前世人食いサメ、今世おさわがせ令嬢
息抜きにアホの子を愛でたくなりました。
「おーーーっほっほっほっ!!」
高らかな少女の笑い声が歴史ある大聖堂に響き渡った。
「さすがわたくしですわ。こんなにもユニークなスキル、見るのも聞くのも初めてでしてよ!」
この国では十六歳になると内なるスキルを呼び起こす儀式がある。神の啓示とも言われ、特別な力を得ることができるのだが。
この場に集まった同年代の子息らおよび保護者にどよめきが起こる。いちばん厄介な人物であるシャクリーン嬢にまさかのスキル開眼。
「『前世の能力を引き継ぐ』……前世というものがなんなのかよく分かりませんけれど、きっと素晴らしい力に違いありませんわ!」
おほほほー! と追加で高笑いをあげる令嬢。そんな彼女をたしなめる人物がひとりいた。ひょろりと背は高いがいかんせん覇気が感じられない青年だ。
「シャ、シャクリーン。だめだよ、そんなに大きな声をだしちゃ」
「だって嬉しいんですもの」
シャクリーンは非常に残念な令嬢であった。慎みや楚々といったものを母のお腹のなかに置いてきた天上天下唯我独尊を地で行く強烈な少女で、無駄に家格が高いおかげで同年代では向かうところ敵なし。その婚約者である気弱なレナードが彼女に振り回される姿は昔から多数目撃されていた。
おさわがせ令嬢としていらぬ名を馳せているシャクリーンが、まさかのスキル持ち。
スキルの能力も威力も多種多様だ。
発現自体が珍しいものであるが、そのスキルが有能であると国中から一目おかれる存在となる。能力によっては王族に直接仕えることもあり、儀式を控えた若人たちは「もし自分がとんでもないスキル持ちだったら」と夢を馳せるのだ。身分が低くてもスキルが優秀であれば一足飛びで成り上がることが可能であるから。
「ではいきますわ。……スキル解放!」
シャクリーンの体が淡い光に包まれる。おさわがせ令嬢の妄言だと思っていた連中もこれには納得せずにいられなかった。なんの能力もない人間がこのように光ることはない。
「うう……頭が……」
シャクリーンの脳内に音や景色がどばどばと流れ込んできて、思わず頭を抱えてしゃがみこむ。
(これはなに……? 水のなか……ああ、噛みたい、食べたい……)
人の悲鳴、水の音、血の匂い。身を焼くような欲求がこみ上げてくる。歯がうずいてたまらない。
「シャクリーン、顔色が悪いよ」
「肉……お肉が食べたいですわ……噛みつきたいですわ……」
「え? えっと、なにかあったかな」
そばにいたレナードがきょろきょろと辺りを見回す。シャクリーンはひどく苦しそうにうめき、歯をかちかちと鳴らしている。
「う、ううっ……ああああっ!」
体から発せられる光はだんだんと強さを増していった。
「おい離れろ! スキルが暴走している!」
どこからともなく大きな盾と槍を持った人間がわらわらと集まり、あっという間にシャクリーンを取り囲んでしまう。儀式の場で強いスキルを持つ人間がその力を暴走させてしまうことは珍しくない。それに対応するため組まれた警備隊だった。
「あ、あの、シャクリーンは女の子なんです、乱暴はやめてください」
か細いながらも懸命なレナードの訴えは喧噪に消え、シャクリーンを捕縛しようと男たちが群がった。
ところで、シャクリーンの前世はサメであった。
所詮海洋生物ではあるのだが、ビーチや沖へ神出鬼没に現れては不純異性交遊にいそしむ若者や酒浸りのケチな漁師をがぶりとやっていた。それだけでは飽き足らず、大波に乗って最寄りの大型マーケットへ行ったり、トルネードに乗って市街地へ行ったりもした。ついた名はモンスターシャーク。銃で撃たれたくらいでは死なない不死身じみたバケモノに育ってしまったが、最後はなよなよした男子大学生に爆弾を投げつけられ水上大爆破からのこっぱみじん。とてもドラマチックな幕引きだった。
しかし前世は前世だ。時間や場所、次元まで異なった世界で人として生まれたシャクリーン。サメだった時の思想や習性は関係ない、はずだった。
『前世の能力を引き継ぐ』スキルが目覚める前までは。
盾持ちの警備隊が目の前まで迫ったその時、突如としてカッと目を見開いたシャクリーンはにやりとその口元を歪めた。
『スキル:神出鬼没』
押し迫った警備隊たちの目の前からふわりと消えたかと思うと、次の瞬間には聖堂のステンドグラスの前に立っていた。
「おーほほほっ! さあ捕まえてごらんなさい!」
いじわる令嬢の見本のようなポーズで高笑いをするシャクリーンに、周囲の人間たちがざわめく。
「あれがスキルの力だというのか……ありえない、あんな、空間を捻じ曲げるかのような……!」
いくらスキルが多種多様とは言え、シャクリーンのような力は見たことがない。もし戦力として手元に置けるならと、軍の関係者もこの状況へよくよく目を凝らしていた。
スキルの影響か身体能力も極めて向上している。
まだ不明点も多いが、すごいポテンシャルだ。
問題はそれを持っているのが何かと世間を騒がせるシャクリーンであることだった。何をやらかすのかまったく予想がつかず、この状況へどう収拾をつけるのが正解か判断が難しい。
シャクリーンは自分がスキルに飲み込まれている感覚がわずかながらにあった。しかしそれ以上に興奮を抑えられない。噛みたい噛みたい噛みたい。誰でもいい。誰か。歯のうずきが最大限に高まり、もう近くにいる人へ噛みつけばいいと理性を失いかけた瞬間。
「シャクリーン、だめだよ!」
その言葉にシャクリーンはぴたりと動きを静止した。「すみません、通してください」と謝りながら人波をかき分けてレナードがやってくる。
「ごめんね、ビーフジャーキーしかなかったんだけど、これでもいい?」
「……レナード」
振り回されている印象の多いレナードだが、シャクリーンは昔から不思議とレナードの言うことだけは聞いていた。ふたりの婚約が成立した最大の理由でもある。
差し出されたビーフジャーキーへぱくっと飛びつくと先ほどまで荒ぶっていた気持ちが落ち着いてくる。
「気分はどう?」
「もう大丈夫ですわ! これ、噛み応えと塩味がとってもいい感じですわね」
ビーフジャーキーを食べさせてもらいながら、シャクリーンはご機嫌に返事をした。
◇
「はいシャクリーン、いっぱいあるから慌てなくていいよ」
「とってもおいしいですわ!」
シャクリーンはレナードの持ってきた生ハムやローストビーフのバケットサンドへかぶりついている。にこにこと笑顔を浮かべ、おいしそうに食べる彼女の姿にレナードも優しくほほ笑んだ。
スキルが開眼してから塩気の強い肉の類が大好きになったシャクリーン。ジャーキーやサラミ、生ハムにソーセージ。特に好きなのはレナードの作る生ハムのバケットサンドだ。歯ごたえのある硬めのバケットにたっぷりの生ハム。そこにスライスした玉ねぎやレタスが挟んであり、味も食感も大好きなのである。
ここは王都にある大きな森林公園で、湖畔のそばにあるベンチにふたり並んで座っている。サンドイッチもぺろりと食べ終わったところで、突如としてシャクリーンの頭に何かがきた。
『スキル:異性交遊センサー』
シャクリーンはすくっと立ち上がると、センサーの働く方向へ早足で向かった。その後ろには慌てて追いかけるレナードの姿。
着いた場所には大木の影に隠れるようにしてイチャつくひと組のカップルがいた。シャクリーンは空気を一切読まず突撃する。
「まあ、こんな所で何をしているんですの。あなた確か侯爵家のご令嬢と婚約されてましたわよね。まさか愚かにもハニートラップに引っかかってるのかしら」
男はシャクリーンを見て青ざめた。知り合いに見られた気まずさもあるのだが、ちょうど女に乞われて侯爵家の内情をぽろりと口走りそうになっていたのだ。
その後は令嬢と男のあいだで一悶着あったようだが、シャクリーンは侯爵家から感謝された。鎖のついた首輪をはめられた男と令嬢が仲良さそうに歩いているところを見たときは、男女の仲は奥深く奇々怪々であると、この世の真理にも似たなにかを悟った。
またある時は。
『スキル:フラグ回収』
路地裏にて「ガハハ、だーれも助けになんかくるもんか!!」とのたまう悪漢を成敗して、善良な市民を守ったりもした。悪漢どもは召喚魔法を唱えるがごとく成敗フラグを立てていくのでシャクリーンも楽なものだった。追いかけるレナードは気が気でないようだった。
そんな感じで手柄を積み上げていたが、国からのお声はかからない。誰も彼もシャクリーンの手綱を握れる自信がなかったのだ。能力はあっても上の命令を聞けない存在は組織に不要である。
そんなこんなでシャクリーンはスキルを持っている前とさほど変わらない暮らしていたのだが、ある日王城からお呼びがかかった。
呼び出した相手はこの国の第一王子で、シャクリーンと肩を並べる問題児と名高い御仁である。断りそうに思えたシャクリーンもなぜか素直に登城した。
「ふん、相変わらず気の強そうな顔だな。しかし喜べ。おまえを特別に俺の手駒にしてやる」
傍若無人で傲慢で、いいところもあるけれどそれ以上に関わりたくない王子様。それがエルリック王子の評判だ。同年代であるにも関わらず、爆薬同士を引き合わせてはならないと、これまで周囲の人々はふたりを直接対面させることはしなかった。
しかし自ら招いてしまったのならどうしようもない。
「お断りですわ!」
「は?」
王宮にある応接室で、無礼や不敬なんてなんのその、シャクリーンは元気いっぱいに断った。
「お断りだと申しましたの。殿下は耳が遠くてらっしゃるのかしら」
「お、おまえ……!」
王子はソファーから勢いよく立ち上がり、シャクリーンを睨もうとして息をのんだ。
実はこの王子、前世がシャクリーンの前世と同郷で、さらにご縁があることにモンスターシャークの餌食になったひとりである。「バッカ野郎、そんなバケモンみてえなサメいるはずがねえだろ」と海面を覗き込んでお陀仏になった酒びたりの漁師。それがこの王子の前世であるが、まあこの先誰ひとり知ることもない瑣末なことだ。
ただ魂に刻まれた恐怖というのはなかなか根深いようで、無礼者という言葉が喉に張り付いて出てこない。普段なら問答無用で相手を責め立てるその口がぴたりとくっついたまま動かなかったのだ。それどころかシャクリーンの獰猛にも見える瞳に恐怖を感じてさえいた。
「殿下はわたしの事が好きなんですの? 可愛らしい婚約者さまがいらっしゃるのに浮気はいけませんわよ」
ぎろりと睨まれた王子は「ひい」と漏らした。誰がおまえなんか好きなもんかと言いたいのに、シャクリーンの威圧にすっかり慄いてしまっている。
「だめだよシャクリーン、殿下にそういう話し方をしちゃ」
「レナード……」
助け舟を出したのはシャクリーンの付き添いで来ていたレナードだった。彼は優しい声音ながらもしっかりとシャクリーンを諭し、彼女もあっさりそれを受け入れた。
「わかったわ、ごめんなさい」
シャクリーンはぷんと横を向くと、口を尖らせたまま王子への謝罪をした。誰がみても不本意で形だけだが、そもそも彼女が謝罪の言葉を口にすること自体が稀だ。レナードがすかさずフォローを入れる。
「も、申し訳ありません殿下。広い心で許して頂けると嬉しいです」
「レナード……!」
手も足も口も出せなかった王子は、レナードが間に入ってくれたことに安堵し目に涙を滲ませた。
レナードはそのままシャクリーンの手を握り、自分の隣へと引き寄せた。頬を染めた彼女はなんの反論もすることなく素直に従っている。凶暴な生物が鎖で繋がれた安心感に王子の肩からは力が抜けたようだ。
「この場で言うのもなんですが、殿下。最近チェルシーが寂しがっておりますのでどうぞお茶にでも誘ってやってください」
チェルシーとはレナードの妹で、この王子の婚約者である。
「そ、そうか! ゆくゆくは義兄となるレナードの頼みであればチェルシーを誘わないわけにはいかんな。うん、別に嬉しいとかそういうのではないぞ、俺はチェルシーの婚約者として、双方の仲を深める努力をだな….」
チェルシーもレナードに似て少々気弱な面があるが、それ以上に王子の暴君ぶりに一切心を乱さない穏やかな(?)令嬢だった。王子の相手はこの娘以外に務まらないと言われ、本人たちも仲睦まじく過ごしているようだ。王子の唯一のいいところでもある。
「おーっほほほっ! でしたらわたくしのことも今からお義姉さまと呼んでもよろしくてよ!」
「誰がおまえのことなどヒィィィッ」
どうしたって敵いそうにない未来の義姉。
まさかこの先、シャクリーンの躾めいた言動とレナードのフォローによって王子が矯正され、まっとうな王になるとは誰も想像だにしていなかっただろう。
「まあわたくしも王家の臣下でありますから、駒くらいにはなってあげてもよろしくてよ。ちょうどダンジョンに欲しい素材がありますの。王家の承認がないと入れないので許可を頂けます? お土産は持ってきますわ!」
さっさと承認出せよという圧を感じ、王子はこくこくと頷くことしかできなかった。
◇
そこからはシャクリーンはダンジョンからざっくざっくとお宝を持ち帰っては世間をあっと言わせた。さしもの王子もここまでシャクリーンが王家へ成果をくれると思わず、嬉しいのと借りをたくさん作られて怖いのと純粋な畏れとで、ますます頭が上がらない。
この日もシャクリーンはレナードを引き連れて未踏ダンジョンのひとつへ来ていた。
「おーっほほほ! アーティファクトなんて言われてても案外呆気ないものですわね!」
「ま、まってシャクリーン、危ないよ」
レナードの指摘通り、足場の悪い岩場で仁王立ち高笑いを決めていたシャクリーンが次の瞬間くらりとバランスを崩した。倒れ込む前に神出鬼没のスキルでどこか適当な場所に行けばいいかなとのん気に考えていたところ、伸ばされた腕がぎゅっとシャクリーンの体を抱き止める。
しかし勢いが殺せなかったのか、レナードはシャクリーンを抱きかかえたままどすんと尻もちをついてしまった。
あいたたたと小声でうめくのでシャクリーンが慌ててレナードの顔をのぞき込む。すると彼は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね、僕みたいななよなよした男がきみの婚約者で……もっと強い男の方がふさわしいだろうに」
「……ううん。わたくし、レナードがいいんですの。今のレナードでも十分素敵ですわ」
「ふふ、シャクリーンは優しいね」
抱き抱えられているのをいいことに、シャクリーンはレナードの胸へそっと頭を預ける。戦闘で高鳴った鼓動とはちがうドキドキが胸を締め付けた。
「助けてくれてありがとうですわ」
「ケガはない?」
「ええ」
「それならよかった」
「……昔から変わりませんわね」
いろんな人から、レナードがかわいそう、彼を解放しないシャクリーンはひどい女だと言われていて、事実そうだと彼女も思っている。だってこんなに優しくて素敵な人、レナードを置いて他にいない。だから周囲に何を言われたってレナードとの婚約解消だけは絶対にイヤだった。
シャクリーンはない頭を振り絞って考えたのだ。
誰も文句が言えないくらい、みんなに認めてもらえるくらい、自分が大きな功績を作ればいいんだと。だからスキルに目覚めたときはやったと思ったのにこれまでの破天荒ぶりが祟って声がかからず、実はこっそり落ち込んでいた。
王子から駒になれと言われたの僥倖であった。はじめは反射で断ってしまったが結果オーライだ。
欲しい素材があるからダンジョンに行かせてくれというのは真っ赤なウソ。本当はレナードとの結婚をみんなに祝福してほしいから、がんばる理由がほしかっただけ。
「あ、ちょうどいい時間だからこのままランチにしない? 今日はサラミとクリームチーズのサンドにしてみたんだよ」
たちまちシャクリーンの目が輝いた。
「ええ、ランチにしますわ!」
ダンジョンの最深部。
貴重な古代機械やら破壊光線を吐く巨大ゴーレムやらの残骸に囲まれながら、シャクリーンとレナードは仲良くサンドイッチを頬ばるのであった。