二 日本の儒学(一)五経博士の渡来と律令制度:継体紀から飛鳥時代
1 五経博士の渡来と律令制度
2 大学寮の盛衰
3 僧は大陸を目指す-禅と朱子学-
4 京の荒廃と朱子学の地方伝播
5 江戸初期の儒者たち
孔子が生まれたBC6世紀は、日本は弥生時代(BC10~AD3世紀)にあたる。この頃から既に大陸との交流は始まっているが、儒学伝来ということではずっと下ってAD4世紀から5世紀にかけて、断片的にではあるが朝鮮半島を通して徐々に流入したとされる。
日本書紀には継体紀7年(西暦513年)百済から五経博士が渡来したことが記録されている。ちなみに仏教の伝来も記録としては六世紀前半と伝えられており、儒学の方がわずかに早い。604年に聖徳太子によって制定された憲法十七条は、儒学と仏教両方からの影響が認められる。
701年、藤原不比等らの時代に大宝律令が成立するが、刑法にあたる「律」は唐の律とほぼ同内容である。(ちなみに「令」は行政法である。)唐律は法家による純粋な「法治」と、身分の貴賤や親族の親疎、長幼の序を重んじる儒家的な「礼治」両方の側面をもつ。唐律は身分により刑の軽重に差をつけているが、これは法家ではなく儒家的な発想で、制定にあたったのも皇帝に仕える儒臣たちだった。大陸から律令制度を取り入れたことで、儒学的な価値観も日本に入ってきたといえる。