第四話 【なんで飛んで――は?】
上体を起こしてぽかんとした表情でヒロインを見上げる王子様。ヒロインは青い顔で、そんな王子様を見下ろしている。この一瞬の間に何が起きたのか――状況から考えると、図書室を出ようとした王子様にヒロインがぶつかったのだろう。だけど、ゲームでのひょろっとした王子様ならともかく、今の王子様は鍛えられた肉体の持ち主だ。ちょっと浮いているだけの女の子がぶつかった程度で床に倒れたりするものだろうか。
しかし、二人の様子からはそれ以外の可能性を見つけられない。
「あ、あの、前を見てなくて。本当に、ごめんなさい」
震える声で謝罪の言葉を繰り返しながら、ヒロインが王子様に手を差し出した。
「いえ……私のほうこそ、よく見てなかったので気にしなくていいですよ」
だが王子様はその手を取ることなく、立ち上がる。
状況はよくわからないが、私の推測通りなら――これはヒロインと王子様の出会いイベントなのかもしれない。
入学式前でもなければ、ヒロインが転んだわけでもなく、助けられてもいない――それどころか加害者と被害者の関係になってしまっているけど――それでも、どちらかが転んで助けようとするという点では同じ、だと言えるかもしれない。そうであって欲しい。
ヒロインと王子様の出会いイベントが起きなかったことでどうしたものかと悩んでいたが、どうやら杞憂だったようだ。運命というものはこうして収束するものなのだろう。色々おかしい点にさえ目を瞑ればの話だけど。
「えぇと……次からは気をつけてください」
こくこくと忙しなく頷く姿はまるで小動物のようだ。後、ヒロインと対峙している王子様は中々新鮮だ。
ゲームでは王子様は敬語キャラだった。宰相子息と被ってるじゃないかと思ったことがあるのでそれは確かだ。だけど、私はこれまで王子様が敬語を使ったところを見たことがない。だからか、ゲームではこうだったとわかっているはずなのに、違和感が拭えない。
王子様の違和感はともかくとして、私はこういう状況で何をすればいいのだろうか。本来、王子様とヒロインの出会いの場にレティシアはいないはずだった。
だから影に徹して二人の成り行きを見守るというのも手のひとつなのかもしれないけど、それは悪役として間違っている気がする。
積極的に関わろうとまでは思わないけど、目の前で展開されていることに口出ししないのは悪役として失格だ。
「あら、小娘ひとりに転ばされるだなんて、殿下ったらずいぶんと軟弱ですのね」
ふたりのほうに一歩踏み出し、口元に笑みを浮かべる。
「いや……」
見事なまでに悪役らしいと思うのだが、王子様の反応は鈍い。いまだにヒロインに倒された現実を直視できていないのかもしれない。
「いえ! 本当に、私が悪いので、その……殿下は何も……!」
「……私の鍛え方が足りないのは確かですので、庇っていただかなくても大丈夫ですよ」
おや、素晴らしい庇い合いではないか。愛する二人を引き裂く役どころとしては、中々嗜虐心をくすぐられる光景だ。
「そうですわね。私の婚約者なのですから、そのように軟弱なことでは困りますわ。頼りになる方でないと、安心できませんもの」
ちらりとヒロインに視線を送る。ふわふわの金の髪に、心配そうに様子をうかがう青い目。天使の羽がついていてもおかしくなさそうな、可愛らしい容姿。浮いてさえいなければ文句の付け所が見つからない美少女だ。
「それで、あなたは?」
「あ、クロエと申します。挨拶が遅れてしまい、申し訳ございません」
スカートの裾を摘まんで淑女の礼をとる姿は、平民の出だと言われても疑いそうになるほど綺麗なものだった。
とりあえず、彼女がヒロインじゃないという可能性は消えた。
「姓はございませんの?」
「はい……その、私は貴族ではございませんので」
わかっていながらその発言を引っ張り出すと、私は王子様の腕に手を絡めてしなだれかかった。王子様が身じろいだのが伝わってきたが気にしない。
悪役令嬢とは何か――十年近く悩んだ結果導きだしたのは、ときに陥れ、ときにヒロインの恋する相手とのロマンスを演じる。ありとあらゆる手段を講じてヒロインと愛する者とを引き裂く悪女だ。
私は王子様との仲のよさを見せつけるようにしながら、勝ち誇った笑みを浮かべる。
この後の台詞は決まっている。下賤な者が私の大切な婚約者に近づかないでくれるかしら、だ。
だけどおかしい。ヒロインの顔が赤い。今にもお湯を沸かしそうなほど赤い。
言おうとしていた台詞が引っこみ、思わずまじまじとヒロインを眺めてしまう。
「仲よきことはいいことですね!」
白い頬を薔薇色に染め、捨て台詞と共にヒロインが飛んで行った。
文字通り、宙に浮いたまま飛び去っていく。足に噴射機でもついているのかという勢いで。
一気に遠くなる背中を眺めて、私はひとり納得する。あの勢いで王子様とぶつかったのなら、軟弱じゃない王子様が倒れてもしかたない。むしろ、王子様以外とぶつかっていたら大惨事が起きていたかもしれない。
「れ、レティシア……?」
困惑した声が頭上から聞こえて顔を上げると、おろおろと視線をさまよわせる王子様の顔がすぐ近くにあった。




