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悪役令嬢を目指します!  作者: 木崎優
第三章

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番外 セドリック・ヴィクス


「殿下は苦労なさるだろうから、よく仕えるように」


 父上はよく俺にそう言っていた。

 俺は産まれたときから殿下と共に学園に行くことが決まっていた。父上が退いた後は騎士団長になり、フレデリク殿下に仕えることも決まっていた。


 婚約者は産まれたときには決まっていなかったが、幼いうちに決まった。父上の腹心が魔物との戦いで命を落とし、彼女の母もまた愛する夫が亡くなったことで憔悴し、幼い子どもを二人残し後を追った。

 残された彼女とその弟は縁戚であった侯爵家に引き取られ――彼女は俺の婚約者になった。


 何ひとつとして選んでいない人生だったが、父上と行う鍛錬は楽しかったし、両殿下に仕えることも不満ではなかった。婚約者については、少し大人しくしてほしいと思いはしたが、そこまで不満でもなかった。


 殿下と初めてお会いしたのは俺が十歳のときだった。

 父上と共に殿下の誕生祝に参加し、将来仕えることになると挨拶をしたのだが、その将来は思いのほか早くやってきた。


 元々殿下の護衛にはアドルフがついていたのだが、王都付近の魔物が増えているとの報告が入ったためアドルフも駆り出されることになった。

 騎士団の人員はそれほど多くはない。貴族出身かつ剣技に長けた者だけが騎士になれる。貴族でも剣技が長けていない者、剣技は長けているが貴族でない者は総じて兵士になる。


 そして魔物の討伐は騎士の仕事だった。魔物は魔法を使ってくるため、兵士では返り討ちにあう可能性が高い。しかも今回の魔物の増加は原因不明で、強力な魔物が出てくるかもしれない。

 そのため周囲の警戒にも騎士を使うことになったのだが、純粋に人員が足りていなかった。


 そこで白羽の矢が立ったのが俺だった。すでに殿下とのお目見えもすみ、剣の扱いにも慣れている。唯一の問題は俺が子どもだということだが、城と公爵家の間を行き来するぐらいしかしない殿下の護衛で、一時的なものだからと目を瞑ることになった。


 護衛になって早々俺は殿下に連れられてレティシア嬢と相まみえた。

 レティシア嬢に最初に抱いた印象はあまりにも失礼な奴だというもので、それは俺が十五になっても変わっていない。


 殿下の護衛は一年もせず終わったのだが、その後は何故かレティシア嬢と殿下の日記を運ぶ任を賜った。

 殿下の日記をレティシア嬢に届けるのは苦痛だった。日記を見ては迷惑そうな顔をして、酷いときには忘れてたとばかりにその場で書きはじめる杜撰さ。中身を読むまでもなく雑な日記だということがわかる。

 それなのに殿下はレティシア嬢からの日記を受け取るといつも嬉しそうに笑っていた。雑な日記を喜んで受け取る殿下があまりにも不憫で、心苦しくなる毎日だった。


 だけどそれが数か月も続けば意識も変わる。レティシア嬢は殿下にこれっぽちの興味もないことだってわかるし、殿下はどれだけ雑なものだろうとレティシア嬢からなら喜ぶのだということがわかった。

 もしかしたら殿下は――


 いや、これはあまりにも殿下に失礼な考えだ。そうやって何度その考えを振り払ったかわからない。


「どうして殿下がレティシア嬢を好ましく思っているのかがわかりません」


 抱いた考えを捨てるためにそう聞いたこともあった。


「母上の願いだから――」


 そう言う殿下の瞳は寂しそうなものだった。殿下が亡き王妃陛下を慕っていたことは有名だ。王妃陛下がレティシア嬢を婚約者と定め、殿下もそれを受け入れた。

 なるほど、それはとても納得のいく理由だ。


「――それに、あの時私と一緒にいてくれたのは彼女だけだった」


 なるほどなるほどと一生懸命自分を納得させていた俺は、慈しむような殿下の眼差しにすべてを悟った。


 ――殿下は女性の趣味が悪い。



 学園に入ってからもレティシア嬢と殿下の関係は変わらなかった。

 レティシア嬢もそれなりに教育を受けたのか、昔ほど露骨に表情に出さなくはなった。だがそれでも、殿下の扱いが雑なままだ。

 殿下が話しかけるとすぐに「あら、そういえば」と言い訳を捻りだして逃げていく。話している最中から逃げ腰なのでそういえばもくそもない。酷いときには言い訳すらせず逃げる。

 それなのに殿下はレティシア嬢に話しかけるのをやめない。苦労の絶えない殿下がレティシア嬢と話しているときだけは穏やかに笑うから、不憫だと思いながらも止めることができなかった。

 レティシア嬢の目は逃げる隙を探り、殿下を見ていない。もしも見ていたら逃げる気も失せるだろう――それは恋に落ちるなどという劇的なものではなく、懐いている子どもを無下にできないようなたぐいのものだが、それでも逃げようとは思えなくなるはずだ。



 いくら逃げられようと折れない不屈の精神には敬服するしかないが、それでもやはりどうにも理解できない。

 レティシア嬢が殿下に欠片も興味がないことは殿下もわかっているだろうに、幾度となくレティシア嬢に話しかけている。学園を卒業すれば結婚する間柄、無理に話しかける必要なんてどこにもない。

 それこそ共に暮らすようになってからでも遅くないはずだ。


 殿下にそう進言したこともあった。


「出過ぎたことを言っているのはわかっております。ですが――」

「セドリックが私のことを心配してくれているのはわかっているよ。だけど、やめるわけにはいかないんだ」

「どうしてかお聞きしてもよろしいでしょうか」


 殿下は目を伏せ、寂しそうに笑った。


「多分、レティシアには想う相手がいる。彼女はいつも私に誰かを重ねていて……だから、少しでも早く彼女にその誰かを忘れさせたいんだ」


 レティシア嬢に想い人。

 それは予想もしていなかった回答だった。屋敷からほとんど出ることなく、恋愛のれの字もなさそうなレティシア嬢が一体誰を想えるというのか。

 何かの勘違いではないかとも思ったが、レティシア嬢が殿下を見ていないことも確かだ。頭から否定するには、判断材料が少ない。


 それに想い人がいる相手に必死に話しかけたところで、無駄ではないのだろうか。レティシア嬢が想いを打ち明けることなく殿下の婚約者であり続ける限り、二人の結婚は揺るぎない。


 だというのに、どうして逃げられてまで話しかけるのか――



「それが恋心というものなのだろうな」


 俺の婚約者――クリスはそう言っていた。

 愛や恋よりも剣を優先させる女の言うことなのでどこまで真に受けるべきか悩んだが、これでも女であることには変わりない。俺よりはそういった機微に詳しい、のかもしれない。


「無意味なことを何度もすることがか?」

「ああ、そうだとも。私も話でしか知らないのだがね。どうにも恋する乙女というものは無駄な努力を積み重ねるものだそうだよ」

「殿下は乙女ではないが……」

「何を言っているんだい? 振り向いてくれない相手に勇猛果敢に立ち向かう様は、まさしく乙女ではないか」


 その表現は乙女というにはいささか物騒だったが、乙女という部分さえ抜けば理解できるものではあった。


「悩みのひとつが解決したところで、続きといこうではないか。今日こそは打ち負かしてやろう」


 ――だが、言うが早いが剣を構える女の言葉に納得はしたくなかった。



 クリスは亡き父親を尊敬している。尊敬しすぎて、騎士団に入りたいとのたまうほどだ。

 父親が魔物との戦いで命を落としたというのに、それでも入りたいと願い、騎士団長になる予定の俺に勝負をしかけてくる。俺を倒せば実力十分、騎士団に入れるのだとそう思っているようだ。

 そんな馬鹿な話があるかと説得もしたが、この猪突猛進女は聞く耳をもたなかった。しかたなくこうして付き合ってはいるのだが、ひやっとさせられる場面が何度もあった。

 腕力のなさを速度で補い、視線や動作のひとつひとつで相手を誘導する――確かにクリスの剣技の腕は冴えている。だがそれは対人だからこその話だ。人を相手取ることもあるが、魔物を相手することの方が多い。


 知能のある魔物ならばクリスの剣技も役に立つかもしれないが、ただ突進することしか考えていないような魔物はごまんといる。

 腕力で押し返すことも、仕草で誘導することもできない相手では太刀打ちできない。


 それに、それがなくともクリスが騎士団に入ることは認められない。

 男性のみと規約で定まっているわけではないが、クリスは俺に嫁ぐことが決まっている。子を産み育てよという女神の教えを守るためにも、クリスには騎士団などという危ない仕事には就いてほしくはない。


「死ななければいいだけのことだろう? 子を産む間は休業することになるかもしれないが、それ以外でならばいくらでも戦える」


 剣の代わりに子を抱けと説得したときに言われた言葉は今も覚えている。かも、ではなく休業しろ。いや、そもそも騎士団に入るな。

 話は平行線のまま今に至り、こうして暇さえあれば鍛錬という名の決闘をしている。一度でも負ければ調子に乗ることは目に見えているから負けられない。

 殿下のことを頭から振り払い、迫る剣にのみ集中する。




「殿下、それは?」


 いつになく上機嫌な殿下の手には木箱が置かれている。装飾も何もない素っ気ない木箱だというのに、大切な宝物かのように扱っていた。


「レティシアに渡す贈り物だよ」


 その意味することがすぐにはわからず、口を閉ざしていたら殿下が言葉を続けた。


「ほら、もうすぐ誕生日だろ」


 十六の誕生日は婚約者を持つ者にとって大切な意味のある日だ。いや、それはわかっている。わかってはいるのだが。


「レティシア嬢の誕生日は空の月だと記憶しておりましたが……」

「うん、そうだよ」

「今はまだ土の月ですよね」

「そうだね」


 今は土の月の空の週。レティシア嬢の誕生日は空の月の木の週。一月以上もある。それは、あまりにも早急すぎるのではないだろうか。


「気がはやって用意したわけじゃないよ。仕上がったのが今というだけで――ああ、でも箱も準備しないといけないから、丁度よかったのかな」


 なるほど、手の込んだものを作っていたわけか。それならばいつ届くかは業者次第。殿下がレティシア嬢の誕生日が楽しみすぎて用意したわけではないのなら、俺の心も落ちつくというものだ。


「どのような物を贈られるのですか?」

「少しだけなら見せてあげるよ」


 木箱の中には、石がはいっていた。綺麗な球体を描いているが、宝石でもなんでもない石だ。

 殿下にしてはずいぶんと素っ気ない代物だ。


「石、ですか? レティシア嬢はあれでも一応女性なのですから、宝石などのほうが喜ばれるのでは」

「これでいいんだよ。……いつか一緒に見たいからね」


 この石にどれだけの想いが込められているのかはわからない。

 それでも、レティシア嬢が受け取って早々逃げることだけはわかる。


 殿下の御心を思うと、不憫でしかたなかった。



 殿下の様子がおかしくなったのは、それから二週間が過ぎてからのことだった。レティシア嬢に話しかけることが減り、どこかよそよそしい態度で接している。


「それは、俗に言う押して駄目なら引いてみろというものではないかな」

「押して……?」

「ああ、そうだとも。獲物というものは追われれば逃げてしまうもの。ならばこちらが逃げるとどうなるか――獲物が追いかけてくるという寸法だ」

「そんな単純な獲物ばかりならば猟師も苦労はしないだろう」

「お前は情緒というものを理解しないな。獣との駆け引きではない、人と人との駆け引きだ。単純なように見えてその実奇々怪々。私には到底理解できないようなものが世には転がっているものなのだよ」


 それでは鍛錬だと言いながら剣を構える女に情緒がどうこうとは言われたくはない。

 そもそもその言い分だと、クリスも俺同様理解していないことになる。



 殿下の作戦が功を成しているのかどうかはまったくわからないまま月日は流れ、あまりにも理解のできない噂を聞いた。


「レティシア嬢とクロエ嬢が……?」

「ああ、そうだとも。まあ、クロエ嬢の名前は出てはいなかったが、殿下と関係のある下級クラスの者は彼女ぐらいだろう。可愛らしい女性ふたりが取り合っているなど男冥利に尽きる噂だと思わないか?」


 かたや下級クラスでありながら魔法学だけ上級クラスに参加できるほどの実力の持ち主であり、魔法学が終わり次第すぐに姿を消す曲者。かたや殿下に興味を示さずなあなあで魔法学を修めている令嬢。

 そのふたりが殿下を取り合っているなど、想像できるはずがない。


「その噂の真偽は?」

「それはわからんよ。私とて人伝に聞いたまでだからな。だがだいぶ広がっているようだ。……不自然なほどに」


 誰かが意図して流した噂か。その可能性は十分にありえる。


 殿下とレティシア嬢の婚約は、ふたりの仲が良好だからこそ成り立っている。それを知らしめるために殿下は周辺国家を回り、婚約に異議を唱える者を黙らせた。舌の根も乾かぬうちにレティシア嬢を選ぶことなく別の女性と競わせているともなれば、殿下の誠実さに胸を打たれた者も黙ってはいない。


 だからこれは――殿下を貶めるための噂だ。


 そして仕掛け人を予想するのなら、それはレティシア嬢に何かとちょっかいをかけようとしているディートリヒ王子しかいないだろう。

 殿下の婚約にもっとも反対していたのがローデンヴァルト国なのだから。


 この噂において、もっとも警戒しないといけないのが噂の渦中にあるレティシア嬢だというのだから笑えない。いつ暴走するかもわからない魔道具を持っている気分だ。

 レティシア嬢が噂を聞きうろたえたりすれば、噂は本当だと知らしめることになる。

 

「一番警戒するべきは噂が嘘ではなかったときだ」

「あのふたりが殿下を取り合うとは思えないが」

「真実はどうあれ、そう見える状況だったのかもしれないだろう? 見たままをそれらしく脚色してしまえば、真実がひと欠けらもない噂などより劇薬になる」


 鍛錬の続きだと言いながら剣を握るクリスに諭されたとは思いたくなかったが、一理あると思ってしまったのもまた事実だった。

 ありえないなどと頭から疑うことなく、どういう状況なのかを見定めねばならない。



 ――結果として、噂はただの噂ではなかった。


 殿下とクロエ嬢が話している場に何度も乱入するレティシア嬢の姿を目撃した。何をやっているんだあいつは。


 いや、それだけではない。殿下の様子もおかしい。

 あれほど大切そうにしていた木箱が机の上に置かれたままだった。すでにレティシア嬢の誕生日は過ぎており、木箱は依然素っ気ない状態のままだ。



「それはあれだろうな。引いてみたはいいが引き際が見極められないのだろう」

「殿下に限ってそれはないだろう」

「恋というものは頭をおかしくさせるものだそうだ。だからこそ我が国は愛に狂った国などと言われている」


 快活に笑っているが、笑えるような話ではない。


 それにしても学園に来てからは、クリスによくこの手の相談をしている。学園に来る前だったら殿下の私情を漏らすなど考えもしなかった。

 レティシア嬢と殿下のやり取りをこれまで以上に目にするようになり、頭と胸を痛める毎日だった。愚痴を吐き出せる場を探していたのかもしれない。こうしてクリスと共有することで幾分か楽になったことを思うと、それはあながち間違いではないようにも思えた。

 その相手にクリスを選んだのはきっと――


 ――いや、もはや何も言わずに剣を構える女を信頼しているなどと思いたくもない。




 引き際を失った殿下の代わりに贈り物をレティシア嬢に届けた帰り道。殿下は何も言わない。勝手に持ち出したことを責めることも、代わりに渡したことを褒めることもせず、ただ黙々と歩いている。


「……最近クロエ嬢とよく話されているそうですね」


 レティシア嬢の真意はわからないが、クロエ嬢のことを気にしているようではあった。

 殿下はどう思っているのかと気になり問いかけたのだが、反応は劇的だった。体を震わせ、足を止め、俺を凝視している。


「ああ……」

「どうしてなのかを聞いても構わないでしょうか」

「……彼女は母上に似ているんだ」


 ――王妃陛下に?

 雰囲気も容姿も違うというのに、どこが似ているのだろうか。唯一近いといえば、あの青い瞳ぐらいだがそんな相手はいくらでもいる。レティシア嬢の瞳も青色だ。


「似ていらっしゃるというのは……?」

「儚げで――」


 ――儚げ?

 登校初日に浮いて移動して注目を浴びていたような人物が?

 魔法学に引き摺られてくるような人物が?


「守ってあげたくなるような――」


 ――守る?

 彼女の身のこなしは武芸に心得のある者のそれだ。クリスがいつか戦ってみたいと言うぐらいだから、殿下よりも強いのだろう。

 むしろ殿下が守ろうと前に出たら邪魔になる。

 

「それでいて芯のある――」


 ああ、たしかに芯はある。杭のように太い芯が。

 しかも鉄で出来ていてもおかしくはない屈強さだ。


 一体殿下は誰のことを話しているのだろうか。俺の思うクロエ嬢と合致しない。

 ああ、そうか。俺が聞き逃してしまっただけで、まったくの別人について話しているのかもしれない。


「申し訳ございません殿下。俺としたことがどなたについて話されているのか聞き逃してしまいました」


 だけど、殿下が口にしたのは紛うことなくクロエ嬢の名前だった。

 そうだ。忘れていた。


 ――殿下は女性の趣味が悪い。


 もしかしたら殿下には、気に入った相手がおかしく見える呪いでもかけられているのかもしれない。

 殿下の趣味については俺が口出しすることではないが、クロエ嬢が気に入られたのなら第二夫人に――いや、レティシア嬢とクロエ嬢では身分に差がありすぎるから、間に一人中位か下位の貴族を挟んで第三夫人に迎えるのが妥当だ。


 クロエ嬢が頷くかどうかはともかく、そういう手もあるはずだと話したが、殿下はそれ以上何も言わなかった。




 長期休みの間は鍛錬の日々だった。一度だけレティシア嬢に釘を刺しに行ったが、それ以外は父上や騎士団の下で鍛錬に明け暮れていた。

 クリスとの鍛錬も、殿下を見て心を痛めることもない平和な休みは瞬く間に過ぎ去り――頭と胸を痛める日々が戻ってきた。



 だがそれは、少し違った形でだった。

 最近の殿下はどうにも様子がおかしい。レティシア嬢と話そうともしない。

 それどころかレティシア嬢が近づけば逃げるほどだ。これが押して駄目なら引いてみろということなのか。

 しかしどうにもおかしい。魔法学において、殿下はクロエ嬢に話しかけていた。すぐに逃げられていたが、その様はまるでこれまでのレティシア嬢と殿下のようだった。


 一体殿下はどうしたのだろうか。レティシア嬢に贈り物をしろと助言したが、それが裏目に出てしまったのだろうか。


「レティシア嬢と何かあったのでしょうか」

「……いや……」


 これは間違いなく何かあった顔だ。殿下が何かしたのか、レティシア嬢が何かしたのか、どちらなのかはわからないが、間違いなく何かあった。


「殿下、俺はあなたの身だけでなく心をも支えるためにここにいます。悩むことがあるのでしたら、どうか俺に教えてください」


 言いよどむ殿下を宥めたり心配したり誠心誠意語ったりと、思いつく限りの方法で言葉を重ねる。

 これまで頭も胸も痛かったが、それでも殿下が笑っていたから見過ごしてきた。殿下がそれでいいのならと納得してきた。

 だが最近の殿下はどうにも幸せそうには見えない。殿下が健やかでいられるよう、不安材料を取り除くのが臣下であり騎士の役目だ。


「最近、レティシア見ていると……どうしても、怒りがこみあげてしまうんだ……」


 ――今頃?

 レティシア嬢が殿下に対して不遜で失礼で雑なことは、今にはじまったことではないというのに何を――

 いや、駄目だ。殿下に何を今さらとか思ってはいけない。切々と語る殿下は必死だ。しっかりと聞き、鎮めなくてはいけない。


「レティシアがそういう人だというのはわかっている。わかっているのに、彼女を見るとどうしようもない憤りをぶつけてしまいそうになる」


 殿下はこれまでレティシア嬢を諫めることもせず、ただ穏やかに見守っていた。一度ぐらい叱ったほうが彼女のためなのではないだろうか。

 いや、殿下がそれを望まないのだから俺が言うべきではない。


「どうして私は……」


 顔を覆い嘆く殿下に、俺は何も言えなかった。

 レティシア嬢の所業に耐え切れなくなった殿下にかけられる言葉など、持っていない。

 かといってレティシア嬢に何か言ったところで無駄だろう。歩み寄る意思があるのなら、もっと早くからどうにかなっていたはずだ。

 殿下の心の内をクリスに相談するわけにもいかず、今まで以上に頭と胸が痛んだ。

 

 

 どうしようもなく頭と胸を痛めていたある日、殿下が沈んだ顔をしていた。

 顔は青褪め、唇を震わせている姿に俺は慌てた。どうした、何があった、と臣下であることすら忘れて詰め寄った。


「――レティシアが私を見てくれたんだ……それなのに、私は……」


 それはずっと殿下が望んでいたことだった。

 天にも昇る気もちで浮かれていてもおかしくないというのに、まったく喜んでいない。

 それどころか今にも死にそうな顔をしている。


 もしかしたら殿下は――


 それは以前抱いて、振り払った考え。

 だが今度ばかりは振り払えなかった。

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