第十六話 教会3
お兄様は商会の集団に軽く挨拶した後、私の手を引いて聖堂の奥へと足を進めた。赤い布が敷かれた祭壇の近くにはあまり人がいない。商会の人たちは入口付近で立ち止まり、それぞれ言葉を交わしあっている。
私は壁に飾られている一対の羽を見上げた。羽根一枚一枚が丁寧に掘られている石細工は見事の一言に尽きる。
職人の技術に私が感心していると、脇に備えつけられている扉がゆっくりと開かれた。
扉の先から現れたのは、三人の修道女と、栗色の髪をした男性に連れられたサミュエルだった。
商会の人たちは主役の登場に口を噤み、私とお兄様もまた口を開くことなく彼らの動向を見守った。
「このたび、我が息子サミュエルが十を迎えました」
祭壇の前に到着すると、栗色の男性が口を開いた。どうやらこの人が教皇らしい。栗色の髪に青い瞳、ぴくりとも動かない表情は感情をうかがわせず、ただ淡々と言葉を紡ぐだけ。
この年まで生きてこられたのは女神様の思し召しであるとか、その昔には十まで生きることができない子供が多かったとか、平穏な世の中は女神様が与えてくれた奇跡だとかの話をしている。教皇が話している間にも次から次へと人が教会内に入ってきているが、教皇はそちらに軽く目をやるだけで話を中断することはなかった。
ひとしきり話し終えると、教皇はサミュエルに前に来るように促した。祭壇の置かれた檀上の脇に控えていたサミュエルは、教皇の隣に並ぶと深く礼をする。そして誕生祝を迎えられたことを女神様に感謝し、聖堂にいる人々にも感謝の言葉をかけた。
続いて、教皇たちが入ってきた扉から数人の修道女が姿を見せる。手にお盆を持ち、その上にはゴブレットがいくつも乗っている。
修道女たちは粛々とゴブレットを配り、配り終えるとすぐに下がっていった。
私たちは教皇の音頭に合わせて、乾杯した。
ゴブレットに口をつけると、甘酸っぱい風味が口いっぱいに広がった。
「これは王都近くの平原で採れる果実を絞ったものだよ」
これはなんだろうと首を傾げていると、お兄様が説明してくれた。リーベと呼ばれるもので、黒い皮の中に赤い実が詰まっているとかで、教会ではよく飲まれるものだそうだ。
終わったかに思えた教皇の話は乾杯の後も続いた。本日の主役であるはずのサミュエルは教皇の脇に控えて、じっと佇んでいる。
開かれている扉からは絶えず人がやってきて、修道女からゴブレットを受け取っていた。そして教皇の話に耳を傾けながらも商会の集団に交じり談笑している。
誕生祝ってなんだっけと首を傾げてしまいそうだ。女神様の話をしているのに、真剣に聞いている人がいなさそうなのも不思議でしかたない。こういうときは、女神様のありがたいお話を聞き逃さないようにするものだと思っていたけど、違うのだろうか。
「……誰も真面目に聞いてなさそうだけどいいのかしら」
「今さら女神様の教えが変わるわけではないからね」
ぽつりと呟いた私の疑問を拾ったのはお兄様だった。私のそばにはお兄様しかいないのだから当然だけど。
「教会の誕生祝に来たことのある人なら、誰でも知っている話だからしかたないよ」
「それに、商会の方しかいらしてないみたいですわ。他の方はいらっしゃいませんの?」
「貴族はあまり来ないし、市民なんかは普段の生活が大変だから、長くはかからないとはいえ来れるほどの暇はないと思うよ。商会の人たちは何かと教会に融通を頼むことが多いから、こういうときにも顔を出すけどね」
純粋に祝ってくれそうな人がいなさそうで、思わずサミュエルを見る。サミュエルは特に気にしていないのか、あるいはこういうものだと思っているのか、沈黙を守りながら父親である教皇の話を大人しく聞いていた。
その表情からは不満も何も感じられない。かといって喜びとかも感じられないのだけど。
「サミュエルには後でお祝いの言葉をかけてあげようね」
「はい、お兄様」
それからも何度かゴブレットが配られ、それで喉を潤しながら教皇の話を聞き続ける。
今はこの国の成り立ちについて話している。
この地には昔とても大きな樹があり、それは災厄を周囲に振りまいていた。
女神様は一人の男にその樹を切り倒すように命じ、加護を与えた。
加護を受けた男は何年もかけて樹を切り倒し、国を興した。
要約するとそういう話だった。
それからも何度か災厄を振りまく生き物が産まれ、そのたびに女神様は加護を与えて世界を守り続けているのだとか。
女神様が見守ってくれているから人は成長することができるので、十歳という節目を迎えられるのは女神様のおかげだとか――まあ、そんな感じのことを延々と話し続けている。
そうしてどのぐらいの時間が過ぎただろうか。教皇の喉の丈夫さに感心しはじめた頃、ようやく話が終わった。
最後に来客がサミュエルに直接祝いの言葉をかけてお開きとなるらしい。誕生祝ってなんだっけ。
「本日は来てくれてありがとうございます」
「誕生日おめでとう、サミュエル」
ちなみに贈り物のたぐいは持ってきていない。教会の誕生祝にそういったものを持っていくのはやめたほうがいいとリューゲに言われたからだ。どうしてかは聞いてないけど、どうせ好き嫌いとかと同じような理由だろう。
だから、今度遊びに来たときにでもあげようと思っている。教会の外で渡す分には問題ないだろう。
お兄様もサミュエルに祝いの言葉をかけると、私の手を掴みながらさっさと踵を返した。
手持無沙汰になった商会の人に捕まらないように、足早に馬車に乗り込んで、遠ざかっていく教会を眺める。
徹底しているようで緩い教えの女神様。
それなのに教会内部だけは厳しい掟の中で暮らしている。
なんともいえない歪さを感じて、私は眉をひそめた。




