2.お金はなくとも飼い猫自慢
朝、目が覚めたミケは寝ぼけた様子で、彼の頭の横を何かを撫でるように手を動かしていた。
「あれ、ニケ……」
そこに飼い猫がいないことを確認すると、彼はのっそりと体を起こした。
目をこすり、深呼吸をすると意識がはっきりしてくる。
「なんだここ?確かベトナム行きの飛行機乗ってて、それで……」
見慣れない部屋。
澄んだ空気。
うっすらと差し込む朝日。
「……思い出した」
ここは異世界。
今、俺がいるのはメイという少女の家で、元の世界に戻るにはダンジョンをクリアしなければならないらしい。
(いつっ……)
システムエンジニアという仕事柄慣れているとはいえ、やはり床で寝ると体の節々が痛い。
まあ、オフィスと違って痒くならないだけマシか。
頭を掻きながらあたりを見渡すと、丁度着替えていたのか、ベットの上で服を着替えているメイと目が合った。
グットタイミングというべきか、バットタイミングというべきか――丁度彼女は下着姿だった。
……気まずい沈黙。
何となく何か話さないといけない気がして、話しかける。
「おはよう、今日は寝込みを襲わないのか?」
「ばっ、なっ……!? いつまでこっちみてんのよ馬鹿っ! 死ね!」
彼女は言葉にならない声を上げつつ服で体を隠すと、手当たり次第に近くのものを投げつけてきた。
ぼふっと音を立てて、外れた枕が床に落ちる。
水の入ったコップ、食べかけのパン、髪留め、下着……。
ほとんどがミケには当たらず、あるいは届かずに床に落ちる。
彼は気まずげな表情でそれを眺めていたが、ふとその表情が引きつった。
「待て、サボテンはヤバイ」
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「……もういいわよ」
後ろからかけられた声に振り向くと、彼女は昨日と同じ格好――アオザイを着てベットに腰掛けていた。
頭に刺さったサボテンの棘を一本一本抜いていると、メイが不機嫌そうな声で話しかけてくる。
「で、昨日泊まる代わりにお金を払うっていってたと思うけど、あんた、お金あるの?」
「金ならある。日本円だけどな」
ミケは財布から一万円札を取り出すと、彼女に手渡した。
彼女はしげしげと一万円札を眺めていたが、やがて落胆したようにそれを投げ捨てた。
「やっぱり。こんなことだと思ったわ」
「おま、天下の一万円をそんな雑に……!?」
慌てて落ちた一万円札を拾うミケ。
少女はそんな彼を見て、哀れむように言った。
「一万円だかなんだか知らないけど、ここじゃそんなもの使えないわよ」
「なん……だと!?」
いや、わかってはいたけど。
同じ世界、同じ時代でも両替しないと他の国じゃ使えないし。
「しかし、そうなると……どうしたもんかな」
言ってポケットをまさぐるミケ。
結婚してないから指輪もしてないし、ピアスやアクセサリーをつける趣味もない。
そもそも金欠な生活を送っていたので金目のものなど身に着けていなかった。
「そういやお前、昨日の夜、俺のズボン漁ってたよな」
「介抱ね」
こだわりがあるのか、すぐに言い返してくるメイ。
「そうそう、介抱な。んで、もしかして、異世界のものって高く売れるのか?」
「そうね、異世界から来たものは異世界のモノっていわれてて、物によっては一生遊んで暮らせるくらいにはなるわね。まあ、そこまで高値で売れるのは滅茶苦茶強い武器とかくらいだけど」
言われて、持ち物を机の上に広げるミケ。
スーツのジャケットの中身を一個ずつ出していく。
ポケットティッシュ、手回し充電器に充電用のコード……。
「あんまりたいしたものは入ってないな」
呟くミケ。
そんな彼の後ろから、メイが興味津々の様子で後ろから覗いてくる。
「後はズボンのポケットの中身くらいか」
財布、音楽プレイヤーとイヤホン、スマートフォン。
うん、武器でもないし、強くもない。
売れそうなのは音楽プレイヤーとスマートフォンくらいしかないな。
「そういや昨日、これを持っていこうとしてたけど、使い方とか分かるのか?」
こっちの世界にも同じようなものがあるのであれば、そもそも売れないのではないか。
何となく元の世界の方が文明が進んでいると思い込んでいたが、実際は逆なのではないか。
不安に表情を曇らせるミケに、メイが答えた。
「分からないけど、なんか見た目綺麗だし。高く売れるかなーって」
介抱していたという設定はどこへいった。
確かに音楽プレイヤーは表面はガラス張りの液晶で、裏面は金色のカラーリング、ぱっと見た感じ高級感がある。
恐るべしリンゴ社、デザインは世界共通とCMでいっていたが、異世界でも全然通じている。
「これは音楽を聴くことができるんだよ」
イヤホンを音楽プレイヤーに刺し、電源を入れると、適当に曲を選び、再生する。
アニメのサントラなどを借りてきても、聞きたいのはその中の1曲だけだったりするので、普段聞いている曲数に対して入っている曲数は無駄に多くなっていた。
イヤホンの片方を少女に渡し、片方を自分の耳に入れる。
「これを耳に入れてみ。」
「……。」
メイは意外にも、曲を聞き入っているようだった。
――と、曲が終わる。
「どうよ?」
「あ、うん。いいんじゃない? あと、そっちの箱は?」
言うと彼女はスマートフォンを手に取ろうとする。
ミケはその手を軽く叩きながら呟いた。
「これは電話……っていっても分からないか。」
電源を付けてみるが、やはり、電波は圏外のままだった。
オフラインで使える機能っていうと、カメラと録音機能、メモ機能くらいか……?
「本来は遠いところに住んでいる人たちとこれで会話ができるんだけどな。さすがに異世界では使えないみたいだ」
「そう……。残念ね」
「でもまあ、カメラや録音は生きてるから」
彼はそう言うとカメラを起動した。
そのままスマートフォンを構えると、少女の方へ向けて言った。
「はい、チーズ!」
「?」
意味が分からなかったのか、頭に?マークを浮かべているメイ。
パシャッ!!
シャッターを切ると、撮影したことを知らせる音が鳴る。
撮影された写真には、きょとんとしている彼女が写っていた。
「ほら、こんな感じ」
「へー! これは結構高く売れそうね! ね、これ頂戴?」
さらっと上目遣いでねだるメイ。
「いや、頂戴ってダメに決まってるだろ。そもそもお金にするために売るっていう話をしてたわけだし、あげてどーする」
「ケチ」
言いつつも、あまり期待していなかったのか彼女はすぐに話題を変えてくる。
「そういえば元の世界の風景とかもあるの?」
「ああ、あるにはあるけど……」
スマートフォンを操作し、写真フォルダを開いてみる。
「ちょっと見せてよ」
「おう、っても風景とかはあんまりなくて、ほとんど俺の飼い猫の写真だけどな」
そこに移っているのは白地に黒、茶の3色、いわゆるキジシロと呼ばれる柄の猫だった。
ちなみに2歳のオスである。
「へー、あんたに似ず可愛いじゃない」
「まあな、可愛いだろ。ちなみに名前はニケだ。」
「なにか由来とかあるの?」
「俺がいた世界の神話に、ニケっていう勝利の女神がいるんだよ。それにあやかってな」
「ふーん……」
というのは建前で、実際は毛の色が二種類だからニケ。
拾ったときは白い毛と茶色い毛が汚れのせいでグレーにみえており、黒とグレーの2色だと思ってつけた名前だった。
……このことは誰にも言っていない秘密である。
そんなことを思いながら写真をスライドさせていく。
時々風景などが混ざるが、ほとんどは飼い猫を含む猫の写真だった。
「これは俺の枕の横で寝ている写真だな。ちなみに猫っていうのは寝る位置によって信頼度が分かるんだよ。顔に近いほうが信頼度が高くて、顔から遠いと信頼度が低い。そこからいくと、俺はすこぶる信頼されているっていうわけだ」
写真を見せながら解説を始めるミケ。
「これはカーテンの裏に隠れていて尻尾だけ出ている写真だな。これは――」
最初は可愛いといって楽しげに見ていたメイだったが、終わる気配のない解説に段々と話を振ったことを後悔し始めているようだった。
「ねえ、これ後どれくらいあるの?」
「ああ、大丈夫だ」
引きつった顔で聞く彼女に、ミケは安心させるように優しく笑うとこう言った。
「まだ200枚しか見てないからな、あと800枚はあるぞ」
取った写真自体はもっと沢山あるが、容量が足りずにパソコンに移してある。
パソコンがここにないのが残念だった。
――結局、ミケの飼い猫自慢はメイの空腹の腹の音によって中断されるまで続いたのだった。