狂錬金術師①
某年某月某日 千数百年前のこと
師匠程の人でも死を乗り越えられなかった。
師匠の最後の言葉。
「死ぬのはいやじゃ、つらいわい。」
いつも死ぬのはコワイといっていた師匠は死の間際つらいといっていた。,
怖さを乗り越えたのか、口でそう言って自分を鼓舞したのかはわからない。
私は最後手をにぎっている。師匠の家族には財産を送る。素材、金、施設、私が主体としていたもの以外の研究成果、師匠が魔術師の父でなければ、金にかかわるものだけでよかったろうが、魔術師の家系となればそうはいかない。
師匠は錬金術師、師匠の息子は魔術師、そりが合わないかったのだろう。ともには暮らしていない。
私はよき友を得ることができず、いつまでも師匠の元にいた。
師匠の元を巣立つことのできなかった錬金術師として研究を発表してもバカにされる。
師匠の死の数日前、もう体もほとんど動かなくなった師匠の元へ息子が合いに来る。これが運命といわずに何を運命というんか、口数は少なかったが、息子は最後師匠に体をいたわるように言い、
「父を頼むと」錬金術師の私に頭を下げた。
これがなければ師匠の最後の言葉は死ぬのはコワイだったのかもしれない。
ふと息子の家は知っている、そして息子の家への連絡手段もあるけれど、あの時個人的な連絡先は交換しなかったことを思い出す。
魔法通信の発展した時代、今は各家でなく個々人が携帯式の魔法通信装置を持っている。
師匠の息子の家族の家に連絡し、移転してきた息子に師匠を引き渡す。
互いに涙はない。生きている人にっての最後の別れは棺桶の蓋をしめる時か埋葬の時なのだろうか。
私や師匠の息子や孫が先に亡くなったのなら違うのかもしれない。
師匠がどんなに死ぬことをこわがっていても、順番通り死んでいった。残った者は失って泣くので泣く思い出して泣くのだろう。
師匠の息子とは少し今後について話をする。有名な錬金術師の死だ、対外的な葬儀は弟子の私が行い。身内だけの葬儀は師匠の息子が執り行う。
師匠の息子は
「僕が会いに来たから、父は思い残すことがなくなって死んだのだと思うかい?」
と尋ねる。私にはわからない。サイボーグである私にはわからない。
機械の体に魂を埋め込んだけの存在。タンパク質でできた機械の体は、師匠の見つけた生命の自然発生のメカニズムとそれの元となるものを受け入れた。
いつまでも若い体は、ひとによっては嫌悪感を抱かせることもある。
誰にも明かせない秘密を探るものもいる。
私は「師匠はそんな人じゃないよ」
といって笑った。師匠の息子も笑う。今はそういうときなのだろう。
今はまだ涙を流す時ではないのだ。
師匠は最後の研究で私の恋人を作ろうとしていた。見た目は若いままでももう誕生して50年が経過している。私は新たにできたサイボーグを恋人と思えるだろうか。
それに私にも好みというものがある。
最終章前の話、いろいろ悩みましたが狂錬金術師の話を。




