第十七話 【そんなこと言われても困るよね】
「どうぞー!」
手は離せない。離した瞬間、リューゲは飛び去っていくだろう。食器を置いて。だから私は声を張り上げて入室を勧めた。
ノックの音が止まり、リューゲが私を振り払い、私が床に転がって――氷柱が飛んできた。
「おっと」
一直線に飛ぶ氷柱をリューゲは危なげなく避ける。氷柱はそのまま窓の外に消えていった。氷柱の飛んできたほうに視線を巡らせると、開け放たれた扉の向こうにヒロインが立っている。
「よくも私の前に顔を出せたな」
怯え震える少女はどこにもいない。そこにいるのは射殺さんばかりにリューゲを睨みつける鬼神だった。その鬼気せまる表情に体が震える。これが殺気というものか。
齢十五にして、私は殺意というものを知った。
魔物と対峙したときには感じなかった。それは、あれらの目的が殺すことではなく狩ることにあったからだろう。何が違うのかと言われたらよくわからないが、多分何かが違う。
「いや、ボクが顔を出したんじゃなくてキミが来たんだよね」
ヒロインの標的であるリューゲは飄々とした態度だが、視線が泳いでいる。逃げる場所でも探しているのかもしれない。窓から出るためにはヒロインに背を向けないといけないから、別の逃げ道を探していても不思議ではない。
一歩動こうとしたリューゲの足元に氷柱が突き刺さる。
「言葉を交わすつもりはない。どうせお前は嘘しかつかないからな」
おかしい。話しかけたのはヒロインだったはずだ。それにここは私の部屋だからあまり暴れてほしくない。
蚊帳の外に置かれた私は床に座って見守ることしかできない。氷柱が飛び、火がそれを溶かし、絨毯が水浸しになるのを、見ていることしかできない。
駄目だ。私は悪役であって、傍観者ではない。悪役らしくこのふたりを止めないと、私の部屋が散々なことになる。
「――ちょっと、お待ちなさい」
勇気を振り絞った声は微かに震えていた。それでも私は止まれない。部屋を守るために止まるわけにはいかない。
ヒロインはリューゲから視線を外すことなく私をちらりと見た。
「どんな事情があるのかは知らないわ。でもここは私の部屋よ。不作法な真似はやめなさい。それとも平民にとって人の家で暴れることは不作法にはあたらないのかしら」
ヒロインの顔に戸惑いが生まれる。よし、いける。言葉の通じない相手ではない。このまま押し切れる。
「平民がどのような価値観を持っていようと、ここは貴族の場。平民の価値観が通用するなどと思わないことね」
「――そんな価値観はありません」
躊躇いがちにヒロインが返答し、その隙を見逃さなかったリューゲが窓から逃げようと背を向ける。そしてリューゲの背中に氷柱が刺さった。
白いシャツが赤く染まる。魔族の血は青だったり緑だったりするのかもと思っていたが、そんなことはなかった。
「だから、やめなさい! リューゲも逃げようとしないの! 事情があるなら話しあいでもなんでもして解決すればいいでしょう!」
絨毯が血で汚れるのを嫌った私は声を張り上げる。掃除するのは私でないとしても、血は落ちにくい。しかも毛先の長い絨毯だから手入れするのは大変だ。
「リューゲ? ああ、なるほど。私の与えた名前は気にくわなかったと、そういうことか」
「別にそういうわけじゃないけど」
リューゲが氷柱を火で溶かし、ついでとばかりに傷ついた肉を焼いて血止めしている。立ち上る嫌な臭いを私は風魔法を使って部屋の外に追い出した。呪文を唱えたが、どちらも私には反応しなかった。どうやら私はふたりにとって警戒する対象ではないらしい。
「つもる話がありそうだといのはわかったわ。とりあえず二人とも話すことからはじめなさい。それから戦うなりなんなりすればいいわ。だからリューゲは食器を片づけてお茶の用意をしなさい」
悪役なのに脅威ではない。その事実から目を背けようと私はなんてことのない振りを装った。動揺などしていない。悪役は些細なことで心動かされることはない。必死で自分に言い聞かせる。
「ボクとしては話し合いでもいいと思ってるよ。でも彼女は頷いてくれないんじゃないかな」
挑発するような言い方にヒロインが眉をひそめた。この挑発に乗るかどうかを悩んでいるのだろう。私としては部屋が汚れないならどちらでもいい。二人そろって窓の外にでも飛んで行って、どこか知らない場所で争えばいいと思う。もちろん食器を片づけてからだ。
「――いや、彼女の部屋を傷つけるのは私の本意ではない。今さら言っても説得力はないかもしれないが」
「いえ、いいわ。信じるわ」
食器を片すこととお茶の用意を再度リューゲに命じ、ヒロインをソファに誘導する。水浸しになったのが絨毯だけでよかった。
「それで、私と話したいと言ってたわよね」
「あ、はい。そうです」
気が削がれたのか、ヒロインから感じた殺気が消えている。怯え震えてはいないが、どこにでもいる女の子のような雰囲気だ。見た目はまったくそんなことはないけど。絹糸のような金の髪、宝石のような青い瞳、陶器のように滑らかな肌。問答無用の美少女だ。
「えーと、どこから話せばいいのか……」
ちらちらとお茶を注いでいるリューゲを見ている。今さっきまで殺そうとしていた相手が気になってしかたないのだろう。
お茶を三つ用意してそれぞれの前に並べ、当然のようにソファに腰を下ろしたリューゲに水浸しになった絨毯の処理を命じる。
「リューゲ、と今は名乗っているんですね」
「ローデンヴァルト国とどこかの国の間に生まれた、愛妻家よ」
「あいさいか」
言葉の意味を飲みこめないのか、ヒロインが目を丸くして火を使って水分を飛ばしているリューゲを二度見した。
「――ちょっと、待ちなさい」
そこに待ったをかけたのは私だ。見逃せない光景に思わず口が出た。
「絨毯を焦がして――はいないみたいね。ねえ、それができるなら氷柱も溶かさず蒸発させることができたんじゃないの?」
「そりゃあ、やろうと思えばできるよ」
悪びれない態度に私は言葉を失う。ならどうして溶かした。嫌がらせか。
「こいつのやることを気にしたら負けですよ」
負けてもいいから口を出さずにはいられなかった。すでに何度も負けている私にとって、リューゲとの勝ち負けは気にするようなことじゃない。
「それで話し合いって、話し合うようなことあったっけ?」
絨毯を乾かしきったリューゲが私の横に座ってお茶を飲んだ。リューゲは私の倍ぐらい早い世界で生きているのではないかと最近思っている。仕事が早すぎる。
「私を見殺しておいて、悪かったとも思っていないのか」
「だってボクが手を出せる領分じゃないし、どうにもできないんだからしかたないよね。千年前にもそう言ったと思うけど」
「私はあなたたちの関係を知らないわ。だからあなたたちが何について話しているのかも知らないわ」
私に関係ない話は後にしてくれとそう言おうと思ったのに、何故かふたりの関係について説明された。
ヒロインは千年前の勇者で、リューゲは旅の仲間だったらしい。さすがヒロインとでも言うべきなのか設定がすごい。
「千年前というと、シチューが好きな勇者だったかしら」
「シチューはそこまで好きじゃないですよ」
千年前の勇者は三代目のはずだ。はてと首を傾げてリューゲを見ると彼はお茶菓子をのんきに食べていた。
「ああ、こいつから聞いた話ですか。こいつの言うことは信じないほうがいいですよ」
いや、うん。なんとなくそうかとは思っていた。
たとえば、魔法について。言葉に乗せてと話していたのにリューゲと茶色い魔族は詠唱しないで魔法を使っていた。今さっきのヒロインとリューゲの戦いもそうだった。
ゲームタイトルのことを思えばリューゲの本名にも意味がある可能性は十分にあった。
そして、今のヒロインの言葉で確信した。
リューゲは、この魔族は――嘘つきだ。
リューゲ 本名ライアー
彼の話を真にうけるとバカをみる
勇者が名付けた者以外の名前に意味はありません。




