歓談
顔見知りから何が起きていたか聞き出していた矢先、名前を呼ばれてハルを振り返ると今度は何やらどなりながら走って行く。
先を見るとニンマリと笑みを浮かべたぼろぼろのなりの男が女性の腰に手を回して立っていた。
「あ、痛っ、」
べしゃっともろに顔面から転けたハルに代わり思わず言葉が出る。
男が一歩ハルに詰め寄り何やら説教を始めた様子で、なんだかなあとそのまま見守るうちにシロまで出てきて。
消えた。
「は?」
「消え、た?」
側にいた知人が見た事を反復する。
アルゴは本日何度目だか、ポカンと口を開けたままコクリと頷いた。
「消えた、な。」
というか、置いていかれた。
「はー?!消え、何、消えた??」
自分で呟いた言葉に自分で驚く。
どう歩いてきたのだか。
呆然としたまま屋敷に戻る。
兄になんと説明をしたものか。
頭痛が痛い。腹痛も痛い。きっと発熱で熱も上がっている。
布団に入って起きたら夢だった、って事にならないかな。
どんよりした気分で玄関をあけると賑やかな喧騒が聞こえてきた。
作法にうるさいじいやの小言を背に聴きながら廊下を駆け抜けてばんっと客間の扉を開く。
「おかえりー。案外早かったなー。」
だらんと床に寝転がっていたハルが片手を上げて挨拶してきた。
文句は山のようにあるが子ども姿のままぐったりされると体調の一つも気遣うのが大人というものだ。
「熱でもあるのか?」
額に伸ばした手首をはしっと握られる。
目眩がした。
いきなり目前から消えられた戸惑い、一言もなく置いていかれた怒り、聴こえた喧騒で覚えた安堵、床に倒れているハルを心配し、客人をもてなさない使用人達に苛立ち、勝手気ままに寛ぐ他の連中にまた怒りを覚え。
そんなもやもやした感情がふわりと消えた。
「うー、やっぱり美味くない。シロもアルゴもメンタル強すぎて不味い。ヒースは喰わせてくれないし。珍しく美味そうだった奴は先に喰われちゃったし。」
「ご馳走様でした。」
「やだ、太っちゃうー。」
双子と思しき美少年美少女がぽっと頬を染めた。
意味を知りたくなくて、くらっとした。
言葉通りに捉えるなら、どうやら精神を喰われたらしい。
ぼんやり残る感情の残滓が正解だと知らせる。
つくづく読解力の鋭い自分が恨めしい。
その双子に両脇から張り付かれている男、確かヒースだったか、が対面右にシロ、左に門から出てきた男女を前にくどくど何やら説教じみた事を言っている。
男は風呂を使ったのか洗い髪で、あろうことかアルゴの服を着替えに使っている。
じいやめ。
袖とズボンの丈が微妙に足りていないのが腹立たしい。
隣に座っている地味な女がさわさわと濡れ髪を撫でている。
アルゴの視線に気づいた男が女の手を止めた。
「お前は誰だ?」
「ぶはっ。」
足元で転がっているハルが無遠慮に吹き出した。
「それは俺の台詞だ。人の留守中に風呂まで使っといて、お前こそ何者だ?」
「失礼した、マルカス卿の弟君か。私は、」
そこで少し間をあけて、ふと笑った。
「…私は、ウィラード商会のリュヘルと申します。この度は商会の者達が世話をおかけしました。」
いきなり腰が低くなり、礼をしてくる。
アルゴは自分の頬が引きつっているのを感じた。
リュヘルって、ハル達が探していた鬼畜番頭だよな?
小領の人質として来て早々、嫌がらせをした貴族子弟達を全員返り討ちにして下僕に仕立てたっていうサーリフの至宝こと腹黒魔王だよな?
獣人を嬲り殺したりジャムス殿下を下っ端兵の如くこき使っていたというエリムの冷酷だよな?
なんでそんな奴を連れてくるんだ!
「あ、ああ。俺はアルゴという。この度は災難だったな。」
つん、と女がリュヘルの袖を引いて横に座らせてまた頭を撫でている。
「止めろと言っているだろう。」
「あ、申し訳ありません。」
とかボソボソ話している。
ヒースがアルゴにぺこりと会釈してから、再びくどくどと説教を始めた。
この泣き事と愚痴が大半の説教を聞いて状況を把握しろという事なのだろうか。
足元のハルはごろごろと寛ぎ中で説明する気は無し。
説教を神妙な顔で聞いている風のシロも今は無理と視線で訴えてくる。
ひっつき虫の双子と女は論外。
部屋の片隅でへたばっている獣人に目を向けるとしゅぱっと視線を逸らされた。
もう片方の隅で酒盛りしている剣士二人は混ざれとばかりに手招きしてくるが、逆に怖すぎて近寄りたくない。
誰かまともな奴は居ないのか。
アルゴは慌てて帰宅した自分を呪いながらハルの横に座りこんで、いつのまにか用意された茶を啜りつつ兄の早い帰宅を願った。
帰りたくない。
はあ、とため息をつくも馬車は無情にも館にたどり着き外から扉が開く。
ああ、着いてしまった。
「あの、レギア様?」
「どうぞレギアと呼び捨てて下さい。白服ではありますがウィラード様より若輩でございます。」
「では、遠慮なくレギアさんと呼ばせていただきます。私こそしがない商人ですので、どうぞ呼び捨てて下さい。」
「わかりました。それでは、ウィラード。降りないのですか?」
うぐ、と唾を飲み込む。
「おります。降りますとも。あの、レギアさん?」
「何でしょうか?ウィラード。」
くう。呼び捨てなど申し出るのではなかった。
これでは随分と、親しげだ。
「治癒魔法は、お得意ですか?」
「治癒、ですか?嗜みはしますが、あまり得意では…。どこか具合が悪いのですか?」
「はあ。いえ、これから悪くなるのかなあ、と。」
仕方なく馬車を降りると、丁度、館の玄関も開いて煌華が飛び出してきた。
「お帰りなさい大丈夫だった誰こいつ?」
デスヨネ。
ウィラードに抱きついてから背後に続くレギアを見て機嫌があからさまに急降下した。
返答によっては命に関わるなあ、と一拍置いてしまったのが敗因。
「ウィラード、この方はどなたですか?」
煌華の剣幕がよほど怖かったのか、そっと背に縋ってレギアが尋ねた。
「フレアバースもが。」
問答無用で攻撃呪文を唱えはじめた煌華の口を慌てて塞ぐ。
美少女をお持ち帰りして、肋の一、二本が折れる程度のお仕置きは覚悟したが玄関先が溶岩地帯になるのは流石に困る。
「レギア様、これは私の嫁です。嫁のコーカです。お前、心配かけたね、ただいま。コーカ、こちらはレギア様。クラウゼ様の部下で宮廷魔導師様だ。お前と二人でイズールに戻るお許しが出てな。その目付にご足労頂いたのだよ。コーカ、レギア様にご挨拶を。レギア様のおかげで二人きりで旅が出来るんだ。な?」
「ウィラード、私の事、馬鹿だと思ってんの?この女と三人旅じゃない。」
「レギア様は目付だ。旅は、二人。監視が一人。」
必死に取り繕う。
「あの?レギアと呼び捨て下さい?」
あ、死んだ、と、思った。




