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シドによる歩き方の練習を終えて、ルナはトールとともに自室へ戻ろうと歩いていた。すると、通りがかりの貴族たちが、ルナと話したそうにしている顔が横目で見えた。公式に姫だと紹介する前段階である今は、外部へはルナのことをオープンにはしていなかったけれど、この銀色の髪と緑の瞳を隠し通すことは無理に等しく、城に出入りできるほどの有力貴族たちにはその存在がじわじわと漏れてきていた。ルナとコネクションを持ちたい貴族は山ほどいたため、状況を鑑みたシドが、シドがそばにいる時以外はルナに話しかけてはいけないというルールを作った。平民の生活が長かったため、という理由をつけたことと、シドが作ったルールだということに、貴族たちはすんなりと言うことを聞くようになった。その話を聞いたルナは、前から感じていたがシドとは何者だろうか、と疑問に思った。

ルナは頭に乗せたカツラをうっとおしそうにかく。


「あー、むれる…なんでこんなもんしなきゃいけないんだ…」

「あーあー、触るとずれるよ」


トールになだめられて、渋々ルナはカツラを触る手を止める。


「いつになったらこれ取れるんだ…」

「髪が伸びたらじゃない?」

「それっていつだ」

「あはは。まあそんな顔すんなって!あっ、海藻食べると早く髪が伸びるらしいぜ」

「海藻?」

「城の近くにシルヴァ家領の港があるし、そこから仕入れてきてもらうか?」

「港…ってことは、海があるのか」


ルナは目を輝かせる。トールはそんなルナを見て小さく微笑む。


「なに?ルナは海、見たことないの?」

「ない。シルヴァ領ってことは、シエルの家か…今度案内してもらえないかな」


ワクワクした様子で話すルナに、トールはいや港はちょっと…と口ごもった後、うれしそうに笑った。


「ルナはシエルが好きなんだな」


トールがそう言って笑うと、ルナはトールの目を見て、おう、と答えた。素直に肯定したルナに、トールは拍子抜けた顔をする。


「え、認めるんだ」

「?ああ。だって好きだから」

「(…まあ、レンアイの好きではないのか…)」

「お初にお目にかかります、姫様」


声が聞こえて、ルナは振り返った。そこには、耳が隠れるほどの長さの金髪に、赤い瞳をもつ、美しい容姿の男性が微笑みを浮かべて立っていた。ルナより2、3歳ほどは年上だろうか。その男性は、穏やかな好青年の雰囲気を醸し出している。

ルナはすすすとトールの後ろに隠れると、トールを見上げた。


「おい、なんか話しかけてきたぞ。追い払え」

「まてってルナ。この方はジェームス公爵家のお方だ」

「だれ?」

「王の弟君のご子息だよ。申し訳ありません、ソル様。まだソル様のご紹介をしてませんでした」


トールはソルと呼ばれた男性に謝った。ソルは、いえ、と頭を振った。


「初対面ではないんですよ、僕たち」


ソルは微笑んでルナを見た。ルナは、は?と首を傾げる。ルナは、じっとソルを見つめる。ソルは、そんなルナに笑みを深くした。ソルはゆっくりルナに近づき、そして耳打ちをした。


「ほら、パン屋で」

「…あっ」


ルナは、あの日の変わった客を思い出した。着ている服の質があのときと全く違うけれど、顔は彼と同じだった。ルナは、あ、ああ…、と少し動揺しながらソルを頭から爪先まで順番に見つめた。

トールは、部屋を用意します、とソルに提案すると、ソルは、お願いします、と微笑んだ。





別室に来たルナとソルは、テーブルを挟んで向かい合って座った。ロゼは手際よくお茶の準備を終えると、部屋の隅に控えた。トールはいつもと変わらずに立ったまま寝ていたので、ロゼが足を踏んで起こした。

ソルは一口お茶を飲むと、ルナの瞳をみて笑った。


「無事、城に戻られたようで、安心致しました。お話は伺っていたのですが、他の用事で城に戻るタイミングがなく、こうしてお会いできる日を楽しみにしていました」

「…どうして、あなたみたいな人が、あんな田舎のパン屋に?」

「あの日は貴女のことを探しに来ていたのです」


ソルの言葉に、ルナは、え、と声を漏らす。


「陛下から貴女の存在を聞かされて、シドが居場所を調べて、私が事前に現地に向かって調査をしていました」

「…あの格好は、貴族だって隠すためか…ですか?」

「ええそうです。調査に行くときや、領内を視察するときによく」

「視察?」

「領内にもまだまだ、飢えている国民たちがいる。その人たちの姿を目に焼き付けに行くんです。自分にはまだまだやることがあるって、奮い立たせるために」


ソルは、目を伏せて静かにそう話す。ルナはそんなソルを見つめる。ソルはルナの視線に気がつくと、笑顔に戻した。


「あの日拝見したところ、姫様には、慈愛の心がおありだと存じます。王家の人間として、そんな姫様をお支えしたいと思います」

「慈愛…?」

「飢えたこどもたちにパンを分け与えていらした。あの貧しい村にいるのであれば、自分たちも食べていくのに苦労されていたはずなのに」


ソルはにこりと微笑む。ルナは、まっすぐにソルを見つめ返す。

この城に来てようやく、自分には普通の人間よりも感情が乏しかったのだと知った。飢えた子どもの気持ちなど知ったことではなかったし、マックスの死ですらその時は泣けなかった。ルナは目を伏せる。


「あれはオレじゃない。親父がしてたことだ」

「…」

「オレにそんな立派な心なんかない、心なんか、」

「これはソル様、城にいらしていたのですね」


扉が開き、シドが入ってきた。ソルはシドの方を見ると、ああシド、と声をもらした。


「辺境地の視察が終わってね。…あの件も進めたいけど、手がいっぱいで」

「いえ、ソル様にいつもご無理を申し上げているのは重々承知してございます」

「陛下に謁見してから帰ろうと思っていたら、姫様をお見かけしたものでつい声をかけてしまった。規律を乱すようなことをしてすまなかったな、シド」

「ソル様であれば問題ございません。他の貴族たちも同じ認識かと存じます」


シドの態度に、ソルという人物がこれまで会ってきた貴族の中では格の違う人物なのだとルナは改めて思う。

ソルは、そろそろ時間かな、と言うとルナの方を見て微笑んだ。


「これからどうぞよろしくお願いします、姫様。僕を結婚相手の候補としても」

「えっ」


ルナはシドの方を見上げた。シドは笑顔のまま、もちろんでございます、と答えた。


「オ、私の相手はシエルじゃないのか?」

「シエル様は候補のお一人だと前からお伝えしております。ジェームス侯爵家のソル様も、そのお一人です」

「そうだったっけか…」


ルナは、またソルの方を見た。ソルは紳士的な笑顔を見せると、またお茶にお誘いしてもよろしいですか、と尋ねた。ルナは、ええ、もちろん、と答える。


「(…まあ、結婚相手なんてどうでもいいけど…)」

「それでは失礼致します、姫様」


ソルはそう言うと立ち上がり、ルナの方を見て微笑むと部屋から出ていった。ルナは、ソルが出ていったのを見計らうと、頬杖をつき両脚を開いて楽な姿勢をとった。


「はーやれやれ」

「姫様、疲れるのが早すぎます」

「結婚相手の候補がどんどん湧いてきてるな。…まあ、オレにはどうでもいいけど」


ルナが退屈そうにあくびしながら言うと、控えていたロゼが、もう、と言いながら近づいてきた。


「そんなこと仰らずに。生涯の伴侶ですよ?」

「どうせオレに決定の権限なんかないんだろ?」


ルナがちらりとシドを見上げると、シドはにこりと微笑む。


「もちろん、姫のお気持ちも汲みますよ」

「国の為になるかが最優先だろ」

「それは言わずとも知れたことでございます」


シドの笑顔にルナは、ほらな、と内心思いながら視線をシドからずらす。どのみち、自分に恋だのなんだのはわからない、とルナはあきらめる。自分には普通の人と違って心がないのだから。


「(…シドも人の心がなさそうだけど)」

「でも、良いじゃありませんか。ソル様がお相手だったら。物腰柔らかでスマートで、お顔立ちもとってもお綺麗だわ。素晴らしいお家柄なのに変に気取ってないし。周りのメイドたちもいつも黄色い声を上げているわ。あなたも爪の垢を煎じて飲むべきよ」


ロゼがじろりとトールを睨めば、トールは、あはは、と笑った。


「確かに!俺もソル様みたいな男になってみたかったなあ」


うんうん、と笑いながら頷くトールを、呆れながらロゼが見つめる。するとルナが、なんでだ、と首を傾げる。


「オレはそのままのトールが好きだ」


ルナに真っ直ぐな瞳で見つめられて、トールは、えっ、と固まる。ルナは、だって、と言葉を続ける。


「いつもオレと組み手をしてくれる。そんな奴他にはいない」


目を輝かせて大真面目にそんなことを言うルナに、トールは、ふっ、と笑みを漏らした。そして、それはそうだな、と笑みを深くした。


「なら俺はこのままでいるよ」

「ああ、そうしてくれ」


ルナは、うんうん、とトールに頷く。ロゼはそんなルナの方を見て、小さく微笑む。

シドが、さて、と手を軽く叩いた。


「次はお勉強のお時間…と言いたいところなのですが、急用が入ってしまいまい、これから会議に出席しないといけなくなりました。2時間後に、姫のお部屋でお会いいたしましょう」

「やったっ!トール!行くぞ!」


ルナは勢いよく立ち上がりカツラを脱ぎ捨てた。トールは、はいはい、と笑う。ロゼが、一旦自室に戻るんですからカツラはまだつけておいてください、と言いながらルナを慌てて追いかける。

シドは、失礼いたします、と言うと静かに部屋から出ていった。シドは、廊下を歩きながら、口元に手を当てた。


「(ソル・ジェームス…勿論姫の婚約者の候補に申し分ない、なんなら筆頭にすらなるお方だ。ソル様は大変優秀なお方。国を最優先にしていつも考え、国のために熱心に働いておられる。ジェームス公爵家と陛下との関係はずっと良好だし、ジェームス公爵は陛下に心酔しておられる。全く問題のない相手だ。…ソル様自身が食えないやつだという点以外では)」


シドは、ふう、と息をつくと、窓の外を見た。


「(……シルヴァ侯爵家はシルヴァ侯爵家で問題がある。…他に姫の婚約者候補を探さないといけませんね…)」


問題は山積みだとシドが頭の中で憂いた時、使用人がシドを呼びに来た。今行くところです、とシドは声を掛けると、使用人とともに歩き出した。









トールとの組手を終えて、ルナはトールとロゼと一緒に自分の部屋へ戻った。今日はロゼがいたために、ルナは空いているスペースで着替えをしてから部屋へ向かうことができた。

中庭を歩いていた時、ルナは庭の掃除をしているミナの姿を見かけた。ルナはミナの元へ駆け寄った。ミナはルナに気がつくと、あら、と微笑んだ。


「ルナ様、どうされたんですか、汗をかかれていますよ」


ミナはそう言うと、自分のポケットから取り出したハンカチで、ルナの額ににじむ汗を優しく拭った。ロゼに綺麗にしてもらったとはいえ、運動直後の身体はあったまっており、移動している間にまた汗をかいたようだった。


「(…ミナ、いいにおいがする…)」


ルナはミナに汗を拭かれながら目を瞑る。そんなルナを見てミナは優しく微笑む。

すると、ルナ様、とロゼが咎める口調で話しかけた。


「この者は、ルナ様と話せるような身分にありません」


ロゼの言葉に、ミナは慌ててルナから手を離すと、深々と頭を下げた。ルナは、むっとしてロゼの方を見た。


「それはなんだ、法律で決まっているのか?」

「えっ?いえ、そういうわけでは…」

「シドから聞いたぞ。この国は法治国家だって。法に則らないことでつべこべいうな」


なーミナ、とミナに擦り寄るルナ。ミナは怒るロゼと甘えるルナに挟まれて困惑の表情を浮かべる。

ロゼは、ルナ様、と怒った口調で話し掛ける。


「(下手に知識を与えられたから、面倒くさいこと言い出したわ…)そういう決まりなんです。古くからの習わしです。城の中でルナ様が平民とやすやすとお話しになられていては、他の貴族たちに示しがつきません」

「それなら、オレが法律を作ってやる。ミナと話しても文句を言われないように。そうしたら誰にも文句を言われずにミナと仲良くできるんだろ?」


ふん、と得意げな顔をするルナに、ロゼは、もう、と眉をしかめる。


「(中途半端に得た知識と、ネジの飛んだ情緒の織りなす不協和音…!)トールもなんとか言って!」

「まあ、いろいろ貴族って面倒くさいんだって。そういうのは隠れてやればいいさ。バレなきゃ良いんだから」

「もうっ!」


ルナ様に敬語を使えないあんたに言うのが間違いだった、とロゼが頭を抱える。ルナは、そういえば、とトールの方を見上げる。


「お前も貴族なのか?」


ルナの問に、そうだよ、と答えるトール。


「辺境地にある侯爵家の三男坊だよ。家督はつげないから、騎士団に入ったってわけ」

「昔っから馬鹿力だけは自慢だったものね」

「そうそう!」


あはは、と快活に笑うトールに、それをあきれたように見るロゼ。

ミナは、自分のせいで場が困惑していることに焦り、深々とお辞儀をすると、そそくさとその場から去ってしまった。ルナは、ミナの背中を名残惜しそうに見つめる。


「ロゼが意地悪言うからだぞ」


ルナが恨めしそうにロゼを見つめる。ロゼは、私はルナ様に常識をお伝えしたまでです!とキツイ口調で返す。トールは、まあまあ、と2人を宥めた。










馬車の側で控えていた運転手が、とある人物の登場に深々と頭を下げた。金髪を風になびかせながら、その青年は馬車に乗り込んだ。彼について、1人の執事も乗り込んだ。


「ソル様、お帰りなさいませ」

「ああ、出してくれ」


ソルの言葉に、運転手は馬車を動かす準備を始めた。ソルは窓の外を見た。


「(…陛下の体調もよろしくない。…かといって、あの娘を王女にするにはまだ早い。…にしても、あの娘を本当に城に招き入れるとは、よほど血統を守りたいらしい。あの娘の秘密を、元始末屋という事実を、周囲から隠し通す自信があるようだ)」


ソルはじっと黙りながら考えていた。馬車はじきに動き出し、車内は揺れだした。

ふと、ソルは執事と目が合った。初老の男性はお辞儀をして口を働いた。


「坊ちゃまはお忙しいようで、爺は心配にございます」

「なに、どうってことないさ。この国の未来のために生きていると思えば」


ソルが微笑めば、執事はそんな彼を誇らしそうに目を細める。


「…そういえば、シドに会ったよ。仕事の話はできなかったけれどね」

「ああ、シド様にございますか。いつもお忙しそうにしていらっしゃいますから」

「彼は変わらないね。僕が3歳の時、…15、6年前かな、それから全く見た目が変わらない。…ああ、あの時はシドという名前ではなかったかな」


ソルがそう言うと、執事は何のことかわからずにきょとんとする。ソルは彼の反応を見て、いや、別の人の話と混ざってしまったかな、失礼、と笑った。すると執事は、坊ちゃまはたくさんのお仕事を抱えていらっしゃるから、と心配そうにソルを見つめた。

ソルは、執事から視線を逸らして窓の外を見つめた。

ソルは過去の記憶を思い出す。父の後ろに隠れて見上げた、黒い髪に黒い瞳、肩まである髪を赤い紐で後ろで結んだ、貼り付けたような笑顔の若い男性のことを。


「(初めてあの男に出会った時、シドとは名乗らなかった。ジョセフかジョンか…それは大したことじゃない。問題なのは、彼の容姿があの時と全く変わらないこと、そして、この話を誰にしても全く理解されないこと)」


5年前に再会したとき、ソルの前でシドは、自分や自分の親たちに対して初対面のように振る舞った。そしてそれを、自分以外の誰もおかしいと思っていなかった。だからソルは当時、反射的に自分も初対面のふりをした。そうしなくてはいけないという彼の直感が働いたからだ。


「(…とにかく、彼のことは完全には信頼できないということは肝に銘じておかなくてはならない。あの娘が元始末屋であるという最大の切り札の、最高の使い所を間違えないためにも)」


ソルは、少し黙ったあと、明日からまた遠方に出かけなくてはならないんだ、と執事に話し掛ける。執事は、また爺はさみしくなります、とソルに返した。

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