話をすすめて
シロ通勤バスは今日もテンション高めで宰相家に乗り込む。
「さあ、リュヘルさん。お仕事の時間ですよ?」
就寝前には明日こそ逃げておこうと思うのに、今朝もリュヘルは布団をがばと剥がされて半分寝ぼけたまま連行される。
「まだ夜明けではないか。」
「冬場に夜明けだの日の入りだの言っていたらほとんど寝て過ごす事になりますよ?」
朝から実に爽やかに嫌味を言う青年は、ご丁寧にサーシャまで連れてきていた。
すっかり側に居着いたサーシャは甲斐甲斐しくぼうっとしたままのリュヘルの身支度を整えてゆく。
無理矢理覚醒させられたあとは半日不機嫌で、冷酷の名を欲しいままに恐れられるリュヘルである。
「少しは愛想良くなさったらいかがですか。今日は商会仕事ですよ?お客さんが衛兵呼びそうな凶相ではないですか。」
「ふん。ハルはどうした?」
「ハルは休みです。」
「風邪でもひいたか。ん、俺も少し喉が痛、」
「ヒール。」
ならば、仮病が使えるなと内心で思うもあっさり治癒魔術をかけられる。
「ハルは週休二日制です。今日明日は休み。」
「ずるい。」
「何言ってるんですか、彼はまだ子どもですよ?」
もっともな理由だが納得はいかない。
聡い子どもだったが為にサーリフの至宝などと随分幼い頃から休む間も無く働いてきたのだが。
リュヘルはため息をつく。
かつてエリム砦に独り乗り込んで来たのも子どもだったな。
得体の知れない子どもから、得体は大分知れてきたがミルガルム以上に人使いの荒い鬼畜に育った青年を恨めしげに睨む。
駄々をこねるようなやり取りの隙にサーシャによって寝間着から平服へ身繕いを整えられ、髪を梳かされ、熱く絞ったおしぼりで顔まで拭われる。
「ご準備出来たようですね。では、」
「お待ち下さいませ!まだご朝食も、」
問答無用でサーシャごと転移で拉致する。
「僕もまだ頂いておりませんよ。あれ?」
着いた先は短い滞在中シロが使っていた食客部屋であった。
足元が妙に柔らかい。
もそり、と何かが動いた。
「きゃっ」
と、サーシャが小さく悲鳴をあげると同時に外からバンっと扉が開いて抜き身の剣を下げた男が現れた。
「何者だ!」
「何なんだ?」
むくりとシロの下敷きになっていた男が首をもたげた。
「あ、失礼。」
うつ伏せに寝ていた背中を踏んづけていた事に気付いて慌てて降りる。
「まだ皆寝ているじゃないか。ベルド、剣を下げろ。」
「リュヘル卿!」
「何の騒ぎだっ、うわ!リュヘル?!」
「うぐっ、リュヘルさん?」
ベルドと遅れて駆けつけたウィラード、再度二人に踏まれたナーダルがまじまじとリュヘルを見た。
「おはようございます。皆さんお戻りだったのですね。」
「シロン様?!は、いや何がどうなっているのですか?」
「ウィラード?どうかしたのですか?」
応えようとした矢先、寝間着の美少女が廊下から覗きこんできた。
「わあ、もう浮気?大丈夫なの?それじゃあ僕は急ぐから。また夜に迎えに来ます。」
「ちょ、え?」
ウィラードが思わず伸ばした手をかいくぐりシロは消える。
「…どうでもいいけど、上から退いて下さいよ。」
ナーダルが枕に突っ伏して呻いた。
「何も一度に揃わなくても、小出しに戻って来てくれれば良いのに。」
「全くだ。しかもこんな日に限ってハルは休みか!」
留守を預かっていた炭とマルが揃い踏みした面々を前に頭を抱えた。
ウィラード、ナーダル、ベルド、カリオン、リュヘルと幻獣隊を率いる蓮を前に早くも疲労感たっぷりである。
「サーシャさん。リュヘル様、ぴんぴんしてるじゃないか。」
「ええと、あの、でも本当に酷いお傷だったのですよ。」
ここ数日、牢でいかにお世話が必要だったかと気の毒な有様を滔々と語られて、ハルまでサーシャに撫で撫でされながら昼寝してるよなどと報告してきたものだから、なんとはなしに弱ったリュヘルを想像していたマル達は相変わらずの不遜な態度で茶をすすっている当人をじろじろと眺めてため息をついた。
「俺が無事では不味いのか。」
「不味くは無いですけど、いえ、ご無事でなによりです。」
「無事はなによりだが、あんたのおかげでブライデルで大きな借りを作ってしまったぞ。商会を巻き込むなら事前に知らせくれ。この後はどういう展開になりそうなんだ?」
背中に煌華を貼り付けたままウィラードもリュヘルを問いただす。
「それより、その女は何者なんだ?」
「ああ、そうですよ。攫われたなんて、女遊びをしていたんですか?遊女、にしては地味だけど。」
「コレの事は気にするな。蓮の問うたのはウィラードの女の事だろう。」
「ちょっと、いきなり失礼な事を言わないで下さい。申し訳ありません、レギア様。あー、こちらはブライデルのお目付役で宮廷魔術師様だ。皆、粗相の無いようにな。」
「レギアと申します。不束者ですがよろしくお願いします。」
「本店仕事を押し付けて随分とお楽しみのようだな。」
はにかんで挨拶する少女を見てリュヘルが鼻を鳴らす。
「あんたにだけは言われたく無い。コーカ、首、首を絞めるな!」
「ああもうっ、話が進まないじゃないですか。モテの自慢話は後にして下さい!ルルリン達には幻獣が一匹ずつ張り付いて仕事にならないし、黒猫隊は身動きが取れなくて入荷も無ければ納品も滞りがちになってます。このままでは潰れますよ、この商会。どうするんですか?!」
ついにマルがキレた。
「そうですよ。俺たちは今まで裏方仕事だったのにいきなり帳場を押し付けられて。あんたが失踪してから客に怒鳴られ通しだ。」
炭も疲れ果てた顔で相槌を打つ。
おまけに連れてきた護衛要員の幻獣達も勝手気ままな振る舞いで、もちろん長老たる蓮も全くあてにはならない。
好き勝手に獣人娘達を護衛と称してストーカし、全ての苦情がマルと炭に上がってくる。
「そうか。それは苦労をかけたな。明日からは別の仕事を与えてやろう。」
薄ら笑いを交えてリュヘルが言う。
「ナーダル、ベルド、カリオン。お前達もここでは役不足だろう?」
名指しの三人が顔を見合わせる。
「何をさせる気です?」
話をすすめろとマルにつっつかれてナーダルが嫌そうに問う。
「たいした事じゃない。」
リュヘルの冷ややかな言葉にサーシャが無意識に寄り添う。
リュヘルもまたサーシャの腰を無意識に抱く。
「明日、ミルガルムがリデルを落とす。その下仕事だ。」
冷酷と渾名される男の女に縋るような思いがけぬ行動と、乱世の到来を告げる言葉に一同絶句、は、せずに一斉に語り出す。
「話が進まない…。」
マルと炭が遠い目をして茶をすすった。
下っ端の茶は出がらしで、しかもとおに冷め切っていた。
切ない。




