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お昼ご飯終わりの昼下がり、満腹のお腹と窓から差し込む暖かいひざしを感じながら、ルナは大きな欠伸をした。午後の座学はまともに聞けたものじゃない、とルナは心のなかでつぶやく。そんなルナを見たシドは、姫、と笑顔で圧をかける。ルナは、はいはい、と嫌そうに頬杖をつく。
「あくびは極力しない。耐えきれず出た時は必ず手で口元を押さえる、だろ」
「左様でございます」
シドはにっこりと笑顔をルナに向ける。ルナは、はーあ、と気だるそうなため息をつく。シドは、続きをお話します、と手に持った本を視線の位置まで上げた。ルナは、テーブルに置かれた同じ本へ嫌そうに視線を移す。
「約500年前、我が国は、後の初代の王となるお方と魔法使いとの契約の上、建国されました。争いの絶えなかった我が国は、その契約により平和な時が訪れ、今日まで続いております」
「魔法使いねえ、おとぎ話みたいな歴史だな」
「学校でも習う我が国の歴史ですよ。真剣に覚えてください」
ルナは、はいはい、とつまらなさそうに本に視線を移す。ルナは勉強のかいあって少しずつ文字を覚えてきたけれど、まだ読むのには時間がかかる。
シドは時計を見ると、さて、そろそろお終いにしましょうか、と笑った。ルナはその言葉に目を輝かせる。
「では、次の歴史の時間までに、この本一冊を丸暗記してきてください。きちんと言えるか次回確認致します」
「えっ」
「それでは1時間後、またお会い致しましょう」
シドはそう言うと、笑顔をまたルナに見せて部屋から出ていった。ルナは、歴史の本の分厚さを指で確認したあと、顔をテーブルに突っ伏した。
勉強により頭を使ったせいか、夕食まで時間があるというのにルナは小腹がすいてきた。
1時間の自由時間があるとはいえ、1人で城内を歩いてはいけないため、不自由なものであった。ルナは部屋に控えるロゼをちらりと見た。ロゼは部屋の片付けを他のメイドたちとしている。
「なあロゼ」
ルナが話し掛けると、ロゼは手を止めて、ルナの方に歩いてきた。
「どうかされましたか?」
「腹が…お腹が空いたのですけれど、何か食い物を頂けませんでしょうか?」
「ルナ様、本日はご夕食まで何もご用意がありません。お茶でもおいれいたしましょうか?」
「…そんなもの何の腹の足しにもなりませんわ」
「そう仰らずに。少々お待ちください」
ロゼはそう言うと、他のメイドに声をかけた。ルナは、そのロゼの一瞬の隙を狙って、自室から逃亡した。ルナに逃げられたことに気がついたロゼは、あっ!と声をもらした。
「またやられた…。トールを呼んできて」
「は、はい。でも、わざわざ騎士の方を呼ぶ必要は…」
「あるのよ。あら、あなたはルナ様のお世話をするの初めてだったかしら?あのお姫様は私たちでは捕まえることが不可能だから」
メイドは、は、はい、と言うと部屋から出ていった。ロゼは腕を組み、はあ、とため息をついた。
ルナは颯爽と部屋から逃げ出すと、調理場に向かった。そして、扉から中をのぞき込んだ。すると、見覚えのある桃色の髪が見えて、ルナは目を輝かせた。ルナはすすすとその髪の女性、ミナの隣に向かった。夕飯の下準備をしていたミナは、ルナに気が付くと、あら、と微笑んだ。ルナは、ミナ、と彼女を呼んだ。ミナはルナと目を合わせると優しく微笑んだ。
「またお腹が空いたんですか?」
ミナの優しい声に、ルナは少し照れくさそうに頷いた。ミナは少々お待ちくださいね、と言うと、食糧庫に向かった。そして、手早く何かを作ると、尻尾を振って待つルナの側に戻ってきた。ミナの持つ白いお皿の上には、サンドイッチがのっていた。
ルナはそれを受け取ると、しゃがみ込んでそれをがつがつと食べ始めた。ミナも一緒にしゃがみこみ、美味しそうに頬張るルナを見つめて嬉しそうに微笑んだ。
こうやってルナがここへやってくることは初めてではなく、時々お腹が空いた時にルナはミナにこっそりご飯をもらいにやってくるのだ。
「美味しいですか?」
「うん。ミナの作るサンドイッチが一番美味い」
「あらまあ、ふふふ、ありがとうございます」
ミナはルナに優しく微笑んだ。ミナは桃色の髪を耳にかけると、少し寂しそうに目を細めた。
「田舎の弟や妹たちも、私の作るご飯をおいしいおいしいって、食べてくれてました。それを思い出してしまいました。…私、勝手にルナ様のことを、妹だって思ってたのかもしれません」
ごめんなさい、厚かましいことを、とミナは謝る。ルナは、頭を振る。ミナはそんなルナに、ありがとうございます、と微笑む。
「…ミナは、田舎が恋しいのか?」
「…時々、心配になります。私はここで、何不自由なく生活できて、自分の好きなことで働かせていただいている。だから余計に、みんなは大丈夫かなって…」
「田舎に帰りたいか?」
ルナは不安そうにミナを見上げる。ミナは目を丸くしたあと、少しだけ目を細めた。
「そうですね、いつかはここを離れる日が来るかもしれません。でも、ルナ様には必ずお伝えします」
「…ミナ」
「それに、その日が来るとしてもまだまだ先のお話です。まだまだずっと、私はルナ様のおそばにおりますから」
ルナはミナの優しい瞳をじっと見つめる。ミナもルナの瞳をじっと見つめ返す。
「(……もっかい、ぎゅっとしてくれんかな……)」
「…?どうかなされましたか?」
「いや…」
「ちょっと!ミナ!!どこにいるの!!」
えらく苛立った声が調理場に響いた。ミナは慌てて立ち上がると、ここにいます、と返事をした。荒い歩調のメイドがズカズカとミナのところへやってきた。
「なにやってんのよ!ただでさえ急に人が辞めて人手が足りてないってのに……って、ルナ様?!」
赤茶色の髪の毛の、ルナより少し年上らしき女性は、ルナを見つけるとひどく驚いたような顔をした。
「し、失礼致しました…」
「すまない、ミナは私の世話を焼いてくれていたんだ」
「そ、そうだったんですか…。ごめんなさいねミナ、私気が立っていたから…」
赤茶色の髪の毛のメイドは、ミナに申し訳なさそうに謝った。ミナは、いいんです、私の方こそごめんなさい、と謝った。ルナは、メイドを見上げた。
「人手が足りないとは?」
「今朝起こしに行ったら、仕事を辞めたいって書き置きが置いてあって…。こういうことは初めてじゃないんですけど、あんまりにも急で…。人手は足りないしもう朝からてんやわんやで…」
「辞めたのって、ジョーだったかしら?栗色の髪でくせっ毛の…」
ミナが尋ねると、違うわ、とメイドが頭を振った。
「ジェシカよ。貴方と同じ桃色の髪。そういえば、その前にやめた子もそうだったわね」
「よく覚えているな」
「ええ、記憶力がいいんです。いついなくなったかも全員分覚えていますよ。その日はあんまりにも忙しくて、恨みが強いから余計に」
苦々しい顔をするメイドにミナは苦笑いをする。すると、あーいたいた、というトールの声がした。その声に、メイドの2人は話を止めて、お辞儀をした。トールはルナの目の前に来ると、よっ、と手を挙げた。
「ロゼが激怒だぞ。早く帰ろうぜ」
「…トールがなだめてくれてから帰る」
「俺じゃあ逆効果だよ。ほらいくよ」
トールに連れられて、ルナはしぶしぶ歩き出す。その背中をくすくすと笑いながらミナが見送った。
部屋に連れられる途中の中庭で、シドとロゼがルナを探している姿が見えた。ロゼはルナを見つけると、あーっ、と怒った顔をした。ルナは、トールの後ろにすっと隠れた。トールは、えー俺がなんとかするの?と困ったように頭をかくと、まあまあまあ、と怒りながら向かってくるロゼに声をかけた。
「ルナも悪気はないんだからさ」
「悪意しかないでしょう?もう、1人で出歩くなって言ってるのに…」
「何事もなく見つかったのですから良しと致しましょう。さあ姫、勉強のお時間でございますよ」
シドの言葉に、げえ、とルナは内心苦い顔をする。すると向こうの方から学生服のシエルをルナは見つけた。ルナはトールの後ろからすすすと走り出すと、シエルの側に向かった。シエルはルナを見ると、あっ、と声を漏らして目を丸くした。ルナはシエルに、お時間ございますか、と尋ねた。
「え、ええ。父の会議があと2時間ほどかかりますので、それまででしたら…」
「なら決まりですね。また勉強を教えてください。そういうことだ、シド、あっちいけ」
ルナはシドの方を勝ち誇ったように見た。シドは、はあ、とため息をつくと、シエルの方を見た。
「シエル様、よろしいのでしょうか」
「俺は構いませんよ。俺なんかでよければ」
「(シエルなら逃げ出せそうだな…よしっ)」
「では、私も同席致します。今日は特に用事もございませんから」
「げっ」
ルナの漏らした声に、シドは笑みを深める。ルナは、内心舌打ちをしながら、シエルの方を見て、よろしくお願いいたします、と言った。
シドとロゼ同席のもと、ルナは以前の部屋でシエルと勉強を始めた。相変わらずシエルの説明は分かりやすく、ルナには興味深く思えた。
「シエルはすごいな。頭によく入るぞ。どこかの嫌な圧を出すやつと大違いだ」
ルナの言葉に、シドから張り詰めた空気が出された。ルナは、ちらりとシドの方をみたら、姫、とシドが話しだした。
「お言葉遣いが淑女のものではございませんでしたよ」
「…大変失礼致しました」
「シエル様、お聞き苦しいところ。失礼いたしました。姫は城に来てようやく1カ月が過ぎた程度ゆえ、どうかお気を悪くせぬようお願い致します」
シドはシエルに深々と頭をさげた。シエルは慌てて手を振り、い、いえ、大丈夫です、と言った。
ルナは、はあ、とため息をついてシエルの方を見た。
「そうそう、この国の歴史の本を暗記しないといけないんだ。いい方法はないか?」
ルナが歴史の本を取り出してシエルに尋ねると、ああこれ、とシエルが言った。
「俺の学校でもこれを使っていますよ」
「(本当に学校で習うんだ…)」
「俺は暗記してるけど、なかなか難しいと思いますよ。まだルナ様は文を読むのも覚束ないのに。それに、この本は文字数が多い」
シエルのさらりと言った言葉にルナは目を丸くする。
「お前、これを覚えているのか?」
「学校で使う本の内容はだいたい全部」
「…頭いいんだな、シエルって」
ルナの言葉に、シエルは苦笑いをする。
「頭なんか全然よくないです。…父が求めるような家の当主としての才能はなにもない。ただ全部を暗記してテストに書き出すことが得意なだけ…。いつも役立たずで、愚図なんです、俺は…」
シエルはかなしそうに目を伏せる。ルナは、そんなシエルを見つめる。シエルはそんなルナに気が付き、ごめんなさい、と謝った。
「自分を卑下するなって言われたのに、ごめんなさい、癖になってて…」
「…いや」
「ごめんなさい、続きをしましょう」
シエルはそう言うと、またルナに説明を始めた。ルナはそんなシエルに、時折気にしたように視線をやった。