「Be a novelist (Pilot Ver.)」
近年、小説家が急速に増加している。文和5年度「国語に関する世論調査」によれば、「あなたは小説を執筆したことがありますか」という問いに「はい」と答えた割合が全国平均で9割を超えたという。また、同年度の大手保険会社が発表する小中高生を対象にした「将来なりたい職業ランキング」ではいずれの学年においても小説家が1位にランクインした。或いはこのようなデータもある。IT企業が公表する国内におけるサイトの年間アクセス数ランキングでは、とある小説投稿サイトが第4位(検索エンジンを除けば第1位)にランクインした。他、複数の小説投稿サイトがトップ50にランクインしている。これは、ここ数年、継続して見られる傾向で、更に、アクセス数は増加の兆候にあった。 ――世はまさに”大小説家時代”である。
「あー」
少年は寝ころんだまま嘆息する。絶好のお昼寝日和である。平穏無事、雲一つ無い退屈な空模様、それが素晴らしい。何1つ語るべきことのない青空を眺め、少年が安心して目を閉じようとすると、さっと空が陰った。否、視界が塞がれた。
「……曇って来たかな」
そうではないと分かっていながらも少年は呟いた。
「かーつーらーぎー」
頭上から声が降ってくる。安穏を破壊する悪魔のような声である。
「何ですか、先輩」
少年は溜息を吐きながら答える。
「おいおい、天下の女子高生のスカートを覗き込んでおいてその態度か?」
少年の頭上に立つ少女が答えた。
「私は昼寝がしたいんです」
少年は答える。
「やれやれ、つまらない。もっと、こう興奮だとか動揺だとかそういう感情を表して見せたらどうかね」
「……私に表現力を求めないで下さい」
「文藝部なのにか?」
「何十人といる内の1人、幽霊部員ですよ」
「ああ20人いる内、たった1人の幽霊部員だね」
「20人の内の1人か」
「私の文藝部は熱意ある者が集まっているからな。君も態々、第一文藝部に入部したということは何か理由が――」
少年は口を一文字に閉じている。一切を語る気が無いという拒絶だった。
「まあ、いい。さあ、サボり部員、活動に参加したまえ」
「『小説シン髄』の読み合わせでしたっけ」
「意外だな、活動内容を把握しているといは。小説家を志す者として目を通しておくことに損は無いだろう」
「……なんで、みんな小説家になりたがるんですかね」
「葛城は小説家になりたくないのか?」
「――小説家として作品を出すというのは結局、読者と編集者の期待を裏切り続けるだけの行為じゃないですか。小説家というのは本質的に不義理なものです」
「成程、葛城は、小説家をサービス業と捉えている訳だ」
「少なくとも、金貰って本を書いている小説家はそうでしょう。小説家は小説という虚偽でもって金を得るのです。だから、小説家になれるのは、不道徳な者だけです」
「つまり、葛城は小説家に向いているのだな。こうして、部活をサボる不真面目な部員なのだから」
「……参加します、読み合わせ」
少年は、言った。そして、身体を起こす。少女が少年の頭上から慌てて後退する。
「急にびっくりするじゃないか」
「活動を無断で欠席して申し訳ありませんでした。部室に向かいましょう」
「そうか。では行こうか」
「ええ、行きましょう」
少年は少女の背中を追いながら、部室へと向かう。少女は後ろに頓着することなくスタスタ歩いていく。少女は、少年が付いて来ていることを確信しているのだった。自分がわざわざ出迎えに行ったのだから、少年はまた、逃げ出したりなんかしやしない、少女はそのことがよく分かっていた。
「お帰りなさい、生駒部長」
部室に入ると、廊下近くにいた生徒の1人が言う。少年に対しての言葉は無い。少年は幽霊であった。部員たちは、椅子を円形に並べ、読み合わせの真っ最中であった。既に始まってしまっていたようだ。
「私は、事前に一度、通読しているから問題ない」
少女は、少年の耳元で囁くと、1つ空いた席に座る。少年も椅子を持ってくると円の中に椅子をねじ込んで座った。両隣に座る部員はチラリとこちらを見るが、すぐに興味を無くした様に目線を逸らす。
部員たちは順々に自分の担当部分を音読している。それ以外の部員は、熱心にメモを取っていた。少年以外の部員は、皆、実に真面目に活動に取り組んでいる。幽霊は少年だけであった。少年は目を閉じて、部員たちの発する音に耳を傾けた。意味は入って来ない。音の高低、抑揚、掠れ、詰まり、各々、少しずつ異なる発声が心地よい。それは、言葉の檻から解放された自由な音の羅列である。
「――葛城」
突然、少年の耳に意味のある音が飛び込んで来る。
「読んでくれ」
少女が単行本を差し出してくる。兎の栞が挟んであった。少女が古本屋で購入した本である。少年は周囲を見渡す。皆の視線は冷ややかである。その中で、少女だけが熱の籠った目線で少年を見つめる。
「私が?」
「ええ、読んで。心配しないで、私の担当部分を代わりに読んで貰うだけだから」
少年は少女の言葉に逆らうことは出来ない。
「第三、正史の補遺となること。補遺とは何ぞや――」
少年は滔々と読み上げていく。段々と周囲が見えなくなっていった。良い文章である。何度読んでも面白い。小説とは何か。文学とは何か。その目的は何か。その価値は何か。身体を手放し、思考を巡らせ、言葉の世界を旅する。
「――便機となるべし。あなかしこあなかしこ」
少年は読み終える。途端に、少年は言葉の世界から放り出されたような気分になる。物書きは一文字一文字に責任を負って、文章を綴ることだろう。だから文章を読んでいる最中は、安心して言葉に身を委ねることが出来る。しかし、物書きは読後の読者に対して何ら責任を負わない。物書きとは何て酷い連中だろう。少年が呆然としていると周囲は議論を始め、少年は独りとなる。
「良かったぞ」
話し合いをする部員の間を周遊した後に、大仰に拍手をしながら少女が近づいてきた。少年は本を返す。
「それは、どうもありがとうございます」
「さて、どう思った?」
読んだ感想を少女が尋ねて来る。
「さあ、分かりません」
「しかし、何度も読んだのだろう」
「言いましたっけ?」
「一目瞭然。至極当然。あんなに淀みなく読めていたのだから、誰にでも分かるさ」
「そうですか。それは、幸いです」
「どういうことだ?」
「物事は、単純明快、語るべきことが少ない方が良いのです」
「成程。赤い林檎は赤い林檎、青い空は青い空という訳だな」
少年は少女を見つめる。
「分かりますか?」
「ああよく分かる。さて、では私の方から感想を語ろうか」
少年は少女が口を開くのを待つが、少女は中々、話し始めない。
「どうかしましたか?」
「そうだな。私も単純明快に語ろう。部長としてあるまじきことだが、実に退屈な内容だった。それに、文体も語彙も古風で読むのに苦労した。無論、建前として、小難しい感想を捻りだすことも出来るが、意味の無いことだろう」
少女は少年にしか聞こえないような小声で言った。例え、多少、声が大きくても他の部員達の議論は白熱していた為、聞かれることは無かっただろうが。
「……読み合わせの提案をしたのは誰ですか?」
少年は尋ねる。
「私だ」
少女は誇ったように言う。
「意味不明です」
少年は率直に言う。
「そうだ、理解できないだろう。だが理解できないのが素晴らしい。何故ならば、それは私達が言葉の檻から自由になれる証拠だからだ」
「私は、私は本当はすごく凄いと思ったのです」
少年は唐突に言う。
「ん? ああ、読んだ感想か」
「けれども、脳内で言葉が溢れ出して、こんがらがって、結局、口に出せる言葉は無かったのです。著者の創り出した言葉の世界から離れてみれば、自分の言葉で何一つ語れないことに気が付いて、著者に八つ当たりしていました」
「まあ、いいじゃないか。凄いの一言で」
少女は事も無げに言う。
「それでは、議論も何も無いです」
「では、好きなラノベでも語るか? 私は月野子きのこの『殻の境界』とか、小野鹿子の『その兆候は非科学的』とか、ヤマザキカケルの『召喚士セロ』とか、後は何だろう?」
「古いですね。どれも20年前くらいの作品ですよ」
「ああ、1冊目、初版はどれも丁度20年前だな。だが、私の『好き』とは関係無い。それに『インデックス』は今だってシリーズが続いている」
『好き』とは関係無いか。確かに好悪の感情に理屈は付けられない。
「私は『天スラ』とか『無色転生』とか好きですね」
「それだって10年前だ。原典まで遡れば、更に1,2年遡る」
少女はそう言って、玉を転がすように笑った。
「――さて、そろそろ部員達の議論も落ち着いてきたようだ」
少女は、少年から離れると、二、三の部員を指名して、話を聞くと総括する。そして、部活動は無事に終わった。部員達は徐々に下校していく。少年は椅子に座ったまま、ぼんやりしていた。相変わらず誰も少年に触れ無い。興味が無いのだろう。嫌悪感さえ向けられない。一方の少女に対しては、皆、帰り際に挨拶をしていく。ついでにちょっとした雑談も交えて。きっと少女を嫌いな人はいない。そして、少女の行動を阻むものもいない。
「今日は、また葛城について新しいことを知ることが出来たな」
誰もいなくなった教室で、少女が少年に話しかける。少年は俯く。少女は悪魔の顔をしていた。周囲に人がいなくなった途端これだ。
「段々、葛城のことが分かってきた。葛城は、昼寝が趣味で、好きな教科は日本史。ラーメンは強いて言えば塩派で、目玉焼きには醤油をかける。語るべきことは少ない方が良いというタイプ。それから――」
少女は嬉々として少年のパーソナルデータを述べていく。どれも大した情報では無い。しかし、こうやって情報が積み重なって行けばいずれは少年の本質に辿り着くかもしれない。少年はそれを恐れていた。
「先輩は、何で私なんかに関わるんですか」
「嫌なのかい?」
「嫌では……。いや、そうではなく、はぐらかさないで下さい。今日こそは、いい加減、教えてください」
「うーん、そうだね、今日は単純に行こう。私は葛城の才能を信じているんだよ。どのような言葉を紡ぐか知りたいんだ」
「文才のある人間なんて今の時代、そこかしこにいますよ。小説投稿サイトでも見てみればいいです。日夜、ダイヤが石ころの如く掘り出されています。まあ、その裏で光らずに消えてしまう石ころも数多とあるでしょうが」
「ふふ、関係ないよ」
少女が少年に詰め寄ってくる。少年は後ずさる。
「重要なのは私が葛城を信じているということだ」
――なんて魅惑的な言葉なのだろう。少女は生来の悪魔であると少年は思う。
「では、私も重要なことを言います。先輩、好きです」
言ってからしまったと思う。こんな物の弾みで言うつもりは無かった。今まで蓄積してきた感情が不意に、そして脈絡なく零れ出てしまった。これが恋愛小説だったならば、いや現実においても酷いタイミングである。
少年は恐る恐る顔を上げる。少女は赤面していた。けれども、目を逸らさずに少年の方をじっと見ている。
「……それは、一体どういう意味でだい?」
少女は、震えを押し堪えたような声で尋ねて来る。
「まだ、私が知らない『好き』です。ごめんなさい、私には尽くす言葉が見つからないのです」
少年は泣きそうになった。
「分かるよ。ようは、『好き』ってことだろ。……葛城は私と付き合いたいのか?」
「はい、付き合いたいです。でも、怖いです。これが本当に正しいことなのか分からないのです」
「恋愛に正しいも間違いも無いよ」
少女は、気が抜けたようにふふっと笑う。
「先輩、付き合ってくれますか?」
「ああ、付き合おう」
少女は天使のように笑った。
これからだと少年は思う。これは一歩に過ぎない。少女に100%の『好き』を伝える為に、自分の言葉を探していかなければならない。少年は、小説家になりたい。たった1人への為の小説家になりたい。少女に本当の言葉を伝えたいのだ。まずは、少女に憧れて文藝部に入った事、周囲のレベルの高さに気押されて、部活をサボってしまっていたことなどを正直に伝えたいと思った。
少女は考える。少年の才能を信じているのは本当だ。きっと誰よりも少年は言葉に対して真摯に向き合っている。でも、少年に興味を持ったきっかけは容姿が好みだったからだった。これは、ちょっと少年に言えそうにない。
魔が通ったのか。天使が通ったのか。この日、少しの勇気で新たなカップルが誕生した。この先、どうなっていくかは不明だが、2人に幸があらんことを。――と、こうして私は物語を締めくくろうと思った。しかし、まだ終わる訳にはいかない。私は真実を語らなければならない。数十年前、通称”虫食い”と呼ばれる現象が起こった。それは、言語の概念が消失していく現象。一般的に言語活動が非活発な言語程、消失しやすいと言われている。つまり、話者が少ない言語や、滅多に使われない語彙等の事である。これにより、世界中から半数近い言語と非日常的語彙が消滅した。我々は、消えた言語とそれに伴う文化を知覚することが出来なくなった。更に、例外的に、重大な言語概念も時折、消失していると推定されている。例えば、我が国における宗教的文化の少なさからGODに近似する言語概念が消失していることが予測されている。このように、他言語との比較により、言語の消滅を確認することが出来る場合もあるが、気づかない内に言語が消滅している場合もあるかもしれない。これは、とても信じられないことだが、ある言語学者は、我が国の言語には「私」以外の一人称が存在していた可能性を指摘している。これが真実なのだとすれば恐ろしいことである。つまり、現在、活躍する小説家達は”虫食い”に対抗する戦士なのである。しかし、それでも不意に言葉が失われる恐怖は付き纏う。例えば、もし『好き』という言葉が失われれば、少年は如何にして、少女に『好き』を伝えればよいのだろう。――これで私が伝えねばならない真実は以上である。
いつか、長編で書きたいです。