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猫探し (3)

 カロルと別れたミリアは一先ずコルヴィムの店へと向かった。

 店は小さなスイングドアの上下から明かりを漏らして地面を照らし、まだ営業中なのだと主張していた。ただし周囲の広場も含めて辺りはしんと静まり返っていて、入っている客が少ないことも匂わせていた。

 ミリアは入口の前に立つとドアに捕まりながらつま先立ち。上から店内を覗くと、まぶしいオレンジ色の光の中にもはや見慣れた大きさの店主と知らない男が一人が居た。

 ……コルヴィムと、誰?

 よく見れば彼はカロルと同じ年の頃の青年だった。全身を土で茶色に汚し、店の壁に寄りかかって何故かうなされている。そんな彼をミリアはぱちくりと不思議そうな目で見ながらドアを押し開ける。蝶番の軋む音が響いてカウンターで鼻歌を歌っていたコルヴィムはミリアの存在に気付いた。

「うん?」

「ただいま!」

「おお、お帰りおけえり。確かぁ……ミリアちゃん、だったか」

「あ。名前、憶えてくれたんだ」

「はっは。こういう仕事してると癖に──って、ひっでえ恰好じゃねえか」

 顔を上げてコルヴィムはようやく異常事態に気付いた。仰天する彼が見つめる先、ミリアは体中を埃や煤にまみれにしていたのだ。白かったワンピースは全体的に灰色に薄汚れてしまい、髪は元の明るい輝きを失ってくすんだ色に変わっていた。

「うう……頑張って、きれいにしてきたんですけど……」

 痛い所を指摘されて申し訳なさそうに俯き呟いた。

「ちょいと待ってろ」と言うと、コルヴィムは頭を掻きながら店の奥へと一旦引っ込んだ。しばらくして、戻ってきた彼の手には水で濡らしたタオル。そしてミリアに迫ると有無を言わさず彼女の顔に覆い被せた。

「むぐぅ?!」

 混乱してじたばたする彼女を無視して、自慢の剛腕で強制的に顔の汚れをふき取って見せる。

「っぷはあ」

 続けて髪、手足へと取り掛かり、

「気持ち悪いのも、ちったあマシになったろ。今夜は体も服もしっかり洗わねえとな」

「えへへ、ありがとう!」

 そういえば、とコルヴィムは誰もいない入口の向こうを見つめた。

「カロルのやつはどうしたんだ?」

「よくわかんないけど、『野暮用』なんだって」

「野暮用だあ?」

 コルヴィムは素っ頓狂な声で聞き返した。するとミリアは躊躇なく頷く。

「うん、そう言ってたよ」

 それでもコルヴィムはミリアの言う彼の言葉を訝しみながら、そっとお茶を一杯出した。

「こんな夜更けにねえ……。はいよ、常連さんにはサービスだ」

「わっ、ありがとう!」

 カップからは湯気が立ち上り、甘い香りが少女の鼻を刺激する。我慢できずに手に取ると、コルヴィムが呟く悪態がミリアの耳に入る。

「──ったく、あの野郎……。こんな小さい子供を夜道にほっぽりだして、一体どんな用事だってんだ」

 彼の反応に手を止めて首を傾げた。

「どうした、違わないだろう?」

「なんていうか──」

 ミリアは眉間にしわを寄せてうんうんと頭を悩ませた。しばらくそうしても結局答えが見つからず、八つ当たりするようにカップの中身を飲み込んだ。その味と温もりにほうっと吐息をこぼした。

 やがてカップの中を見つめながらミリアはぽつりぽつりと話し始めた。

「うまく言えないけど……カロルはわたしと違って、ちゃんと考えてるから。わたしには分からないけど、きっとね、その『野暮用』が、カロルにとってすっごく大切で……だからわたしは何も聞かないの」

 コルヴィムは彼女の言葉に何も言わずただ微笑した。

 ……嬢ちゃんはカロルを相当信頼してるんだな。てんで愛嬌がなくて、人とまともに話そうともしねえあの野郎を。ッハ、あいつなんかには勿体ない、いい仲間じゃあねえか。

 いつもなら豪快に笑い飛ばしてくれるはずの彼の反応があまりにも予想外でミリアは戸惑ってしまった。変なことでも口走ってしまったのかと顔を赤くしながら、

「な、なに……?」

「いや、何でもないさ」

 その初々しい反応に含み笑いをするコルヴィム。

「ところで嬢ちゃん。実はなんか用があって来たんじゃあねえのか」

「あっ……」

 反射的にポケットの中に手を伸ばした。すると円形の冷たい金属が手に触れてチャリッと音を立て、ようやくカロルに頼まれていたことを思い出した。コルヴィムに話の主導権を握られている内に、ミリアはすっかり重要な事を忘れてしまっていたことに気付くのだ。

「何でも言ってみな。喉が渇いたならミルクを振る舞おう。腹が減ったならシェフが腕によりをかけて作ろう。常連の客にはとっておきのハーブティー。さあ、何がいい?」

 ミリアは咄嗟に頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。

「じゃあ宿屋!」

「宿屋だあ?」

 コルヴィムは思わずオウム返しした。てっきり飯を食べに来たものだと思っていたコルヴィムは想像もしなかった返事に目をぱちくりさせ、次の瞬間笑い声を爆発させた。静かな街にまで響く豪快な声に、カウンター越しのミリアはわっと飛び跳ね、隅で寝ていた青年もまたなんだなんだと飛び起きた。

「それならぴったりの人材がいるわい──ジーマ」

「びっくりした……何だ、コル爺かよ」

 青年、ジーマはコルヴィムの声だと気付くと間抜けな顔で欠伸をしだす。

「てめえの所の客だバカタレ! 明日からのしごきを倍にされたくなけりゃあ、さっさとこの嬢ちゃんを手前んとこに連れていきな」

「はあっ? なんだそりゃあ!」

「ごたこた抜かすな! いいか、うちの上客だ。失礼すんじゃねえぞ」

 文句を付けさせない横暴な注文。憤慨したジーマは怒りに任せて立ち上がった。

「倍、だと……くっ!」

 だが身に受けた仕打ちが脳裏に蘇って思いとどまった。大人しく言われた通り、状況が呑み込めていないミリアを連れてジーマは酒場を後にするのだった。


          ◆


 闇の中、カロルは一振りの剣で薙ぐ。

 血濡れの剣先が夜空から降り注ぐわずかな光を反射して一本の筋を宙に浮かべた。それは薙ぐという言葉通り、まるで畑に生えた身の丈ほどの雑草を鎌で薙ぐような気軽さで青年は愛刀の切れ味を振るっていた。数秒後、泥の上に砂袋を落とした時に似た重量感と水っぽい音が静かな森の中に響いた。

 彼に切り伏せられたのは人の形をしていて、しかし人ではない何か。肉塊となったそれをぐじゅっと踏みつぶし、悠然と茂みを進む彼を食らおうと取り囲む新たな二つの影。それもまた同じく人ではなかった。

 暗闇にぼんやりと浮かぶ二つの種のシルエットに大きな違いはない。だがその姿には決定的な差が二つある。一つ目は人ではありえない全身を覆う灰褐色の毛皮、二つ目は前に突き出るように発達した両顎だ。人類はそんな人と狼が入り混じった姿をした魔物(あるいは魔獣)を人狼ワーウルフと呼んでいた。

 二体の人狼は取り囲みじりじりと距離を詰めながら、人間の男に踏みにじられた血塗れの同族を見た。切り離された両手首と上半身と下半身。頭上に浮かぶ白銀に輝く星を思わせる美しかった毛並みは今は無残にも己の血と戦士の靴の泥で赤黒く汚されている。彼らにとってその体毛は種族の誇りといっても過言でない。その憐れな姿は自らの誇りも傷つけられたかのように錯覚させた。

 人狼は揃って低い唸り声をあげた。横に裂けた口を開け、他の種を食らうために尖らせた歯を見せつける。両目は視線で刺し殺しかねないほど鋭くカロルを睨み付けた。

 殺せ。

 噛み殺せ。

 一片も残さず食らい尽くせ。

 カロルには彼らが口にする言葉の意味は分からない。ただ二体の全身から漂わせた血生臭い殺意が、そう言っているようにカロルに思わせた。

「そうか」

 興奮する彼らとは裏腹にカロルは淡々と距離を一歩縮める。応じて人狼は態勢を変えた。姿勢を低く、足は片方を半歩前へ、左右に両腕を広げた。獲物が自分の射程キルゾーンに近づき、いつでも攻撃ができる戦闘態勢に入ったのだ。

「勇猛だ。防ぐ振り(・・)もなしか」

 人狼の主な攻撃は人間とは比較にならない強靭な肉体と爪による格闘戦と、強靭な顎で獲物の骨ごと噛みちぎる捕食攻撃だ。曰くただの人間が挑めば頑強な体に攻撃が通らず人狼の攻撃に反応できず、最後には生きたまま全身を嚙み千切られるのだと。

 だがカロルは二体の構えと足元の同族の切断された両腕を観察したのを見て、捨て身の突進による捕食攻撃をしようとしているのだと予測した。既に一体を苦も無く切り伏せていた彼にとってもその強硬手段は厄介だと言わざるを得ない。それを、

「「ヴォオオオオ────……」」

 一閃。

 カロルが出した答えは簡潔明瞭、人狼が動くよりも先に反応できない速度で切り捨てるだけの事。たった

一歩で横並びの二体の間へと飛び込みがら空きの懐を同時に一刀両断。そのまま人狼は痛みに苦しむ事も驚き目を剝く暇もなく地面に崩れ落ちた。

 今にも唸り声が聞こえそうな二体の顔。酔狂な富豪が見れば剥製に欲しがりそうだと思い一つくらい持ち帰るかと一考する余裕すら彼にはまだあった。

 否、カロルはこの状況を楽しんでさえいた。

「丁度退屈してたんだ。ついでだ、鈍った勘を取り戻すために死んでくれ」

 そう言って魔獣以上に獰猛な肉食獣のような笑みで唇を歪ませ、森の奥深くへと潜って行った。


          ◆


 異臭だ。

 高貴なる同族の血が無駄に流れた嫌な臭いだ、と彼は顔をしかめた。

 森の最奥、大木の枝の上。人狼のリーダー、ドゥクスは銀の体毛を風に揺らしながら戦況を嗅ぎ取る。ほんの少し前までは土と草木の匂いに満ちた静かな森が人間の来訪で一転して異様な空気に包まれている事にドゥクスは屈辱を感じていた。ギシ、と奥歯が軋む。

 ……小賢しい。手傷を負うだけなら今までにも何度かあったが……ここまでの被害は聞いた事がない。

『どれだけ人間が賢くても、圧倒的な力を持つ我ら人狼に敵う訳がない』

 ドゥクスを含め全人狼はそう信じて止まなかった。事実この地に一族が来てから今日まで、戦いで倒れた仲間は一人もいなかったという。だがその常識は風で運ばれた臭気によって粉々に砕かれることになった。仲間の死はドゥクスだけでなく一帯に住む全人狼に伝わり、誰もが我を失った。

 彼をよく知る者は知人の死に悲しんだ。ある人狼は信じられない話だと呆然とした。ある若い戦士は怒りに身を任せて臭いの根源へ一目散に突き進んだ。

 ドゥクス自身もその悲報を知った時、突如眩暈に襲われて立っていることすら覚束ない程動揺していた。ありえないと困惑し、吐き気を催し、胸を刺す悲しみに涙が溢れ出た。それでも自分がおさなのだと。同じ苦しみを持つ仲間を救うのだという責任感が彼を奮い立たせ、森中に響き渡る声量で吠えさせた。

 急ぎ戦える仲間を集め、指示を出し、ようやく今になって落ち着いた次第だ。

「長」

 下から短い声。ドゥクスがチラリと見ると一段低い枝に見知った顔の人狼が居た。

「おお、戻ったか。して、敵情は?」

「いえ、それが……」

 斥候から戻った人狼は渋い表情で言い淀んだ。

「どうした、お前らしくない。戦いの最中だ、時間が惜しい。お前が見た物をありのまま教えてくれ」

「はっ、敵兵は剣士が一人。……以上であります」

「……何かの間違いではないのか?」

 ドゥクスは想定外の答えに反射的に聞き返した。

「いえ……正直この目で見た自分も信じられませんが」

「探しなおしたか?」

「既に済んでおります。再度全てを嗅ぎ分けて確認しましたが、侵入者は剣士が一人と、あとは迷い込んだ子供が一人居るくらいでして……」

 子供、と聞いてドゥクスは心臓が跳ね上がったのを感じた。口内にじわじわと染み出る生唾をゴクリと飲み込む。

「それで?」

「はい、こちらは剣士とは異なる場所、町に近い位置で確認。武器も持たず血の臭いありませんので、単なる迷い子かと」

 そうか、と呟いて空気を吸いなおして平静を取り戻す。

「ならば作戦に変更なし。このまま彼奴を取り囲んで数の利で押し潰してしまえと部隊長へ伝えてくれ」

「はっ、子供のほうはいかに」

「控えている別動隊に捕まえさせろ。つまみ食いはするな、と念押ししてな」

「了解」

 そう言って人狼は地面に飛び降りて四本歩行で駆け出した。ドゥクスはそれを見送ってから一人呟いた。

「そうか。子供か。……久々の馳走だな」

 あまりの嬉しさに思わず笑みが零れた。横に裂けた口の歯を剝き出しにして低い笑い声を漏らす。

 人狼にとって人間の子供というのは貴重な嗜好品だ。例え狩りをしに町へ出向いても子供は民家の中に隠され、表に出てくるのは大抵肉の硬い大人の男ばかり。深追いをすれば彼奴等の姑息な罠。知恵で作られた武器による反撃は人狼の屈強な体をしても痛手を負った。それらを覚悟して強引に蹴散らして侵入しても家には誰もいないなんて事が常。

 ……大人の肉は正直言って旨くはない。力をつけるために食ってはいるが、背中の毛が逆立つような嫌な風味があるのだ。それに比べて子供の肉は格別だ。臭みがなく、柔らかく、甘い。何よりもあの恐怖に染まった顔が──

「──素晴らしい! ……おっと」

 ドゥクスは甘美な味を思い出して恍惚としていると未だ戦闘中であることに気付いて口を押えた。

「いかんいかん。まだ終わってないのだ。気を引き締めねば……」

 そう言いつつも部下が縛り上げて持ち帰る新鮮な御馳走が楽しみで楽しみで集中できないドゥクスだった。


          ◆


 一人、茂みから掴みかからんと現れた人狼の胸を直剣で一突き。

 二人、上から飛び掛かる人狼を頭から尾まで二枚におろし。

 三人、背中を切り裂かんとする人狼の腕ごと一振りで首を落とす。

 四人、挟撃を企む片割れを上段から切り捨て、返す刀で背後から迫る五人目を切り上げた。

 木々の開けた場所に集まった血気盛んな人狼は瞬く間に肉塊へと変貌を遂げた、たった一人の男の手によって。死体からは赤い血が飛沫となって勢いよく飛び出て周囲の草木を血生臭い色に染め上げる。

 カロルは一先ず近くに魔獣がいない事を五感で確認して、袖で顔に跳ねた血と汗をぬぐった。既に彼が身に着ける服の大部分が赤黒く染まっていたが、戦闘中に目に入るよりかはマシだろうとの判断だ。ついでにこちらも気休め程度にと剣が浴びた血を振り払って草むらに赤線を足す。

「大分調子が戻ってきたな」

 町の人間が見れば卒倒するか逃げ出すだろう異様な光景の中で涼しげな表情で言い放つと、カロルは森の奥を目指して獣道に入った。軽快に魔獣を倒しておきながらも驕って警戒を怠ることはなく、直剣を担いで歩き続けた。

 しばらくしてカロルは唐突に道の途中で立ち止まった。

 ……何かがいる。

 小さな異変を察知して聞き耳を立てていると奇妙な物音を捉えた。草木のざわめきや小動物の鳴き声に混じって鳴り続ける、バサバサと激しく葉が揺れる音だ。そして徐々に近づいてくるそれに合わせて早鐘のような足音も地面から響いてきていた。それはまるで低木を蹴散らしながら突き進む大型動物の様。

 真っ直ぐ自分へと向かってくる物音にカロルはただ無言で剣を構えた次の瞬間。

「ヴゥッ!?」

「ヴァウ!」

 茂みを払いのける獣の腕、続いて現れたのは二体の人狼だった。二体はカロルを視認した瞬間に足を止めて身構えた。その内一体は首だけ後ろを振り返って一声吠えた。それから顔を獲物に戻すとカロルの横か背後を取ろうとしているのかじりじりとすり足で移動し始める。カロルが一睨みしてけん制すると慎重なのか足を止めた。

 恐らくは後ろに居る仲間となんとかして取り囲みたいのだろうとカロルは思考するが、それ以前に不可解な点が引っ掛かっていた。

 ……なぜ攻撃してこなかった? いやそんな事を気にしている暇は──

「──ないっ」

 先制、カロルは直剣を両手で大振りさせながら一体の人狼へと突撃を敢行した。

 狙われた人狼は落ち着いていた。人間の動きを見てから両掌で受け止めようと構え、もう一体へと頷く。合図を受け取った人狼は仲間を囮に横から飛び掛かった。両腕を広げて腕と体を掴んで噛み千切ろうと襲い掛かる。だがそれでもカロルは構わず振り切った。

 暗がりに浮かぶ一閃は、しかし意外なことに二体の想像を裏切って空を切った。だが無様に空振って隙だらけなことには代わりはないと突進する人狼は振りかぶった。右腕で頭を、左腕で肩を。逃げられないように爪を深く突き刺してから頂こうと。けれどもそれは叶わなかった。人狼は地面を踏み抜く感覚を失って一瞬何事かと戸惑っていると獲物を捉えていたはずの視界が突然空を見上げていた。

 囮を使っていたのは何も人狼だけではなかった。カロルは自らの身を守る唯一の武器を極上の囮として使い、剣を振り切った反動で体を左へ捻って右脚を蹴りだしていた。そしてそれは見事に人狼の左脚をすくいあげて転倒させる事に成功した。

 突然の事態に二体は沈黙。地面で仰向けに倒れた一体は何故自分は倒れているのだと呆然自失し、両手を頭上に掲げていた一体は唖然として仲間の様子をただ見ていた。だが彼もはっと気付くのだ。まだ戦闘は終わっていないという事に。

「おせえよ」

 人狼は首を前に向けた瞬間、激痛とともに自らの体から赤い鮮血が弾けたのを目撃した。

「ヴゥ……、ィ、ガ──……」

 その血飛沫の向こうで剣を振り切る獣の如く鋭き眼光の剣士を見つめながらうめき声を上げてその場で崩れ落ちる。

 さてとと呟いてカロルは自分を見上げる一体へと一歩を踏み出した。剣先から血を滴らせながら得物を標的へと向けて歩み寄る。しかしそれを邪魔するように茂みから微かな枝葉の動き。

 仲間からの合図がないことにようやく違和感を覚えて様子を見に来たのか、あるいは血の匂いから仲間の死を察して慎重に動いているのか。経験と直感から敵襲と判断してカロルは闇夜に紛れるように跳躍した。

 しばらくして、一難去った人狼は慎重に起き上がる。挙動不審気味に周囲を警戒していると二体の人狼が駆け寄った。憔悴した様子の仲間と切り裂かれて亡き者になった戦士を目の当たりにして人間への怒りをあらわに肩を震わした。口から抑えきれない感情が唸り声となって漏れ出し、やがて空に向かって声高に吐き出す。だがそれは一瞬にして静まる事になる。

「ヴァオオオオオオオオ────……」

 一太刀。人狼は鼻先から胴体を真っ二つに分断される。木の中に隠れていたカロルが飛び降りると同時に剣を振り下ろしていたのだ。視覚の外からの奇襲によりカロルは難なく一体を倒すことに成功する。

 だが周囲の人狼の行動は早かった。特に仲間への復讐心で興奮状態にあった一体は、目の前で更に仲間の命を断たれたことで頭に血が上り即座に反撃を開始する。人狼は相手が剣を構える前に距離を詰め、爪を立てた両手を交互に振りかぶる。息をつく暇も与えない猛攻にカロルは手が出ず咄嗟に回避に専念した。人狼の理性よりも感情が上回った事が功を奏していた。下手な策を弄さずに単純に人間よりも上回る身体能力で彼を追い詰めていた。

 避け損なえば胸が削げ落ちるであろう四本貫手を間一髪でかわす。カロルは内心で舌打ち。これまで魔獣を切り伏せてきた自分の剣術を以ってしても人狼に対して後手になったこの状況を打開するのは難しい。否、不可能だろうと。そう彼が考える程に人狼と人間の力の差は大きい。故に彼が持つ手段はただ一つしかなく、それは相手が痺れを切らすか隙を見せるまでただひたすらに避け続けるという圧倒的に不利な持久戦を続ける事だった。

 ……これで精一杯だ。一つ救いがあるとすれば、こいつがフェイントも何もしてこないおかげで狙いが分かるくらいだが……これがいつまで持つか。

 彼は一人だ。戦える仲間は他に居らず、誰にも告げずに単独で魔獣の住む森に突入した。助けが来るなんてことは万に一つもないだろう。そのため彼は理解する、剣士として絶対に納得できない苦渋の結果を。

 俺もここまでか、と。カロルは苦虫を噛み潰したような表情で思う。

 と、死期を悟って気が緩んだせいか、あるいは長く緊張を強いられていた所為か。かくりと彼の左足が弛緩して体が左へと傾いた。そして狙いすました様に振りかぶられる人狼の右腕。その指先と目が合い、一秒後には神速で放たれた右手に顔が貫かれる事をカロルは予感した。

 反射的にカロルは直剣を強く握りしめて持ち上げた。瞬間、鈍い金属音が響く。人狼の貫手は間一髪、カロルの目と鼻の先で止まっていた。剣を構えることは叶わなかったカロルだが柄を持ち上げて引き寄せ、咄嗟に盾にして防ぐ事に成功していた。

 それでも敵の猛攻は止まらない。既に左腕を振り上げ、次の攻撃の準備を終えていた。それならこちらは態勢を整えてもう一度受けるだけ。否、受ける以外に打つ手はない。そう考えるカロルだったが、だがしかし彼は立ち上がることができずにその場で膝をついてしまった。回避も受け流すこともなくただ攻撃を正面から受け止めたがために衝撃で体が硬直してしまったのだ。

 剣が折れなかったのは不幸中の幸いだった。けれど魔獣相手に立たずして戦うなんて曲芸は言語道断、まともな神経ではない。例え剣で防ぐ事が出来たとしても、このままでは自分はなぶり殺しに合うだけだろう。カロルが諦めかけていたその時、

「つかまえたっ──!」

 どこからか場違いな少女の声が聞こえた。

 茂みの中だ。声の主は土と落ち葉まみれになりながら茂みを突き抜けて彼らの横に現れると、真っ直ぐに人狼へと突撃した。

「……わぷっ」

 緑に覆われた天然の迷路を我武者羅に走っていたのだろう。突如目の前に出現した凶暴な壁に気付けずに敢え無く追突する。謎の闖入者に人狼は、何事かと獲物から視線を逸らした。その隙を、彼は見逃さない。

 ……来た──。

 自分の顔面を狙って打ち込まれる巨大な弾丸が如き貫手を、カロルは剣を縦に起こし刀身で受け流した。鋭い爪と刃がお互いを削り合って甲高い音を鳴らす。そして同時にカロルは気合で左脚を持ち上げ、剣先を標的の顔へと向ける。咆哮を上げて、渾身の刺突を人狼に食らわせた。剣は面食らった表情の眉間から突き刺さり頭蓋骨を貫通、一瞬にして彼を死に至らしめた。


          ◆


 カロルは肩で息をしながら地面に膝をついた。彼の顔には疲労の色が濃い。その視線の先では人狼が大の字で空を仰ぐ、頭に直剣を墓標のように突き立てられて。

 直前まで命をやり取りしていた魔獣を見ながら彼は片腕で力強く少女、ミリアを体に引き寄せた。その腕には単純に支えるための力だけではなく感謝の念が紛れもなく込められていた。

「助けられていた(・・)とはな……偶然とはいえ」

 当の本人は森中を走り回ったおかげで疲れて寝息を立てている。

 一度は直前の戦闘だ。自分が死を覚悟したあの窮地を救われた。だがそれだけではないとカロルは確信していた。

「人狼が俺を発見した時、明らかに反応が悪かった。まるで探していた獲物と違う獲物に遭遇してしまった時のようだった……」

 その獲物がミリアだったとしたら辻褄が合う、と頷く。魔獣を圧倒できる古強者が町にいる所為で人狼達は森で自生する植物や生息する動物のみという僅かな食糧だけで生きる必要があった。

 ……腹をすかした人狼共にはミリアはきっとさぞ美味そうな御馳走に見えたことだろう。

 だが彼女の功労はそれだけではなかった。その正体は彼女が胸に抱く小さな命。

「まさかお前が代わりに、探し物を見つけてくれたとはな」

 少女の細腕の中で白い体を震わせるそれは、カロルが人狼討伐をついでにして探していた物。コルヴィムの依頼を受けた子猫だった。ミリア同様に全身を泥や土で汚していてみすぼらしい格好だが幸運にも怪我はない様だ。

 足手まといと思っていた彼女が予想外にも自身の目的達成に貢献したことに、満足そうに口角を上げて笑みを作った。よくやったと呟き、すり傷だらけのボロボロの手でミリアの頭をくしゃりと撫でた。

 さてと、とカロルは重い腰を上げた。

 相当数の人狼を倒したとはいえ魔獣の住む森に変わりはない。依頼は達成したとはいえこんな場所で気を抜いてゆっくりはしていられないと人狼から剣を引き抜いた。そして一人と一匹を担いで森を出ようと向きを変えると、思わず顔をしかめて舌打ちをした。

「またか……」

 その先を銀色の人狼が立ち塞がった。興奮して口から湯気を上げて涎をぽたぽたと垂らし、血走った眼は彼らにとって脅威であるはずのカロルではなくミリアを追いかけていた。その様子はカロルにも一見して異常と見て取れた。

「ハッ、そういう事か」

 カロルは一笑。担いでいた少女と猫を人狼に差し出すようにその場に下ろし始めた。

 こいつは腹を空かせているのだろう。こいつを食いたくて食いたくてたまらなかったのだろう、と。

「食えるものなら食ってみろよ」

 そう言われると人狼はわき目もふらずただ少女へと飛び掛かった。金の瞳は恍惚と蕩け、狂喜を叫ぶ口は少女のためにのみ開かれる。だがその直後、無念にもそれらは苦痛に歪むことになる。

自分てめえの体をな」

 そう言うが早いか剣を振り抜いた。

「ガァッ!?」

 人狼の手首はあらぬ方向へと吹き飛び、猛烈な痛みに堪えきれず叫び声をあげる。体をくの字に折って後ずさりしながら、自らの食事を邪魔する血塗れの剣士にようやく気付く。

「やっと目が覚めたか」

 だがもはや手遅れだ。

 既にカロルは少女をまたいで人狼に一歩踏み込み、直剣を構えていた。

「正直俺には獣臭くて食えたものじゃあないが」

 人狼の痩せた脛が真っ二つに斬られて右足が消し飛び、

「お前らはそんな事は気にしないか」

 反して太く引き締まった左脚もいとも簡単に切断され、

「凶暴な野獣にはお似合いのデザートもつけてやる」

 縦に切り裂かれた腹部からは内臓の一部がごぷりと土の上へ零れ落ちた。

 体を支える物を全て失って地面に倒れ落ち、呻き続ける人狼。通常の生物なら生きている方が異常な状態だ。だが魔獣の驚異的な生命力は残酷にも死ぬことを許さなかった。

 カロルは死体同然の人狼に一歩近づき、侮蔑のまなざしで見下ろす。

「命拾いした……。のこのこと戦場に飯を食いに来た間抜けのおかげでな」

 蓄積した疲労で上がった息を整えながらも、まだ息がある敵に剣先を向けた。

「コロ、セ……コロセ……」

 人狼は唸りながら、たどたどしい言葉で言った。珍しい光景にカロルは一瞬目を見張って鼻で笑った。人語を介す魔獣なんてものは危険すぎて見世物小屋にも置けない役立たずな代物だ、と。

「……まさか人狼に、そんな頭が残っていたとはな」

 一閃。音もなく振った剣をベルトに収めると、人狼の首には赤い線が滲み出る。

「地獄で好きなだけ、自分の体を食ってろ」

 そう言い残してカロルは一匹を抱く一人を担ぎなおして森を後にした。剣を振るうのが楽しくて、こいつみたいに饒舌になってしまった、と自嘲しながら。


          ◆


 一夜明け、エストヒューゲルの町に東の空から光が降り注ぎ、町民が目を覚まして一日の仕事を始めた頃。

 その町の西側にぽっかり空いた広場を囲う建物の一つである木造の酒場。その店主コルヴィムは日頃の豪快さを全く感じさせない神妙な顔でこう切り出した。

「跡継ぎができた……」

 カウンター越しに座るのは一人の青年。彼、カロルはグラスを傾けて紫色の液体を一口飲み込む。甘い口当たりと喉を焼く感覚を味わいながら、素っ気ない表情のまま聞き返した。

「ここのか?」

「いや、本業・・のほうだ」

「……『ここ』じゃない『本業』?」

 カロルの隣で話を聞いていたミリアはそう言って首を傾げた。

 その一方でその真意を察するとカロルはふっと笑いを零した。似合わない顔で迎える彼が口を開き、何の話かと思えば友人の朗報だ。これにはカロルも鉄面皮を崩さずにはいられなかった。してやったりとコルヴィムも満足げにニッと笑った。

「そうか、おめでとう。なら退任祝いにあんたも一杯やるか?」

「ええっ、辞めちゃうの?!」

「いやいや、それはまだまだ先の話さ。一昨日まで田舎町で平和を謳歌してた子供が一日二日で使い物になるかよ」

 カロルはそれもそうかと頷く。歴戦の元戦士の代役はそう簡単には務まらない。それが師匠ともなれば教えることに事欠かないだろう、と。

「用心棒兼酒場の主人はしばらくは続けるさ。ま、引退までに何とか形にはしてみるつもりだがね」

「よく言うよ。引退なんて、するつもり全くないだろうに」

「かかかっ、バレバレか。でもお前さんが言っていたように……わしはもう戦士ですらねえ。わしが戦場で死ぬなんて事は、きっとこの町の人間は誰も許してくれねえだろうからな……」

 物寂し気に天井を見上げながらコルヴィムはそう言った。それをカロルは黙って酒を飲み干し、見守る。

 程なくして、空になったコップをカウンターの上に置いた。

「そろそろ行くよ」

 そう言うとカロルは席を立ち、それをみてミリアもぴょこんと椅子から飛び降りた。

「……そうか」

「ああ、世話になったな。勘定を頼む」

 カロルが金を出そうと革袋に手を伸ばすと、

「いや、金はいい」

「あ?」

 首を振って制止するコルヴィムへと不思議そうに目を向けていると、彼はカウンターの上へコトリと硬貨を置く。

「まず、これが昨夜の報酬だ」

 カロルは目を疑った。疑心になりながらも手に取って確認するとそれは確信に変わった。

「五枚……大型銀貨……? おいおい……まさか硬貨の見分けがつかなくなるくらい衰えたんじゃあないだろうな……?」

 鈍色に輝くそれを見た時、銀貨を何枚か貰えるのだろうとカロルと思った。それ故に彼が予想したのはあくまでも何枚貰えるかだった。しかしその予想は裏切られ、実際に渡されたのは大陸が描かれた別種の銀貨。

「五枚もあれば一か月分の給料だ。……ここ数日で一番驚いたよ」

「がはは、昨日言っただろう。『金で家族の価値ははかれん』、と。それが今のわしが出せる精一杯の報酬だ」

「景気がいいな……」

「正直な所、それでも払いきれてねえとわしは思っとるよ。それくらいにお前さんに恩がある。……だから今日の勘定もわしの奢りにさせてくれ」

「……いいのか?」

 硬貨を握りしめてカロルはコルヴィムを見上げた。問われて彼は、ああ、とゆっくり頷いた。

「お前さんはわしの友人であり、家族の恩人だ。当然だ」

 そう親愛の眼差しを向けられて、

「そりゃあ助かる。旅をするのに金はいくらあっても困らないからな」と、けろりとした表情で躊躇なく硬貨を皮袋に収めた。

「ありがとう、ごちそう様!」とミリアは無邪気な笑顔で頭を下げた。

 二人のあまりにもあっさりした反応にコルヴィムは思わず声を上げて笑った。体を震わせてひとしきり笑うと、嬉しそうに憎まれ口を叩きだす。

「まったく。一人寂しく余生を過ごしてる老い先短いこのわしから、みんなしてたかりおって」

「それは聞き飽きた」

「はて、そうだったかな?」

「それに、もう『一人寂しく』じゃあないもんね」

 ミリアにそう言われると彼は優しく微笑んだ。

「ああ、そうだったな……」

 足元でじゃれつく、やっと帰ってきた同居人の毛並みを優しくなでると、にゃあと鳴いた。

 コルヴィムが顔を上げると二人は旅支度を整えていた。

 カロルはその体には大きすぎるバックパックを背負い、ミリアは不思議と懐いている小鳥を手招きする。

「もう少しこの町にゆっくりしていってもいいんじゃあないか」

 はっと名案を思い付いたミリアはコルヴィムの誘いに乗って言った。

「そ、そうですよ! 宿代ならきっとコルヴィムさんがいくらでも」

「あんだけ渡したのにもっとわしから搾り取るって? そりゃああんまりだ」

 わざとらしく額を手で覆って落胆する演技をすると、

「あわわっすみません……」

「だっはっは、誰に似たのやら」

 面白いくらい簡単に騙された彼女をコルヴィムは豪快に笑った。まるで寂しさを吹き飛ばすかのように。

 カロルは楽し気に談笑する彼に、申し訳なさそうな表情で言う。

「悪いが……出発の時間は変わらない。朝の内に町を出て、日没までにできる限り次の町に近づいておきたいからな。それに町にゆっくりしていると体が鈍っちまう」

「そうか。折角いい友ができたと思ったんだが……」

「俺も同じ気持ちだ……。また来年、飲みに来るよ。報酬を貰うついでにな」

「じゃあそん時までに愛弟子のへっぴり腰だけでも直しておくか」

「俺と勝負させるつもりか?」

「ハッ、馬鹿を言うな。お前さんの暇つぶしに授業でもしてやってくれよ」

「いいぜ。ただし、一試合につき銀貨一枚」

「また金をとるってのか!」

「俺の剣は、素人にくれてやる程安くはないさ」

「それくらい無料ただでやってくれればいいじゃあねえか。俺とお前の仲だろ?」

「……気が向いたらな」


          ◆


 踏み固められてできた延々と東西に延びる一本の道の上。

「ねえカロル。次はどこへ行くの?」

 あどけない笑顔の少女は剣を携える不愛想な青年へと尋ねる。

「さっきの行商の話によれば、このまま東に行けば『海』があるらしい」

「『ウミ』?」

 聞きなれない単語に首をかしげる少女。

「俺も見た事はない。曰く、巨大な水たまりだそうだ」

 しかし彼女には『巨大な水たまり』の意味が理解できず、うんうんと唸り出して果てには知恵熱でぷすぷすと煙を上げかねない程に顔を赤くした。

 しばらくして、ぷはあ、と考えるのを諦めて止めていた呼吸を再開する。

「とにかく、次はそこに行くの?」

「そうだ。近くに交易が盛んな町があるらしい。恐らくは海にしかいないモンスターも」

 言いながら青年は内心で未知の敵に胸を躍らせる。

「ふうん? じゃあ『ウミ』を目指して、とにかくしゅっぱーつ!」

 少女は拳を青空に向けて突き上げ、軽やかに歩き出す。

 青年はその様子を、いつまで持つのやらと半ば諦めて見守りながら前へ進む。

 東へ、ひたすら東へ、と。

 剣士と少女は旅を続ける。

お わ り

疲れたもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん

次、もっと面白いのかくので許してヒヤシンス!

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