した。あの日の図書館での時みたいに、好きなものを共有したいって気持ちが伝わってくる。
ミステリアス商売敵だけど、悪い子じゃないってことは知ってる。なので、双葉さんとお話しすること自体は嫌じゃなかった……いつもなら。
「……いらない」
でも、気が滅入ってるし、あんまりお話しする気分じゃない。だから、話したく無いって口にする。
今は、そんな元気ないよって。
……今日も、岸根さん来てくれないよね。
もう、帰っちゃおうか。
暗い気持ちのまま、ボクは双葉さんの横を通り過ぎて。そのまま、足が出入り口の方へと向いていき……。
「──素っ気ないの、岸根が原因?」
背中に投げかけられたその言葉に、足がピタリと止まった。止められた。
「……なん、で?」
知ってるのって言葉は続けて出せなかったけど、意味は十分に伝わっていたみたいだ。
「話、する?」
双葉さんはニコリともしないまま、そう告げて。
ボクは吸い寄せられるように、双葉さんに近づいていかざるを得なかった。
……岸根さんのこと、知ってそうだったから。
どうして岸根さんが怒ってたのか、教えて欲しかったから。
「翼、喧嘩してる?」
「して、ない」
「そう、じゃあ岸根だけ、なんだ」
ジーッと、お互いの無表情を覗き合いながら会話が始まった。双葉さんも全部を知ってるわけじゃなさそうで、まずはその辺りの擦り合わせ。
「……ん」
尤も、ボクの口は思った通りになんて、もちろん動いてくれなくて。
「……会いたい」
会って話がしたい、謝りたいって伝えたいのに、極度に言葉が削れてしまう。
「寂しい?」
「……少し」
本当は、かなりって言いたかった。
なのに、ボクの口は恥ずかしがり屋の意地っ張りだから、素直じゃないの見本市になっちゃってる。
──少しなわけ、ないよ。
初めての友達で、一緒にお話しできると嬉しくて、ミステリアスにも付き合ってくれてて、ボクに面倒くさがらずに付き合ってくれてて。
……そんなの、岸根さんだけだもん。
早く、また二人でたくさん、お話ししたいよ!
「少しなら、私が代わりになれる、よ?」
「……ふたば、きしねじゃない」
「うん、私は私。でも、楽しいよ、きっと」
多分、双葉さんは友達になろうって言ってくれてる。ボクがこんなのだから、放っておけなくて。
それ自体は、悪い気はしない。
ありがとうって気持ち、結構ある。
でも、やっぱり首を振ってしまった。
岸根さんの代わりとして、双葉さんと仲良くなるなんて、そんなのやりたくないから。
岸根さんは、ボクが一番って言ってくれたから。ボクも、岸根さんが一番だって、言葉で言えなくても、せめて態度で伝えたくて。
だから、またタイミングがあった時、双葉さんと友達になれたらって思う。
「──ふたば、いらない」
そう伝えようとしたボクの口は、端的に言って最悪だった。
言い方っ、もっと伝え方あっただろ!
いるよ、いらないわけないだろ!
友達になろうとしてくれてありがとうって思ってるよ!!
見てよ、双葉さんも無表情変えてないけど、瞬きの速度が3倍くらいになっちゃってるよ! ボクのおバカ、無茶苦茶おバカ!!
……ど、どうしよ、双葉さんにも、嫌われちゃったかな?
「…………誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか」
え?
「両思いなら、仕方ない。太宰的文脈から、今の私は間男みたい、だし」
双葉さん、急にどうしたの?
文学系ミステリアス少女の領域展開、始めちゃってる?
「要るって言ってもらえるよう、頑張る」
「ふた、ば?」
「待ってて。二、三日で何とかする」
無表情のまま腕まくりして、タッタッタと双葉さんは屋上を後にした。
なんか納得した風だったけど、結局何だったんだろう。
……何とかしてくれるって、岸根さんのこと、なのかな?
夕暮れの屋上にいた翼は、どこか遠くを眺めてた。
夕陽を見てるのか、それとも……。
「翼、お話ししに来た」
「なに」
「太宰のオススメ、したい」
「……いらない」
私に目を向けたのは一瞬で、興味ないと言わんばかりに、直ぐに空へと視線を向けた。
夕日は綺麗だけど、多分それじゃない。
魅入られてるというには、今の翼はボンヤリしてる。
……本当に夕陽に魅入られてるなら、イカロスになろうかと思ってしまうから。
だから、今の翼は夕陽なんて見ていなかった。
事実、翼は直ぐに屋上を後にしようとした。
せっかく、翼と話せる機会なのに、翼は振り向いてもくれない。今は太宰では、翼は引き止められない。
それが、何だか悔しくて。
「──素っ気ないの、岸根が原因?」
代わりに、翼が夕陽の向こう側に見てたらしい名前を口にすると、思った通りにその足が止まった。
「……なん、で?」
振り返った翼の表情は、透き通っていて。
「話、する?」
──でも、夕焼けで、いつもより色めいて見えた。
「翼、喧嘩してる?」
「して、ない」
「そう、じゃあ岸根だけ、なんだ」
本当は太宰のことで盛り上がりたいけど、今の翼は目の前に焦点が当たってないから。
太宰と翼のために、まずは目の前の問題を解決しなくちゃいけなかった。そのために、具体的に何が起こってるのか、知らなくちゃいけなかった。
問題点、岸根はなんで怒ってる……違う、拗ねてるのか。
それを知らなくちゃ、何も始まらない。
……私の灰色の脳細胞は、倦怠期でえっちできてないから若年性更年期を発症してる、を最有力説に掲げている。
岸根、性欲強そうだし。
翼は、多分そんなだし。
「……会いたい」
健気に、ボソリと呟く翼。
この姿を見たら、岸根も強情なんて張らないと思う。
へそ曲がりだから、ここに来てないんだろうけど。
「寂しい?」
「……少し」
透明な表情で、翼は遠いどこかを見ていた。
どこかじゃなくて誰か、なのかもしれない。
……翼、こんなにも健気。
まるで饗応夫人みたいに、報われないのに尽くしてる。
それが、なんだか可哀想で。
──だから、魔が差した。
「少しなら、私が代わりになれる、よ?」
岸根が聞いたら、多分激怒する。
レズじゃないけど、私にしとく? って聞いちゃったから。
「……ふたば、きしねじゃない」
でも、迷うことなく振られてしまった。
翼も、えっちはしたくないけど、岸根のこと普通に好きみたいだったから。
……残念。頷いてくれたら、めくるめく太宰読み聞かせツアーにご招待できたのに。
「うん、私は私。でも、楽しいよ、きっと」
一応、食い下がってみる。
このまま、放っておけもしなくて。
頷いてくれたら、スカート裏に隠してある
「──ふたば、いらない」
でも、やっぱり翼は誠実で、逆に怒らせてしまった。
本気で好きみたい、岸根のこと。
…………良い、なんかキタ。
ダメな恋人に操を立ててるの、凄くゾクゾクする。
「…………誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか」
太宰の文学的にも、今の翼は愛がある。
翼は佇んでるだけで、愛の形があるように見える。
困った、どうしよう……。
ダメなのに、いけないのに……。
──お薬で抑えてるのに、どうしようもなくテンション上げずにはいられないっ!
「両思いなら、仕方ない。太宰的文脈から、今の私は間男みたい、だし」
翼、応援したくなっちゃった。
可哀想な翼が、凄く可愛く見えたから。
「要るって言ってもらえるよう、頑張る」
「ふた、ば?」
「待ってて。二、三日で何とかする」
久しぶりに、天啓を得た気分。
楽しくなりながら、私は屋上から飛び出していた。
岸根、待ってて。
翼のために──焚き付けてあげるね。