第二話 針の筵
寮に辿り着き、ルシアン様と別れた。また明日と言われたが、来るつもりなのだろうか。
部屋には先に到着した荷物が置かれていた。私は今回、使用人を連れて来なかった。
リューゲの代わりに誰かつけると言われたが、断った。クロエと私は人に聞かせられないような話しかしない。第三者がいたら、きっとクロエの足は遠のいてしまう。
そのため荷物は別の馬車で運んでもらって、部屋までは寮仕えの使用人が持ってきてくれた。さすがに荷解きまではしてくれないので、ここからは私ひとりでやらないといけない。
箱に入っていた服を箪笥にしまっていると、クロエが遊びに来た。
「お久しぶりです」
ぺこりと頭を下げるクロエに挨拶を返す。クロエは部屋の中の惨状を一望して、ぱちくりと目を瞬かせた。
「……手伝いましょうか?」
どうやらひどい有様らしい。とりあえず箱をひっくり返して全部出したのがよくなかったのかもしれない。
せっかく遊びに来てくれたのに手伝わせるなんてと固辞したが、クロエの押しは強かった。話したいこともあるからとちゃっちゃと片付けを始めてしまった。
仕方ないのでお言葉に甘えながら二人で片付けをすること二時間。ようやく片付けが終わった。
「お疲れさまです」
クロエの淹れてくれたお茶を飲み、人心地つく。私は家から持ってきたお菓子をお皿に並べた。お茶を上手に淹れる練習もした方がいいかもしれない。
客人にお茶の用意をさせるのは色々と駄目だと思う。
「それで、今日はどうしたの?」
「今年度について話そうと思ったのですが……そろそろ夕食時ですし、ご一緒にいかがですか?」
クロエが部屋の隅に置かれた時計を見たので、私もつられて時計を確認する。たしかに夕食を食べるには丁度よい時間だ。
そういえばこれからは食堂で食事しなければいけないのか。運んでくれる人はいないし、わざわざ部屋に持って帰るのも面倒だ。
クラリスたちのことが一瞬頭をよぎったが、彼女たちはいつも自室で食べるから一緒に夕食を食べることはないだろう。
「ええ、そうね。お願いしようかしら」
この誘いを断る理由はどこにもない。
さすがに初日だからか、食堂にはあまり人がいなかった。数人ずつで固まって、それぞれ離れた机に座っている。クロエは入口にほど近い席を選んで、食事を頼んだ。
食堂にも使用人がいて、欲しいものを言えば運んできてくれる。
「……それで、今年度についてというのは?」
他の人たちからはだいぶ離れているが、念のため声をひそめる。
「今年は隠しキャラが入学してくる年ですので」
「ああ、サミュエルのこと?」
「……そういえばレティシアの従弟でしたね。交流は?」
「十一歳のときと、あと最近会ったぐらいね。でも仲は悪くないと思うわよ」
元々は知らないルートに入られると困るから、ヒロインと仲良くならないように口添えするつもりだった。打算で始まった関係だけど、仲は悪くないはず。
「性格はどのような感じでしょうか」
「気弱でおどおどしているけど優しいし、いい子よ」
心配してくれたし、家族にしか伝わらない呪文を教えてくれた。中身は極悪非道魔族を呼びだすものだったけど。
でもサミュエルはあの呪文の意味するところなんて知らなかったはず。知っていたら魔族の名前を教えようとはしないだろう。
「好物とか、好みのものはありますか?」
「教会の教えで好き嫌いを持ってはいけないみたい。でも甘いものは好きで、いつもたくさん食べすぎて後悔しているのよ」
食べてはしょんぼりと肩を落としている。それから少しの間は食べようとしないけど、無理矢理口に押し込んだら諦めて食べてくれる。
そしてまた後悔するの繰り返しだ。
「……そうですか」
「サミュエルがどうかしたの? 好きなものを知りたいって、もしかしてサミュエルのことが好きなの? 贈り物でもするの?」
「いえ、それはありえません」
ばっさりと言い切られたけど、王太子のときみたいに嫌悪している感じではなかった。これは好感度的にはどうなのだろう。
弱気なサミュエルにはこのぐらいばっさりしている方が合いそうだけど、無理強いはできないし、そもそもサミュエルの好みを知らない。
「杞憂であれば、それでいいのですが……」
そしてクロエがわずかに口ごもり、少ししてまた口を開き――
「やあ、ここいいかな?」
余計なものが現れた。正確に言うと、ディートリヒだった。
様か王子かあるいは家名かで悩んだ結果、なんかもう呼び捨てでいいかという気分になった。いっそ遊び人と呼びたいぐらいだ。
胡散臭い笑顔でクロエの横の椅子に手をかけたかと思うと、こちらが返事をする前にさっさと座る。
「よくないです」
座ってしまったのなら仕方ない、という考えはクロエの中にないらしい。清々しいほどの嫌悪感を抱いた目でディートリヒを睨みつけた。
だがさすがは不屈の精神を持つ遊び人。そんな視線には気付かない振りをして、これまたにこやかな笑みを浮かべている。
「まあまあ、俺の事情も汲んでよ」
「知りません」
「内情については目を瞑ってあげたんだからさ」
「それはそれ、これはこれです」
ディートリヒがいると、さっきの話の続きはできない。できても魔族関連ぐらいか。邪魔だな、と見ていると何を思ったのか私に向かって微笑んできた。
「俺さ、聖女の子をたぶらかせって言われてるんだよね」
「……あなたごときにたぶらかされるとでも?」
私は夢見る少女から悪役に転身した身だ。遊び人と相容れる要素なんてどこにもない。
もしも悪女を目指していたのなら話は違ったかもしれないが、私が目指したのは崩される壁の悪役だった。
「俺って顔はいいし、優しいし、悪くない相手だと思うけど?」
「私、軟派な方は好みではないの」
「お堅いねぇ」
揶揄するような言い方に睨みつけたが、効果なし。へらへらとした笑顔を返された。こいつの心臓はどうやったら折ることができる。
「でもルシアン殿下もお気に召さなかったんだろ? 婚約をやめたいって言いだしたんだって?」
「どうしてあなたがそれを知っているのかしら」
「噂ってのはどこからでも回ってくるものだよ」
「別に……ルシアン様自身が問題なわけではないわ」
問題なのは私の方だ。
「ルシアン殿下は気障なこと言いそうだけど、それはいいのかな」
「不特定多数の女性に声をかけるわけではないでしょう」
「俺が色々声かけてたのは探るためでもあったんだから、大目に見てよ」
「それにしては、楽しんでいたように見えたわね」
「まあ、俺も男だし、目の前にご馳走が転がってたらとりあえずいただくよね」
最低だ。
「下世話なお話はよしてください。食事の席ですよ」
「俺のせいじゃないと思うんだけど」
口を尖らせて不満そうにしているが、節操のない下半身の持ち主なのが悪い。どうせ心の中でしか呼ばないのだから、遊び人と呼んでしまおうか。
「ここいいかな?」
遊び人に天秤が傾きかけていたら、聞き慣れた声が頭上から降ってきた。
視線を巡らすと、案の定ルシアン様が私の横の椅子に手をかけていた。噂をすると現れるところは、二年生になっても変わっていないらしい。
「ルシアン殿下の席はあっちだったと思うんだけど?」
そう言ってディートリヒが指さしたのは、食堂の端にある一角。どうやら学舎だけでなく遊戯棟の食堂にも専用扱いにされている席があるようだ。
「自分の婚約者がいるのにわざわざ他の席を選ぶ理由がどこに?」
「ルシアン殿下がこんな入口近くで食べてたら、次に来る生徒が委縮するだろ」
「私がどこに座ろうと私の勝手でしょう。その程度で萎縮するのなら、時間をずらせばいいだけです」
「王を支える奴がそんな我儘じゃあ、この国の未来も暗いな」
魔族の呪い、もとい魔法は、このふたりの仲の悪さとはなんの関係もなかったらしい。少しはよくならないかなと思っていたけど、この分じゃ難しそうだ。
「……あ、あの、私が皆さまとご一緒するなんて畏れ多いので、失礼させていただいてもよろしいでしょうか」
そしてふたりの仲の悪さにクロエが耐えられなくなった。悪目立ちしたくないという意思がひしひしと伝わってくる。
これには私も同意見だ。
「私も目立つのはあまり好きじゃないので、どうぞお二人でご利用ください」
食事が運ばれてきていなかったのが幸いした。私とクロエが止まる理由はどこにもない。
善は急げとばかりに立ち上がった私たちだったが、立ち去ることはできなかった。ルシアン様が私の腕を、ディートリヒがクロエの腕を掴んだせいだ。
「大丈夫、目立つようなことはしないから」
「いえ、もうすでに目立っているので――」
「じゃあもうしないから。だからここにいて」
観念した私が椅子に座り直すのと、クロエが座り直すのは同時だった。
猫を被っているクロエでは、ディートリヒから逃げることができなかったようで、おろおろと視線をさまよわせながら舌打ちしそうになるのを隠している。
ディートリヒがクロエを引きとめた理由はわかる。猫を被っているクロエは可愛い。そうでなくても可愛いが、守ってあげたくなるような雰囲気が可愛さを増している。
「いつもそうならいいのに」
「な、なんのお話ですか」
そして面白がっている。隠そうともしないにやにや笑いを受け、クロエの目がぎらぎらと光った。
「……それで、君たちはなんの話をしてたのかな?」
「ルシアン様にお聞かせできるような話では」
「それでもいいよ。聞きたいな」
ルシアン様の目がクロエとディートリヒに向き、クロエの目の光が一瞬で消えた。すごい。
さて困った。ディートリヒの下半身事情を話したところで、私たちが痴女扱いを受けるか、ディートリヒが私たちにセクハラしたということでルシアン様が怒るかのどちらかにしかならない。
「……え、と、その、今年からレティシア様の従弟が学園に来るとか、そういった世間話をしていました」
ディートリヒがいないときの話だったが、嘘ではない。私はクロエに同意するように頷いた。
「レティシアの従弟というと……。ああ、そうだね、来るね」
「市井の者にとって、教会は身近でもあり、遠い存在でもあります。だから、興味があって……レティシア様に色々聞いていました」
「なるほどね。たしかサミュエル、だったかな。私もあまり会ったことないから、色々聞きたいな」
「……お聞かせできるほどの話はございませんよ」
「それでもいいよ。レティシアの話ならどんなものでも聞きたいから」
ルシアン様がおかしい。盛大におかしい。いや、正常なのか? もうよくわからない。
ここまで甘い言葉を吐くような人だったか。ここ最近は怒っていたし、それ以前は私が逃げていた。
私にかけられた魔法がルシアン様とのやり取りを引っ張り出そうするのを、必死に止める。思い出したが最後、私は確実に赤くなる。さすがに公衆の面前で赤面したくない。
「……レティシア?」
沈黙した私の顔を覗き込むようにルシアン様が首を傾けて、心配そうに名前を呼んだ。
「いや、あの、本当にお話できるようなことがございませんの。精々甘いものが好きとか、その程度で、ほら、教会の教えは厳しいでしょう? だから好き嫌いもあまりないみたいで……そう言ったことを、話していただけですのよ」
「私たちも先ほど来たばかりで、話というほどの話はしていません。……ですよね?」
「そうだねぇ。色々話そうと思ったら邪魔が入ったからね」
ふたりの相槌にルシアン様も納得したようで、それ以上聞きだそうとはしなかった。
その後は運ばれてきた食事を食べながら、他愛もない話に花を咲かせる。ルシアン様とディートリヒがお互いを無視していたせいで、針の筵のような夕食だった。
「明日のことだけど」
食事が終わり、さて帰ろうと席を立ったところで不意にルシアン様が声をかけてきた。クロエがこちらに目礼だけ送って、ディートリヒを引きずりながら離れていった。
「……よかったら一緒に出かけないかと思って。買い足すものとかあるだろう?」
買い足すもの、なんてあっただろうか。茶葉と菓子ぐらいしか思いつかない。茶葉は練習するためにたくさん欲しいけど、わざわざ買うほどではないような気もする。
しかし、明日はルシアン様にとって大事な日のはずだ。
「よろしいんですの?」
「何が?」
明日は王妃様の命日、とされている日だ。
ゲームでは、ヒロインが王妃様の死を偲んでいる王子様に寄り添うイベントがあった。だからルシアン様も同じように、ひとりでひっそりと過ごすのかと思っていた。
「私のことはご心配なさらなくても大丈夫です」
私の買い物は明日じゃなくてもできる。だけど王妃様を偲べるのは明日だけだ。王妃様大好きなルシアン様には、思う存分王妃様のことを想っていてほしい。
「わかった」
そう言って微笑んだルシアン様は、どこか寂しそうだった。




