第十話 誕生祝1
月日が流れ――私は十歳になった。
子どもが十歳になったら誕生祝という名のお披露目が行われる。
その年に十になる子どもの中で一番高位にあるものの誕生祝が行われてから、それぞれの家庭で誕生祝を開催するのが通例だ。
命の月生まれの子が高位だったらどうするのだろうか。慌ただしい年末になりそうだ、と思ったが口には出していない。
ちなみに公爵家である私の誕生祝はまだ行われていない。
なにせ今年一番高位なのは、王子様だ。
そして皆が待ち望んだ王子様の誕生祝が、今日開催される。
「レティの黒髪には青色がよく映えるわね」
濃い青色のドレスに身を包んだ私をお母様が機嫌よく眺めている。私と同じ黒髪をしているお母様は、子どもよりも目立たないようにと落ち着いた紫のドレスを着ている。レースもフリルも少ないお母様のドレスが羨ましい。
私のドレスは中々手がこんでいるようで、スカート部分はレースが幾重にも重なり、胸から胴にかけて細かな刺繍が銀糸で施されている。
こういった装いに慣れない私は、どうにも動きにくくてしかたない。スカートに足を取られそうになるし、引っかけて破いたらどうしようかと不安になる。
「お母様も素敵ですわ」
「あら、今日はあなたの舞台でもあるのよ。ルシアン殿下の婚約者なのだから、自分が一番可愛いのだと胸を張りなさい」
お母様を褒めただけなのに、それ以上の苦言で返された。普段は穏やかなお母様だけど、人前に出るときには厳しいことを言う。
「殿下の誕生祝なのに、私が関係ありますの?」
「当たり前でしょう。ルシアン殿下と一番最初に踊るのはあなたなのよ」
うへぇ、と出そうになる声と舌を必死で押しとどめる。踊りも習ってはいるが、大勢の目に晒されながら無事踊れる自信は、正直ない。
緊張で王子様の足を踏みつけてしまわないか、今から不安になる。
「さあ、そろそろ行きましょう。遅れてしまったらルシアン殿下に申し訳ないわ」
「はい、お母様」
お母様に手を取られ、表に待たせていた馬車に乗りこんだ。
王城の大広間は祝いの場に相応しく飾りつけられている。蝋燭の光がシャンデリアを照らし、きらきらとした光が広間を覆っていた。みがかれた床は白く、壁際に配置されているテーブルも細かな細工が施されている。まさしく絢爛豪華という言葉が相応しい。
軽くつまめるものを運んでいる人、色鮮やかな飲み物を運んでいる人が広間を忙しなく歩いている。
私の到着はだいぶ早かったようで、ちらほらと着飾った人がいる程度だった。
何人かで集まっているグループがいくつかある。元々子ども同士の交流がある家の集まりなのだろう。にこやかに歓談する大人の近くで子どもが仲よさげに話している。
私はというと、今は壁に背を寄せて突っ立っていた。両親はどこかのグループにでも混ざっていると思う。
最初は両親のもとを訪れる貴族の方々に挨拶をしていたのだが、途中で疲れてしまったため、両親に断りを入れて休憩することにした。
両親から離れていれば私に話しかけてくる人はいないだろうという目論見は正しかったようで、ゆったりと落ちつくことができた。
伯爵、子爵、侯爵、後その子どもたち。紹介された人々の顔と名前を思い浮かべるが、一致している自信はない。何しろ矢継ぎ早に挨拶されたので、頭の中で反芻する時間がなかった。
あそこにいるのは伯爵だったか子爵だったか。見える範囲の顔を見ながら誰だったか、爵位がなんだったか、名前当てゲームを脳内で繰り広げる。
「やあ、今日は私の誕生祝にきてくれてありがとう」
「殿下の誕生祝に招かれたことを光栄に思いますわ」
きょろきょろと周囲を眺めていた私にかけられた声は聞き慣れたものだった。つい一週間ほど前に聞いた声に反射的に挨拶を返す。
遅れて視線を移すと、予想どおり王子様がいた。いつの間に近くまできていたのか、あなどれない。
金糸で彩られた白地の服に身を包んだ王子様は、いつもよりも落ちついているように見える。銀の髪や白い肌と合わさって、今にも消えてしまいそうなほど、儚い。
こんなところにいる時点で、気のせいだろうけど。
主催者、しかも祝われる側が開催前に顔を出していいものではない。
私が咎めるように見ると、王子様は苦笑しながら肩をすくめた。
「今のところすることがないんだよ。まだはじまりそうにないから、知人と歓談でもしてようかと思ってね」
そんな、しかたないよねという顔をされても私は騙されない。
「皆さまお忙しそうですのに、当の本人がのんきにしているだなんていかがなものかと思いますわよ」
「私が手を出したら困惑する者ばかりだからね。こうしてじっといているほうが皆のためになるんだよ」
じっとりと王子様を睨みつけるが効果はないようで、彼はにこにこと笑っている。
そうやって王子様と語らっていると、視線を感じるようになった。周囲に視線を這わせるとずいぶんと人の数が増えていた。それぞれ誰かと話してはいるが、ちらちらとこちらの様子をうかがっている。
彼らの視線の先には、それはもう目立つ王子様。
王子様とお近づきになりたくない人はそういない。こんなところで油を売っている王子様にどう話しかけようかと様子を見ているのだろう。
「私が殿下を独り占めしていては、恨みを買ってしまいそうですわね」
居心地の悪さを感じて離れようとしたのだが、場にそぐわない金属音が近づいてくるのに気づき、動きを止める。
「ルシアン殿下。あまりうろつかれては困ります」
こんな日でも全身甲冑に身を包んだ置物の化身――アドルフが姿を見せる。
豪華な装いをしている人々の中で、彼の恰好はとても目立つ。子どもたちは戦々恐々とした表情で甲冑男を見上げていた。
何人かの男子の目がきらきらと輝いているような気がしたが、気のせいだと思いたい。やんちゃな子息なんて、王子様だけで十分だ。
祝いの場には剣呑すぎる出で立ちなのだが、王子様は慣れたもので、アドルフの恰好については何も言わない。代わりに口にするのは我儘だ。
「少しぐらいいいだろう?」
「戻りますよ」
「いい子にして座ってるだけなのも暇なんだよ」
「戻りますよ」
王子様が何を言おうと同じ単語しか返さないアドルフ。必然、先に折れたのは王子様だった。
「しかたないなぁ。また後でね」
ひらひらと手を振りながら、王子様がアドルフを連れて去っていく。
王城では品行方正で通っているというのは、やはり王子様の嘘だったようだ。
あれが品行方正なら、私は淑女の鑑になれる。




