第十一話 誕生祝2
王子様を見送りひとりになった私は、改めて壁の花を楽しむことにした。残された私を気にするようにちらちらと視線を向けてくる人もいたが、幸い声をかけてくることはなかった。
この後の進行はよくわからないが、何かあれば両親が迎えにきてくれるだろう。
飲み物を運んでいる侍従に勧められるまま、淡い青色をしたジュースを受け取る。とりあえず貰ってはみたが、これはなんなのだろう。
青系統――ということで頭に浮かんだのはブルーハワイだが、あれは飲み物ではない。
挨拶回りに王子様との歓談と、喋り通しだったから喉はカラッカラに乾いている。甘ったるくないといいなぁ、と思いながら恐る恐る口をつけた。
グレープフルーツとレモンを混ぜたような、さっぱりとした味が口の中に広がる。甘すぎず、さらりとした飲み心地が喉に優しい。気づけばグラスの中が空になっていた。
雫しか残っていないグラスを名残惜しく眺めていると、黄色い液体が入ったグラスが差し出された。
「ありがとうござ、います?」
グラスを持つ人物を見て、思わず首を傾げる。従者かと思いきや、見知らぬ少年が立っていた。
襟元がフリルでふわふわになっているシャツに、黒地に銀糸で細かな刺繍が施されているジャケットは、どう考えても従者の装いではない。年の頃は私よりも少し上、といったところだろうか。
さらさらとした金の髪は絹糸のように滑らかで、にこやかに細められている目から覗く瞳の色は――紫。
「え、えぇと……」
戸惑う私の何が面白かったのか、少年はふふ、と笑みを零した。
「こんな可愛い子をひとりにしてるなんて、婚約者は何をしているんだろうな」
多分主催者側として準備してるんじゃないですかね、という軽口は避ける。
これが嫌味だと気づける王子様は先ほど連れていかれたばかりだ。
「お忙しい方ですので」
「多忙を言い訳にしてると、悪い虫がついてしまうというのに――たとえば俺のような」
優しく手を取られ、指に顔が近づいてくる。
「あら、王太子殿下が滅多なことを言うものではないですわよ」
完全に触れる前に牽制する。
少年――王太子殿下、つまり王子様の兄はぴたりと動きを止めて顔を上げた。その顔には、悪戯が見つかった子どものような笑みが浮かべられている。
「なんだ、知ってたのか」
「とても聡明な方だと聞いておりますわ」
私の記憶によると聡明とはほど遠い。何せ王位継承者でありながら隣国のお姫様と駆け落ちする、とんでも王子だ。
確かゲーム内だと二年生に上がるときに、王子様周りが一変するイベントとして王太子の駆け落ち騒動が起きた。
王太子と隣国のお姫様はゲーム内に登場せず、その事実だけが描かれていた。学園卒業と共に「真実の愛を見つけた」という書置きを残して姿を消した、とかなんとか。
しかし今の段階では聡明で、将来が楽しみだと謳われている。将来騒動を起こすということは誰も知らない。当たり前だけど。
「じゃあ改めて、俺はフレデリク・ミストラル。弟の婚約者がどんな子なのか気になってね。今まで挨拶する機会がなかったから、折角だしって思って」
中々歯に衣を着せないお方のようだ。
細められた瞳が探るように見てきたので、私はスカートの裾をつまみ淑女の礼をしてから緩やかに微笑む。
「レティシア・シルヴェストルですわ。王太子殿下にお会いできて、光栄に思います」
「堅苦しいことはいいよ。将来俺の義妹になるんだし」
「まだ義妹ではございませんので、礼儀は通させていただきますわ」
私が王子様と結婚する日はこないので、義妹になることもない。
「さて、そろそろはじまりそうだから、弟の雄姿を一緒に見ようじゃないか」
はて、両親は一体どこにいるのだろうか。あたりを見回すと、少し離れた場所でこちらを見ている両親を見つけた。
王太子が一緒にいるので様子見している、といったところか。心配そうにちらちらと様子をうかがっている。
「ええ、王太子殿下にお目にかかれるとは思ってもいませんでしたので、少し緊張してしまいますわね」
王太子に微笑みを返したところで、シャンデリアの明かりが一斉に消えた。
大広間の奥だけが灯されている。明かりにつられるように視線を上げると、壁際を這うように伸びる階段の先、広場よりも少し高い位置にある中二階が照らし出されていた。
そこには先ほど見送った王子様と、王太子と同じ金の髪に、ふたりの息子と同じ紫の瞳をもった壮年の男性――王様が立っている。
王子様が一歩前に出て、しんと静まり返った大広間を見回した。私のいるあたりを見たときに片眉が動いたような気がする。
「本日は私の誕生祝にご足労いただき、ありがとうございます。こうしてお集まりいただいた方々の期待に応えられるよう、今後とも精進して参ります」
王子様が一礼すると、その横に並び立つように王様が前に出た。
その手にはグラスが握られている。王子様も控えていた侍従からグラスを受け取り、高々と掲げた。
それに倣うように広間に集まっていた人々もグラスを掲げたので、私もそうしようとして、気づく。私の手にはグラスがない。
先ほど配られたジュースは、このときのためだったのか。
どうしようかとあたふたしてたら、王太子が黄色の液体が入ったグラスを差し出してくれた。
声を発すると注目を浴びてしまいそうだったので、目礼だけしてありがたくグラスを受け取る。慈しむような笑みを浮かべている王太子は、あの王子様の兄とは思えないほどスマートだ。
お姫様が国を捨ててしまうのも頷ける。
「この祝いの席を共にできたことを女神様に感謝しよう」
「女神様に感謝を」
王様の声とそれに続く貴族の声が広間に響き、誕生祝がはじまった。