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ユナヘル  作者: かなへび
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第五章


 灰色の空を、数十頭のワイバーンたちが飛び回っている。

 翼の生えた蛇のような姿をしたそれらは、縄張りに迷い込んだ獲物を目ざとく見つけた。

 ワイバーンたちは上空から急降下して火と風の魔法を一斉に放った。

 全てを焼き尽くす灼熱の火球と、大岩でさえも巻き上げてしまうような暴風。

 それらは空を覆いつくし、地面を歩く人間――ユナヘルに向かって降り注いでいた。


 ユナヘルは、左の肩に担いでいた身の丈を超える幅広の大剣、<灰塵>を頭上に掲げた。


 キュクロプスを封じたこの魔法具は、全体が灰色で、キュクロプスの硬くごつごつした肌を想起させる質感をしていた。

 刀身の両側面についた灰色の金属の刃は、切れ味という言葉を知らないかのように鈍磨だった。

 刀身の先端に至っては刃すらなく、そのため遠目から見ると長方形の金属の板に柄が生えているようだった。


 何より目立つのは、片方の刀身の背にある巨大な割れ目――「目蓋」だった。

 ばっくりと目蓋が開き、その下から巨大な瞳が現れた。

 大剣の目が頭上を一睨みすると、ワイバーンたちが放った魔法たちは、煙を振り払うようにあっさりとかき消されてしまった。


 ユナヘルはそのまま、右手の魔法具を頭上へ掲げた。

 ユナヘルの身長よりも長いその槍、<空渡り>は、エンリルという魔物が封じられている。

 ほっそりした直刃と、長い柄があるだけで、飾りも何も無い簡素なものだったが、全体が淡い光を放っており、それがただの槍でない事を示していた。


 槍の穂先から、白く輝く稲妻が溢れた。

 大気が震え、爆音が轟く。


 その様子はまるで大樹が大空へ向かって幹を伸ばすかのようで、槍の先端から枝分かれした稲妻が、数十頭からなるワイバーンの群れの一体一体へ、自ら意思を持つように向かっていった。

 避けることも出来ず、全身を焼き焦がして絶命した魔物たちは、黒煙に巻かれながら落下してきた。


 ユナヘルはその見慣れた光景を視界の端に入れ、墜落するワイバーンに巻き込まれないよう、その場を後にした。




 ここは、「紅蓮竜の山」と呼ばれる魔物領だ。

 ウルド国の北端にあり、非常に広大で、世界中を見渡してみても随一の凶悪さを誇る魔物たちがひしめき合っている。

 山に踏み込んだ者はことごとく帰らず、過去に百人からなる兵団が侵入したことがあったが、生きて戻ったのは数名だったという。

 そのためどんな魔物がいるのか、ほとんど調査が進んでいない。


 この魔物領にはその名の通り、竜が生息していると言われている。

 竜種と戦った者はいない。

 伝説にのみ存在が語り継がれており、その姿を実際に見たものはいないのだ。

 実際に紅蓮竜の山を歩き回ったユナヘルは、所詮は伝説だと諦めるようになった。




「竜は実在します。今は姿を隠しているだけ」


 いつだったか。

 ユナヘルはメィレ姫と交わした会話を思い出した。


 フリードの居室で本を読んでいたとき、メィレ姫が現れ、魔物の話をしたのだ。

 ユナヘルはがちがちに緊張していてろくに話も出来なかったが、メィレ姫はそんなユナヘルをからかっては嬉しそうに笑っていた。


「『ウルドの伝説』ですか?」

「ええ」メィレ姫はにっこり笑った。


 五百年前――ウルド国という名前は無く、力を持った族長が各々で自分たちの地を支配していたころ、この地に竜が現れた。

 恐ろしい力を持つその魔物は、人を食らい、亜人を食らい、全てを焼き尽くしたという。


 竜を倒したのは、リードルファ家が手に入れた<ウルド>と呼ばれる魔法具だ。

 その後は<ウルド>は象徴として崇められ、そのまま国の名前となった。


 現在ではその力を実際に見たものはおらず、せいぜい王位継承の儀式のときに持ち出されるくらいだった。

 国の信心深い年寄りなどは朝に夕にと熱心に崇め奉っているようだが、ユナヘルのような年代の若者で、その力を心から信じている者は少ない。


「竜を倒したのは<ウルド>の力だと言われていますが、決してそれだけではないのです。争い合っていた氏族が結集し、一致団結して立ち向かったからこそ、私たちの先祖は竜を打倒することが出来ました」

「そうなのですか?」


 一般に知れ渡っている「ウルドの伝説」は、リードルファ家の活躍が描かれているだけで、そのような話は知らなかった。


「もっと聞きたいですか?」


 そのときのメィレ姫は笑みを浮かべてそう言った。

 ユナヘルは、勢いよく頷いたことを良く覚えていた。




 ユナヘルの背後には天高くそびえる山々がある。

 山頂付近は雲に隠され、白い雪に覆われていた。

 この山の向こうはデフリクト国である。

 木々が少なく、ごつごつした岩肌ばかりが目立つ山だった。

 地面は所々暖かく、湯気が吹き出ているところもあり、時折大きく揺れる。

 そのたびにユナヘルは周囲を警戒していたが、今ではもう慣れてしまった。

 大地の下には迷路のような空洞がいくつもあり、地を這う魔物はそこに住み着いているようだった。


 まだ昼だというのに、空は薄暗く常に灰色で面白くも無いが、下界を見下ろせば、これまで移動してきた土地が見渡せた。

 スヴェと旅をした魔物領や訪れた亜人種の村などはどのあたりだろうかなどと考えながら、ユナヘルは山を降りていた。


 メィレ姫奪還のために、この魔物領で手に入れなければならない魔法具は、全て手に入れた。

 次の行き先は決まっている。

 ユナヘルは慣れた道を進んでいった。






 ラグラエル・バスタブーラは、三階にある自室の窓から、自分の領地を眺めていた。

 広大な麦畑の向こうには、緩衝区の森がある。

 王都の西に位置するこの地には、比較的魔物領が多い傾向にある。


 ノックの音がして返事をすると、部下の一人が入ってきた。


「お帰りになりました」

「そうか」ラグラエルは深い溜息をついた。


 ラグラエルはメィレ姫派の有力者だったが、フリード・パルトリの「失踪」を契機に、デュリオ王子派の軍門に下った領主の一人だった。

 デュリオ王子派は寝返ったものたちへの警戒を怠らず、不穏な動きをすればすぐにでも罪を捏造するつもりであることは明白だった。

 今も、王都からの監察官の対応をしていたところだった。


「彼らがなにかに気付いた様子はあったか?」

「分かりかねます」部下は首を振った。「申し訳ありません」

「いや、いや、いいんだ。下がってくれ」


 部下が退出し、ラグラエルは一人書斎机の椅子に座った。

 考えなければならないことは数多くある。

 決断しなければならないことも。

 メィレ姫は直に処刑される。

 時間は残されていない。

 思考は迷路のように渦巻いて、彼の顔に深いしわを刻んだ。


 風が吹き、ラグラエルの白髪を撫でた。

 窓は閉まっていたはずだ、と顔を上げると、身の丈に合わない魔法具を両手に持つ、見知らぬ少年が立っていた。


「突然の無礼をお許しください」


 少年は頭を深く下げた。

 窓は開いており、カーテンが風に揺れていた。

 ラグラエルは驚きの声を上げる余裕も無かった。

 少年の身なりは薄汚れており、何日も旅をしてきたことが分かる。


「まず、第一に、私はメィレ姫の味方です」少年はそう言った。「あなたと同じように」


 ラグラエルの脳裏をよぎったのは、つい最近起こった奪還作戦の失敗のことだった。

 あれは結局、デュリオ王子派の手引きによる不穏分子の排除が目的だった。

 ラグラエルが咄嗟に否定の言葉を口にしようとしたが、少年が手で制した。


「私は、この館の地下室にフリード様が匿われてることも知っています」

「なっ!」ラグラエルは立ち上がった。「なにを……」

「冷静に考えてください。もしも私が王子派の人間だったなら、あなたを罠にはめようなどとは考えません。あの監視官に、フリード様の居場所を伝えるだけでいいのですから」


 混乱の嵐の只中にあったが、ラグラエルは必死に頭を回した。

 この少年は何者か。

 一体どこから情報が漏れたのか。

 そうだ、まず知らなければならないのは、相手の目的だ。

 ラグラエルがそれを質問しようとしたまさにそのとき、少年は口を開いた。


「私の目的は、メィレ姫の救出です。そしてそのためには、フリード様のお力が必要なのです」




 ラグラエルは、ユナヘルと名乗った少年を、秘密の地下室に案内した。

 壁にかけられた油灯の明かりが、四方を囲む石の壁に、濃い影を作っている。

 その場にいた使用人はユナヘルの姿に困惑していたが、ラグラエルに言われて地下室をあとにした。


 寝台に横たわっているのは、筋骨隆々の大男――フリード・パルトリだった。

 長く伸びた濃い茶色の髪にはやや白髪が混じり、露出した太い二本の腕はところどころに傷が見え、その男の歴史を物語っていた。


 フリードの顔は青白く、まるで蝋のようだった。

 耳を澄ませば、僅かに呼吸音が聞こえる。


 ラグラエルの部下は、魔物領でフリードを見つけた。

 助け出されたときには瀕死の状態で、王子派の罠から逃げてきたということだった。

 その後フリードはすぐに意識を失ってしまい、ラグラエルは的確な行動を取れずにいたのだった。


「複数の呪いがかけられている」ラグラエルは疲れた声を出した。「おそらく第五階梯の魔法具使いによる攻撃を受けたのだ。外傷はないが、意識が戻らない。我々も手を尽くしたが、どうすることもできなかった」


 解呪のための魔法具も、解呪に特化した技術を持つ魔法具使いももちろん存在するが、どちらも王都にあり、ラグラエルの手中にはない。

 手に入れようにも、デュリオ王子派に気付かれずに動くことは難しかった。


 王族を処刑しようとするような連中だ。

 大事にされるまえに、全てひねり潰されてもおかしくないのだ。


「私も分かっている。フリード様さえ健在なら、他のメィレ姫派の領主たちを説き伏せることは可能だと。だが――」

「大丈夫です。私が呪いを解きます」


 そういうと、ユナヘルは両手の魔法具を脇に置き、懐から<白猫の尾>を取り出した。

 真っ白な毛に覆われたその小さな魔法具は、猫の尾をそのまま切り出したような形をしていた。

 それはまさにラグラエルが求めていた魔法具だった。


「待て。君は解呪について分かっているのか?」ラグラエルはユナヘルの肩を掴んだ。「もしも失敗すれば、死んでしまうかもしれない。今はフリード様本人の干渉力で耐えているようなものだ。それを――」

「大丈夫です」


 ユナヘルは二の句を告げさせない迫力で言った。

 ラグラエルはたじろいだ。

 この自信に満ちた態度は、一体どういうことだろう。

 自分が失敗するなどとは一切考えていない顔だ。


 ユナヘルはゆっくりとした動きで、フリードの体の上へ魔法具をかざした。

 音はない。

 匂いも、派手な動きもない。

 ラグラエル自身、魔法具についての知識はあるが実技の能力は無く、ユナヘルが具体的にどのようにフリードの呪いに働きかけているのか分からなかった。


 やがてユナヘルは魔法具を下ろし、大きくため息をついた。

 額にはじっとりと汗があった。


「終わりました」

「えっ?」


 ラグラエルはフリードを見た。

 目に見えて顔色が良くなっている。

 素人目にも解呪が成功したことは明らかだった。

 ラグラエルは震え上がった。


「数刻で目を覚まします。あとは通常の治癒の魔法をかけてください」

「君は……」

「ラグラエル様は、メィレ姫の処刑を望みますか?」

「馬鹿な!」ラグラエルの声が地下室にこだました。「そのようなこと、誰が望むものか!」

「私に従ってください」ユナヘルは一切のよどみなく言った。「メィレ姫のために出来ることは、それだけです」






 長い「やり直し」の時間の中で、ユナヘルがフリードを見つけたのは、決して偶然ではなかった。

 王都の攻略は難航した。

 自分の実力が上がっても、やはり一人では限界があったのだ。


 自分以外の戦力が必要だと考えたユナヘルは、協力者を探すことにした。

 可能な限りでメィレ姫派の領主がいる各地を巡り、協力者を募ったが、誰もユナヘルの言葉では動いてはくれなかった。

 無理もない話だ。

 いくら強力な魔法具を持っていったとしても、「やり直し」の力を証明したとしても、所詮ユナヘルは見習い兵士に過ぎないのだから。


 半ば諦めながらも、ユナヘルは次々と巡り、とある領主――ラグラエルの治める領地にたどり着いたとき、奇妙なことに気付いた。

 デュリオ王子派の監視の目が、異常に多かったのだ。

 魔物領や、緩衝区、町中まで、数多くの兵士が何かを嗅ぎ回っている。

 これまでメィレ姫からデュリオ王子派に寝返った領主たちの領地も見てきたが、ラグラエルの領地だけ明らかに異常だった。


 ユナヘルはすぐに気付いた。

 フリード・パルトリが最後に調べていたという魔物領は、ラグラエルの領地の近くではなかったか、と。

 そしてユナヘルは、フリードがまだ生きており、デュリオ王子派の者はそれを探しているのだと推測した。


 あとは簡単だった。

 ラグラエルの館まで行き、適当に決め付けてかまをかけ、かくまわれていたフリードと面会することが出来た。


 解呪についても、それほど問題にはならなかった。

 全ては練習であり、同時に本番でもあったのだ。

 ユナヘルは、フリードの屍の山を築き上げることで、解呪についての技能を獲得した。


 解呪に失敗し、フリードが死ぬたびに、ユナヘルは自らやり直しをした。

 自分が何をしても、どんなひどい失敗をしても、どんな恐ろしい間違いをしても、死にさえすれば何もかも消えて無かったことになって、また王都で走り回る夜が始まる。

 今見ている全てが、陽炎のように歪むような感覚を覚えた。

 この世界は何もかもが嘘っぱち。

 その考えがよぎったとき、冷たいものがユナヘルの背筋を通り抜け、胸の中を気持ちの悪いむかつきが蠢いた。

 それ以上このことについて考えてはいけない気がした。

 このままでは自分が何か全く別の生き物になってしまうような、恐ろしい予感があったのだ。

 もう二度と同じことはやりたくないと、ユナヘルは強く思った。




 死ぬたびに王都から脱出し、魔法具を手に入れ、フリードの元へ行く。

 そして復活したフリードによって、メィレ姫派の領主たちに声がかけられ、戦力が整う。

 監察官の動きも、ユナヘルは全て把握していた。

 王都へ情報が漏らされないよう、ユナヘルはその都度適切に処置していった。


 王都では、正面切って戦ったとき、どうしても分の悪い相手がいた。

 その中でも特に恐ろしいのが、ヴィトス・ゾームという男だった。

 シノームル王の近衛兵を務めていた経験があり、ウルド国最強の兵士と呼ばれて名高い。

 スヴェと同等か、それ以上の強さがあることは間違いなかった。


 だがフリードのおかげで戦力を整えることが出来たため、全てを一人で相手にする必要はなくなった。

 これは非常に重要だった。


 王都の攻略が順調に進行していくにつれ、ユナヘルはスヴェのことを考えるようになった。

 ここまでこれたのも、全てスヴェのおかげだ。

 ユナヘルは、メィレ姫を無事に助け出すことができたら、スヴェに会いに行こうと考えていた。


 そして、スヴェに話すのだ。

 実は、僕は何度も時間を繰り返していて、君と何度も会っていて、そして何度も話したことがある。

 君は覚えていないけど……。


 その場面を想像して、ユナヘルは怯えた。

 怪しまれ、不審な目を向けられるだろう。

 だがそれでも、礼を言いたかったのだ。


 紅蓮竜の山で必要となる魔法具を手に入れ、フリードが匿われているラグラエルの領地まで向かうとき、ユナヘルはいつも異なる道を通るようにしていた。

 魔法具の力によって高速で移動できるため、どのような道を通ってもほとんど到着時間が変わらず、少しくらいの遠回りなら特に問題はなかった。


 ユナヘルはスヴェの村を探していた。

 以前したスヴェとの会話で、ユナヘルはスヴェの故郷の位置をある程度予想していた。

 ユナヘルは、スヴェの無表情な顔が見たくて仕方なかったのだ。

 メィレ姫を助けるために使うと誓った力を、私欲を満たすために使っている。 小さな罪悪感はユナヘルを苛んだが、それでも止めることは出来なかった。




 後に、ユナヘルは振り返ることになる。

 それを見つけてしまったのは確かに偶然だったが、何度も何度も、気が遠くなるほど同じ時を繰り返していた自分にとって、避けられぬ必然だったのだと。




 また新たに別の方角からラグラエルの領地へ帰ろうとしたときのことだった。

 魔法具を手に入れ、紅蓮竜の山から下山しようとすると、遠くで魔法を使う気配があった。

 最初は魔物同士の戦いだろうかとも考えたが、それにしては様子が変だった。

 人間が魔物と戦っているのだろうか。

 だが紅蓮竜の山の近辺にまで足を運ぶ者がいるとは思えない。

 ユナヘルは胸騒ぎを覚え、進路を変えて、気配のする方へと進んでいった。


 魔法の気配を追って下山し魔物領を出ると、ユナヘルは緩衝区にある沼地に入り込んだ。

 湿度が増し、ぬかるんだ地面を進んでいった。


 見つけたのは、破壊されつくした亜人種の村だった。


 泥と草木で作られた家々があったが、どれもこれもまともな形を残していない。

 火の魔法によるものか、焼け焦げた後がそこら中にあり、地面を覆う苔のような植物からは煙がくすぶっていた。


 血と肉片が広がり、ひどい有様だった。

 まともな遺体は少なかったが、かろうじて下半身が蛇の姿をした亜人種だと分かった。


 間違いない。

 ここはスヴェの村だ。

 この破壊が行われたのは、ほんのついさっきだと分かる。


 ユナヘルは胸が苦しくなり、膝をついた。

 かつて自分の村が襲われた光景が蘇り、吐き気がこみ上げてくるのを感じた。


 だが同時に、ユナヘルはスヴェの体温を思い出した。

 体を流れる血が温まっていくのを感じる。


 もう大丈夫。

 スヴェが、大丈夫にしてくれた。

 ユナヘルは胸のうちでそう唱え、立ち上がった。

 魔法の気配は続いている。

 誰かが近くで戦っている。


 誰か?

 違う。

 馬鹿なことを言うな。

 この魔法の気配を間違えるはずが無い。


 気がつけばユナヘルは、<双牙>の魔法を使い、獣のように沼地を駆け抜けていた。

 ここまで近付くと、魔法の気配だけでなく、音や振動が直接伝わってきた。


 やがて、半分枯れたような、痩せた木々ばかりの森にたどり着いた。

 森の中は戦いの跡が広がってる。

 薙ぎ倒された木々には火がつき、延焼していた。

 地面に巨大な足跡があるのを横目で見て、ユナヘルはさらに速度を上げて走った。


 音と振動、そして、魔法の気配が、ぱったりと途絶えた。

 戦いは終わったのかと考えるのと同時に、ユナヘルはそこへ辿り着いた。


 地獄と化した森の中に、スヴェはいた。


 彼女は右手の<捩れ骨>を杖のように地に突き立て、片膝を着き俯いていた。身に着けている服は焼け焦げており、自身の血によって赤く染まっていた。

 目を疑う光景だった。

 高階梯のウルドの兵士をものともせず、数多くの凶悪な魔物を退けてきたあのスヴェが、地面に膝をついている。


 スヴェが空に視線を向けた。


 夜が来たように暗くなる。

 何かが太陽をさえぎり、辺り一体を影が覆ったのだ。

 一瞬の後、突風が巻き起こり、影は消え、そして地面が揺れた。


 地に膝を着くスヴェの前に、翼を持つ絶対者が降り立っていた。


 それは一対ずつある前脚と後脚で大地を踏みしめると、肩から広げていた翼を折り畳んだ。

 長くたくましい尾が動き、スヴェをぐるりと取り囲んだ。

 深い青色の瞳が、手の届かない頭上高くから、スヴェを見下ろしている。

 興味深そうに、と言っていいのかユナヘルには分からないが、スヴェのことを覗き込んでいるようだった。


 全身は縒り合わされた太い筋肉の束で出来ていた。

 体中を覆う鈍い緋色の鱗が、中天に上った陽光を反射している。

 鱗は滑らかな金属のようで、こんな状況でなければ見蕩れていたことだろう。

 頭部は体全体と比べると小さく見えるが、それでもその短剣のような牙の並ぶ口が開けば、ユナヘルなどすっぽりと入ってしまう大きさだった。

 竜の頭の側面からは二本のねじくれた角が生えており、竜の視線の先に向かって突き出している。

 先ほどから黒煙が漏れ出ていた口元が開く。

 その青い両目が知性を湛えているように見えるせいで、ユナヘルは、その口から人の言葉が出てくるのではないかと身構えてしまった。


 紅蓮竜。


 ユナヘルの脳裏には、その言葉が自然と浮かび上がった。

 魔法の気配は無く、この距離まで近付かなければ、その存在を察知できなかった。

 これまでの経験上、ありえないことだった。

 魔物だというのに、まるで兵士のように、魔法の気配を隠している。

 ユナヘルの背を、悪寒が貫いた。


「スヴェ!」


 叫び声を聞き、彼女は、ユナヘルの方へ顔を向けた。

 絶望がこびりつき、疲れ果て、何もかも諦めた顔をしている。


 そして、それがスヴェの最期の表情だった。


 竜の大顎がスヴェに食らいつき、頭上高くへ持ち上げられていく。

 彼女の足が苦しそうにばたついた。

 こぼれた血が竜の顎を伝っていくのを、ユナヘルはつまらない冗談を見るような目で見ていた。


 数度の咀嚼を経て、竜の喉元が動くのが見えた。

 スヴェだったものは、竜の胃袋の中へ滑り込んでいったのだ。


 悲鳴に似た怒号が、ユナヘルの口から飛び出した。

 頭の頂点から爪先まで、すべてが心臓になってしまったかのように、血が燃えながら全身を巡っている。

 ユナヘルは魔法で強化された足で地面を砕き、走り出していた。


 竜が青い目でユナヘルを捉える。

 その瞬間、ユナヘルは凍りついた。

 地獄の底へ続いているのではないかと思うほどの、暗い縦の裂け目が、ユナヘルを待ち構えていた。

 慣れ親しんだ死の感覚が全身を覆いつくす。

 一瞬後には王都の路地裏に戻るのだろうという錯覚を覚え、そして、焼け焦げるような怒りが、恐怖を飲み込んでユナヘルの体を突き動かした。


 眼を直視しただけでこれだ。

 ユナヘルは竜と自分の力の差を思い知った。

 だが止まらない。

 止まってたまるものか。


 喉の奥から、獣のような咆哮が噴出した。

 竜の太い尾が空を走り、ユナヘルに横から直撃する。

 普通なら上半身がなくなっていてもおかしくない速度で叩きつけられた尾は、<灰塵>の盾によって防がれた。


 尾を止めた衝撃で、ユナヘルの足がくるぶしの辺りまで地面に陥没した。

 全身の筋肉が悲鳴を上げているのが分かる。

 <灰塵>による巨人の如き怪力を得る魔法を使っていても、正面から受けるのは危険だ。


 目と鼻の先までやってきた尾を両断してやろうと、<灰塵>を振りかぶる。

 だがユナヘルは視界の端で、竜が口を開くのを目撃した。

 自分の肌が粟立つのを確かに感じた。

 咄嗟に振り上げた灰色の魔法具を竜に向けてかざすと、次の瞬間、灼熱の奔流がユナヘルへ殺到した。


 <灰塵>の影に身を潜めるようにして、ユナヘルは竜の炎から隠れていた。

 キュクロプスの目が竜の口から放たれる炎をかき消すが、死の息吹は止まらない。

 ユナヘルはその場へ釘付けになった。


 炎熱はユナヘルをじっくりと舐め上げている。

 露出している肌が火傷を負っていくのを感じた。

 炎を消しきれていない。

 魔法の無効化が間に合っていないのだ。

 急に足から力が抜ける。

 ユナヘルは自分がひどく消耗していることに気づいたが、体力的なものではないとすぐに分かった。

 相手の魔法を消し続けているせいだ。


 右手の<空渡り>を構え、意識を集中する。

 失敗すれば炎に巻かれてしまう。


 ユナヘルはその場に雷鳴と閃光を残して消え、一瞬の後に竜の後方へ姿を現した。


 雷の精霊であるエンリルが使用していた、光となって移動する魔法である。

 空間を飛び越えるかのように移動できる恐ろしい魔法で、エンリルを封印する際に非常に苦戦した要因の一つであるが、いざ使う側になるとその欠点が良く分かる。

 それほど長距離を移動できるわけではないし、連続で使用することが出来ず再使用まで時間がかかる。

 そして、攻撃魔法と同時に使うことが出来ない。


 竜の背後を取ったユナヘルだが、奇襲は出来なかった。

 竜は炎の息吹を止めると即座に反転し、ユナヘルへ頭を向けた。

 移動先が分かっていたのだ。


 竜が振り向きざまに、強靭な前脚をユナヘルの頭上に振り下ろした。

 打ち合うように怒り任せに<灰塵>を振るったが、膝が震えていては勝負にならない。

 ユナヘルはそこで意識を失った。






「……冗談なら、タチが悪いんだけど」

「冗談なもんか!」


 ユナヘルの叫び声が、夜の森にこだました。

 スヴェの手を借りて王都を脱出したユナヘルは、王都近くの森の中で、スヴェに詰め寄っていた。

 ユナヘルの手には、兵士から奪った魔法具があった。


「だいたい、その、時間が巻き戻る、魔法? そんなものがあるとは思えない」


 スヴェは警戒心に満ち満ちた目でユナヘルを見ていた。

 ユナヘルが妙な動きをすれば、即座に魔法が飛んでくるだろう。


「――ラフィ。君の妹の名だ」


 スヴェの目が大きく見開かれる。「どうし――」

「君が七歳のとき、村にやってきた人間と争いが起きた。小さな諍いはそれまで何度もあったけれど、そのときは怪我人も出て、騒ぎが大きくなってしまった。そして村人たちの中で人間への反感が高まり、人間だったスヴェ、君にその矛先が向けられそうになった。でもラフィが盾になってくれて、君は村を追い出されずに済んだ」


 スヴェは僅かに警戒を解いたようだったが、それ以上に動揺が見て取れた。


「まだ他にも知っていることを話そうか? あといくつか、スヴェ自身から聞いている話があるけど――」

「いい。もう充分」スヴェは首を振った。「きみの話を突っぱねるより、真実と考えたほうが危険が少なそう」

「――ありがとう」


 スヴェは夜空を仰いで大きく深呼吸した。


「でも、信じられない」

「信じられない?」ユナヘルは苛立ちを押さえ込もうとした。「僕が君の心を覗く魔法でも使って、君の秘密を探ったって疑ってるの?」

「そうじゃなくて、竜のこと」


 スヴェは片手で額を覆った。


「確かに竜の話は聞いてる。でもそれはおとぎ話のようなもの。それがどうして突然現れたの?」

「そんなこと!」ユナヘルは浮かび上がった恐ろしい光景を振り払った。あれはまだ、この時間では起きていない。「知らないよ。村は壊されて、村人も食い殺されてた。僕は匂いまで覚えてるんだ」


 ユナヘルはたじろぐスヴェに再び詰め寄った。


「君は竜の奇襲でも受けたのかもしれない。あるいは、竜にやられてしまった村を見て、動揺してしまったのかも。まともに戦えば、君が負けるはず無いんだ」


 そうだ。スヴェが魔物に負けるはず無い。


「どのみち村へ帰る予定だったんでしょ?」

「……ええ」

「今すぐ帰って。全力で。君一人なら、<月影>の力で三日以内に村へ帰れるはず。そうでしょ?」

「……きみはこれからどうするの?」

「僕のことなんかいい」


 ユナヘルは手の中の魔法具を見た。

 これらは所詮、人から奪ったものだ。

 十全の力は発揮できず、足手まといになってしまう。

 ユナヘルの足にあわせて移動すれば、竜の襲撃に間に合わなくなるだろう。


「それよりもスヴェ、今は君のことだよ」

「――分かった」


 半信半疑といった様子で、スヴェは頷き、獣のように森の中を駆けていった。




 スヴェは、四つの魔法具を装備している。


 妖狐フーシェンが封じられた<月影>は、肉体の強化と火の耐性を得ることが出来る。

 また、幻惑の魔法を使うこともでき、それを応用して敵の攻撃を回避することが出来る。


 <銀鏡>は水の精霊ウンディーネが封じられており、水に関する魔法を一通り扱え、連発は出来ないが、水を媒介にして瞬間的に移動することもできる。

 相手の背後を取ったり、咄嗟の回避が可能になったりと、非常に強力な動きが出来る。


 スヴェの腰にある螺旋状の刃を持つ剣<捩れ骨>は、リンドヴルムという毒蛇の魔物が封じられている。

 毒に関するあらゆる魔法を使うことが出来るそれは、スヴェの主力であり、キュクロプスでさえ僅か二呼吸で絶命させるほどの威力を持つ。


 <峰沈み>にはベヒモスという魔物が封じられており、重力を操り対象を押し潰すことが出来る。

 ユナヘルは一度だけその魔法を見せてもらったことがある。

 一つの山を均してしまう威力を秘めたこの魔法具は、スヴェの切り札だ。


 これほどの魔法具を同時に、しかも自在に扱える人間は他にいないだろう。

 まさにスヴェは、世界最高峰の魔法具使いだ。




 兵士から奪った魔法具の力で魔物領を突き進み、スヴェの村まで到達できたのが、作戦失敗の夜から、五日目のこと。

 竜はいなかった。

 沼地には蹂躙されつくした跡だけがあり、亜人種の死体には魔物が群がっていた。

 戦いの跡を辿ると、燃え尽きた森の中で、半分に折れた<捩れ骨>が転がっているのを見つけた。






 スヴェの村が竜に襲われるのは、奪還作戦失敗の夜から四日目の昼で間違いない。

 ユナヘルと出会わなかったスヴェがまっすぐ村に戻ると、到着するのは三日目の夜だということも確認した。

 ユナヘルは考える。

 スヴェを助けるためには、どうすればいい?


 簡単だ。

 竜を倒せばいい。

 幸いなことに、スヴェの村が襲われるまでに、最高の戦力――<空渡り>と<灰塵>を手に入れることができる。

 スヴェと共に、竜に挑むことは可能なのだ。


 だが結果は惨敗だった。

 どうあがいても勝ち目が見えてこない。

 生物として、否、存在そのものの格の違いを見せ付けられた。


 スヴェを竜と遭遇させない、ということも試した。

 口八丁手八丁で時間を稼ぎ、四日目の昼以降に――つまり村が滅んだあとに帰るよう仕向けるのだ。


 だがスヴェは自分の村が滅んだのを見ると半狂乱になり、竜と戦うために魔物領へ向かってしまう。


 「仇を取る」と血走った目で言うスヴェは、誰よりも恐ろしかった。

 そして、冷静さを欠いた状態で竜に勝てるはずなど無かった。


 持久戦を仕掛けたこともある。

 スヴェと作戦を立て、竜の消耗を狙って戦いを長引かせるのだ。

 これは案外上手くいった。

 スヴェの二つの魔法具は撹乱を得意としており、戦法に問題は無いように思えた。

 だが竜との戦いに時間をかけて、フリードの解呪が遅れれば、戦力を整えることが出来なくなる。

 メィレ姫救出のためには、五日目の朝までにはラグラエルの領地へ行かなければならない。


 永い旅を繰り返すうち、ユナヘルは「何が出来るようになるか」を把握できるようになっていた。

 あの竜と戦い、一日以内に、それもその後の戦闘に支障が出ない程度の傷で勝利を収めるなど、到底不可能だ。




 スヴェの死は避けられない。

 それが結論だった。


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