見参
それは、村の広場に降り立つと。
額の汗を拭い、髪を直し、スカートの裾をはたき。
にっこりと微笑んで、佇む。
だが、しん、と静まり返り、待てど暮らせど迎えに出る者はいない。
「ヌコさあん!いるんでしょう?」
竜型だと一層恐れられるので、わざわざ飛翔魔術を行使して森を抜けて来たというのに。
何という事でしょう、誰もいないわ。
煌華がキョロキョロと辺りを見回す。
その様子を、気配と姿を必死でかくしながら獣人達が遠巻きにしている。
一人の子どもが恐怖の余りちびって、泣いた。
聞きつけた煌華が、にこおっと微笑んだまま近づこうとするのを。
「ぬぬぬぬこさんて、だだだだれですか?」
その子の父親なのか、ぶるぶる震えながら一人の獣人が現れ、声をかけてきた。
「あら、初めまして。お邪魔いたします。ヌコさんは、猫耳でしゅるんとした尻尾の美味し、いえ、可愛らしい青年ですわ。こちらに人間どもと向かった筈なのですが?」
「お、おおおまちくださいいぃ」
即座に。
煌華の足元へズタボロのウィラードと瀕死のシロンとヌコが捧げられた。
「ヌコさん、御機嫌よう?あまり顔色がよろしくないわね。」
心配そうに煌華に言われて、我に返ったヌコが地にひれ伏す。
「シロン様を助けて下さい!お願いです!にゃんでもします!」
「嬢ちゃん、俺も。」
ウィラードが治癒の便乗を願いでる。
「なん、でも?」
煌華のキランキランの眼差しに気絶しそうになるのを耐えて、ヌコは頷く。
遠巻きの獣人達は彼の雄姿に感嘆している。
「お安い事ですわ。わたくし達、お友達ですもの。困っているヌコさんをお助けするのは当然です!」
言いながらも、何をヌコに命じようかしらと妄想に耽る煌華である。涎が止まらない。
「助けて下さるんですか?」
ヌコが自分から煌華の手を取る。
おおお!
獣人達に驚愕が走る。
「も、もちろんよ。ヒール!」
ヌコとウィラードは奇跡を待つ。
シロンは目覚めぬ。
ウィラードの傷もズキズキと痛むままだ。
「何よ。治ってるじゃない。」
文句ある?とばかりに煌華が指差してきた手首を見る。
鉄鎖で抉れたままの痛々しい傷跡をみて、ウィラードが無言で問う。どの辺が治っているのか?と。
「ここよ!」
つかつかと近寄り、ビシッと形の良い指で傷口を指す。
「ゔおぉ、」
結構な痩せ我慢をかなぐり捨てて、ウィラードさん、悶絶。
ヌコがその指差している傷を覗くと、ちんみりとかさぶたが出来ている。
これは、駄目だ。
「ウィラードさんはほっといていいですから、シロン様を目覚めさせて下さい!シロン様ならちゃんとしたヒールが使えます!」
「そうね。この虫け、いえ、人間はそういうの得意そうですもの。流石はヌコさん。起こせばいいのね?」
せーので、形の良い脚をすらりと回して、蹴った。
瀕死のシロンを慌てて庇い、蹴られたのはヌコである。
「にゃにをするんだ!バカ女。そのへっぽこヒールを、」
素でどなりかけ、相手が幻獣なのを思い出す。
「ヒールを沢山かけて下さいにゃ。」
「任せなさい!」
タメ口を叩かれた煌華は蕩然とした顔でへっぽこヒールをかけ続ける。
ああ、もう獣人さんてば、怒ってもなんて愛らしいのかしら、ふふふ。
間違いなく脳内で何か妖しい物質が分泌されている顔だ。
遠巻きの獣人達の間では、ヌコが勇者認定されている。
幻獣に、触ったぞ。凄え!
幻獣に、怒鳴ったぞ。凄え!
幻獣に、命じたぞ。まじ、凄えぇ!
そうこうしている間に、絆創膏魔法が効いたのかシロンがうっすら目を開ける。
「シロン様!聞こえますか?ヒールです、ヒール。」
「…どこ、怪我?…待って、いま、」
「俺じゃにゃい。シロン様、毒です。死にかけているんですよう。」
「毒?何の…確認して…治療、」
「回復魔法です!とにかく最大にかけて下さい!」
「まきしまむ、ヒール。」
ちょっと、やり過ぎたかもしれない。
すっきりした頭でシロンは反省する。
今世で初めて魔力切れを起こしてしまった。
発動の中心部にいたシロン達は、産まれたての赤児ごとくつやつやの柔肌だ。
ささくれ一つない。
側にいたウィラードも、当然傷跡も痛みも消えてほっとしている。
その顔ももちもちのぷるぷるになり、酷く似合わない。
うん、やり過ぎた。
獣人の村はおろか、魔の森の端の方まで魔術が行き渡ったようだ。
もっとも、距離に従ってその威力は衰退するので騒ぎになる事も無いだろう。
「良いわね、これ。」
何故か煌華が傍らに仁王立ちし、ニンマリしているのを除けば。
ウィラードが、代表して尋ねた。
「嬢ちゃん、何でここに居るんだ?」
と。




