四 闇斎を取り巻く人々(一)高弟二人-甲は直方、乙は安正-
一太守、闇斎に至り、講官を託し求む。時に群弟子坐に満つ。
闇斎、衆人を眄睞して曰ふ
「甲なる者は直方、乙は則ち安正。この二人は公の招きに応ぜず。其の他は擢用するに足らず」
佐藤直方と浅見絅斎(安正)は崎門の双璧で、二人の後に闇斎に入門した三宅尚斎は「浅見、佐藤は吾が党の耆賢なり。然れども浅見の厳毅威重を以ても、加うるに佐藤の俊異快爽を以てするも、その伎倆未だ翁(闇斎)に及ぶ能はざるなり」と二人の性格を評している。
直方・絅斎に尚斎を加えて崎門の三傑というが、直方・絅斎が同世代で同時期に師事したのに対し、尚斎は一回り下で、直方や絅斎にも学んでいる。
甲乙と言われた二人だが、考え方は面白いぐらい違う。元禄期の赤穂浪士の討入について、絅斎は命を捨てた主君への忠義であると高く評価し、直方は「浅野は法を破った大罪人で死刑は理の当然、なのに問題をすり替え、吉良を襲って仇討ちでございとは賞賛欲しさの浪人の権謀」と切って捨てる。
また闇斎と絅斎が共に「もし孔子と孟子が日本に攻めてきたら、闘って我が国を護ることこそ孔孟の道」と主張したのに対し、直方は「唐土に大聖人が出てこの国を徳化しようとしてきたら臣従するのが義理として当然。領土侵略!と攻めてきたら迎え撃つが、聖賢が来るとしたら徳化のためであって、領土を貪りにくる訳がない。聖人なんだから」と論じる(先哲叢談)。至誠の絅斎と合理の直方という印象がある。以下に述べるように、学問の仕方も闇斎への態度も、門人への接し方も対照的だった。




