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一 中国儒学史(三)漢~唐:朱子学以前の儒学と仏教の隆盛

【6】漢~唐:朱子学以前の儒学と仏教の隆盛


 法家思想によって国を治めようとした秦王朝が15年で滅び、BC202年、劉邦の即位によって漢王朝が成立する。漢王朝が本格的に儒学を国の支柱として取り入れることになったのは、武帝期(BC141-87)に活躍した儒学者、董仲舒(とうちゅうじょ)(BC176?-104?)の功績が大きいといわれる。武帝は儒学上の徳目に基づく「孝廉」という官吏登用制度を設けて氏族・豪族に因らない人材登用を行い、また五経博士という官を設置し、弟子の定員を定め、儒学研究のための国家制度を整備した。これが後の太学(学校)となる。それに伴って儒学の正式なテキストとして「五経」が詩・書・礼・易・春秋と定まり、これ以後もその枠組みは受け継がれることになる。

 その後、漢が滅亡し(AD220)、三国時代を経て晋(265-420)、南北朝時代を経て隋(589-618)、唐(618-907)と王朝が移り変る。隋以降は儒学をもとに科挙(官吏登用試験)が行われるようになる。『五経正義』の作成によって五経の「正しい義=標準解釈」も定められ、これ以後、国家が儒学を政治の中心に据える方針が大きく変わることはなかった。だが思想としての儒学は概ね低調で、唐に続く宋代になって、「科挙のための勉強」「記誦の学」と化した儒学に対する反省から、後に「宋学」と呼ばれる「新しい儒学」が生まれてくることになる。

 「思想」としては、南北朝時代辺りから、老荘思想の流行もあったが、仏教思想の興隆が顕著になってくる。仏教そのものは前漢期から伝わっていたが、南北朝時代あたりから知識人の間に広まり、唐代に至って爆発的な広がりを見せる。後に日本にも大きな影響を与えることになる中国の宗派仏教の主なものがこの隋唐期に成立する。法華経を中心とする天台大師智顗(ちぎ)(538-597)の天台宗、華厳経を主とする賢首大師法蔵(643-712)の華厳宗、三蔵法師玄奘(げんじょう)(602-664)とその弟子による法相宗。そして南宗禅を確立した六祖慧能(えのう)(638-713)も登場する。これらは唐の前半期には出揃ったが、後半期に至って南宗禅の隆盛が顕著になる。南宗禅は慧能から南岳を経て臨済義玄の臨済宗、青原を経て曹山の曹洞宗、その他いくつかの宗派に分岐していく。

 南宋時代の朱熹(しゅき)によって大成される宋学=「朱子学」は、この禅宗の影響を受けつつそれに対抗する形で登場する。

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