第二十二話 「進歩状況について話そうと思っただけなのに」
またもや変な夢を見た。というか、あれは本当にただの夢なのだろうか。ここまで立て続けに見ると、ただの夢とは思えなくなってくる。
「女神様が出てくる夢を見るのよね」
だからとりあえずリューゲに相談することにした。長生きしているリューゲなら、何かしら知っているだろうと思って。
「ああ、それは女神が見せている夢だろうね。女神には夢を見せる力があるみたいだから」
そして、普通に教えてもらえた。頭がおかしいと思われないか不安だったのに、なんてことのないように教えてくれた。
そうか、あれは女神様が見せている夢だったのか。どうしてそんなものを私に見せているのかはわからないが、本当に女神様はいたようだ。これまで半信半疑だったのが申し訳なくなる。
「どんな夢だったのかな?」
「変な夢よ。女神様と女の子が話しているだけの夢」
魔族に拉致監禁されている女の子が出てくる夢とは言えなかった。何しろ拉致監禁していた本人が目の前にいるのだから。あなたの犯行を知っていますよだなんて、命が大切な私には言えない。
「気になるんだったら直接女神に聞いてみればいいと思うよ」
「話せるの?」
「普通は話せないと思うけど、キミに用があるなら答えてくれるんじゃないかな」
なるほど、そういうものなのか。私が思っていたよりも女神様は身近な存在なのかもしれない。リューゲの口振りからすると、女神様と話せた人を知っていそうだ。それは夢に出てきた妹かもしれないし、別の誰かかもしれない。
なので、眠る前に女神様と話せますようにと念じ続けて一ヶ月。夢はまだ見ていない。
ヒロインに対する嫌がらせもあの一回だけで、何事もなく時間だけが過ぎている。週に一度の勉強会は行われているけど、王子様とヒロインの仲が急接近しているようには見えない。少し気になったのは、たまに宰相子息がちらちらとヒロインを見ているぐらいだろうか。
土の月も半ばに差し掛かり、少しずつ暖かくなりはじめている。星の月は長期休暇のため、前期は残るところ一か月半。長期休暇が終わればまた学園に戻ることになるけど、後期があるからと悠長に構えてはいられない。
だけど私に何ができるのだろう。ヒロインは毎週末は王太子のストーカーをしているし、そうでなくても情報収集に走り回っている。嫌がらせをする隙がない。誰かといい感じにならないものかと見張ってはいるけど、その気配は微塵もない。
隣国の王子がちょっかいをかけようとしてはあっさりとかわされているのを何度か目にした。騎士様はそもそもとしてヒロインとの接点がない。話しているところすら見たことがない。
どうするかなぁ、と緑が濃くなってきた中庭を歩いていたら逢瀬の場に出くわしてしまった。
噴水の横に取り付けられた椅子に座る男女は固く手を結び、涙ながらに何かを語り合っている。
「許してくださらないわ」
「それでも、俺は君と一緒にいたいんだ」
人目につくところでする話ではないと思う。恋に溺れた人間というものは盲目にでもなってしまうのか、私がいることには気がついていなさそうだった。そっと立ち去ろうと踵を返した私の肩に手が置かれた。
「ひゃっ」
情けない声を出してしまったのはしかたないと思う。ラブロマンスのさなかにいる男女に気を取られていたので、近づく人影に気づいていなかった。だから、不意をつかれた。
「おっと、静かに。邪魔したら悪いだろう」
人差し指を私の口元に当て、隣国の王子は悪戯坊主のような笑みを浮かべた。
「ここまで来れば大丈夫だと思うよ」
恋人同士の逢瀬を邪魔したくなかった私は大人しく隣国の王子について行くことにした。あそこで逃げ出して騒ぎになったら、あの二人に申し訳ない。
そうしてつれてこられたのは、寮の裏手にある憩いの場だ。昼を過ぎているからか騎士様と女騎士様はいない。せっかくの休日だから二人で出かけてたりするのかもしれない。
「知ってるかい? ここ最近恋仲になる男女が増えているそうだよ」
「学園の生活にも慣れ、開放感に酔いしれているのかもしれませんわね」
「先ほどの二人は侯爵家と男爵家の者で、身分差に悩んでいるとか」
どうりで見覚えのある顔だと思ったわけだ。男の子の方は上級クラスで目にした顔だった。話したことはないので、見覚えあるなぁぐらいだったけど。
「――でも、そんなことで悩む必要なんてないのに……馬鹿だと思わないかい」
「まあ、身分に差があるのでしたら悩むのもしかたのないことでしょう」
「王ですら愛だ恋だという理由で相手を選ぶ国なのに?」
それを言われたら何も言えない。でも、こんなことを言っている隣国の王子がゲームでは愛を理由にヒロインを選んでいる。本当の愛を知ったとかなんとか言って、ヒロインと結ばれていた。
「よりよい相手をと考えるのも親の愛でしょう。どちらの愛が勝るかのお話かと思いますわ」
「それでも結局は当人の愛が勝るだろうね。これまでもそうだったのだから」
「ずいぶんと我が国について詳しいようですね。ローデンヴァルトでは細かなところまで教えられるのでしょうか」
「いいや、そういうわけではないよ。個人的に知っているだけさ」
じっと私を見ているせいで逃げる隙が見出せない。折角の休日なのにこんなところで時間を潰したくない。用事があるわけではないけど、逃げ出したくてしかたない。
「ただひとりを愛するというのは、どんな感じなんだろうね」
「一説では充足感を得られるそうですよ」
それから執着心も芽生えるとか。しかも国に持ち帰るほどの執着心だ。
王子という立場上婚姻相手を国に連れて帰らないといけないのは避けられないことだとは思うけど、私としては知っている人が誰もいない土地には行きたくない。
だけどヒロインは隣国の王子についていくことを決めた。それもまた、執着なのだろう。
「君は誰かを愛したことは?」
「残念ながらまだありませんわ」
ヒロインと王子様の間に愛を芽生えさせることすらできていないのに、自分自身の愛にまで気を回せるはずがない。そういうことはすべてが終わってからだ。そのときには貰い手がいなくなっているかもしれないけど。
「なら、その相手に俺はどうかな」
そう言って隣国の王子は私の髪を一房持ち、口づけを落とした。
あまりにも気障すぎる所作に思わず硬直する。こういうことする人って本当にいるんだ、と感心すらしてしまった。それがよくなかったのかもしれない。いや、よかったのかもしれない。
どちらなのかはこの時点ではわからなかったけど、とりあえず王子様に現場を見られた。
「何を、しているんですか」
目を吊り上げて乱暴な靴音と共に近づいてくる王子様。どうしてこんな所にいるんだ。
王子様にとっては婚約者が別の男性と仲睦まじくしている現場に足を踏み入れたようなものだ。実情はどうあれ、髪への口づけを許したように見えたとしても不思議ではない。
不貞の現場を目撃した王子様は怒り心頭だ。やばいと思ったのは一瞬で、ふしだらな娘だからと婚約がなかったことにならないかと思わず考えた。
でもそれはだめだ。性格の悪さが理由で婚約がなくなるのとではどっちもどっちな気がするが、私がなりたいのは悪女ではなく悪役だ。
かといって弁解するのも情けない。何もわかっていない風を装うことに決めた。
おかしなことなど何もないという言うように、首を傾げて純粋無垢な乙女のようにきょとんとした表情を作る。
「こんなところで何をしているのかと、聞いているんですよ」
視線の先にいるのは私ではなく、隣国の王子だ。だけどその怒りは私にも向いているような気がする。気のせいだと嬉しい。
怒っている王子様は初めて見たような気がする。困ったように笑ったり、呆れたような顔をしていたけど、怒られたことはなかった。普段怒らない人が怒っているのは、怖い。
「見てわからないとは、君の目はずいぶんと節穴のようだね」
「何か勘違いしていませんか? 私は答えろと、そう言っているんですよ」
隣国の王子から笑みが消える。そして不快そうに眉間に皺を寄せ、蛇に睨まれた蛙状態で微動だにしていなかった私の肩に手を置いた。何もわかっていません風を装うどころじゃなかった私は、突然触られて飛び上がらんばかりに驚いた。
王子様がふ、と小さく笑みを零すと小馬鹿にするような目で隣国の王子を見た。
「どうやら、見たままではなさそうですね」
「緊張しているだけだよ。怖い顔をした男が目の前にいて、緊張しない女性はいないさ」
「それはどうでしょうね。――おいで、レティシア」
手招きされたが、怒っている王子様のところにも行きたくない。隣国の王子の横にいるのも嫌だ。逃げ出したい。
「レティシア様ー」
だから私は自分の名前を呼ぶ第三者に飛びこんだ。逃げ出したくてしかたなかったのだからしかたない。逃走本能はどうしようもない。
「え、えぇと、これはどういう状況でしょうか」
問題は飛びこんだ相手がヒロインだったことだ。
突然抱きついてきた私の背を、ヒロインは優しく撫でてくれた。優しい。
「あの、何があったのかはわかりませんが……困っているようですし、あまり、その、苛めないであげてくださいね」
「苛めてなんていませんよ。ねぇ、レティシア」
たしかに苛められてはいない。怒られそうになっているだけだ。怒られるようなことをした覚えはないのに。
不貞疑惑も悪くないと考えはしたけど行動には移していないので、私は悪くない。
「ところで君はどうしてここに? レティシアに用があったのなら申し訳ないけど、後にしてくれると嬉しいかな」
申し訳ないとは微塵も思っていなさそうな王子様が、私をよこせと言うようにヒロインを睨んだ。恋仲にならないといけないふたりの間に険悪な空気が流れている。これはよくない。悪役がヒロインに助けを求めたのもよくないけど、王子様とヒロインの仲が悪くなるのはもっとよくない。
「あら、あなたごときが私にどんな用があるのかしら」
ヒロインと険悪になるのは私の役目だ。そっとヒロインから離れて、嫌味を口にする。先ほどまで助けを求めてしがみついて相手に対して、とんでもない手の平返しだということはわかっている。
何を言っているんだこいつはみたいな空気が流れたような気がするがけど、気にしないことにした。
「ええ、まあ、急用というわけではないので、その、私のことはお気になさらないでください」
ヒロインは聞かなかったことにしたようで、私ではなく王子様を見ながら眉を下げた。この一ヶ月の付き合いでなんとなくヒロインについてわかったことがある。貴族に対して怯えた小市民を演じているだけで、彼女はとてつもなくたくましい。死骸が詰めこまれようと些事と切り捨て、恨みがあったとはいえ魔族相手にも果敢に立ち向かう気丈な女性だ。
どうしてそんな怯えた小動物のようなふるまいをするのかと、聞いたことがある。ヒロインは達観したような笑みを浮かべ、変な輩に目をつけられたくないと語った。矮小な存在であると思われれば捨て置かれるということを、はるか昔に知ったそうだ。
ヒロインの勇者時代については聞いていないけど、大変だったのだろう。
「ほら、レティシア。こっちにおいで」
招かれるまま王子様のそばに寄る。逃げ出そうかとも考えたけど、ここで逃げ出すのは色々まずい気がした。後で怒られるか今怒られるかなら、今の方がマシだ。
「無理強いはよくないんじゃないかな」
王子様の怒りに油を注ぎこむ隣国の王子。少し口を閉じていてほしい。だけど私の祈りは通じず、隣国の王子は喋ることをやめない。
「彼女にも選ぶ権利があるだろう」
「そのようなことはあなたの国で言えばいいでしょう。他国のことに口を出さないでほしいですね」
「前にも言ったと思うが、愛だなんだという理由でお相手を選ぶのはこの国ぐらいだ。それなのに彼女は誰かを愛したことがないと、そう言っていたよ。可哀相だとは思わないのかい」
王子様の視線が私に向けられ、怖いと思った瞬間には逃げ出していた。身に染みついた逃げ癖は、意思を無視して体を動かした。
逃げ出した私はそのまま部屋に駆けこみ、王子様に怒られないことだけを願った。
私の祈りが通じたのか、それからしばらく経っても怒られることはなかった。王子様が以前ほど私に話しかけなくなったせいかもしれない。
あの後何があったのかはわからないけど、王子様はあれ以来ヒロインに目をかけているらしい。
「私は何もしていないのに!」
そう嘆くヒロインによって事態が上手いこと収まったのを知ったのは、もうすぐ星の月に入ろうとしていた頃だった。
光の月、土の月、空の月、星の月、水の月、木の月、命の月、最後の三週間で一年です。




