第二十九話 【甘いものでも出しとけば大丈夫かな】
馬車で王城まで向かう。同席しているのはお母様だ。お父様は仕事ですでに王城にいるし、お兄様も補佐として王城にいる。リューゲはお母様の侍女と一緒に別の馬車で後ろを走っているはず。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。ルシアン殿下なら喜んでくれるわ」
きっと私は今、とても強張った顔をしているのだろう。王城に行くのは久しぶりだ。どれくらい久しぶりかというと、王子様の誕生祝以来だ。
謹慎を食らったり交換日記をしたり、また謹慎を食らったりで王城に行く機会がなかった。その分王子様が来ていたので、王城に行く必要すらなかった。
王様に会ったりするのだろうか。何を話せばいいのかとか、失礼なことをしないかとか、色々なことが心配になる。王子様については、まあいつもどおりで大丈夫だろう。
私の心配をよそに馬車は普通に王城に到着し、普通に城内に案内される。
私とお母様を出迎えたのは、王子様と置物の化身だった。王様と王太子は忙しいそうで会えないらしい。とても残念がっていた、と王子様が申し訳なさそうに語るのを聞きながら私は安堵の息を零した。
小心者の私は、偉い人を前にして平然としていられる自信がなかった。
あらあらそうなの、それは残念だわ。というようなことをお母様がとても丁寧に言っている横で、私は王子様の様子をうかがう。とりあえず、怒ってはいなさそうだ。逢引疑惑に窃盗疑惑までついてしまったので怒り心頭になってやしないかと、多少なりとも心配していたのだがこの様子なら大丈夫そうだ。
「呪いにかけられていたと聞いたけど、大丈夫?」
挨拶もそこそこに私の体調を気にする王子様。王子様はいつもどおり優しく接してくれた。それがとても申し訳なくなる。呪いのせいではなく、女神様のせいだなんて言えない。
「ええ、もう大丈夫ですわ」
固形物を食べれるようになったので、体調は万全だ。
お母様はお父様とお兄様に会ってくるとのことで、早々に立ち去った。私と王子様をふたりにしてあげようというはからないのだろうけど、置物の化身とリューゲがいるのでふたりきりにはならない。しかし、置物の化身は置物らしくほとんど喋らない。挨拶の場でも騎士の礼をとったぐらいで一言も喋らなかった。リューゲもリューゲで人前では侍従という役目に徹する。余計なことは言わず、余計なことはしない。普段からこうしてくれればいいのにと思うほど静かだ。
ある意味ふたりきりのような状況で、私はお城に来るたびに王子様と二人にされているような気がするとか、そんなのんびりとしたことを考えていた。
「中庭にでも行こうか」
王子様に案内されて辿りついたのは、王妃様が大切にしていた、花が咲き誇る中庭だった。懐かしい。
以前来たときと変わらず、色とりどりの花が咲き誇っている。以前来たときと違うのは、中庭の中央に置かれた机と椅子ぐらいだ。
「これは? 前来たときにはありませんでしたわよね」
「――ああ、うん。父上がよく来るからね」
そういえば王様も王妃様が大好きな人だった。後妻を娶らないぐらい、王妃様を愛している。椅子がひとつではなくふたつ置かれているので、王様以外にも王子様なり王太子なり来ているのだろう。
「そうですのね。少し見て回ってもよろしいかしら」
「前来たときと花の種類も変わってるから、案内するよ」
そして、王子様は細かく花の説明をしてくれた。以前とは違い、母上という単語は入っていない。本当に、普通に、花の説明だけをしてくれた。あの王子様が王妃様の中庭で母上という単語を出さないとは、一体どういう心境の変化なのだろうか。
「本当に、いつ見ても素晴らしいですわ」
かといってさすがに王妃様の話を私からするわけにはいかない。下手に王妃様の話を振って母上満載になったら、それはそれで困る。王妃様の話になると王子様は止まらない。理想の王妃像を聞いてから、私は王妃様に繋がりそうな話を王子様にするのを避けている。
「病み上がりだからあまり無理をしないほうがいいよ。少し休もう」
中庭の中央に戻り、向き合うように椅子に座る。さて、贈り物はいつ渡せばいいのだろうか。会って早々は渡す雰囲気ではなかったし、中庭についてからは花を見ていたので渡せなかった。
もう少し誕生日らしさを出してくれていたら渡しやすいのに、そんな気配は微塵もない。王子様の誕生日なのだから少しぐらい祝う雰囲気でもよさそうなのにと思ったけど、考えてみれば私も十歳以外では特別に祝われたりはしていなかった。
「それで、呪いと聞いたけど……心当たりは?」
「え、えぇと……ありませんわね。魔物に恨まれるようなことも、ございませんし」
どうしようか、困った、と悩んでいたらこれまた突いてほしくない話題を振られた。心当たりがある、どころの話ではない。誰のせいなのかを知っている。でも、それを言うことはできない。
「本当にもう大丈夫?」
「ええ。ご心配おかけしてしまったようで、申し訳ないですわ」
女神様のせいで眠っているとか、誰も思わなかったに違いない。例外がいるとしたらリューゲぐらいだが、リューゲが女神様のせいですよと吹聴するとも思えない。実際、魔物の呪いのせいにしていた。
「いや、いいんだ。君が無事なら……」
そこで言葉が途切れる。よし、ここしかない。ここで渡しそびれたら帰るまで雑談していそうだ。
後ろに控えているリューゲに目配せし、贈り物を机の上に置いてもらう。私が持っていると汚しそうだからということで、お母様がリューゲに持たせていた。他にも荷物は従者に預けておくものよとか、そんなことを呆れながら言っていたような気もする。
「あの、殿下。こちら、誕生日の贈り物ですわ」
「あ、ああ、うん。ありがとう」
何故か王子様が目を丸くして贈り物を凝視している。
「……そういう用件だとは聞いていたけど、本当にくれるとは思ってなかったよ」
「あら、殿下ったら。婚約者として当然の責務ですもの。差し上げないわけがないでしょう」
騎士様に聞くまで知らなかったけど。
でもこうして用意できたのだから、何も問題ない。
「ん、ああ、うん、そうだね」
だけど受け取った王子様はなんとも言えない、微妙な表情をしていた。
そういえば、王子様は私への贈り物をしまいこんでいた。だから気まずいとか、そういう感じなのかもしれない。
贈り物を王子様に渡したので、今日の私の仕事はこれで終わった。万年筆を見て喜んでくれるかを確認できないのは残念だがしかたない。贈り物をその場で開けるのは不作法になるらしいので、開けてくださいとも言えない。
「ああ、そういえば――ディートリヒ王子がどちらにお住まいかご存じかしら」
お姫様がどこにいるのかは聞いておかないといけない。だけど私と面識のないお姫様について聞くのは、どう考えてもおかしい。隣国の王子なら姉弟だから一緒に暮らしているかもしれない、そう思って隣国の王子の名前を出した。
私にとっては、それだけのことだった。
「――君は、私を馬鹿にしてるのか」
そわそわした様子だった王子様が硬直した。そして地の底から這い出でたような声に、私は自らの犯した失態に気づいた。
王子様が怒ったのはこれで二度目。一度目は、私と隣国の王子が一緒にいるところを見たとき。
それなのに、隣国の王子について聞くのはあまりにも軽率だった。逢引疑惑のある相手の所在地を婚約者に聞くのは、もはや悪女を通り越して馬鹿のすることだ。ましてや王子様が大嫌いな隣国の王子がお相手で、問題の多い国の王子でもある。
王子様が怒るのも当然だ。
「君のことはわかっている。わかっているつもりなのに、私は、それなのに――すまないが、今日は帰ってくれ」
王子様の顔は手で覆われ、その表情はうかがえなかった。
お母様に心配させるのも申し訳なくて、置物の化身に伝言を頼み、リューゲを連れて屋敷に戻った。お母様と私が乗ってきた馬車は残してきたから、お母様が困ることはないと思う。
自室のソファに座り、手元を見つめる。
私はこれまで王子様に怒られたことがなかった。呆れられたり、少し馬鹿にされたりはしたが怒られはしなかった。いつでも優しく、親のように、兄のように、私を見守ってくれていた。だけど、王子様は私の家族でもなんでもない。ただ付き合いが長いだけの、同い年の男の子でしかない。
そんな当然のことにも気づけなかったから、怒らせた。
周囲からどう見られているかも気づかずに奇行を繰り返していたときと同じだ。私は結局、何も変わっていない。
「お茶でも淹れようか?」
「そうね。いただくわ」
火の光石でお湯を沸かすリューゲの背中を見つめる。
思えばリューゲにもだいぶ甘えているような気がする。でも侍従に甘えるのは普通かもしれない。世話を焼かせるのだから、それは甘えているとも言えるのかもしれない。だけどどこまで甘えるのが普通で、どこからがおかしいのかわからない。
わからないといけないのに、わからない。
何が普通で、何がおかしいのか、わからない。
私を見下ろすいくつもの冷めた目、疲れたように溜息をつくお父様、引きつった笑みを浮かべるお兄様、必要最低限のことしか話さないお母様――
「はい、どうぞ」
――思考が途切れる。
「お菓子もいる?」
「いえ、いいわ」
カップを持ち、一口飲むと心地よい温かさが沁みわたる。
大丈夫。今は誰もあんな風に私を見ない。優しい目で見てくれている。
だからきっと、このままでいい。
私はいつだって、楽観主義だ。




