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ルナが目を覚ましたのは、ロゼが起こしに来たことに気がついてからだった。ルナが重いまぶたを開けると、まぶしい朝日と、自分を上からのぞき込むロゼの顔が見えた。
「おはようございます」
ロゼが深くルナにお辞儀をした。ルナは目をこすりながら上半身を起こすと、大きな欠伸のあと、背伸びをした。ロゼは、ルナが落とした布団を拾うと、お着替えをお手伝いいたします、と言った。ルナは、寝間着の中に手を入れてお腹をかきながら、いらない、と答える。しかしロゼは、他のメイドに指示をして、ルナの着替えを準備させる。ルナには有無を言わせずに、ロゼとメイドたちはルナをさっさと着替えさせてしまった。ルナはされるがままになりながら、圧が強い、と心のなかでつぶやく。
ルナは、着替えた自分の格好を姿見で眺めた。装飾のされたスカートに身をまとう自分に違和感がして、ルナは少しだけ眉をしかめる。着替え終わるとすぐにドレッサーの前に座らされ、ロゼによって髪を整えられ始める。ルナはされるがままに髪を櫛でとかされる。ろくに手入れのされていないルナの髪は、短髪だけれどところどころ櫛にひっかかり、そのたびにルナの頭が引っ張られた。
身支度が終わったと同時に部屋のドアがノックされた。すぐに扉は開き、相変わらずのニコニコ笑顔のシドが部屋に入ってきた。メイドたちはシドの姿を見ると仇を下げて、部屋の端に下がってしまった。ドレッサーの前に座ったままのルナは、シドの方を半身だけ振り返った。右足の膝の上に左足のくるぶしを乗せ、椅子の背もたれの上に右腕をだらしなくかけるルナを、シドは一瞥するとまた笑顔に戻した。
「おはようございます、姫。ご機嫌は如何でしょうか」
「…」
「よろしいようで何よりでございます」
シドはそう言うと、メイドたちに目で合図をした。メイドたちはお辞儀をすると部屋から出ていった。シドはゆっくりルナの前まで歩いてきた。
「姫、朝食の前に、今から少しだけ、これから姫に学んでいただきたい事について、簡単にご説明させていただきます」
「…腹が減った。飯の後にしろ」
「すぐに終わりますから」
シドはそう言ってルナにまた笑顔を見せる。ルナは、つまらなさそうにため息をつくと、シドから視線をそらした。
「姫には、ゆくゆくは女王となり、国を統べる立場になっていただきたいのです」
「…くにを、すべる…」
「国に住まう民の安寧のために働くのです」
「あん…なんだ?」
「人々が幸せに過ごせるように、お心をお寄せになるお仕事でございます」
シドの言葉をいくら聞いても、ルナにはいまいちよくわならなかった。シドは、そんなルナを見て口を開いた。
「ご理解しにくいことかもしれませんね。姫がご生育された家では、始末屋をされていたのですから。これからしていくことは正反対とも言えます」
「…そんなことはない」
ルナの言葉にシドは、少し目を丸くしたあと、また笑顔に戻した。
「一体どこが、でしょうか」
シドの言葉に、ルナは反論する気持ちでシドの方を見上げた。
「…困っている人のために悪いやつを消すことだってあった」
「例えば、どのような方々を片付けていらしたのですか?」
「商人に不当に重い税を課す領内の役人を消した」
「私の手元の資料によりますと、外国からの商人からの依頼でしたようですね。彼らに課す重税は、領内の商人の仕事を奪わないようにする措置かと思われますけれど」
シドは笑顔でそう返す。ルナは少しムキになりシドを見つめる。
「子どもを攫って売り払う奴がターゲットだったときもある」
「資料によりますと、子どもを売った親からの依頼でしたね。商人に不当に買い叩かれたことに逆上したようです。親は自分が悪くないように貴女方に説明したようですね。それに、子どもを売る商人が殺されるべきであるならば、買う人間も売る親も殺されてしかるべきですね」
「…」
「一面的な正義で他者の命を奪うことは非常に危険で野蛮なことです」
シドの言葉に、ルナは奥歯を噛む。マックスが請けてきた依頼の中には、マックスが虫唾が走ると吐き捨てるほどの悪人を始末しろというものがいくつもあった。ルナにはよくわからなかったけれど、怒るマックスの横顔を見ていると、こいつらは悪人なのだと思った。そして、そんな悪人をマックスはやっつける正義なのだとも。
「…それでも、殺されなくてはいけない悪人はたくさんいる。人々が平和に暮らせるようにするのがお前らの仕事なら、お前らが悪人を見逃してきたせいで苦しめられる人がいる。そんな人たちを、オレたちが救ってきた」
「だとしたら、殺された貴女の育ての親も、殺されてしかるべき悪人だったということですね」
シドは笑顔でそう言い放つ。ルナは、シドの目を見たまま固まってしまう。自分の言ったこととマックスの死が、自分の中で矛盾を起こし、ルナはフリーズしてしまう。シドは笑顔のまま話を続ける。
「貴女方の殺した悪人たちにも家族がいたでしょう。残された家族には貴女方がどう見えていたでしょうね」
シドは、もちろん、と続ける。
「私どもの行き届かない所が多くあることも確かです。これは心を痛めるべき事実です。貴女の育ての親が、実際にしたことは置いておいたとして、目の前の困った人に救いの手を差し伸べてようとしていたことも事実です。しかし、一時的に目の前の人を助けたところで、不幸の大元を絶たなければ、また同じ不幸が襲うだけです。親はなぜ自分の子どもを売らなくてはならなかったのか。ここを考えるのが、王の仕事です」
シドは、ルナの瞳を見つめる。ルナもシドの目を見つめ返す。
「姫にはこれから、立派な女王となっていただくために、私と一緒に様々なことを学んでいただきます。深く民の幸せを考え、国の繁栄に力を尽くす、賢王となるために」
シドは不敵な笑みを浮かべながらルナを見据える。ルナは、少しだけそんなシドに鳥肌を立てる。腹の底に何かを抱えているこの男に、少しの畏怖をルナは抱き始めていた。
「……オレはこれから、一体何をすれば良いんだ」
ルナは、ゆっくりとそう尋ねた。シドは、そんなルナを笑顔で見つめる。
「ええ。まずはー……」
「違いますわ、フォークの持ち方はこう、ナイフはこうです。食べ物を食いちぎるのではなく、ナイフで口に入る大きさに切るのです。音を立ててナイフを引いてはいけません。背もたれにもたれかかってはいけません、背中をまっすぐするのです。両脚はとじてください」
メイドたちによって、ルナの部屋に朝食の準備がされたと思えば、凛としたご婦人が部屋にやってきて、ルナの食事の指導を始めた。やることなすことストップがかかり注意が入るこの状況に耐え兼ねて、ルナはテーブルを挟んだ向かい側に笑顔で控えるシドに、手に持っていたナイフを投げつけた。シドは飛んできたナイフを、素早く取り出したフライパンで弾いた。ルナを指導していたご婦人は、ルナがナイフを投げたことにも、シドが一体どこにフライパンを隠していたのかということにも驚いて高速でまばたきを繰り返していた。
「姫、王になる器として、反射的に手を出してはいけません」
「……お前の言う王の勉強がコレか?」
頬杖をついたルナがフォークをつまみながらシドに尋ねると、ええそのとおりでございます、とシドは笑顔で答えた。
「飯の食い方が、王になる勉強だっつうのか?」
「姫、飯の食い方、というのは淑女の言葉遣いではございません」
「オレの話を、」
「オレ、ではありません。淑女の一人称は、私、でございます」
「……」
「言葉遣いについてもみっちり勉強していきましょう」
「……オレ、…私には、こんなことが王になるために必要とは思えねえが」
「思えませんけれど、です姫」
「……思えませんけれど」
「いいえ、とても大切なことです。見た目はとても重要です。王としての雰囲気、所作からも、国民は王として認めるべきか否かを見極めるのです」
シドは、そうそう、と言って、またどこから出したのかわからない、腰までありそうな長さの銀髪のカツラをとりだした。シドはそのカツラを、失礼いたします、と言うとルナに被せた。
「なにしやがる!」
「姫、貴族の淑女にそのような少年と見紛う髪型の方はおりません。人前に出る時はこちらを着用していただきます」
「………」
「まずは見た目からです、姫」
シドの言葉に、ルナは、面倒くさいことになってきた、と重い溜息をつく。
シドは、婦人の方を見ると、先生続きをお願い致します、とお辞儀をした。婦人は、は、はい、と言うと、またルナに指導を始めた。
こうしてルナは、パンにベーコンとゆで卵という朝食を2時間かけて平らげることとなった。