第六話 【まったく、ふざけた話だよ】
ディートリヒ・グレーデン・ローデンヴァルトは、恋物語において高確率で登場するちゃらちゃらした遊び人だ。
来るもの拒まず去るもの追わずな遊び人――もとい隣国の王子が本気になったお相手がヒロインという、どこにでも転がっていそうなお話が彼のルートで、最初はヒロインをデートに誘うも「友達に噂されると恥ずかしいから……」レベルで手酷く振られる。それ以降もなんだかんだとちょっかいをかけてくるという、これまたよくある話。
ヒロインに断られてもへこたれない強靭な精神の持ち主であることは間違いないけど、今のようにしつこく食い下がることはしていなかった。
「助けてさしあげたいとは思いますが、私ではお力にはなれません。午後に備えなければいけませんので、早めに講堂まで戻りたいのですけれど」
ヒロインのいない場所で隣国の王子に関わる理由はないし、午後には歴史が待っている。無駄な時間を過ごすぐらいなら歴史書にかじりつきたい。
だけどきらきらした隣国の王子の笑顔とは裏腹に、手にこめられた力は強く、簡単には振りほどけそうにない。
「まだ食べてる人もいるから大丈夫だよ」
それを決めるのは隣国の王子ではなく私の方だ。
生き字引のような魔族がそばにいるのにまったく役に立っていない。それどころかあの魔族ときたら、私が歴史書を読んでいると絶対と言ってもいいぐらいに茶々を入れてくる。
ある王は幼女愛好家で幼女をそばに置き続けたとか、三代目の勇者はシチューが好きだったとか、とある時代の貴族が平民と結ばれるために他国に駆け落ちしたすえに紆余曲折とか、そんなどうでもいい、だけどちょっと耳を傾けたくなるような話ばかりしてきた。
もちろん、そんなちょっとした小話が試験に出るはずもなく、ただひたすら私の時間を浪費するだけの雑談だ。
成績が悪くても上級クラスから落ちることはないだろうけど、それに甘んじるつもりはない。学力が劣る悪役なんて、悪役として三流だ。
私が目指しているのは超えるべき壁な悪役であって、またげるような悪役ではない。
「――私の婚約者に何をしているんですか?」
気を取り直して、隣国の王子を悪役らしく追い払おうと意気込んだ矢先、第三者の声が割りこんできた。冷え冷えとした声色におそるおそる視線を巡らすと、いつの間にか王子様が私たちの近くに立っていた。
隣国の王子が現れるまで食堂にはいなかったはずなのに、いつの間に来たのやら。入学式のときといい、気づいたら近くにいるから少し怖い。
「何と言われてもねぇ。ただ色々教えてほしいとお願いしていただけだよ」
「教えを乞うのであれば、彼女よりも私のほうが相応しいかと」
「俺が? 君に? 冗談はやめてくれないかな」
口元だけで笑っている王子様と、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる隣国の王子、そして王子が二人で紛らわしいなと現実逃避している私。
あまりにも異質な三人組に周囲の視線が集まっているのがわかる。視線が痛い。逃げ出したい。
「ディートリヒ王子、あまり口がすぎるようですと私も黙ってはいませんよ」
「俺はただ、男ふたり連れ立って歩くよりも可愛い女の子のほうがいいと言っているだけだよ」
それにしても、同じ王子だというのに仲が悪い。ゲームではこのふたりが同時に出てくることはなかったから知らなかった。
「ならば、それこそ彼女である必要はありませんね。次からは婚約者のいない相手を選ぶことをお勧めします」
そう言い切ると王子様は隣国の王子から私の手を奪い取った。ふたりの仲の悪さに呆気にとられていたが、そういえば掴まれたままだった。
王子様が現れた時点で離してくれていたらさっさと逃げ出したのに。
「それじゃあ、レティシア嬢。次はゆっくり話そうね」
ひらひらと手を振る隣国の王子を尻目に、王子様は私を引きずるようにしながら食堂を出た。
私が口を挟む隙どころか、紅茶を片づける暇すらない。
廊下を歩く王子様は苛立った様子で、紅茶が置き去りだと言えるような空気ではない。あの紅茶を片づける赤の他人に心の中で謝罪しておこう。
しかしこれでは、私を捕まえている相手が違うだけで状況は何も変わっていない。私は一刻も早く歴史書を開きたい。
「……殿下、お待ちください」
「何? まだあそこにいたかったの?」
つんけんとした声に怯むわけにはいかない。歴史書が私を待っている。
昼の休憩時間はどのぐらい残っているだろうか。最初から最後まで読めるだけの時間があるといいけど。
「いえ、お茶が――」
「ゆっくりお茶をしたかった、と言いたいのかな」
眉間に皺が刻まれている。下手なことを言ったらそのまま追及コースに突入しそうだ。
お茶の片づけを建前にしたかったのに、これでは難しそうだ。勉強云々を口にしたら、昨日のように教えるとか教えないとかの話になりそうなので、それは避けたい。
「――殿下にいただいた大切なカップでしたのよ」
「え、そ、そうだった?」
そんなわけがない。王子様のお土産に茶器はなかった。そんなものあげただろうかと考えるそぶりをしたら、その隙に逃げようと思ってついた嘘だったのに、王子様は目に見えてうろたええだした。
これ幸いと王子様の手をほどいて距離を取る。
「冗談ですわ。それでは私は午後の準備をしないといけないので、試験が終わりましたらお会いしましょう」
ふたりの王子から逃げ出した私は時間の許す限り歴史書を読みふけった。
終了の鐘が鳴り、答案が回収されていく。直前まで歴史書を読んでいたおかげか、私にしてはだいぶ回答を埋められたほうだと思う。自分へのご褒美に何か美味しいものでも食べようか。
学力試験はこれで終わり、結果が出るのは明後日で、それまではお休みになっている。魔力審査とかの予定もない。多分、各家庭からある程度報告されているのだろう。
そうでなくても貴族の生まれではないヒロインが学園に通えるのだから、事前に知る術が何かあるに違いない。
まあつまり、明後日までは完全に自由だ。買い物とかに出かけてもいいし、部屋にこもり続けてもいい。
学園都市は気になるけど、引きこもることが身に染みついている私としては部屋で過ごすのも捨てがたい。
「レティシア」
親の目はないし、外出禁止でもない。完全に自由にできるのって初めてかもしれない。
そんな風に浮かれていた私だったが、名を呼ばれ現実に引き戻された。
「あら……どうされましたの?」
「どうって……さっき試験が終わったらって言ってたよね」
呆れた表情で立つ王子様を見て、はてと首を傾げる。言ったような、言ってないような。
それではごきげんようと捨て台詞を吐いて去るのはさすがに失礼かと思って口走ったような気がしないでもない。王子様がわざわざ来ているということは、言ったのだろう。
「そういえばそうでしたわね。でも私からは特にこれといった用はございませんわ」
「いや、うん、まあ、そうだろうけど」
いつもだったら呆れたように返してくるのに、なんだか歯切れが悪い。
風邪でも引いたのだろうか。
「明後日までは待機ですし、ゆっくりお休みになられてはいかがかしら」
「いや、休む必要は……その、明日は出かけようかと思って」
風邪は引きはじめが肝心だというのに、遊びに行く気満々だったのか。
体こそ大きくなっているが、その性根は子どもの頃と変わらずやんちゃなようだ。
「ですが、体調が優れないのではなくて?」
「別にどこも悪くないよ。それに、私の体調よりも君の予定を聞きたいんだ」
「今のところはこれといってありませんわ」
リューゲと一緒に散策するか、部屋でごろごろしながらお喋りするか決まっていない。どちらも魅力的で困る。試験から解放されたから、今なら思う存分歴史の裏側を聞けそうだ。
「それなら、一緒に行かないか」
「あら……」
試験後にイベントはあっただろうか。レティシアとヒロインが街中で会うシーンなんてなかったように思う。
今日のことばかり考えていたから、明日以降の予定がうろ覚えだ。
「それでしたら、従者の予定も確認してからお返事いたしますわね」
「いや、ふたりのつもりで……」
「……護衛はどうされますの?」
治安は悪くないらしいが、さすがに学園外に護衛なしで王子様がほっつき歩くのはどうかと思う。ある程度配慮しそうなものだが、王子様は昔城を抜け出そうとした前科持ちだから護衛なしで出歩いても不思議ではない。
「護衛、は考えてなかったけど」
「あら……」
そうだ、思い出した。たしか明日は騎士様とヒロインの出会いがある日だ。
「騎士――いえ、ヴィクス様のご予定はどうなっておりますの?」
「セドリックの? 聞いてないけど、どうせ鍛錬でもしてると思うよ」
「それでしたら、ヴィクス様もご一緒されてはいかがでしょう。彼ならば喜んでご一緒してくださるのではないでしょうか」
置物の化身である王子様の護衛は今は王都でお留守番だ。だから王子様の護衛をできる相手は限られている。騎士様ならふたつ返事で引き受けてくれるだろうし、ゲームのとおりなら護衛としての任務も負っているはず。王子様が騎士様をどう思っているのかは知らないが、断る理由はないはずだ。
これなら騎士様を外に連れ出してヒロインと会わせることができる。隣国の王子様とヒロインの出会いが上手くいかなかったから、なんとかここで挽回したい。
ゲームで王子様が騎士様と一緒にいたかどうかは覚えてないけど、多分どこかにはいたのだと、思いたい。思うしかない。
王子様はわずかに眉をひそめ、それから肩をすくめながら微笑んだ。
「まあ、それで君が出かける気になるなら、それでいいよ」
「……ああ、ええ、そうですわね。ええ、楽しみにしてますわ」
私の自由は失われたが、しかたないことだと思って諦めよう。
「――というわけで、明日は遊びに行くわ」
「うん、何がというわけなのかわからないけどわかったよ」
部屋に入って開口一番宣言したら冷静に返された。
ソファに寝転びながら本を読んで、私に目もくれない。従者のくせに失礼な奴だ。
「殿下と一緒にでかけるのよ。あなたはお留守番ね」
「へえ……ふたりで?」
「違うわよ。ちゃんと護衛はつけるわ。でも殿下ったら最初は護衛をつける気もなさそうだったのよ。放蕩王子で困るわよね」
ようやく本から目を外したと思ったら、溜息をつかれた。
「少しは現実を――いや、キミがそれでいいならいいか」
「何よ。言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「別にないよ。まあ、楽しんでくればいいんじゃないかな」
今日は王子様といいリューゲといい、歯切れが悪い。
まあ、今はリューゲにかまけるよりも明日のほうが大切だ。手帳に目を通して、しっかり頭に叩きこまないといけない。そう思ってリューゲから目を離そうとして――気がついた。
「って……それ私の手帳じゃない!」
リューゲの読んでいた本、というか私の手帳をひったくる。そういえば今日のことで必死でしまい忘れていた。
机の上に置きっぱなしだったからといって勝手に人のものを読むのはよくない。たとえ読めなかったとしても、人の常識を知らなかったとしてもだ。
「興味深い文字だったよ」
「次私のものを勝手に読んだら許さないから」
これでもかと睨みつけたが、悪辣魔族には効果なし。はいはいと気のない返事を返された。




