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満員電車の中に人をむやみに押し込んではならない

作者: おさむ文庫

その日は、A駅は過去に類を見ないほど人でごった返していました。

どうやら先日の台風の影響でB駅に浸水騒ぎが起こったらしく、その迂回先のルートとしてこの駅が選ばれたらしいのです。


駅員としてそこに働いていた私は、赴任して来てから初めてのこの緊急事態の対応に追われていました。



「当駅は大変込み合っております。どうぞ無理なご乗車はおやめください!」



人でごった返している駅のホームの中で何度もメガホンを使って呼びかけてしました。

朝の通勤ラッシュの時間帯だったこともあり、電車が来るのを待っている人々はみな、いら立っていました。


C駅の騒動の影響で、当駅を通る電車のダイヤも乱れている。

次にやってくる一本を逃せば、次の電車が何分後にやって来るのかはわかりません。

電車を待っている人々は、それぞれ遅延の電話を入れながらずっと電車がやって来るのを待っている様子でした。



「こりゃ、次の電車も荒れるな……」



私はホームの様子を見ながらついため息をついていました。

もう早朝からこの流れを見てきている私は、次に何が起こるかも大体は予想がついているのです。


次にやって来る電車もどうせ、これ以上人が乗ってこれないくらいの満員電車のはず。

しかし、だからといって、当駅の人々も「はいそうですか」と電車を見逃してくれるわけではありません。

皆が次にやって来るかわからない電車を今か今かと待ち構えているのです。


そんな中でやって来たチャンスを逃そうとする人はそういません。

もう電車が満員だと分かっていても人々は無理にでもその中に収まろうとするのは目にみえていました。


乗客が勝手に乗ってくれるのならそれでいいのですが、そう簡単な話で終わるわけはありません。

私たち駅員は、その人々の願いをかなえてあげるためにホームから彼らを押し込んでやらないといけないのです。


私は、すでに何回か許容人数を越えている小さな箱の中に人々を押し込んでいたところでした。



「もっと強く押してくれよ!」

「奥まで詰めろ!」

「痛い、もうやめてくれ!」

「これで、電車に乗れなかったらお前の責任だからな」



電車に乗る人々は口々に好き勝手なことを言い散らしてきます。

私はただ、あなたたちが乗りたいと言っているから押しているだけなのに、どうしてこんな罵詈雑言を言われなくてはならないのか……


人間は、緊迫した状況になるとここまで悪意に満ちたものになれるのかと思うと、この駅という空間が急におぞましい掃き溜めに思えてしまいました。


人々は電車の中で所せましと、中に入り込もうと動きます。


もし、その隙間に私の手が飲み込まれてしまったらと思うと……恐ろしい限りです。



「実際、そうやって手が飲み込まれた人がいるらしいからな。注意しとけよ」



先輩は笑いながら注意してくれたが、そんなこと実際に起こったら笑い話ではありません。

そんなことは起こるはずがないと思いながらも、どこかその不安が私の胸の中にちらついてしまっていました。



前の電車が発車してから30分ほどして、ようやく次の電車が当駅にやって来ました。

予想通りの満員電車です。


扉が開いた瞬間と同時に、何とか中に収まっていた人々が扉からあふれ出てきました。

この人々と合わせて、ホームの乗客を私は電車の中に押し込んでいくわけです。



「無理な乗車はご遠慮ください!」



何度も大声を出しながら乗客を電車の中に押し込んでいきます。

時間的にも、おそらくこの時間がいちばん乗客が乗っているはずです。


これまでの中で一番強く力を込めて、前にみえる背中を勢いよく押し込んでいきます。



入れ……中に入れ



何度も心の中で念じながら乗客を押し込んでいくと、何とか無事に電車の中に押し込めそうでした。


……後は扉が閉まってくれるのを待つだけだ。

ふっと一安心して、電車から離れようとしたその時です、私の体は、急にグイっと電車の中に引き込まれたのです。


ホームに戻ろうとする私の力とは反対に、電車の中に引っ張られたことに私は最初は戸惑いました。

どうやら人の隙間に手が挟まってしまったようなのです。

そんな隙間の中に手を突っ込んだ記憶などないのに……


おかしいと思いつつも手を引き抜こうと試みますが、どうやっても手は抜けません。



強く引こうとしても、慎重に引こうとしても結果は同じです。

私の手は電車の中にぴったりと納まってしまって動くことができませんでした。


どれだけ私が焦ろうとしても、電車の中の人々は自分が電車の中に収まることで必死で助けようとはしてくれません。

ホームから見ている人々も、はたから見た限りでは私はただ乗客を押し込もうとしているようにしか見えませんから、助けをしてくれるわけもありません。


刻々と出発時間が迫っている中で、私の焦りも高まっていきます。

このまま、手が挟まったままになったらどうなるのだろうか?

扉はちゃんと開いてくれるのだろうか?

このまま、動き出してしまったら、私の命は……?


普段考えないような悪い予想まで頭をよぎってしまい、私の恐怖も最高潮に達していきます。



「離してくれ……離してくれ……!」



震える声で叫んでみても、私の声はホームのアナウンスにかき消されて誰にも聞こえません。



プルルルルルルル!!



電車が発車するアラートがなってしまいました。

私の状況は依然として悪い状況のままです。


扉がもう閉まろうとしています。


このままでは、事故になって、私の体は……



「やめてくれええええええ!」



無我夢中で叫んだその時、ようやく、私の手は軽くなったように電車の中から抜けました。

それまで全く動かなかったのがまるで嘘のように、すっぽりと抜けてしまったのです。


まるで、誰かが手を離したように……



ふと閉まっていく扉の方に目を向けると、多くの人々背中が押し付けられている中で、1つだけ私のことをじっと見つめているような視線があることに感じました。

誰の顔なのかははっきりと分かりませんでしたが、確かにそこに私のことを冷たく見つめている何かがあることだけは感じたのです。


電車が行ってしまった後に、挟まっていた手を見つめてみると、そこには赤い手形が刻み付けられていました。


結局、その日は何事もなく乗り切ることができました。

事故が起こりかけていたということもきっと周りにいた人は全く知らないことでしょう。



後から聞いた話なのですが当駅は10年ほど前は、もっと多くの人が利用していた駅だったらしいのです。

別の駅ができるようになってからは人々も分散していきましたが、それまでは満員電車の名所で、よく人身事故も起こっていたとの事でした。


それが今回のことと関係があるのかは分かりません。

ただ、私は今回の事件は人の仕業によるものだとは思っていません。


だって、あれから一年がたった今でも、手に付いた跡はまだ消えていないのですから。

お読みくださりありがとうございました!

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