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五 崎門その後(一)概観

 丸山眞男は崎門(きもん)を評して「これほど「学派」らしい学派は江戸儒学の中でも珍しい」と言っている。「明治維新の変革を経て、江戸儒学が致命的な打撃をこうむる中、崎門は学派として最も早い立ち直りを見せた」として、佐藤直方系の学者が「道学協会」を設立し、その創刊号に「山崎闇斎先生出で特立の才を負ひ、遂に聖学の蘊奥(うんおう)を窮め」とあることに言及している。

 崎門内部においても、闇斎の高弟、佐藤直方門流の稲葉黙斎が「朱子学者といえば(むろ)鳩巣(きゅうそう※)も貝原益()もその中に入るだろうが、彼らは道学者ではない」と語り、「道を学ぶ者」こそ崎門の学者であると誇らしげに語っている。2017年に亡くなった金沢工業大学の近藤啓吾氏(1921-2017)は崎門の研究をされた方だが、「浅見絅斎先生()靖献の教を慕ひて、崎門程朱の学を修むることに志し、遠湖内田先生の門に入る。先生その志を(よみ)せられ(略)「汝、程朱を()ぎ、闇斎先生を紹ぎ、この内田周平を紹ぐべし」」との言葉と共に「紹宇」の号を与えられた、と師の思い出を語っている。

 崎門においては講釈が生命だった。江戸中期に活躍し一世を風靡した荻生徂徠は「無学な者にただただ師説を叩き込むだけ」と「嘉右衛門流」を皮肉ったが、師から弟子へ「学」が受け継がれる、その学統上の一体感の強さは、それは江戸初期の山崎闇斎から現代まで続いた崎門の特徴であった。




 「崎門がその後の歴史に果たした役割」について語れればよいのだろうが、とても力が及ばないので、師弟関係を中心に「その後の崎門」について概観したいと思う。こちらでも儒学中心の記述になることをご了承頂きたい。


※深川補足

※室鳩巣(万治1-享保19:1658-1734):徳川吉宗などに仕えた儒者。木下順庵門。

※貝原益軒(寛永7-正徳4:1630-1714):福岡藩に仕えた儒者。朱子学者だがそれ以外にも本草学、地誌、『養生訓』といった研究指南書など、幅広い分野に足跡を残した。

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