猫探し (2)
昼下がりの事。
この小さな酒場を営む筋骨隆々の男コルヴィムは、一人静かに酒を飲んでいた。
本来の居場所であるカウンターには立たず、彼が座るのは客席側の丸椅子だ。知らない人間が見れば亜人族と見間違う程に巨大な体躯。もしも客が居れば、彼とは対照的に椅子が極端に小さく見えて笑いを誘った事だろう。
だがこの場で彼を笑う者は誰一人いなかった。店の隅で丸まる聞き上手な家族はもういない。不器用だが自分が認める一端の男も、温かい心を持った明るい少女も店を出て行ってしまった。
「つい、ほんのついさっきまでは賑やかだったのになあ。それがまるで嘘みてえだ」
がらんとした人気のない店内は余計に彼を寂しく寒気を催させた。コルヴィムはぶるっと背筋を震わせると、暖を取ろうと手の中にある透明の液体をあおった。流し込まれた酒は喉を焼き、彼の体を内側から熱くせるが、
「飲んでも、飲んでも。何杯飲んでも、寂しいのは変わんねえなあ……」
それでも広い胸板にぽっかり空いた空洞を酒で埋めようと彼は再び瓶を手に取った。しかし、不思議な事にその酒瓶は手酌を拒むように空中で動きを止めたのだ。
「ああ……とうとう酒にも嫌われちまったか」
「その辺にしときなよ、爺さん」
「んん?」
コルヴィムは目を疑った。彼が持ち上げたその瓶には、なんと手が付いていた。いやそれどころか腕まで生えているじゃあないか。日に焼けて健康的な色をした細腕を見て、まだまだ鍛えがいがありそうな腕だと内心で奇妙な賞賛を上げながら腕から肩へと視線を上げてみてみれば、見覚えのある顔がそこにあった。
「なんだ、レプトンとこの坊主じゃねえか」
「坊主じゃねえ、ジーマだよ。昼間から酒ばっか飲んでると『ロクデナシ』になるって母ちゃんが言ってたぜ」
「へっ、シンシアめ余計なことを教えやがって……。酒は戦士にとって──」
コルヴィムはそう言いかけて、ジーマと名乗った青年に別の面影がちらつくのを感じた。年頃が似ているだけの別人の面影だ。だが言葉を失ったコルヴィムは続ける言葉が何も思いつかず、その場で押し黙ってしまう。
ジーマは意気消沈した様子の彼に訝しげに聞き返す。
「……戦士にとって、なんだよ?」
「いや、なんでもねえ。ほれ、返せ」
言うが早いか、ジーマが自分の顔より高く上げていた酒瓶をコルヴィムは長い腕でいとも簡単に奪い取った。あまりにもあっさり取られ、拗ねたように舌打ちをする。
「っちぇ、爺さんにはかなわねーわ」
「フン、わしから酒を取るなんざ二十年早いわい」
そういってコルヴィムは瓶に栓をしてすごすごと店の奥へ下がっていった。その反応にジーマは驚愕した。どうせ自分の事なんざ無視して懲りずにまた飲み始めるのだろうと思っていたからだ。いっその事、隙を狙ってグラスを横からかっさらって代わりに飲んでやろうとさえ企んでいた。
ジーマが慌てて後を追うと、物悲しそうな背中を自分に向けて取り返した酒瓶をしまっている最中だった。
「な、なんだよ……酒はもうお終いかよ?」
「…………お前さんとシンシアのいう事も一理あると思ってよ」
珍しく殊勝な心掛けにジーマは再び驚かされた。
……こんな様子のコル爺は初めてだ。何があったんだ?
青年にはコルヴィムが落ち込む理由が想像できないでいた。眉根を寄せて横から彼の表情をうかがい黙考すること十秒弱。はっと一つの答えを彼は閃いた。
「爺さん、まさか」
「あん?」
「腹でも下したのか……?」
的外れな答えにコルヴィムはため息一つ。ゆっくりと立ち上がりながら、
「馬鹿たれが。てんで違うわい」
そう言ってすれ違い様にジーマの額を指で弾く。ピシッと乾いた音と、続いて青年の呻き声。明かりを消した調理場に奇妙な音がこだまして、客が来ていれば幽霊でも住んでいるのかと尋ねられそうな雰囲気があると感じながら、コルヴィムは青年の大袈裟な反応を鼻息一つで笑い飛ばした。
「ジーマ」
コルヴィムはカウンター寄りかかって彼を呼んだ。ジーマは目の上に残る痛みにこらえながら振り返る。
「なんだよ一体……」
「お前、村を守る覚悟はあるか?」
「…………はあ?」
コルヴィムは昼に訪れた二人の奇妙な客へ依頼を出してから一つの疑問が頭に浮かんでいた。しがない老人でしかない自分に、戦士ですらない自分に、何ができるのだろう、と。自分は戦士として死ぬまで戦うことが本望なのだと信じてやまなかった。それが自身の成すべき事なのだと。
だが自分はとうとう戦士ですらなかった。命尽きるまで自分に課していた使命を失ってしまったのだ。だったら一体自分はこの町に何をしてやれるのだろうか。そう考え続けるも結局答えが出ず、憂さ晴らしにと自棄酒に興じていた。
だがジークの顔を見て、似ても似つかぬ戦士の姿が目の前に映った。そして一つの結論に思い至る。
「あるなら教えてやる。にわか仕込みじゃねえ、本物の戦い方って奴をだ」
「……教えて、どうすんだよ。俺にケンカでもしろっていうのか?」
意味が分からないというジークに老兵は鼻で笑って否定。
「わしの跡を継げ。お前がこの町を守るのさ」
「はあ!? なんで俺がそんな事を──」
突然の無茶な言葉にジークは立ち上がって詰め寄った。だがコルヴィムは彼の態度を意に介さず、首根っこを掴んで表へと連れだした。ジークは自分の問いに答えずただ強引に引き摺るだけのコルヴィムに全身で怒りを表す。だが屈強な体はまったくビクともしない。
気付けばジークは店の裏にまで連れ出されていた。剛腕で草むらに放り投げられた。後ろ向きで引き摺られ、一切の前振りなしに宙に浮いた彼は身構える事ができずそのまま地面に尻餅。一瞬の浮遊感の後に臀部への痛みが彼を襲う。
「いっ──!!」
ジークが涙目を見せながら四つん這いになっていると、丈夫そうな木の枝が自分と同じように地面に打ち捨てられた。手に取り地面に降り下ろしてみると、想像以上にしっくり来た。仕返しをするにはちょうどいい得物だ、と目の前の男を睨み付ける。
彼が恐る恐る立ち上がるのを待ってコルヴィムは口を開いた。
「この町はちいせえ。何の仕事もしてねえ若い男なんざ、お前くらいだ。それにわしも歳だ、悠長に跡継ぎを探してる時間もねえ。だからジーク、お前で我慢してやる」
「ふざけるな! なんで俺がそんな事しなきゃいけねえんだよ……」
「この町にはそれが必要だからだ」
「ああ、もう! もうろくするのもいい加減にしろよ!」
「ごちゃごちゃ言うな! ……男なら黙ってかかってこい」
コルヴィムは項垂れるジークに一喝、両こぶしを握って戦闘態勢を取った。
一切こちらの話を聞かない彼の姿勢にジークは手の中の棒切れに怒りを込めて握りしめ、走り出した。
「ヤァッ──!」
青年は顔を苦悶に歪ませて振りかぶると、
「があっ──……」
正面からコルヴィムの掌底打ちを顔面にまともに食らって、後ろに大きく吹っ飛んだ。
「……やりすぎたか」
さほど力を込めなかった一発に白目を剥いたジークを見ながら、コルヴィムは呑気に空を仰いだ。
◆
「ねえ、まずはどこに行くの?」
「……」
二人は猫を探しにエストヒューゲルのメインストリートを歩いていた。先頭をカロルが迷いがない足取りで進み、その後ろをミリアが追いかける。
カロルが背負っていた大荷物はコルヴィムの酒場に預け今は長剣一本を帯刀するのみ。とはいえ身軽な体でも荷物を背負っていた時と変わらぬ足取りで、黒いブーツでコツコツと石畳を打って歩く。目的地へ進むにつれて道行く人の数が増えて声は幾重にも重なり、やがて彼らは騒がしさの中心にたどり着いた。
「市場だ……結構賑やかだね」
「田舎町にしては上出来だな」
到着したのは小さな市場だった。
普通の町のそれと比べれば広さも人の数も圧倒的に少ない。店は小さなものも含めれば二十程度、人も多少混雑していても道を埋め尽くすほど人に覆われてはいなかった。それでも広い道の左右には所狭しと露店が並んでいて、そこには確かに活気があった。
仮設した屋根の下で木箱に詰まった果物を並べる店、地面に厚めの布を広げただけの怪しげな古物商、荷車を置いてこの町にない香辛料を売り出す旅の行商人、使い道の分からないガラクタをタダ同然で投げ売りする初老。
それらを横目にカロルは店が入り込めない狭い路地へ入って壁にもたれかかった。彼に続いて路地に入って疑問符を浮かべた少女に小さくため息を吐いて、カロルはぶっきらぼうに言い捨てた。
「足元を探せ。食い物狙いでそこらにいるだろう」
「あっ、なるほど!」
そう感心して両手で拍手を一つ、ミリアは小さく跳ねて地面に這いつくばった。
……猫を探すなら自らも猫になるべし……!
ミリアは周囲の嘲笑も気に留めずに夢中で猫を探し始めた。気分は小動物、人の足をかわしながら商品棚や露店の裏を探し回った。
一方カロルは野生味溢れる猫少女の仲間と思われたくはないと、彼女から距離を置いて他人の振り──とはいえ腰の剣が主張して彼も奇異の視線を集めていたが。ミリアの成果は運が良ければ程度にしか考えていないカロルはしばらくして目的の物を探しに人波に割って入っていく。
そして、
「えへへ……」
「行くぞ、馬鹿」
「うん」
猫探しが気付けば人混み探検になっていたミリアは全身を埃や足跡で汚してカロルの元へと戻ってきた。照れ隠しに笑う彼女に表情一つ変えず、カロルは一人歩きだす。
続けて二人が向かったのは、町で一番賑わっていた場所とは正反対の人気のない住宅地だった。
「この辺りは空き家が多いな……」
「え? 確かにさっきから人とすれ違わないけど……なんで分かるの?」
ミリアはきょろきょろと見回した。だがどの建物を見てもなんの変哲もない民家という印象しか彼女は感じ取れず、首をかしげてカロルに尋ねる。
「……よく観察しろ」
そう言ってカロルが見つめる先には静かな家が建っていた。住人が留守なのか物音ひとつ立っておらず、扉も窓も締め切っている。
……家の前に割れた鉢植え。こぼれている土がやけに少ないし、植えられていたはずの植物もない。それどころか、鉢植えの陰を中心に苔が自生しているな。
空の鉢植えが置いてあるだけならありえる話だが割れた状態で長く片づけられていない状態。それを見てカロンは、住人は相当な面倒くさがり屋かそもそもこの家に誰も住んでいないかのどちらかだろうと推察する。よく見れば扉も含めて家の外側には風で吹き付けられたのだろう砂埃がこびり付いていたり、扉の陰や隙間に虫の死骸が固まって転がっていて、人の出入りが行われていた様子はなかった。
住んでいながらこれなら恐らくは相当な変人が住んでいることだろうとカロルはくつくつと笑いを漏らした。その光景を横目に見ていたミリアは、
「変なの」
「同感だ。ここいらの家は変人ばかりだな」
「いやそうじゃなくて……」
そんなカロルが考える『変人の家』は一軒や二軒どころではなく二人がこの通りに入って見かけた十数件、そのすべてが該当していた。
ふとカロルは一本の路地を前にして立ち止まった。
「この辺りでいいだろう」
「何するの?」
カロルの何かを始めようとする予感にミリアは詰め寄った。対してカロルは抑揚のない声で小さな紙袋をミリアに渡すとこう言った。
「これの中身を持って、適当にこの道の先を見てきてくれ」
「……これ、なに?」
あごをしゃくって開けるよう促されて覗いてみると、中には彼女の手の平よりも二回りは大きな薄い何かが入っていた。漂う香りにミリアは涎が出るのを感じた。
「くんくん……これは、魚の干物……! 食べていいの……?」
「その汚い手でか」
食い意地が張った答えにカロルは呆れた。ミリアは言われてようやく自分の手の平が汚れていたことを思い出して、慌てて両手をワンピースの裾で拭う。それでも服を汚すだけで手は綺麗にならず困っていると、
「腹が減ったのなら後にしてくれ。どちらにしろそれはお前の餌じゃあない」
「餌?」
「二度は言わん。さっさと行け」
ミリアは首を傾げるがカロルに急かされて言われた通り中身を取り出した。魚の干物を両手に一枚ずつ。空になった紙袋をカロルに押し付けて反転、彼女は建物に挟まれた日の当たらない小道へと入って行った。
しばらくすると、
「カロルの嘘つきー!」
カロルが屋根の上に腰かけてリンゴをかじっていると、ミリアが突入した路地の奥から涙声が入り混じった叫び声が聞こえだした。
「騙した覚えはないがな」
カロルは独り呟きながら路地裏へ耳を傾けた。
最もよく聞こえるのは──不本意なことに──ミリアから自分への罵詈雑言だ。次点で金物の鳴き声と木材の断末魔、これだけの騒音をまき散らして苦情一つないとなると近辺には相当な『変人』しか住んでいないと見える。続いてハイペースなミリアの足音、何者かに追い詰められているのか彼女の余裕のなさが読み取れた。そしてそれらに別の音が隠れ潜んでいる事に気付く。
「一匹は居たんだ。親が居ても群れが居てもおかしくはない」
注意深く聞き分けると、その微かな音は少女よりも体重が軽い無数の足音の合唱。確信と共に口角を吊り上げた。赤い瓦の上に立ち、眼下に飛び出した少女を迎え入れる。
「よう、元気そうじゃねえか」
ミリアは石畳の上でへばりながら聞き覚えのある声に顔を上げる。汗で肌に張り付いた服をうっとうしそうにばたつかせていた。
ミリアは自分が出てきた入口を指さす。
「カロル……? 奥に、なんかいたあ……」
「何かとは何だ」
「分かんなくて、暗くて……でも、たくさん、うじゃうじゃ居た……」
「……振り切ったのか」
「分かんない……急に眼が光って、怪物が追いかけてきて、夢中で逃げて──」
口にして脳裏に焼き付いた恐怖を思い出すと我慢していた涙腺が一気に崩壊する。泣きじゃくるミリアにカロルはやれやれと言わんばかりの吐息をついて地面に飛び降りた。耳にミリアを追いかけていた怪物の鳴き声を感じ取りながら、
「コイツ借りるぞ、下がってろ」
「えっ……う、うん……」
力いっぱい握りしめられて変わり果てた姿になった干物をふんだくると、まず問題の路地の向かいに建つ家の扉をこじ開けた。特に施錠されていなかったのか破砕音もなくすんなり開かれる。そして路地からミリアを追いかけてきた無数の何かが日の下に出たと同時に手に持っていたそれを家の中へと放り込んだ。するとそれらは流れるように獲物を追って民家に入っていき、最後の一匹が入ったと同時にカロルは入口をばたんと締め切った。
一件落着。
「……終わった!?」
「何やってんだ」
「あは、はは、は……やっぱり怖くて……」
カロルの指示におとなしく従って可能な限り下がっていたミリアは離れた建物の陰からひょっこりと顔を出した。少し照れくさそうに言いつつカロルの下へ小走りに駆け寄った。だが、
「ひっ……」
無人だと聞いていたはずの家からはなぜか物音が聞こえ始めたのだ。
がたん、ばたん、がたごと、と。
同時に建物自体も小刻みに揺れていた。一部始終を見ておらず原因を知らないミリアの顔色は一転して青に染まり、カロルの服にしがみついた。
「なんで倒さなかったの!? 早い所倒しちゃってよ!」
慌てふためく少女の首根っこを掴み、カロルは無慈悲に言い放つ。
「自分の目で確認しろ」
「……えっ?」
カロルはミリアが一体何事かと聞く暇も与えず、ゴミでも捨てるようにミリアを下手で家の中へと放り投げたのだ。先ほど『何か』を閉じ込めたばかりの場所へ。ミリアは突然のことに呆然、埃を巻き上げながら床に突っ伏した。
……なんで? なんで、なんで、こんなことを……冗談だよね……?
ミリアは緊張で固まって動かない身体を、それでも強引に首を後ろへと回す。そこに居るはずの彼に助けを求めようと。しかしそこにあったのは冷たい目で退路を閉ざすカロルの姿だった。
「よく観察しろと、そう教えたはずだ」
カロルはそういうと顔に恐怖を張り付けた少女を中に置き去りに、静かに扉を閉めた。生存本能に急かされてミリアは慌てて扉に駆け寄った。ハンドルに手をかけても開かず、小さな体で体重をかけても微動だにしない。
「ちょっと、何で……カロル! お願い開けて! カロル!」
必死に彼の名を叫ぶも板一枚隔てた向こうからは返事はなかった。ミリアは諦めずに二度、三度、四度と扉を叩いて名前を呼び続けたが答えは変わらなかった。
「そんな……、っ……」
ぞくり、と背筋が震えた。暗く静かな空間で鋭敏になった感覚が危険を察知したのだ。思わず振り返る。
「う……、あ……──」
もう遅かった。奴らからは逃げられない事をミリアは悟った。
扉を背にして震えるミリア。その周囲を、既に幾多もの眼光が取り囲んでいた。次々に上がる唸り声。室内に充満する独特の獣の臭い。それが少女に思い出させた。あいつだ、あの路地で見つけたあいつらだと。同時、急速に血の気が引いていくのを感じた。
そして一匹の声を合図に、彼らは飛びかかった。ミリアは反射的に顔をかばう。
「カ、カロ──むぐっ!」
少女の全身に衝撃が幾度も連続して響く。
ミリアは痛みに備えて身体をぐっと強張らせていたが想像していたよりも痛みはなかった。まるで小動物が乗っかっているかの様。
……もしかしてもうとっくにからだがバラバラになって、痛みも感じられなくなった……?
続いて鼻先や四肢で体中をまさぐられ、綿毛で撫でられたようなくすぐったさに思わず笑いがこぼれた。
「ふふっ、あははは! ちょっと、やめてったら!」
顔にのしかかっていた体毛が鬱陶しい一匹を両手で持ち上げ、暗闇に慣れた両目がその正体を捉えた。
「へ……?」
怪物などというには愛らしすぎる見た目にミリアは間抜けな声が漏れた。返事をするように両手の中のそれも気の抜けた声を上げた。
にゃあ、と。
◆
「ね、猫……?」
暗い部屋の中、ミリアはそう呟いてきょとんとした。
彼女の目の前には自ら抱き上げた一匹の茶色い猫。腹から口元までが白い毛に覆われていて光が入り込まないその一室でもミリアには模様だけがはっきりと宙に浮かんでいた。
ミリアがしばらく放心してくりっとした瞳と見つめあっていると、対照的に猫は落ち着きなく手足をジタバタしはじめた。その動きに少女は反応できず、猫はあっさりと手の平から逃れ、お前さんのことなど知ったこっちゃないとでも言わんばかりに鼻をふんと鳴らして部屋の奥へと文字通り消えていった。同時にミリアを縛っていた緊張の糸がぷつんと切れた。意識せず乾いた笑いが漏れる。
「は、はは、ははは…………はああ──。びっ──くりしたあ、もう」
路地裏で猫の大群を振り切る全力疾走。そして見えない怪物との密室。積もった疲労にミリアは長い溜息をついて体重を背中の扉へと預けた。
「なんだ、猫かあ」
「それ以外の何に見える」
「あわわっ!」
独り言に突如横やりを入れられる。ミリアはびくっと体を飛び上がらせた。すっかりカロルの存在を忘れていたと内心呟きながら口にする言葉を選ぶ。
「えー、あー、えっと……」
「依頼は猫探しだろう。……おいまさか──」
扉越しで顔は見えないがミリアにはカロルが眉をひそめたのが頭に浮かんで慌てて答えた。
「いやいやいやいや! 忘れてなんかないよ! ……そっかー、猫かー。そうだよねー」
「……まあいい。依頼は白い子猫だ、全部確認して報告しろ」
えっ、とミリア。彼女もこの暗さに慣れて夜目にもぼんやりではあるが部屋の中が見えていた。視界で無意識に捉えたのは家具の周囲でくつろぐ様々な姿をした数十匹の猫。
「これ全部……?」
くたくたに疲れているのにこんなにたくさんの数を一匹一匹確認するのか、と少女はげんなり。恐る恐る聞くと、返ってきたのは平坦な声音の短い答え。
「そうだ」
無情な一言にミリアはがくりと項垂れた。
「そんなあー……」
「雑用はお前の仕事だろう」
そう言ってカロルの足音は遠ざかっていった。
ミリアは諦めてそういう約束なのだと自分に言い聞かせた。覚悟を決めて、好き勝手に歩き回ったり寝そべったりじゃれ合ったりする自由な世界の生物と格闘をし続けたのだった。
そしてやがて町は赤く染まり始めた。カロルとミリアが町に入った時にてっぺんにあったはずだったそれは、すっかり傾いて地平線へ身を隠し始めていた。
一方その二人は相変わらず捕まえた猫の確認をしていた。実際にはカロルが外から見張り、ミリアが実働という労力のバランスが傾いている状態ではあったが、だがしかしそれも終わりを迎えようとしていた。
「違う、この子じゃない……気を取り直して次々っと」
ミリアは家の中、体中に猫の抜け毛をつけて作業にいそしんでいた。家の中は扉を開けてすぐに小さなダイニングキッチン、そして奥にリビングが一部屋。その二つの部屋の間にテーブルを倒し、猫達を好き勝手にさせない仕切り代わりにして彼らを一匹ずつ確認していた。
暗い室内で逃げ回る猫をようやく捕まえて持ち上げたのだが、
「……でぶ猫。この子も違う。えっと次の子は──」
一階にはもう一匹もいないのを確認して、次の目標を探すべくミリアは二階へと向かう。脱出防止のテーブルの天板はそれなりの高さだが、万が一脱走を計られても困るので急ぎ気味に階段を駆け上がっていく。
二階に上がるとそこには空っぽの元寝室と物置。どこかに隠れているだろう白猫を呼び掛けながら見て回るが、
「あれ……? いない……?」
もう一度隅から隅まで探し、慌てて一階へ戻って狭い部屋の中を注意深く確認する。大半の家具は住人と共にどこぞへ行ってしまったので彼らの隠れ場所は多くなく、ミリアが結論を導き出すのにそう時間はかからなかった。
「どこにもいないじゃあああああああああん!」
静かな町はずれに少女の声が響き渡った。
しばらくして、その声の出所である一軒の家屋からミリアがゆっくりと現れた。同時にがっくりと肩を落とす彼女の足元をすり抜けて何匹もの猫が外へと解き放たれた。
ミリアが逃げ出さないか上から見張っていたカロルはその様子を見て、徒労に終わったことを知った。
……話に聞いていた猫は居なさそうだ。……本人から答えを聞くまでもないか。
そう思っていると地上からこちらを見上げるミリアと不意に目が合った。
「ごめん……いなかった」
ミリアは力なく呟いた。
カロルにしてみればあくまでも野良猫の群れに紛れているという一つの可能性を潰しに来ただけだったのだが、苦労して探した少女にとってそれは大きなショックだったらしい。だが少女にかける労いの言葉を何も持っていなかったカロルは、
「そうか」
と短く答えて地上に降り、来た道を無言で戻っていった。
ミリアもまた黙ってその後ろをついていった。
二人は終始無言のまま、すっかり人が少なくなった町中を歩いていた。
帰り道に賑わっていた市場ではどの店も片付けを既に終えていて、ついに陽が沈むとどこも昼間の活気とは裏腹に静かな一面を見せていた。
通りで人とすれ違うことも減り、ほとんどの人間は家に閉じこもって灯りをつけ、家族の団欒を楽しんでいる様だった。それでも風に揺れる森のほうがうるさいくらいでカロルは耳障りだと言いたげな目線を向けていた。
「騒がしいな」とカロルはまた町の外を睨め付けた。
唐突にそう言った相方にミリアは少し狼狽えた。任された仕事で彼の役に立てなかった少女はどう言い訳すればいいのか分からず、ただ一緒に歩いていても無性に居心地が悪かった。
「え? あ……うん」
だがカロルが先に話し始めたことで会話に対しての抵抗が和らぐのを感じ、ミリアは町の外の丘から見下ろした時の事を思い出しながら口を開く。
「確かにこの辺りは風がよく通るから……夜はちょっとうるさく感じるかも」
「ああ。確かに、うるさすぎるな」
「あはは、あんまりうるさいと寝付けないかも」
そう言ってミリアは愛想笑いをしながら今夜の宿の壁が薄くないことを密かに願う。
広場を前にして、カロルはふと立ち止まった。
「そうだ、そろそろ部屋を取っておけ」
皮袋から手探りで銀貨を数枚を取ってミリアの手の平に落とす。
「この田舎町の物価は正直よく分からんが……一部屋には十分だろう」
「ひい、ふう、みい──うん、宿屋だね」
「ああ。値切れるだけ値切れ。部屋が取れたら荷物も非常食も、コルヴィムの店から運びだせ」
「非常食?」
「鳥だ」
ああ、とすっかり忘れていた新しい旅の仲間を思い出す。
「戻ったらご飯あげなきゃ」
「お前の飯からな」
「言われなくっても分かってるよ、もう! ……カロルはまだ猫探すの?」
「いや。野暮用ができた」
「野暮用……?」
「すぐ戻る」
そういってカロルは振り返って来た道を戻っていく。
「今度はしくじるなよ」
「むっ……」
立ち直ったばかりなのに失敗をほじくり返されてミリアはカチンと来た。その一方で名誉挽回のチャンスに値段交渉の仕事を貰えたことが嬉しく、彼の背中に精一杯の抵抗としてあっかんべえをした。
「っべー、だ!」
そしてカロルは、今から会いに行く相手が楽しみで楽しみしょうがないといった様に、堪えきれず獰猛な笑みを口元に覗かせていた。
お久しぶりです。書く時間が取れず話の収拾がつかず難航してしまいました。
ようやく完結しましたので第二話を投稿です。
見事に前後編に収まりませんでした。




