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悪役令嬢を目指します!  作者: 木崎優
第三章

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第三十一話 『ああ、なんと素晴らしいことだろう――』

 休みの日、私は王太子が寮にいることをリューゲに確認してから男子寮に向かった。前を通ったことは何度かあるけど、誰かを呼び出すのは初めてなので少し緊張する。


「王太子殿下を呼んでちょうだい」


 受付にいる使用人に声をかけ、待つこと数分。王太子がやってきた。

 少し首を傾げて不思議そうな顔をしていたが、私を見つけると珍しいものを見るかのように目を丸くした。


「何かの間違いかと思っていたが……俺に用とは珍しい。ルークと間違えて、というわけではなさそうだな」

「ええ、殿下のことで王太子殿下にご相談したいことがございます」


 ここでは人目につくので、と王太子を誘導しようとして――どこに行けばいいのか思いつかなかった。

 三か月も学園で生活していたが、私は自室と図書室ぐらいにしか行かない。遊戯棟の食堂には行ったことがあるけど、今はリューゲに食事を運んできてもらっている。

 学舎ならまだわかるが、休みなので開いていない。


「ふむ……。弟の婚約者と個室でふたりになるわけにもいかないから……多少人目はあってもかまわないか?」

「ええ、そうですわね」


 私がヒロインを警戒しているという噂を流してもらうためにはある程度の人目はほしい。男子寮の前で話して必要以上に注目を浴びるのが嫌なだけなので、ここじゃなければどこでもいい。


「ならば中庭にでも行こうか。あそこなら座れるからな」


 そして案内されたのは、噴水の横に取りつけられた椅子――男爵家の女の子と侯爵家の男の子が逢瀬に利用していた場所だった。


「ここならある程度の声は噴水の音でかき消されるから、声を張り上げない限りは大丈夫だろう」


 こんなところであんな話をするのはいかがなものかと思っていたのだが、そういう意図があってのものだったのか。

 あのふたりは恋に酔って声が大きくなっていたのかもしれない。


「それで、相談とは?」

「ええ……王太子殿下は私と殿下の噂はご存じでしょうか」

「噂――というといくつかあるが……さて、どれのことだろうか」


 一体どんな噂があるのか気になるけど、時間が惜しいので聞くのはやめておこう。いや、でも聞きたい。私の性格が悪いというものはあるのだろうか。でもなかったら悲しいから、聞くのが怖い。


「……私と下級クラスの方が殿下を取り合っているという噂ですわ」


 悩みに悩んだ結果、聞くのはやめた。知らなければあるという可能性が残る。猫の理論だ。


「ああ、その噂は聞いている。一体どこの馬鹿が流したのかは知らんが、ずいぶんと馬鹿な噂を流したものだ」

「えーと、でも、ほら、火のないところに煙は立たないとも言いますし」

「世の中には火を起こすために煙だけを用意する者もいるからな。レティシア嬢も肝に銘じておくといい」


 これは駄目だ。頭から信じていない。噂を足掛かりに相談しようと思って色々考えはしていたけど、信じていないという可能性は考えていなかった。かといって次の策もないのでごり押そう。

 

「ですが、その、お恥ずかしながらその噂は本当ですの。殿下と下級クラスの方が仲睦まじくされてるのを拝見し、いてもたってもいられなくなり何度も割りこんだことがございますわ。……なので、その様子を拝見されたどなたかがお友達にお話しされたのではないかと、思っておりますの」


 どこの誰かは知らないけど、噂の大本になった人が少し可哀相になった。事実を話した結果王太子に馬鹿にされるとは思いもしていないだろう。


「なるほど……。では、相談の内容というのは弟と件の少女とのことでいいのかな」

「はい、そうですわ」


 しっかりと頷くと、王太子殿下は口元に笑みを浮かべた。


「ならば何も心配することはない。あの者が分身でもしていない限り、弟と密接な関係であるということはないだろう」

「え、ええと……それはどういうことでしょうか」

「単純なことだ。レティシア嬢が懸念している者は弟にかまけていられるほど、時間に余裕がない。あの者は俺の周りをうろちょろするので忙しそうだからな。実害もないので放っておいていただけだが、思わぬところで功を成すものだ」

「まあ、殿下だけでは飽き足らず王太子殿下にもちょっかいをかけてますのね」


 ヒロインのストーカー適性が低いことが判明した。でも考えてみれば、人から話を聞いているし、ヒロインの外見は目立つから気づくなというほうが無理がある。

 しかも王子様とヒロインが話しているときには決まって私が割りこむので、ふたりが接触している時間は、ほんのわずかなものだ。


「話しかけてくるわけでもなく、ただ探っているだけだからちょっかいというほどのものでもないが……レティシア嬢が気になるのなら今すぐやめさせよう」

「王太子殿下がお困りでないのでしたら、私が口出しするようなことではございませんわ」


 私のせいでやめさせられたとなったら怒られそうだ。

 部屋に突入早々氷を飛ばしてくるのは勘弁願いたい。


「ならば続けさせるとするか。俺に時間を割いている間は弟と会うこともないだろうからな」

「ええ、そうですわね。それがよろしいかと思いますわ」

「それではこれでレティシア嬢の懸念も晴れた、と考えてもよいだろうか」


 それは困る。晴れてしまっては王太子に相談することがなくなる。これからも何度も相談するためには、晴らさせるわけにはいかない。


「いえ、その……とても親しそうにお話されていたから……だから、私、とても不安で……」

「話をしているとしてもほんの数分程度だろう。でなければ俺の近くにいる時間との整合性がとれない。その程度で話せることなどたかが知れている。共に魔法学を習っている間柄、顔を合わせれば世間話のひとつでもするだろう。よほどのことがない限り、弟は誰かを無下に扱うことはないからな。――そう考えるのが妥当なところか」


 隣国の王子はよほどのことがある相手だということか。


「ええ、でも、殿下から話しかけているようで……」

「あの者からすれば、相手は自分の暮らす国の王子。話しかけるには気おくれする相手だ。そうなれば話すにしても弟からになるだろうな」


 ああ言えばこう言う。この王太子の王子様に対する信頼の厚さはなんなのだろうか。他に、もっとこう、王太子の信頼を崩せるような手はないものか。


「でも、それは王太子殿下の推論ですわよね」

「ああ、そうだとも。だが実際にあの者が弟と密接な関係を築くには時間が足りないし、ほんの数分しか言葉を交わしていないとなれば、そのような関係だと考えるほうが難しい」

「ですが、愛というものは共有した時間に限らず育まれていくものなのではないでしょうか。殿下が彼女を見る目には――親しみがこめられておりましたもの」

「弟があの者に懸想していると? それだけはありえないな」


 あっさりばっさり切り捨てられた。

 王子様だってひとりの男で、可愛い女の子がいたら愛のひとつでも囁きたくなるお年頃。しかも将来的に結ばれてもおかしくないぐらい相性のよい相手だ。

 それなのに、王太子の王子様への信頼は一体どこからわいてくるのだろうか。


「人の心というものは、本人ですら制御できないものです。世の中には一目見た瞬間から恋に落ちる者もいらっしゃいます。どうしてそうではないとわかるのですか」

「それを俺の口から言うのははばかられるが――」


 そう言って、王太子が明後日の方向に視線を向ける。その視線を追うと、噂をすると現れる王子様がいた。怖い。


「――気になるのならば本人に聞くのが一番だ」


 無理だ。この手の相談は本人に聞けないからするものであって、最初から問いただせるのなら、相談なんてしていない。

 しかも捏造した相談だから、本人に聞くこともない。


「兄上、とレティシア……どうして二人で?」

「お前とのことを相談されてな。だがこういうことは当事者同士で話し合うべきだろう」

「私とのことを……?」


 王子様が私を見たが、視線が合うことはなかった。私が全力で顔を逸らしたからだ。


「当人にしか推し量れぬ心のことなど、誰かに相談したところで何も解決しない。懸念を抱いたまま結婚したところで、誰の得にもならないだろう。ならば、そうなる前に腹を割って話すべきだ」

「で、ですが、王太子殿下――」

「レティシア嬢。困ったことがあればいつでも言うといい。だが、今日は他に約束がある――すまないが、俺はここで席を外させてもらおう」


 言うが早いか王太子はさっさとどこかに行ってしまった。後に残された私はどうしたものかと途方に暮れている。


「兄上に、相談とは……」


 指先を眺めていたら王子様に話しかけられた。王太子がいなくなって空いた場所に座っているのか、だいぶ声が近い。


「……些末な相談です。殿下のお耳に入れるようなことではございませんわ」


 悪役ならこういうときどう返すのだろうか。誰かに相談している悪役というものが想像できないので、何も思いつかない。

 相談していたら張本人が現れましたとか、気まずすぎて顔も合わせられない。


「そうか……。レティシア、その、先日はすまなかった」


 ヒロインに引き続き王子様にまで謝られた。

 謝られて、私はどうすればいいのだろう。許すのか、許さないのかを考える以前の問題だ。私は何も気にしていない。それにヒロインもそうだったけど、王子様にも非はない。


「いえ、殿下は何も悪くありませんわ」

「じゃあ、どうして――私を見ないんだ」


 悲痛そうな声に顔を上げると、王子様が泣きそうな顔で私を見ていた。


 ああ、どうしよう。私は王子様を泣かせたいわけではない。ただどんな顔をすればいいかわからなかっただけだ。

 だけど王子様は泣きそうになっていて――じゃあ、私はどうすればいい。


 悪役らしく嫌味のひとつでも言えばいいのかもしれない。でもここで嫌味を言えば、王子様を泣かせてしまうかもしれない。

 どうしよう、どうしよう――


 混乱した私はいつもどおり、王子様を置いて逃げ出した。






 部屋に戻って少ししたらヒロインが駆けこんできて、王太子にばれたと騒いだ。

 うん、知ってる。

猫の理論


本来、その理屈はおかしいのではという否定的なもの。

レティシアは観測しなければどちらもあるってことだよねとふんわりとした覚え方をしている。

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