一 中国儒学史 【附】ざっくり学名箇条書き
儒学関係の本を読んでいると「〇〇学」という言い方がやたら出てくるのでちょっとまとめておく。大した内容でもないが、次節、日本の朱子学を説明する前にちょっと整理しないと「ここでどの用語が適切なんだろう」と論旨が迷子になったりするのでお付き合い下さい。
【儒学】
「儒学」か「儒教」か、という点が時折話題になるが、宗教の定義によるので適宜使い分ければ良いかと思っている。「仏教と儒学」という言い回しで据わりが悪ければ「仏教と儒教」でもいいかなと。また儒学のことを五経を学ぶという意味で「経学」とも言う。
【新儒学】
漢唐の訓詁中心の学に対して、宋代に発展した「理」を根幹においた思弁的な儒学のこと。道を追究するという意味で「道学」という言い方もある。日本では後に「道学先生」が理や道徳でコチコチに固まって融通の利かない人、と揶揄する表現になった。
なお、朱熹による儒学の経典の注を「新注」、それ以前のものを「古注」と呼ぶ。
【程朱の学】
朱子学のこと。「程」は程顥・程頤兄弟を指す。朱熹は南宋時代の人物だが、自らの学の淵源として、「北宋の五子」を顕彰した。
周惇頤(茂叔・溓渓先生)
程顥(伯淳、明道先生)
程頤(正叔・伊川先生。明道の弟)
邵雍(堯夫・康節先生)
張載(子厚・横渠先生)
である。
中でも程顥・程頤兄弟は「二程子」と呼ばれ、彼らの唱える「天理」「理一分殊」といった概念は朱熹に大きな影響を与えた。(上記は全て姓名・字・号(敬称)の順)彼らの出身地から「濂洛関閩の学」(溓:周溓渓、洛:二程子、関:張載、閩:朱熹)とも呼ばれる。
【伊洛の学・洛学】
二程子が伊水と洛水という二つの川のほとりで学を説いたことから、二程の学のこと。朱子学を含める場合もある。洛学の「洛」は二程子の住む「洛陽」から。
【宋学】
狭義には朱子学を指す。ただし、漢唐の訓詁学とは一線を画す「新儒学」という意味で、陸象山の学なども含める場合がある。朱熹と陸象山は同時代人であり、対面や書簡で直接論をかわしている。後に王陽明が陸象山を自らの学の淵源としたため、朱子学vs陽明学ととかく対照的に語られるが、少なくとも二人の中では「新儒学の中の対立」であって、「我が党」という意識をもっていたようである。
【陸王学・王学】
宋代の陸象山と、それを受け継ぐとする明代の王陽明の学統。「陽明学」という名称は後世のもの。宋学に対して「明学」、性理学・理学に対して「心学」ともいう。ただ宋明理学という言い方もあってややこしい。
結局のところ、「朱子学」と「陽明学」と対照的に扱われたりもするが、結局「性・理・心」といった用語は「新儒学」に共通なので、「何と区別しようとしているか」によって指し示す対象が変化するということになる。朱子学も訓詁学に対していうなられっきとした「心学」である。
以上、ざっくり箇条書きでした。