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親の居ぬ宴  作者: といち
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著者略歴

著者がどの様にして母をハワイで生活させられるようになったか。読者の疑問に答えるために綴った

略歴です。落ち込んでも立ち上がれたのは亡き父と祖先の支えがあったからだと信じます。

本名 有馬寿一

1936年 12月22日生まれ

1941年 5歳 満州新京に両親と移住

1942年 6歳 新京 順天小学校 入学

1945年 8歳 父徴兵令受ける。8月終戦を迎える。父シベリア抑留12月22日死亡

1945同年 留守家族強制疎開 満州から韓国、北鮮チンナンポウで 一年以上留生 

1947年 10歳 九州佐世保。船内で五日間隔離。DDTを全身に浴びて上陸。祖母の故郷岡山玉島に戻る

1948年 11歳 東京都豊島区椎名町、祖母の家に戻る。

1950年 13歳 御参高(麻布、開成、武蔵)私立武蔵中学に合格

1953年 16歳 高校一年、校内の寮生として多くの先輩同輩の親友を得る。

1955年 18歳 高校在学中肺結核、左肺上部の切除。肺の影が消えたため渡米可能

1959年 22歳 桑沢デザイン学校夜間部に入学。多くの親友を得る。

1964年 27歳 $200で日本の貨物船で渡米。、ミシガン州クランブルック美大に入学(英語資格試験無し) 持参したのは現金$1000とニコンカメラ

1966年 29歳 インデアナ州からの女性と結婚。ウオルターチーグデザイン社の社員としてシアトル、ボーイング社に送られる。

1968年 31歳 自宅の地下室ででデザイン事務所開始。ボート会社ライネルと契約、ボート業界に踏み込む。

1970年~1980年 33歳~44歳 10年間ファイバーフォームボート会社のデザイン嘱託。通信教育で船体を学ぶ。

1980年 43歳 離婚。アメリカ市民の資格獲得、大統領選挙でリーガンに投票。以来共和党支持者。

1980年 同年 ガソリン値急上昇。小型のエンジンで走れ、軽くて軽自動車でも引け、釣り人の要求を満足させる4.5メートル(15フィート)釣り船の新作に集中。   

1981年 44歳 一月シアトルのボート展示会に釣り船アリマを新発表。10日間の展示後、最後の三日間で11隻売却。同月アリマ、マリーン インターナショナル株式会社 設立。

以後三十三年間、16船種をデザイン、生産し、6300隻余のボート製造。アメリカ本土、ハワイ、アラスカ、カナダ、グアム、マレーシア、ポルトガル、クレイシア、日本、等に輸出。

2012年 75歳でアリマの名を残し、他社に引き継がせ引退。

2021年 84歳  ハワイ島で マウナケアから登る朝日を眺め、直に父母と再会するときは、幸せな人生を送れせてもらった礼と子孫を残せなかった代わりにアリマの名を萬人の憧れにしたことで許しを請い、アメリカンドリームを為遂げた満足感で日本からの十六歳若い愛妻の世話になりながら過ごしている日々。

思えば今も世界のどこかの水上でアリマボートを走らせ、釣りを楽しんでいる人々がいると思うとたのしくなる。

1992年 55歳 母75歳 米国永住権申請(ビザは二か月で所得、弟の永住権所得は十年かかった)

1998年 61歳 母81歳 ハワイ島の住人となる。 

2010年 73歳 母94歳 3月17日ハワイ島で永眠




追文:全ての戦争犠牲者の御霊を祭る靖国神社に国際法でも有罪とされた戦争率先者が祭られている真意が私には解りません。新時代の人々には全く分からないかも。

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