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ユナヘル  作者: かなへび
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第六章

 じきに月が真上へ昇る。


 ウルドの兵士――ヨーンは、王都を囲む外壁の上に居た。

 外壁の上には一定間隔で同僚の兵が並んでいる。


 ヨーンは、手に魔法具、体に防具と、完全装備で外壁の上から町の外の様子を伺っていた。

 しかしなんら異常は見当たらず、王都の外に広がる草原には、獣一匹いない。


 若いといっても、ヨーンは二十代半ば。

 早くにデュリオ王子派に与したことで出世の道が拓けていた。


 見張りももうじき終わり、下の詰め所で休んでいる味方と交代出来る。

 そのことが気の緩みを生んだのだろう。

 少し離れた位置で見張りをしている部下が、大きなあくびをした。


「おい、任務中だぞ」

「すみません、隊長」


 気の抜けた返事が返ってきて、ヨーンは溜息をついた。

 一部の兵士による反乱が鎮圧されて、九日が経った。

 王都に潜む、メィレ姫派の勢力は根絶やし、重役は地方の領地へ左遷され、ウルド国はデュリオ王子派の手によって完全に掌握されていた。


 誰がどう見てもデュリオ王子派の勝利だったが、一点気になることがあった。

 あの反乱鎮圧の夜、王子派の高階梯の兵士が数名、惨殺されていた。

 捕らえたウルドの兵を締め上げて話を聞いても、誰も事情を知らなかった。

 他に戦力が潜んでいるのかもしれないという上層部の不安は、いつもより多く増やされた見張りの数にも表れていた。


「ヨーン隊長」部下の一人が声を上げた。「あれを見てください」

「なんだ?」

「これを」


 部下の一人が、小さな魔法具を手渡してきた。

 低位の魔法具で、目が良くなる程度の魔法しか使えないものだが、こうした見張り仕事には便利だった。


 ヨーンは強化された知覚で部下の一人が指差す方向を見る。

 何かが草原を駆けてくるが見える。

 獣のようにも思えるが、体には魔法具が装備されているのが分かった。


 敵か?

 しかし、たった一人で?


 高い外壁の上から、何者かと誰何しようとすると、強烈な光が放たれた。

 次の瞬間、侵入者はヨーンの背後に現れた。

 まるで城壁の上に雷が落ちたかのようだった。


 十二、三才くらいだろうか。

 まだ若い子供に見える。

 だが、全身に装備された魔法具が、その異様さを物語っていた。

 左手には灰色の大剣。

 右手には白く光る長槍。

 他にも腰に魔法具が見える。


「てっ敵襲――」

 部下が大声を上げる前に、侵入者から稲妻が放たれる。

 直撃した部下は体を大きく痙攣させた。


 ヨーンは考えるより先に動いていた。

 強力な魔法具を持っているようだが、相手は所詮子供。

 魔法を使用した直後の隙は、絶対にあるはずだ。


 自分の魔法具へ意識を集中し、厳しい訓練で磨かれた魔法を放とうとした。

 だが出来ない。

 少年から強烈な干渉を受けていることに気付き、ヨーンは戦慄した。

 長い時間を共にしたはずの魔法具が、まるで応えようとしない。


 少年はこちらを見てもいなかった。

 その視線は王都の中央、王宮へ向けられている。


 少年はヨーンへ顔を向けることなく、手の中の光る槍を無造作に振るった。

 穂先から放たれた稲妻が、ヨーンの脳天へと走った。


 自分の肉が焼け焦げる匂いを嗅ぐことなく、ヨーンは絶命した。




 予定通り。

 ユナヘルは溜息すらつかなかった。

 外壁の上にいた他の兵士たちにも雷を放つが、そのたびに暗闇を裂いて光が周囲を照らした。

 魔法の気配を察知されるまでも無い。

 <空渡り>は強力な魔法具だったが、派手なのは弱点の一つだと改めて感じた。


 とはいえ、この作戦においては派手であることは非常に重要だった。

 王都全体へ意識を巡らせる。

 ユナヘルは自分に気付いた者が何人もいることが分かる。

 じきにここへ駆けつけてくるだろう。


 多分、これが最後の攻略になる。

 幾度もの死を乗り越えここに辿りついたユナヘルには、それがよく分かった。


 音も無く、ユナヘルの隣に並び立つように、男が現れた。

 その腰には二つの魔法具が提げられている。


「間に合ったか?」


 腹の底に響くような低い声で、男は言った。


「はい。約束の時間通りです。フリード様」ユナヘルは軽く頭を下げた。

 フリード・パルトリは両手を組み、ふん、と鼻を鳴らした。


「救出班は予定通り潜入した。お前の言う通りの経路でな。後続の陽動班は、もう門の下だ」


 フリードはそう言ったあと、何かに気付いたように眉を上げ、納得したように一人で頷いた。


「……そうか、こんな報告必要なかったか」フリードは唇の端を持ち上げた。「『泣き虫ユナヘル』がこんな立派になるなんてなぁ」

「はい」

「俺がここでこの言葉を言うことも、知ってたのか?」

「……はい」

「なぁ、俺は何回この言葉を言ったんだ?」

「お話は」ユナヘルはフリードの顔を見た。「全てが終わった後でしましょう。敵が来ます。外門を開けますよ」

「……ユナヘルのくせに、偉そうだな」


 フリードは楽しそうに笑った。






 デュリオ王子は、王宮の自室で寝ていたところを、配下の声によってたたき起こされた。

 昨日は夜遅くまで女を侍らせて酒盛りをしていたため、昼近くなっても眠っていたのだった。


「なんだ!」隣で寝ていた裸の女を蹴飛ばし、デュリオは飛び起きた。

「侵入者です」扉の向こうから声が聞こえる。

「はぁ?」デュリオは更に声を荒げた。


 飛び出た腹を服の中に仕舞い、デュリオは勢いよく扉を開けた。

 扉の前には、デュリオの近衛兵であるジェズ・バルディーンが、数人の配下と共に控えていた。

 ジェズは大柄な男で、その手には巨体に見合う巨大な魔法具が握られている。


「どういうことだ。兵どもは何をやっていた?」

「申し訳ありません」ジェズはじっとりと汗をかいていた。「外門が開かれました。王宮に敵が入り込んだようです。すでに数十名の兵士の死亡を確認しました」

「どこの者だ?」


 デュリオはメィレ派だった領主たちの顔を思い浮かべた。

 おそらく明日の処刑までに姫を取り戻そうという算段なのだろう。


「これより抜け道から脱出して頂きます」

「なんだと! 尻尾を巻いて逃げ出せというのか! ウルドの次期国王たるこの俺に!」


 通路の向こうからジェズの部下の悲鳴が聞こえる。

 侵入者とやらが接近してくるようだった。

 デュリオを背後に守るようにして、ジェズが立ちはだかった。


 ジェズ・バルディーンが手に持つ巨大な槌は、<鎧砕き>と呼ばれる魔法具であった。

 岩石を操る力に加え、衝撃波を放つことも出来る。

 遠くから槌を振るうだけで、見えざる拳が振り下ろされ、敵が潰れるのだ。


 通路の明かりに照らされ、侵入者の影が見える。

 瞬間、ジェズから放たれた魔法が王宮の磨き上げられた石の床を破砕した。

 だが、侵入者は天井や壁を蹴り、さらに接近してくる。


 速い。

 まるで獣のような身のこなしだ。


 ジェズは魔法具の力で輝く鉱石を生み出した。

 それらはジェズの全身にまとわりつき、まるで鎧のような姿をとった。

 デュリオはかつて王宮で開かれた演舞会で、ジェズの鎧が数多くの攻撃魔法を弾く様を見ていた。


 ジェズが槌を振るい、空間が圧搾される。

 侵入者は潰れ、肉の塊となる――はずだった。

 まるでジェズの魔法が放たれる瞬間を、あらかじめ分かっていたかのように横に飛んで避けた。


 侵入者がジェズの真横に回り込み、そして、爆音が響き渡った。






 音による攻撃と、補助魔法により肉体の強化を獲得できる<双牙>は、ジェズ・バルディーンを倒すにあたり、実にちょうど良い魔法具だった。

 <灰塵>では殴り合いになって時間がかかるし、<空渡り>も攻撃魔法が通らないから同様だ。


 ユナヘルの足元には、岩の鎧にすっぽりと包まれたジェズが、頭部の鎧の隙間から血を流しながら倒れていた。


 ユナヘルは息を整えた。

 全身から滝のように汗が流れている。


「きっ、貴様! 何者だ!」


 デュリオ王子は腰を抜かし、その場に座り込んでいた。

 音の魔法の余波を食らい、動けなくなっているが、態度だけは大きかった。

 耳も聞こえていないのだろう。

 言葉の抑揚が少しおかしい。


「自分が何をしているのか! 分かっているのか!」


 小さな稲妻が走り、デュリオ王子は全身を痙攣させて倒れた。

 気絶させただけだ。


 デュリオの処分は、メィレ姫を取り戻した後、じっくりと考えてから行えば良い。

 フェブシリアとの関係もあるため、不用意に行動すべきではないとユナヘルは考えていた。


 聞こえてきた足音へ目を向けると、兵士が駆け寄ってきていた。

 陽動班の者たちだ。


「デュリオ王子を確保しました。彼を連れて、作戦通り王都から脱出してください」

「あ、ああ……」


 淡々としたユナヘルの態度に異様さを感じたのか、男たちは頷いて応えた。

 彼らはあくまでフリードの指揮で動いている。

 作戦が始まる直前まで、誰もユナヘルの実力を信じなかった。


「私はもう行きます。あとはよろしくお願いします」


 ユナヘルはそう言ってその場をあとにした。

 この連戦に次ぐ連戦も、もう少しだ。

 ユナヘルは自分が倒さなければならない残りの敵の数を数えた。


 フリードはメィレ姫派の領主たちから数多くの兵力を集めてくれたが、実力はあっても所詮烏合の衆でしかない。

 重要なところはユナヘルが抑えておく必要があった。


 ユナヘルがたどり着いたのは、非常に広い空間――玉座の間だった。

 立ち並ぶ太い石の柱が、高い天井を支えている。

 頭上高くにある窓からは、外の月光が差し込んでいた。


 床は磨き上げられた石材で出来ており、柔らかな絨毯が敷かれている。

 左右の壁際には、人の身の丈を越える大きな毛皮や、枝分かれして広がる角、牙の並ぶ恐ろしげな頭骨などが並んでいる。


 数段上がったところにある玉座の向こう、最奥に飾られている、硝子細工のような両手剣を見た。


 それこそが魔法具<ウルド>。

 国の象徴となる、通常の魔法具とは一線を画する存在だった。


 ユナヘルは戦いへと意識を戻し、右手の長槍を掲げた。

 ユナヘルを中心として暴風が吹き荒れ、周囲の空気が窓から外へ流されていく。

 一呼吸で全身が麻痺し、肌に触れただけで肉が崩れる毒の魔法が漂っていることを、ユナヘルは知っていた。


 ユナヘルは石の柱の影へ、稲妻を放った。

 毒の空気を巻き上げてた風の魔法を収め、ユナヘルは玉座の間を横断した。


 太い柱の影では、ゆったりとした衣服を着た皺だらけの禿頭の老人が痙攣していた。


 ネベシア・アクロドット。

 手には毒や呪いの扱いに長けた植物型の魔物を封じた魔法具がある。


「貴様は、一体――」


 ネベシアが苦しげな声を出そうとしたが、ユナヘルは<空渡り>の先端を向けた。

 溢れた雷撃により、哀れな老人は全身の血液を沸騰させて倒れた。


 ユナヘルは死体から目をそらし、玉座の間の中央へと戻ると、現れた新たな敵を睨んだ。

 熱風と岩のつぶてが凄まじい速さで向かってくる。

 ユナヘルは<灰塵>を盾のように構えた。

 複数の攻撃魔法は、キュクロプスの目に睨まれ、かき消されていく。


 兵士たちを引き連れて現れたのは、両手に異なる魔法具を持つ短髪の女性、セイフェア・ホリンドールだった。

 年齢は三十手前ほどだろう。

 鍛え上げられ引き締まった大柄な肉体が、彼女にただならぬ雰囲気を与えていた。


「誰だ、あいつ」


 セイフェアがそう呟く間にも、周囲の兵士から一斉に攻撃魔法が放たれる。

 火や冷気、岩の槍に風の刃と、多様な魔法が同時に迫るが、灰の大剣の前には存在しないに等しい。


「あれは一体……」

「<灰塵>だ」セイフェアがそばに居た兵士に言った。「くそ、無効化か。おまけに<空渡り>とは、伝説級の魔法具じゃないか。そんなもんどっから――」


 ユナヘルは<灰塵>を振りかぶると、兵士たちに一気に接近した。

 大砲から放たれる砲弾のごとき速度に反応できたのは、たった一人、セイフェアだけだった。


 ユナヘルが<灰塵>を横薙ぎに振るうのと、セイフェアが魔法具の力で後退するのはほぼ同時だった。


 横並びになっていた兵士数名の上半身が千切れ飛ぶ。

 それは<灰塵>によって強化された膂力の成せる業だった。


 大剣を振りぬいたユナヘルが体勢を立て直すと、兵士たちの残った下半身がその場で倒れた。

 大量の返り血を浴びながらも、表情一つ変えないユナヘルを見て、セイフェアは戦慄しているようだった。


「ちいっ――」


 セイフェアの舌打ちが聞こえ、彼女の周囲に、燃え盛る炎が現れた。

 それらは収束して剣の形を成すと、セイフェアを取り囲むように漂いはじめる。

 火の剣は、全部で十はあるだろう。

 その切っ先は全てユナヘルの方を向いている。


 ユナヘルは再び踏み込んだ。

 距離を離せば、宙を浮く火の剣を用いて圧倒的な手数で攻めてくるが、至近距離ではそれも半減する。

 手の内は全て知っているのだ。


 長槍がセイフェアの喉を貫くまで、僅か数手。

 ユナヘルはセイフェアの死体を見下ろしながら、地面に膝をついた。


 魔法が激しくぶつかり合う気配が接近してくる。

 息を整え、立ち上がった。

 次で最後だ。


 玉座の間の壁を破壊して飛び込んできたのは、両手に魔法具を持った長身の男――フリードだった。

 右手に半透明な刃の長剣、左手には不気味な文様が描かれた黒色の杯がある。

 どちらも高位の魔法具だが、特に左手にある杯は、フリード以外に使いこなせる者がいないと言われるほど、特別なものだった。


「ユナヘルか」フリードは周囲を警戒したまま言った。「なんだ、お膳立てしてくれたのか」


 フリードはセイフェアとネベシアの死体を見つけて言った。


「すまんな、まだ少しかかりそうだ」

「知っています」


 ユナヘルが返事をしながら<灰塵>を構えるのと同時に、何振りもの真っ黒な刃が、フリードが入ってきた壁の穴から飛翔してきた。

 キュクロプスの単眼に睨まれ、次々と掻き消えていくが、全て消すことが出来ない。

 数本がユナヘルのすぐ傍の床につき立った。


 攻撃が来た方へ目を向けると、ヴィトス・ゾームが現れた。

 背には烏のような黒い羽が生えており、羽ばたいて宙に浮かんでいる。


 顎鬚を蓄えた壮年の男だった。

 眼光は鋭く、歴戦の勇士を思わせる立ち振る舞いだった。


 全身には返り血があり、その手には、暗闇が形を得たかのような真っ黒な刀身を持つ魔法具がある。


 ヴィトスはセイフェアの死体を見て憤怒の形相になった。


「ヴィトス!」フリードが大声を出した。「お前そんなにデュリオがいいのか! あの阿呆に何を約束された?」

「俺は国のために戦うだけだ」

「笑わせるな!」


 フリードは、右手の<雪女郎>を振るった。

 骨まで一瞬で凍りつく冷気の奔流が放たれ、ヴィトスを飲み込んだ。玉座の間は霜で覆われ、その威力を物語った。


「横だ!」フリードがユナヘルに叫んだ。


 ユナヘルは既に動いていた。

 真横に気配を察知する。

 ユナヘルの足元の影の中から、ヴィトスが飛び出してくるのが見える。

 影を伝って移動してきたのだ。


 振り下ろされる真っ黒な刀身を、ユナヘルは長槍の柄で受け止めた。

 見た目にそぐわぬ剣の重さが伝わり、ユナヘルは歯噛みした。


「裏切り者共め」ヴィトスが言った。


 ヴィトスの魔法具<影法師>の黒い刀身から、暗闇が破裂するように膨張した。

 それは瞬きをするよりも速く全てを飲み込み、全方位へ広がっていく。


 <影法師>の生み出す闇に飲まれると、特殊な魔法具によって解呪しない限り、視力や聴力などの五感が機能を失ってしまう。

 ユナヘルはそのことを身をもって知っていた。


 ユナヘルは暗闇が広がる直前に閃光を残して消え、玉座の間の入り口である大きな扉から通路へ移動した。


 暗闇の呪いが直撃したフリードはしかし、何の問題もなかった。

 フリードの左手の杯からは、血のように赤い液体が溢れていた。

 粘り気のあるその粘体は、波打つ表面にいくつもの目や耳を象り、フリードの体にまとわりついていた。


「相変わらず」ヴィトスは毒づいた。「醜い魔法具だ」

「そうか?」


 フリードは自分の目を閉じたまま言った。

 魔法具<汚泥啜り>によって形成された目玉や鼓膜を通して、外の様子を見ているのだ。

 再び五感を奪われたとしても、その粘体は何度でも体の器官を造り直す事が出来る。


 ユナヘルはヴィトスに向けて稲妻を放った。

 だがそれは<影法師>に誘導されて進路を変え、黒い刀身に吸い込まれて消えてしまった。

 <灰塵>とは違う種類の魔法無効化のようだが、詳しいことはわからない。


 ヴィトスはユナヘルを見もしなかった。


 ヴィトスの周囲に影の塊が現れ、それは剣の形を象ると、フリードに向かって目にも留まらぬ速さで放たれた。

 フリードにまとわりつく粘体が反応する。

 それは触手のように変化すると、放たれた剣に向かって枝分かれして伸び、全て絡め取って受け止めた。


 反撃とばかりに、フリードから冷気が放たれる。


 ユナヘルよりも数段上の実力を持つ者たちの戦いだった。

 二人の実力は拮抗している。

 ユナヘルは自分の役割を心得ていた。

 あくまで支援に回り、現れる邪魔者を端から排除する。

 ヴィトスの相手は、フリードに任せればいい。


 戦いは更に数刻続いた。




 夜が明けようとしていた。

 ユナヘルは王宮の一角にあるその部屋の前に辿り着いた。

 その全身には多くの傷があり、服は返り血と自分の血で真っ赤に染まっていた。

 全て無傷で済ませることは出来ないし、またその必要性もなかったのだ。


 部屋の前には救出班の者たちが数名控えており、その中にはオルコットもいた。

 地下牢から出たばかりでみすぼらしい服を着てはいたが、その手には彼の魔法具が握られていた。

 救出班によって助け出されたオルコットは、そのまま班に合流し、これまで戦い続けていたのだ。


「ユナヘル君」オルコットはかすれた声で言った。「君は、その魔法具は……」

「オルコット様!」若い女の声が聞こえ、背後から走る音が聞こえてきた。「ご指示通り、負傷者を集めました。治癒魔法を使える者が治療中です。あと、フリード様もご無事です」


 兵士たちの中には、侵入者たちがメィレ姫の奪還作戦と知り、味方をする者が少なからずいた。

 ミセリコルデも、そのうちの一人だった。


「酷い怪我ですね」赤毛の少女は、ユナヘルを見て言った。「こちらへご案内しま――」

 ミセリコルデは、ユナヘルに気付いた。

「……えっ?」


 ユナヘルは久しぶりにミセリコルデの声を聞いた気がしたが、決して気のせいなどではなかった。

 彼女の声を聞いたのは、いつ以来だろう。

 彼女はユナヘルの全身を眺め、両手の魔法具を見つめ、そしてユナヘルの顔をじっと見た。


「ユ、ユナヘル?」

「治療はいらないよ」ユナヘルは、立ち尽くすミセリコルデにそう言うと、オルコットに向き直った。「姫様に会わせてください」

「……ああ」


 オルコットは静かに頷き、兵たちは無言で道を空け、重く分厚い両開きの扉を、ユナヘルのために開いた。


 室内は広々としていた。

 数点の調度品が並び、天蓋のある寝台と、窓際に小さな机と椅子があった。


 メィレ姫は寝台の上に横たわり、数名の使用人によって介抱されていた。

 中には魔法具を持った者までもが控えている。


 姫はユナヘルを見つけると、使用人たちを退出するようにと促した。

 あわただしく部屋から出て行く使用人たちは、途中、不審な目でユナヘルを一瞥していった。


 姫はひどくゆっくりとした動きで体を起こすと、ユナヘルの体を上から下まで眺めた。

 顔色は悪く、死人のように青ざめていたが、その目は確かにユナヘルを見ている。


 部屋の扉が閉まる。

 メィレ姫と二人きりになった。


 窓の外からあわただしい声が聞こえてくる。

 戦いの処理は長く続くだろう。

 ユナヘルはこの先どうなるのかを知らなかった。


「姫様」ユナヘルは姫の前で跪き、震える声で言った。「お久しぶりです」


 メィレ姫は、疲れきっているようだったが、それでも笑みを浮かべていた。目尻には涙がある。


「あなたには、苦痛を強いましたね。ユナヘル」


 ユナヘルは心臓を握り潰されるような思いを感じた。


「なっ、えっ――」

「魔法は、失敗に終わりました。最初、私は自分自身に『力』を使うつもりだったのです」


 メィレ姫は静かに喋った。

 消耗が激しく、口を開くのも辛そうだった。


「ですが、不幸中の幸いだったようです。拘束され、私は地下牢へ監禁されてしまった。武器も無く、味方が誰かも分からない状況では、私自身にいくら『力』があったところで、状況を好転させることはできなかったでしょう」


 メィレ姫にとって監禁生活は数日だったはずだが、考えてみればいつ処刑されるともしれない時間を過ごしていたのだ。

 激しく疲弊していてもなんら不思議はない。


「姫様、『力』というのは……」

「ええ。時を遡る力です」


 メィレ姫は静かに言い、部屋の隅へ視線を向けた。

 そこには、いつの間にか精悍な男性が立っていた。

 長身でがっしりとした体つきをしており、髪は白く、肌は浅黒い。

 服装は貴族が着るようなものを纏っていたが、それはウルド国の服ではない意匠がこらしてあった。


 ユナヘルは驚いたが、その男性は厳しい視線でユナヘルを睨むだけで、何も言わなかった。

 静かな威圧感が向けられる。

 見ただけで、目の前の存在が格の違う相手だと理解した。


「この方は、ウルド様です。かの魔法具に封じられた存在が、私に力を貸してくれたのです」


 メィレ姫はそういって穏やかに微笑んだ。

 ユナヘルは驚きの連続で心臓がばくばくと音を立てていたが、しかし妙に納得もしていた。

 心のどこかで、馬鹿なことだと否定しながらも、その可能性について考えていたのだ。


 この「やり直し」の力は、メィレ姫が与えてくれたものだった。


 姫は寝台から降りると、ユナヘルの元へ近寄った。

 足はふらついており、ユナヘルは思わず魔法具を放り出して姫の下へ駆け寄った。

 崩れそうになる姫の手を取る。

 華奢で、力を入れればつぶれてしまいそうな手だ。


「ここまで辛かったでしょう。よくぞ、よくぞ数多の死を乗り越え、辿り着いてくれました」姫はユナヘルの魔法具へ目を向けた。「ウルド国内の魔物を封印して回ったのですね。戦う力を得るために」


 姫は膝をつき、ユナヘルの手を取っていた。

 言葉も出ない。

 憧れの人が、自分のために涙を流している。


「……だっ、誰にでも、出来たことです」ユナヘルは搾り出すように言った。「この力さえあれば、誰にだって……」

「いいえ。決してそんなことはありません」姫は強い口調だった。「確かに、死をきっかけにして、無限に時を繰り返すことは出来ます。しかしその心が折れてしまえば、あなたにかけられていた魔法はその力を失い、消え去っていたでしょう」


 ユナヘルは最初のころに兵士たちに殺され続けていたことを思い出す。

 もしあの時、繰り返す死に全てを諦めていたら、やり直しの力は失われていたのか。

 だとすれば、やはり救い出してくれたのは姫だ。

 姫を心の支えにして、自分は強敵と立ち向かうことが出来たのだ。


「あの、どうして自分だったんですか? 自分なんかよりも優秀な候補がいたのではありませんか?」


 姫は沈痛な面持ちで眉をひそめた。


「国王が死に、次々と味方が減っていき、フリードまでいなくなった。……私は、誰も信用できなくなってしまった」姫は深々と頭を下げた。「あなたには謝らなければなりません。ずっと、ずっと、謝らなければと、思っていました。あなたの気持ちを利用しました。あなたならば、私を助けるために動いてくれると、そう考えたのです。ごめんなさい。私は、私はあなたを……」

「やりたくて、やったことです」

「それでも言わせてください。助けに来てくれて本当にありがとう。どれだけ言葉にしても足りません」

 メィレ姫は顔を高潮させ、大粒の涙を流しながら言った。


「メィレ、そろそろいいか」

 ウルドが低い声を出し、近づいてくる。


「……ええ、お願いします」メィレ姫は涙を拭った。

 ユナヘルは咄嗟に身を引いた。「なにをするのですか?」


「あなたにかけられている魔法を解くのです。このままでは、時が経ち、あなたが天寿を全うした後でも、時が遡ってしまいますから」


 それを聞くや、ユナヘルは姫とウルドから飛び退くようにして大きく離れた。

 メィレ姫とウルドの表情には困惑がある。


 あれ?

 俺は何をしている?


 ここで「やり直し」の魔法を解かれてはまずい。

 まだ全てが終わったわけではないのだ。

 ここからまた、デュリオ王子派の残党による悪辣な罠にかかるかも知れない。

 この力はこの先も必要だ。


 言いたいのは本当にそんなことか?


 ユナヘルの思考には空白が生まれていた。

 そしてそこに、一つの像が結ばれる。


 それは「目」だ。

 暗く淀み、全てを諦めた、死んだ目。

 ユナヘルは、自分がその目をしていたことを、知っている。


「ユナヘル?」


 姫は首をかしげている。

 姫の疑問は当然だ。

 だがユナヘル自身にも、自分の行動の意味を分かっていない。

 呼吸が荒くなり、苦しくなった胸を無意識のうちに押さえつけていた。


 よせ、やめろ。


 ユナヘルの頭の中の何かが警告する。


 ここで終わりだ。

 この旅は、ここが目的地なんだ。

 あとは、辛く苦しい戦いだったとか、それでも自分は姫への思いを糧にして立ち向かったとか、そういう苦労話をして、英雄のように崇められて、それでいいじゃないか。

 手元を見ろ。

 あれだけ欲しかった魔法具が、いくつもある。

 巨人の怪力も、精霊の雷も手に入れた。

 大した怪我だって負ってないし、姫から賞賛だって得られた。

 これから目が眩むような褒美も、誰もが憧れる地位も、思いのままだ。

 姫のそばに居続けることだって、容易く叶うだろう。


 これが欲しかったんだろう?


 ごん、と音がした気がした。鈍器で頭を思い切り殴られた感覚だった。




 母親の死体の下で、ユナヘルは凶悪な魔物の息遣いを聞いた。

 血の匂いが鼻をつき、すぐそこまで「死」が迫ってきていることを、否応無く理解する。

 父親が食い殺されるのを眺めながら、早く終わって欲しいと願っていた。痛くても苦しくても良いからと。

 あと数回瞬きをするうちに見つかり、全身を噛み砕かれ、肉を食いちぎられる。


 ここで、この場所で死ぬ。

 絶対に助からない。


 体が氷に包まれるような気分を味わった。

 震えは止まらず、強烈な吐き気も収まらない。


 やがてユナヘルの順番が来た。

 魔物は、地に転がった柔らかな肉に鋭い牙を突き立てようと口を開き、そして莫大な閃光に飲まれていった。

 何人もの村人を殺し、ユナヘルの両親も惨殺したその魔物は、メィレ姫の指揮する兵士によって、あっけなく駆逐された。


 助かったのだと、命が繋がったのだと、ユナヘルはメィレ姫に差し伸べられた手を取って、ようやく実感した。


 姫は、魔物に襲われている辺境の村のことを聞いて、駆けつけてくれた。

 他の誰もやろうとしなかったことをやってくれた。


 もしも姫が、他の者たちのように見て見ぬ振りをしたら?

 多少の犠牲はよくあることなのだと、割り切ってしまっていたら?


 ユナヘルは死んでいた。

 絶望に浸ったまま、魔物に食われ、僅かな肉片を残してこの世から去っていた。


 ユナヘルは知っている。


 その人に、救いの手を差し伸べてくれる者は、どこにもいないのだ。


 ――自分以外には。




「姫様、お願いがあります」


 ユナヘルの声を聞いて、メィレ姫はすっと表情を険しくした。


「なんでしょう。私に出来ることなら、何でも叶えるつもりです」

「ありがとうございます」ユナヘルは、一つ大きく息を吸い込んだ。「この力を、もう少しだけ貸していただけないでしょうか」


 メィレ姫の目が細くなった。


「……何か、やりたいことがあるのですか?」

「どうしても助けたい人がいます。その人は、僕だけが助けられるんです」


 言葉にすることで、ユナヘルは自分の気持ちがはっきりと固まっていくのを感じた。


 そう、僕だけが助けられる。

 僕以外の誰にも、助けられない。


 スヴェが目の前で死んでしまうことが嫌になって逃げ出した。

 ただそれだけだ。

 泣き言はまだ早い。


「その方は、どのような人物ですか?」

「蛇の亜人に育てられた方です。この『時間』では、既に死んでしまっています。彼女の存在なくして、姫様の元に辿りつくことはできませんでした」

「その方を助けたい、と」

「彼女を助けたら、メィレ姫を、必ず助けに来ると約束します」


 メィレ姫は何かを考えるようにユナヘルから目をそらした。

 しかしそれは一瞬のことだった。

 メィレ姫の視線はすぐにユナヘルの目をまっすぐ捉えた。


「分かりました」

「いいのか?」傍らに立つウルドが口を開いた。「お前は――」

「構いません。ユナヘルの恩義に報いたいのです」


 ウルドは難しい顔で腕を組んだ。「――お前がそう言うのなら、それでいい。ならばこの人間にかけられた法を解くのは、再びお前がこの状況から救い出されたときだ」


 ウルドはユナヘルを見た。

「人間よ。見逃すのは、この一度だけだ。よいな」

 ユナヘルはウルドの言葉に若干の違和感を感じつつも、力強く頷いた。


 メィレ姫はユナヘルに向き直る。

「ユナヘル。私はこの王都で、あなたの助けを待っています」

「はい。待っていてください」

 ユナヘルはそう言った。






 ユナヘルが部屋を去った後、メィレは窓際に戻り、寝台に座った。

 体に力が入らない。

 心の衰弱が、身体に強い影響を与えている、


「メィレ・リードルファ」ウルドが低い声を出した。「なぜ――」

「いいのです」メィレは震える声で、しかし断固として言った。「彼は私のために、何度も、――何度も死んだのです」

「……ならば何も言うまい」

「私のわがままを聞いてくださって、ありがとうございます」

「良い。これもリードルファの血族との契約である」


 そういうと、ウルドは一瞬で姿を消した。

 部屋には、メィレ一人が取り残された。


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