三 山崎闇斎という人(五)その学問と人となり(二)厳密な文献考証と漢文読解力
オレが筆録などに引いた書に、本書を見ずに引く書はない。もし古書なければ、ナニナニを引いて曰と書いておいた。他日吟味してみよ。一字の違いはあるまい。(常話雑記)
『四書』、様々の点本これ有り候へども、独り山崎点甚だ以て正意を得、殊に或問・輯略附属いたし、先ず十分の善本と存じられ候。…方今程朱の学行はれ候は、惺窩に本き山崎闇斎に成り。此の二賢は後学の者篤く尊重致すべき事に存じられ候。別て山崎氏、『四書』の点を正し…朱子の本意を明らかに致されしは、比類無き見識に御座候。 横井小楠書簡(本庄一郎宛)
横井小楠(1809-1869)は幕末の儒者。既に羅山の道春点、佐藤一斎の一斎点、後藤芝山の後藤点といった諸本が出回っており、それらを比較して山崎点(嘉点)が優れているとした。嘉点は簡潔かつ正確であり、同じ文字には基本的に同じ訓を当てるなど、私見を排し原本を忠実に伝えようとする意図で貫かれているが、それ故に読みとしては柔軟性に欠けるという太宰春台(1680-1647)などからの批判もあった。
闇斎は孫引きを排して必ず原本に当たるよう力め、また儒学・神道いずれにおいても諸本を集めて校勘し、原型を復原することに熱心に取り組んだ。嘉点本と呼ばれる諸本の刊行はその活動の一端を示す。