麻樹恵璃は親友に頼りたい(2)
「…………ん……ふぇ?」
時計の長針が一周する頃。
めぐりんの間抜けな声がして、私はスマホから顔を上げた。
一瞬寝言かと思ったが、よく見れば脚や腕が微妙にもぞもぞと動いている。一応目は覚めているようだ。
ソファの上でこちらに背を向けて眠っていためぐりんは、起き上がりたかったのかこちら側に寝返りを打とうとした。
しかし、一般的なソファにそんな面積などないわけで。
「ふぎゃっ……!?」
寝起きのめぐりんは状況を理解する間もなく、ソファから落下した。
少し離れた位置に立ってタブレットを触っていた少年(高校生?)は、カーペットの上に横たわるめぐりんを見て呆れたような、心配しているような面持ち。多分鏡を見れば、私も似た表情になっているに違いない。
……なんか嫌だなそれ。
「うう……最悪」
落ちた衝撃で眠気は完全に吹き飛んだようだ。めぐりんはソファをよじ登るようにして上半身を起こした。
「おはよ。少しは休めた?」
「うん。ごめんね、待たせちゃって」
カーペットを敷いているとはいえ、多少は痛みがあったのだろう。振り返ってそう答えながら、打った片腕をもう一方の手で押さえている。
「別にいいよ。めぐりんに待たされるのはいつものことだし」
「そんな理由で許されても安心できないんだけど……」
寝起きだからツッコミにいつもの元気はない。めぐりんなのにめぐりんじゃないみたいだ。
小さい欠伸の後でくにゅーっと伸びをして、めぐりんはそのままソファにもたれ掛かる。
「で、なんで疲れてたわけ?」
土曜日なので通常であれば休日の筈で、午前中にでも休めたと思うのだが……何か急用でもあったのだろうか。思い返して見れば、昨夜はゲームにログインしていなかった気がしなくもない。
「まあ、ちょっと仕事で色々あってね。昨日の夜から結構バタバタしてたんだ。移動中はずっと仮眠とってたんだけど……やっぱりちゃんと寝ないと駄目だったみたい」
……なんだかブラックな事情のようだ。聞くんじゃなかった。
しかしそれだけ多忙なら、本人への説明もなしに少年を連れてきたのも仕方のない話か。移動中以外は碌に寝る暇もなかったみたいだし。
「恵璃さん、悪いんですけどそろそろ俺の部活が……」
「あ、そうだった。柳執も待たせてごめんね」
柳執――聞き覚えの無いその名は考えるまでも無く少年のもの。
そういえばさっき名乗ったのは私だけなんだっけ。相手に先に名乗らせるとか礼儀知らずにも程がある。
私がこっそり柳執を睨んでいると、カーペットの上に座っていためぐりんが立ち上がった。
「……よしっ。柳執が部活に遅れちゃってもいけないし、そろそろ話を始めよっか」
「それじゃあ早速本題に入りたいんだけど、その前に……」
ソファに座りなおしためぐりんはそこで一旦言葉を切り、グラスに入った水を少しだけ飲む。
先程までは遠慮して立っていた柳執だが、今はめぐりんとは反対側、私の隣に腰掛けていた。隣といってもソファの端と端なので、少なくとも人二人分くらいの空間は空いている。
「ねおねんはさ、私のお仕事のことって知らないよね?」
いきなり何の質問だろうと戸惑いつつ、頷く。二人で話していて仕事の話題になることは稀にあるが、職種について一度でも聞いた記憶はない。
過去の話からしてデスクワーク中心っぽいというのは何となく分かっている。真剣な表情でキーボードカタカタやってるめぐりんの姿が想像出来ないけど……。
「何? めぐりんの仕事の話でもしに来たの?」
「う〜ん、ちょっと違うかな。関係はあるんだけどね」
めぐりんはそこで悪戯っぽい笑みを見せた。
「私ね――魔女なんだ」
「……は?」
自分の耳を疑う余地もないくらいはっきりと、「魔女」というワードが鼓膜を揺らした。
「ふっふーん、流石のねおねんも今度は驚いたでしょ」
私の反応がお気に召したようで、めぐりんはあからさまにご機嫌だ。
腕組んで片目を空けての上から目線って……ドヤ顔の煽り性能高過ぎでは?
確かに驚いた。咄嗟にまともな言葉を返せないくらいには衝撃のカミングアウトだった。
でも、だからこそ、すぐには信じられないのが正直なところ。
「魔女って……本気で言ってる?」
「うん、本気。私はねおねんと同じ魔女――魔術師だよ」
悪戯が成功したみたいな笑みは変わらず。しかし、嘘を吐いている様子はない。
(本当、なんだろうけど……)
だとして、何故今このタイミングで打ち明けたのか。
疑問は残るが……まあ、話を聞いていれば分かることだろうから今は気にしないでおく。
それよりも先に、私には一つ確認しておきたいことがあった。
「めぐりん、私が魔女になったの知ってたんだ」
「あー、うん……知ってたよ」
何かやましいことでもあるのか、露骨に目を逸らすめぐりん。
でも逃がしてはやらない。
何度かこっちをチラチラ確認して私が諦めるのを待っているようだったが、私が退かないと分かるとすぐに降参して白状した。
「実は、本部の資料漁ってたら偶々データ見ちゃって……アハハ……あーでもでも、チラッとだよ? ほんのちょっとだけ。名前と写真以外見てないから!」
「……ならいいけど」
こちらとしては、魔術師になった切っ掛けの出来事さえ知られていなければそれで一安心だ。
……代わりに協会が心配になってきてしまったが。
偶然で所属者の個人データを見つけて閲覧できるって、魔術師協会の情報管理どうなってんの? セキュリティガバガバ過ぎない?
いや、恐らくめぐりんが何らかの権限を持ってるか、協会から特別に許可を得たんだろう。そうでなければ困る。本部に侵入されたら即終わりとか洒落にならないし。
「でもさ、私が魔女だってことまで分かってたなら、わざわざ隠す必要も無かったんじゃないの?」
偶に仕事の愚痴を聞かされても、どんな仕事をしているのかは語ろうとしなかっためぐりん。彼女がそれとなく自らの職業に関する話題を避けているのを、私はぼんやりと察していた。だから私からもそれについて尋ねたりはしていない。
だが、今の話の流れでは、めぐりんが私に魔術師という身分を隠す必要性はないように思える。外部の魔術師相手ならまだしも、私はれっきとした協会魔術師なのだから。
しかし、めぐりんは首を横に振った。
「まあ、普通ならそれでいいんだけどね。でも私の場合はちょっと特殊でさ。基本的に自分が魔女だってことは隠さなきゃ駄目なんだ。
ねおねんも聞いたことない? 異能術師って」
「異能術師……うん、成程。そういうことね」
異能術師。以前その言葉を聞いたのは、協会に所属した直後――真季から魔術師としての基礎知識を叩き込まれている最中だったと思う。さらっと触れた程度の知識だが、その呼称を聞いただけでめぐりんの抱えている事情は何とか理解できた。
「えっと、一ついいですか?」
私たちの会話を黙って聞いていた柳執が、控えめに片手を上げた。
めぐりんと私が頷くのを待ってから、柳執は疑問を口にする。
「正直、俺には全然話が見えないんですけど……なんですか? その異能術師? っていうのは」
「あーそっか、柳執は知らないよね。まあ、そうだなぁ……ちょっと変わった魔術師だと思っとけばいいと思うよっ?」
「それ、聞かなくても分かると思うけど……」
尤も、柳執が話の流れも碌に読めない馬鹿だというのなら話は別だが。
しかし、意外だった。
異能術師という存在がいることくらいは、協会に入る際には必ず教えられている筈。それなのに、柳執はその呼称すら初耳らしい。
てっきり彼も協会魔術師だと思い込んでいたのだが、違うのだろうか。
「そんなこと言うならねおねんが教えてあげなよ」
わざとらしく拗ねるめぐりん。
「とか言って、私任せにしたいだけなんじゃないの?」
「違うもーん。私の説明にケチつけたねおねんが悪いんだもーん」
ぷいっと顔を背けるが、魂胆はバレバレである。
まったく、このサボリ魔は……サボりたいのは寧ろ私の方なのに。
「はぁ……別に説明くらいしてもいいけどさ。でも私、めぐりんほど詳しくないからね?」
柳執がそれで構わないと頷いた。
……仕方ない。めぐりんの代わりにつまらない話をしてやるとしよう。柳執が話に着いて来れないと困るみたいだし。
異能術師――彼らは、ただでさえ世間からは多少浮いている魔術師という枠組みの中でも特に異質な存在だ。
平均的に見て非常に強力な魔力を持ちながらも、一般的な魔術師が用いるような魔法は一切使えない。その代わりに固有魔法と呼ばれる、魔術師としての常識を陵駕した特殊な魔法を操れるのが異能術師の特徴である。その魔法の効果はフィクションでもお馴染みの空間転移だったり、仮想空間の創造だったり……記録によれば過去には「転生できる」なんて者もいたりと様々だ。まあ最後の一人については、当時魔術師からも危険視されて問答無用で殺されちゃったらしいけど。
特殊かつ強力、とはいってもその度合いには個人個人でかなりの差があるし、必ずしも魔力そのものが強いとも限らない。だから言ってしまえば、割と定義自体は曖昧だ。それでも基本的には普通の魔術師に再現不可能な魔法を扱えることが前提とされている。
魔力が桁外れな私なら、一部とはいえ固有魔法を真似できる可能性は十分にあるとのこと。が、それだけの魔力を要求される魔法を気軽に試していい筈もなく。
そういうわけで、個々が個性的な魔法を使う異能術師。彼らはその稀少さ故に外部から狙われるリスクも格段に高く、魔術師協会は親バカかってくらいに過保護になる。めぐりんの言うように、他人に正体をバラすのが禁止されていても何ら不思議は無い。
当然、通常の魔術師としての活動は行えず、協会本部や支部でエリートコースまっしぐらとかなんとか……そんな風なことを真季が言っていたのを思い出す。
え、何それ。めぐりんは私の上司ってわけ? つまり私は部下……?
……なんかちょっと悔しいな、それ。私も平日の昼間に堂々とゲーム出来る役職に就きたい。
一応協会内では、魔力が極めて高い私を異能術師として扱うべきだという意見もあるにはあったらしい。だが実際には、真季が全て一蹴してしまったと本人からの事後報告だけがあった。
当事者の私には一切の相談なし。酷い話だと思う。
「……ま、私が知ってるのはそれくらいかな。後はめぐりんに聞いて」
一通り話し終えると、柳執は申し訳無さそうな苦笑いと共に頷いた。
「俺が勉強不足なばっかりに、お時間取ってしまってすみません」
「別に。てか、時間が心配なのは寧ろそっちでしょ」
「はは、それもそうですね」
軽く笑う柳執を横目に見つつ、私はまだ半分残っていた水を口に含んだ。
「で、なんか話が脱線してたけどさ。結局本題は何? 柳執は何者なの?」
まだ今のところ、めぐりんの話しかしていない気がする。流石に焦らし過ぎだ。
「フフ、気になる〜? 気になっちゃう?」
めぐりんはどうしよっかな〜と楽しげに呟く。
何をしに押しかけて来たのか、もう忘れてしまったんだろうか。
「用が無いなら追い出すよ。魔法使って」
「あああ言うから、今すぐ言うから許して! 私の固有魔法じゃ太刀打ちできないからっ! 秒でやられる!」
余裕でドヤっていた割にはあっさり降伏するめぐりん。
固有魔法の具体的な効果は知らないが、少なくとも対人で使えないということなのだろう。
いいことを聞いた。これで暫く、めぐりん弄りには困りそうにない。
とか思っていたら、めぐりんが意味不明な単語を口にする。
「柳執は<パートナー>だよ」
それを聞いた瞬間、柳執が隣で「やっぱり」と呟いた。何が「やっぱり」だというのだろう。
そういえば、めぐりんが寝ていたときに、連れて来られた理由は察しがつくとか言っていたっけ。
うーん……どうにも私だけ置いてけぼりになってるらしい。
でも、頭の中で引っかかる何かは確かにあった。
「あれ……もしかしてねおねん、私が何のこと言ってるか分かってない?」
私の反応がないことに気付いためぐりんが首を傾げた。
そして私は漸く、めぐりんの言うパートナーが指すものが何なのか思い当たる。
しかし、だからといって理解できたわけではなかった。いや、理解できる筈がないのだ――そんなことは、過去に一度も有り得なかったのだから。
脳内にあるのは掴みどころのない違和感と、戸惑いだけ。
「いや、その…………嘘、でしょ……?」
水で潤したばかりの喉を、やけに乾いた声が通り抜けた。