南瑠果は先輩と遊びたい(4)
帰宅後、風呂の準備と瑠果の布団の用意を済ませた私は、時間を見て寝室に向かった。
リビングでプリントを広げていた瑠果には、先に風呂に入っていいと伝えておく。
PCを立ち上げ、オンラインゲームにログインすると、既に大半の会議メンバーが集合しているようだった。めぐりんから「おかえり〜」とメッセージが飛んでくる。
まだ九時にはなってない筈なんだけど、今日はみんなやけに早い。多分私の仕事の話がめぐりん経由で全員に行き渡ったからだろう。
すぐにボイスチャットの呼び出し音が流れ、接続した途端に数名の話し声が聞こえ始める。私に気付いて挨拶する者、興味津々といった感じで仕事のことを聞いてくる者、そんなの嘘だろうと笑う者。どれも聞き飽きるほど聞いた声。親の声より聞いた声である。私の両親、滅多に電話かけてこないしメッセージの一つ送って来ないもんね。その方が私としても助かるからいいけどさ。
「もう全員いるし、そろそろ始めようか」
九時より前に会議のメンバーが全員集まったので、早めではあったが私の一声で早速本題に入った。話し合う内容は、週末に控えている大型クエストについてだ。
私の予想していた通り、会議は淡々と確認事項を述べるような形で進んでいった――といっても、進行してるのが私だからこれは私の匙加減でしかない。
結局そのまま流れで雑談タイムに突入。
メンバーの一人がチャットを抜けたところで、めぐりんたちとの作戦会議もとい雑談はお開きになった。
この後は常設クエストに向かったり、武器屋や薬屋で買い物をしたり、明日に備えてログアウトしたり……その辺は各自に任せている。
適当に何人か誘って短時間で済むクエストでもやっておこうかと考えていると、スマホの通話アプリの通知音が鳴り出した。
相手は……余夜か。向こうからかけてくるとは珍しい。
ゲーム内のボイスチャットではないことを疑問に思いつつ、通話ボタンをコツンと指先でつつく。
『音宛、少しいい?』
静寂と言う言葉が良く似合う、無機質で儚げな少女の声。
「うん、いいけど。何かあったの?」
ただ話したいだけならボイスチャットでよかった筈だ。わざわざこっちでかけてきたということは、何か大事な話でもあるのだろうか。
『……ううん、まだ』
――まだ、か。
つまり、これから先に何か起こるぞ大変なんだぞって意味に違いない。
他の誰かが相手ならもっと上手い冗談を言いなよと笑い飛ばすところだけど、余夜だけは例外だった。
余夜はギルド<Pigeon Hall>の創設メンバーの一人で、先程の会議にも参加していた。年齢はちゃんと聞いたことがないが、私より二つほど年下だったと思う。今は高校二年生くらいか。
プレイヤースキルは私やめぐりんに負けないレベルだし、物静かではあるが気配りは出来る方なので、ギルド内では一目置かれた存在だ。私が参加しないクエストでは参謀役を担ってくれたり、暇そうにしている人がいれば雑談にも付き合ったりもしている。ただ、口数少なめな上に私並みに遠慮が無い言動が目立つので、ギルド外からの印象はあまり良くなかったりする。まあ、私も初対面のときは如何にも孤高のゲーマーだって思ってたくらいだし、関わりのない人間から怖がられるのも無理は無い。
私たちと余夜はこのゲームで初めて出会ったが、いつの間にか、めぐりんを含めた三人で集まって遊ぶまでになっていた。ギルドのオフ会には一度も参加していないので、リアルで面識があるのは私とめぐりんだけだ。
因みにだけど、余夜は私より身長が小さい。因みにといいつつこれは私の中ではかなり重要だったりする。何しろ、余夜がいなければ私がギルドメンバー1の低身長になってしまうのだから。
いや、まだ成長してるかもしれない高校生と比べちゃいけないし、私の背が低いという事実は変わらないんだけど……実際数センチも変わらないから、直接会っても身長差なんて実感したことないし。
そもそもギルドでメンバーの身長等の情報を開示しているわけでもない。つまり、余夜と面識のないメンバーからしてみれば、飽くまで余夜の外見イコール余夜のアバターの外見(女子としてはそこそこ高め)という認識でしかないのだ。だからギルド内では、オフ会に参加している私だけがマスコット扱いされているのが現実だ。それが納得行かない。自業自得って言われたら返す言葉もないんだけど。
「それってさ……私にも余夜にも関係のある話ってことで、合ってる?」
『うん、多分そう……でも、違うかも』
どうにもはっきりしない返答だ。余夜らしくない。
でも、それも当然か。余夜自身の身に起こることの〝予感〟なんて今まで一度も経験していなかった筈だ。あの余夜でも混乱しているのであろうことは、声の僅かな震えからも伝わってくる。
余夜は幼い頃から他人とは少しだけ違っていた。
その違いというのは外見的なものでも内面的なものでもないし、かといって家庭環境に問題があったわけでもない。
他人の身に迫る危険を察知してしまう――そんな〝力〟が余夜にはある。
信じ難い話だと思っていた時期が私にもあったけど、オンラインゲームでのボスの行動を先読みしたかのような咄嗟の指示にはいつも助けられてきたし、タンスの角に小指をぶつけるような私の細かい不幸を事前に言い当てたことだって何度もある。
これだけでは根拠としては少々弱いかもしれないが、彼女も自分でコントロールしているわけではないので証明しようがない。それでも私は余夜を信じた。結局は、ただそれだけのことだ。
他に何か、余夜の〝予感〟を信じる理由を挙げるとすれば……私が魔女だから、だろうか。
言ってしまえば私のような魔術師だって立派なオカルト的概念で、ファンタジーで、空想の中に留まるべきだった存在だ。そんな存在が実は大昔から実在していて、魔術師が題材とされる物語が大本を辿れば実話を元に作られていたというのが判明したのは、今からほんの数十年前の話。それから世間に広く知られるまでにも時間を要したとすれば、魔術師はまだ一般的には知られて間もない存在と言える。
それならば、余夜のように未知の力を持った人間が一般社会に多数紛れ込んでいても不思議は無い。テレビのバラエティ番組に出演しているような胡散臭い異能力者たちの中にだって、本物がいる可能性はゼロではないのだ。
「具体的には何か分かってるの?」
問題はそこだった。
余夜の〝予感〟は非常に不安定だ。誰に対する危険なのかや、時間まではっきりと分かることもあれば、ただぼんやりと危機感だけを感じることもあるらしい。
厄介なのは、決して未来が見えるわけではないということ。私にはどんな感覚なのか想像もつかないが、〝予感〟は飽くまで予感として、得られる情報もある程度限定される。タイミングも数分前だったり数ヶ月前だったりと様々だ。
『それは、分からない……ただ』
余夜はそこで一旦言葉を止めた。
……余夜、どうしたんだろ。
いつもの余夜なら二言目には結論を言っている印象というか実際そうなんだけど、今日はやっぱり様子がおかしい。口数が増えているわけでもないので分かり辛いが、先延ばしにしているような感じがする。
それだけ、今回はよっぽど重大な〝予感〟ということか。
「ただ?」と聞き返してみるものの、迷っているのか少しの間は静かな息遣いだけが聞こえていた。
『……ごめん。なんでもない』
「? ……まあ、それならいいけど」
何でもないなんてことはないだろうけど、ここで問い詰めたところで余夜は決して口を割らないのは分かり切っている。だから、私は気にしていないふりをした。
私にとって重大なことならその内話してくれるんだろうし、それまで気長に待っていればいい。
「兎に角、こっちも警戒はしとくから余夜も気をつけて。何かあったらいつでも連絡してくれればいいから。仕事中でも通話するくらいなら問題ないし」
流石に依頼相手と話している最中は色々とまずいだろうけど、それ以外の時間ならゲームしていようがテレビを見ていようがお叱りを受けることはないだろう。その日の分の依頼を当日中に終えさえすればの話だが。
自宅が職場だとその点でかなり楽だ。これで外出の必要がなければ天職なんだけど……業務内容が何でも屋じゃそれも無理な話か。
『音宛の仕事って、魔女の?』
尋ねる余夜の声は不安げだ。その理由は考えずとも分かった。
余夜は、私の身に起きた出来事を全て知っている。というか、私が教えた。
その切っ掛けは、?あの日?から数日が経ち、私がオンラインゲームに復帰した日のボイスチャット。何気ない会話の中に入り混じるほんの少しの変化を、当時知り合って間もなかった余夜だけは見逃さなかった。私に何かあったのだろうと、すぐに気付いてしまった。
だから私は、余夜にだけは全てを話した。私が魔術師協会に入ることとなった、?あの日?のことを。
もしかしたらその時以来かもしれない――こうして、余夜の方から連絡してきたのは。
「うん。ずっと有耶無耶にしてきたけど、それも限界みたい」
『……知ってるの? 協会の人は』
「大体のことは知ってると思うよ。というか、そうじゃなかったら三年も待ってくれないでしょ」
『…………そう』
余夜は多分、納得していない。
でも、私のために余夜ができることは何もないし、私も何かして欲しいとは望まない。それが分かっているからだろう。もうこれ以上追求してくる様子はない。
「そういうわけで、今日のとこは解散でいい? 後輩が来てるからそろそろ切りたいんだけど……」
まだ電源が点いたままのPCの時刻表示を見ると、瑠果が風呂に入ってから結構時間が経っている。
これは瑠果には……というか誰にも聞かせたくない話だ。続きを話すにしても、また後日ということにしておきたい。
すぐに返答がなかったので再度それでいいかと尋ねると、余夜はやっと口を開いた。
『待って。最後に一つだけ……』
「ん、何?」
まだ何かあるんだろうか。今回の〝予感〟については明確なことは分からないという話だった筈だが。
余夜は何か覚悟を決めたように、小さく息を吐いた。
『――恵璃には気をつけて』
誰にも聞かれまいとしているかのように、囁くような声。
しかしその声は力強く、私の鼓膜を震わせた。
「……了解」
それだけ返すのに何十秒も掛かった気がする……なんていうと大袈裟だけど、それなりには間を空けてしまったと思う。声が普段通りだったという自信もない。
「よく分かんないけど、気を付けとくよ」
めぐりんにどう気をつけろというのか。
余夜が先程言っていた〝予感〟とは何か関係があるのだろうか。そもそもこれも〝予感〟の一つなのか。
何も分からないまま、私はただ余夜の忠告に素直に従うことにした。
『ごめん、音宛』
まだ余夜の中に迷いがあったのか、それともやっぱり私の声がおかしかったのか。
心なしか少し声のトーンが落ちた余夜。
「別に余夜は悪くないでしょ。それに、私のことなら心配しなくていいから」
『うん、でも……』
「それじゃ、私はお風呂に入って寝るから。余夜も早めに寝なよ」
つい二日前までは平気で朝方まで起きてた昼夜逆転ニートが何言ってるんだと思いつつ、「おやすみ」と付け加える。
余夜はまだ何か言いたそうにしていたが、すぐに諦めたようだった。
『……おやすみ、音宛』