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ユナヘル  作者: かなへび
3/9

第三章




 なだらかな丘は、朝もやで包まれていた。

 太陽はまだ低い。

 ひりつくような寒さがあり、周囲には馬の足音だけが聞こえる。


 メィレ姫を脱獄させようとした強襲作戦から一夜明け、ティレスタムは御者台に乗って馬の手綱を取っていた。

 目指す先は王都を出て丘を一つ越えたところにある共同墓地だ。

 馬が引くのは屋根の無い荷台。

 乱雑に並べられた麻袋の中身は、ほとんどが低階梯の兵士と、見習い兵士だった。

 車輪が道の凹凸に合わせて跳ね上がり、そのたびに麻袋が揺れ、その存在を主張した。


「ちっ、なんだって俺がこんな仕事を……」


 ティレスタムはぼやきながら、馬の手綱を振るった。

 五体満足な死体は少なかった。

 足が無かったり腕が無かったり、腕や足だけになってしまったものもあった。

 当然と言えば当然だ。

 高階梯の兵士たちの強力無比な魔法が直撃したのだから。


 ティレスタムは外套の襟を立てながら、前方で先行しているはずの死体運びの任を受けた同僚の馬車を探したが、朝もやに邪魔されて確認できなかった。

 荷台の上の死体が跳ねる。


「馬鹿な奴らだ」


 ティレスタムの大きな独り言は反響しなかった。

 死体袋に詰められているのはつい昨日まで生きていた同僚だったが、ティレスタムには同情も哀れみも無かった。

 ティレスタムは中級貴族の嫡男であり、家長である父親は、貴族階級を優遇するデュリオ王子に心酔していた。

 ゆえにメィレ姫に対しては敵対心のみがあり、そのメィレ姫を崇め奉っている人間にも嫌悪感があった。


 今回の強襲作戦がデュリオ王子派の手引きで行われた「不穏分子の一斉処分」ということも、実家からの連絡で事前に知らされていたことだった。

 有志を募り、自分たちの手でメィレ姫を救い出そうと息巻いている連中が、「警備が薄くなる」などという偽の情報に踊らされている様を見るのは、滑稽で仕方なかった。

 荷台の上の死体が跳ねる。


「馬鹿な奴らだ」


 ティレスタムは、先ほどよりも大きな声で言った。

 生き残りは少ない。

 今回の強襲作戦に参加したのは低階梯の兵士と見習い兵士が大半だが、僅かながら第三階梯以上の兵士の姿もあったという。

 そのほとんどがこうして葬儀もされずに共同墓地へ埋められる。

 殺さずに生け捕りにした者もいるという話だが、メィレ姫の処刑にあわせて処分されることが決まっている。

 メィレ姫を助け出そうという、あの使命に燃える目を思い出し、ティレスタムは嫌悪感を思い出した。


「馬鹿な奴ら――」


 死体が跳ね起きた。


 荷台の上で立ち上がった死体袋が、背後に迫っている。

 ティレスタムは息を呑んだ。


「そのまま走らせてください」


 若い男の声だ。

 少年と言ってもいい。

 子供のような相手と分かり、即座に恐怖が引いていく。

 どこかで聞いたことがある声だ。


 腰にある魔法具へ手を伸ばそうとした瞬間、首筋に冷たいものを押し当てられた。

 刃物だ。


「何のつもりだ! 何をしているのか分かっているのか!」


 相手は子供だ。

 何が目的かは知らないが、腰の魔法具さえ手に取れば――。


 首筋から刃物が離れた。

 と思いきや、左耳の付け根に切り込みが入り、焼きつくような痛みが走った。


「ぎゃあっ!」ティレスタムは、いまや耳たぶだけで繋がっている左耳を抑えた。

「聞きたいことがあります」

「みっ、耳がっ」

「聞きたいことがあります」

「くそっ、てめえよくも――」

「右も聞こえませんか?」


 刃物が右耳の付け根へ当てられる。

 ティレスタムは再び息を呑んだ。


「使えない耳は要りませんよね」


 背後からの冷徹な声が予感させた。

 今ここで応答を誤れば、失うものは耳では済まされないだろう。


「わっ、わかった」ティレスタムは唾を飲み込んだ。

「メィレ姫の処刑の日時を教えてください」


 ティレスタムは驚きと共に確信した。

 こいつはメィレ派の兵士の生き残りだ。


「お、俺だって知らねぇよ。上で決まってるかも知れねぇが――」

「ティレスタム・ロードットさん。あなたは知っているはずだ」


 刃物が右耳に食い込んだ。

 どうして自分の名前を知っている。

 ティレスタムは混乱しながらも、家から届いた手紙の内容を思い浮かべた。


「とっ、十日後だ!」

「時間は?」

「正午!」ティレスタムは激痛にうめいた。「ああっ、くそ!」

「次の質問です」


 ティレスタムは左耳の痛みと戦いながら質問に答えていった。

 どれも処刑の日に関することで、処刑の場所や警備の規模、兵士がどこに配置されるのかという具体的なことまで聞いてきた。

 これまでの人生で味わってきた中で、間違いなく最大の苦痛と窮地だったが、襲撃者の声を聞くうち、怒りが恐怖を塗り潰していくのを感じた。

 なぜ俺がこんな目に合わなければならないのか。

 ティレスタムは路面へ目をやった。

 進路の先に、大きめの石が転がっているのが見える。

 そこへ乗り上げるよう、慎重に手綱を繰り馬を誘導していく。


「次の質問です。時間を巻き戻す魔法について知っていますか?」

「……はぁ?」ティレスタムは自分でも驚くほど間抜けな声を出した。

「答えてください」

「そんなもん知るか!」


 車輪が石の上に乗り上げ、御者台が跳ねた。

 一瞬、刃物が耳から外れた。

 今だ。

 ティレスタムは背後に向かって思い切り仰け反った。

 渾身の頭突きが襲撃者の胸元に直撃する。

 ティレスタムは魔法具を抜き、御者台の上に立ち上がった。

 荷台に並んだ麻袋の上に、小さな襲撃者が仰向けに倒れていた。


「お前、『泣き虫ユナヘル』か!」


 そこにいたのは、見習い兵士の中でも飛び切り成績の悪い少年だった。

 ティレスタムはその光景を良く覚えている。

 見習い兵士を連れた遠征訓練で、魔法具さえあれば簡単に倒せるような魔物を相手に、腰を抜かして涙を浮かべている少年がいた。

 あんな滑稽な姿はないと、兵士たちの間で時折話題に上がっていた。


 ユナヘルが持っているのは果物でも切るような小さなナイフだった。

 武器ですらない。

 圧倒的優位に立ったティレスタムは、怒りが爆発するのを感じた。


「お前みたいな屑がいくら頑張ったってな! 意味ねぇんだよ!」


 ティレスタムの絶叫が丘に響き、魔法具がユナヘルを捉える。

 こいつを滅茶苦茶にしてやらなければ気が済まない。


 と、その見習い兵の目を見て手を止めた。

 背後を取ったという優位が失われ、絶体絶命の状況だというのに、彼の目は何も映していなかった。

 そこにはただ、濃い疲労の色があるだけだった。

 この人間は、本当に、あの「泣き虫ユナヘル」だろうか。


 ユナヘルの手が素早く動き、握りこまれたナイフは持ち主の喉笛へ走った。

 ティレスタムは、まるで奇妙な夢でも見るような気分で、ぱっくりと開いた少年兵の首元から血が噴出すのを眺めていた。






 王都から出る方法を確立したユナヘルは、魔物との戦い――自身の強化を後回しにして、先に情報収集をすることにした。

 どうしても、メィレ姫の処刑が行われる日時を知る必要があったからだ。

 王都の裏路地で目覚めてからどれだけ時間があるのか分からなければ、何の作戦も立てられない。


 一番の課題は、救出作戦が失敗した直後に王都に潜伏することだと考えていたが、これはあっさりと攻略することが出来た。

 宿に泊まっているスヴェに助けを求めるところまでは同じだが、スヴェが追っ手を倒してくれた後、同行せずに王都に残るのだ。

 すると、スヴェはユナヘルのことを気遣って一緒に王都を出るように薦めてくれるが、所詮は「初対面」でしかない。

 強硬に残ることを主張すれば、スヴェは引いてくれる。

 そのあとは魔法具を手放し、ぼろ切れをまとえば、物乞いが出来上がる。

 これには想定以上に効果があり、物乞いの格好さえしてしまえば兵士に捕まることはほとんど無くなった。


 おそらくだが、追撃命令を受けたデュリオ王子派の兵士たちは、逃げ出したメィレ姫派の兵士を真剣に探そうとしていない。

 回収した死体から逆算して誰が逃げ延びているか調べることもできるだろうが、跡形も無く魔法で吹き飛んでしまった死体もあるようで、正確に調べることは不可能に近いのだろう。


 肝心の情報収集についてだが、これもそう難しい話ではなかった。

 王都を歩く兵士の油断を突いて捕縛し、尋問をすれば良いだけだ。

 反撃されようと、「やり直し」の力の前には無力も同然だ。

 ただ、それが効くのは第一、第二階梯の兵士がほとんどで、第三階梯以上の兵士には近付くことすらできなかった。


 情報収集の過程で、生き残りの兵士がいるという情報を得ることも出来た。

 メィレ姫の救出以外の全てを諦めていたのだが、彼らが処刑の日まで生きていてくれるのなら、姫と同時に助け出せる可能性があることを喜んだ。


 ユナヘルは情報収集の傍ら、後に回し続けていた「やり直し」についても調べようとしていた。

 これまでユナヘルが行ったことといえば、スヴェに「時間を操る魔法」について質問したくらいだ。

 そのときのスヴェはきょとんとした顔で、「分からない」と答えてくれた。


 この「やり直し」力は、なんらかの魔法によるものだと考えるのが一番自然だろう。

 時間を巻き戻すなどという途方も無いことが出来るのかはわからないが、ユナヘル自身、魔法具の専門家というわけではない。

 王都に住む封印士の家に忍び込み、魔法に関する書物を読んで調べるという手も試したが、難解な専門書を読み解くだけの知識はユナヘルには無かった。


 次に、知識を持つ人に「質問」をしようとした。

 もちろん、「やり直し」の魔法について知っている者がそう簡単に見つかるとは思えないが、動かずにはいられなかった。

 分からないことが多すぎるのだ。

 誰が、なんのために、この力を与えてくれたのか。

 もしも魔法だとしたら、一体どんな魔法なのか。

 そして、この魔法には回数制限があるのか。

 時間が戻る回数が有限なら、知っておかなければならない。

 自分は後何回死ねるのか。


 あえて敵に捕まり、こちらの事情を話し、「やり直し」について知っている者から話を聞くことはできないだろうか。

 やり直しさえしてしまえば、そのあとどうなろうと関係ないのだから。

 そんな風に考えていたユナヘルに、ふと不安がよぎった。


 この「やり直し」は恐ろしい力だ。

 ユナヘルのような何の才能も無い見習い兵士にさえ、どのような困難とも戦える力を与えてくれる。

 だが、どうやって手に入ったのか分からないこの力は、どうやって奪われるのかもまた、分からない。

 その状況で、敵側の専門家に、自分の状況をつらつらと語り、情報を引き出そうと試みることは、危険ではないだろうか。

 もしかしたら、捕らえられたメィレ姫を救い出せるのはこの力を持つ自分だけかもしれない。

 この力を失ったらどうなる?

 そのように考えて以来、ユナヘルは敵に捕まりそうになると、自ら「やり直し」を行うようになった。






 雲ひとつない青空が頭上に広がり、時刻はちょうど太陽が真上に昇るころだった。

 王都中央にある大きな広場には木製の巨大な台座が組まれ、その上に首切り斧を持った強面の兵がいた。


 あの作戦失敗の日から十日が経過した。

 ユナヘルはようやくこの日にたどり着けたことを安堵していた。


 じっと隠れ続けていることがこんなにも苦痛だとは思わなかった。

 目立たないように、食料を盗む回数を極力減らしたため、ただひたすら飢えと戦う時間を、何度も何度も経験してきたのだ。


 ぼろ切れの下の体はげっそりとやつれ、死人の方がまだ良いような顔色をしたユナヘルは今、処刑台を囲む数多くの群集に紛れ込んでいた。

 脇に設けられた貴賓席には、貴族たちが得意げな顔で座っている。

 中にはフェブシリアの貴族の姿もあった。


 そして、処刑台が最も良く見える位置には、きらびやかな椅子にデュリオ王子が腰掛けていた。

 丸々と肥え太った巨体と、にやにやとした薄ら笑いを浮かべ、片手には酒杯があった。


 王子の王位継承は、メィレ姫を処刑してから日を改めて行われるという。

 それまではデュリオは「王子」のままだ。


 彼らを守るように、魔法具を装備した兵士たちが並んでいる。

 そこら中が処刑を見に来た民で溢れかえっていた。

 集まった人々は処刑台と貴賓席を囲むように設置された柵の外側で、悲壮な顔で処刑台を眺めている。

 広場の外の建物の窓からは、処刑の様子を少しでも見ようと体を乗り出している者がいた。

 建物の屋根の上にもちらほら人の姿が見える。

 反抗する者はいない。

 姫を救い出そうと玉砕した兵士たちの死は、見せしめとして充分に機能しているようだった。


 そう、充分なのだ。

 確かにメィレ姫は積極的に政治に参加しては平民寄りの意見を上げており、その容姿もあいまって平民たちに絶大な人気を誇っていた。

 だが今回行われた兵士たちの殲滅作戦により、メィレ姫に味方すればどうなるかが知れ渡った。

 ウルドの民たちの前で、ウルドの王族の処刑を行うなど、明らかにやりすぎなのだ。

 これはデュリオ王子の悪趣味な勝利宣言だ。

 ユナヘルは、王子の勝ち誇った下品な笑みを見てそう思った。


 ユナヘルは群衆にまぎれてあたりの様子を観察していた。

 人々の苛立ちと焦燥の混じった小声の会話が聞こえてくる。


「なぁ、姫様は本当に――」

「あのメィレ姫様が本当にそんなことをするはずない」「馬鹿、兵士たちに聞かれたらどうするんだ」

「ああ、そんな姫様……」

「デュリオが王になったらろくなことにならんぞ」

「ウルド様、どうかお助けください……」


 やがて処刑台の上に、鎖につながれたメィレ姫が姿を現した。

 普段なら豪奢な衣装に身を包んでいる姫が、下賤の者が身に付けるようなぼろきれを着せられていた。

 姫の象徴ともいえる金の髪は薄汚れ、宝石のようだと称えられていた大きな碧眼は、沼の底のようによどんでいる。

 暗鬱さそのものとなった姫は、まるで二十も三十も余計に年を取ってしまったように見えた。


 ユナヘルは、こんなに打ちひしがれた姫を見たことが無かった。

 これまでの死の痛みに匹敵する苦しみが、ユナヘルの心を締め上げた。

 こみ上げる嘔吐感を必死にこらえ、ユナヘルは隠し持った短剣を握り締めた。


 姫の下へ駆け出していきたい気持ちを飲み下す。

 姫の周りを固めているのは、圧倒的な強さを持つ高位の階梯の兵士たちだ。

 立ち向かってただ殺されるのならいい。

 もしも生け捕りになって能力を奪われるようなことになれば全ては終わりだ。


 やつれたメィレ姫の姿を見て、民たちから息を呑む音が聞こえた。

 兵士たちは警戒したようだったが、暴動が起きるような雰囲気はなかった。

 処刑台に上がった文官が、大声を張り上げた。


「ウルドの民よ! メィレ・リードルファ・ウルド姫は、デフリクトと通じ、己の保身に国土を切り売りしようとしていた! 民草の住まう我らの国土をだ!

例え王族といえど、許されることではない! 先王、シノームル様がご存命であれば、さぞや嘆かれたことだろう!」


 ユナヘルはその場で耳を塞ぎ、目を閉じてしまいたくなった。

 メィレ姫の罪状を並べ立てる文官は、まるで歌っているようだった。

 鎖に繋がれた若い兵士たちが、処刑台の上に現れた。

 メィレ姫奪還作戦の生き残りだとすぐに分かる。

 裸も同然の格好で、体中に鞭の痕があるのが見える。


 そしてそこには、あのオルコットの姿もあった。

 暗く淀んだ表情からは、負の感情以外読み取れない。

 第五階梯に至り、近衛兵まで務めた彼を処刑することは、ウルド国にとって――デュリオ王子にとっても痛手のはずだった。

 ユナヘルはこれまでの情報収集によって、彼が処刑台に送られる理由を知っていた。

 オルコットはデュリオ派の軍門に下らず、最後まで姫の味方であろうとしたのだ。


 処刑人に促され、メィレ姫は台座の上で両膝をつき、頭を木製の台の上に置いた。


「この正義の執行に異議を唱える者はいるか! いるならば応えよ!」


 応える者などいるはずがない。

 処刑人が首切り斧を振りかぶり、群衆から、生き残った兵士たちから、小さく悲鳴が上がる。


 ユナヘルはそれを見て、慣れた手つきで自分の喉に短剣を突き立てた。

 血が噴出し、周囲の人間は驚いて声を上げるが、大事にはならない。

 群衆の多くは姫の首に振り下ろされようとしている大斧に目を向けているからだ。

 ユナヘルは姫の死を見届けることなく意識を失った。

 たとえやり直せるとしても、姫が死ぬのを見ることは耐えられなかった。






「食べないの?」


 夜。

 セドナの大森林へ向かう途中にある、人間領の小さな森で、スヴェとユナヘルは火を囲んでいた。

 あたりには野鳥の肉が焼ける香ばしいにおいがする。

 移動中の食料は、スヴェが猟をして得たものだった。

 その手際は見るも鮮やかで、スヴェがこれまでどれだけ長い旅をしてきたのかを伺わせた。


「……食欲がなくて」

「無理にでも食べたほうがいい。きみ、今にも死にそうな顔してる」


 スヴェからしてみれば、今のユナヘルは王都で殺されかけた哀れな少年兵でしかない。

 未だそのときの恐怖が抜けきれずにいるものの、姫への義理を立てて戦おうとしている。

 そんなところだろう。


 ぱちぱちと、木の爆ぜる音がする。

 ユナヘルは自分の膝を抱きかかえた。


 オルトロスに挑戦し始めてしばらく経ったが、一切進展していない。

 ユナヘルは同じことを繰り返した。

 オルトロスを前にすると、腰を抜かし、魔法が暴発して死ぬ。

 スヴェが割り込んで助けてくれたときもあったが、そうなると、スヴェはもう戦いを教えてはくれなかった。

 当然だ。

 あの程度の魔物を相手にして腰を抜かすような者に、一体何を教えればいいというのだ。


 そうなってしまったときは、セドナの大森林を抜けたところで、「自分の故郷はこの近くだから」と適当なことを言い、スヴェと別れることにしていた。

 そのときのスヴェは必ず、「きみはまだ、基本的なことができていない」と親身に助言してくれる。

 戦闘の心構えとか、これから一人でやっていく方法とか、どんな魔物を相手に戦いの訓練をすればいいかを教えてくれた。


 ユナヘルはスヴェと分かれた後、セドナの大森林へ戻り、再び魔物に挑んだ。

 オルトロスよりももっと弱い魔物を相手に戦った。

 だが、返り討ちにあうか、自爆するかのどちらかだった。

 このままでは、メィレ姫を奪還するどころではない。

 一向に進展しない現状に、ユナヘルの焦りは頂点に達していた。

 どうして魔物を相手にすると全く動けなくなってしまうのか。

 人間相手なら少なからず戦えたというのに。


 ユナヘルは昔からその兆候があった。

 軍の訓練で魔物領に入り、オルトロスよりも弱い魔物と遭遇したときでさえ、ユナヘルは金縛りにあったように動けなくなった。

 スヴェは焚き火越しにユナヘルを見て言った。


「きみが助けたい姫様って、どんな人なの?」


 ユナヘルは僅かに驚いた。

 これまで、この話題を振られたことはなかった。


「素晴らしい人だよ」


 目の前で火が揺らめいている。

 ユナヘルは焼かれる苦しさを知っている。

 今まで数々の死に方をしてきたが、その中でも最上位に入る苦痛だろう。


「昔、命を救ってもらったんだ」


 ユナヘルはそう切り出した。




 ユナヘルが生まれた村は、ウルド国内に点在する魔物領と人間領の境界――いわゆる「緩衝区」と呼ばれる区域のすぐ近くにあった。

 弱い魔物を狙って狩り、狭い畑を耕して生計を立てる、どこにでもある小さな村。


 その日の様子はよく覚えている。

 大人より一回りも大きな体を持つ、四足獣型の魔物。

 その辺りでは見たことのない個体だった。

 牙をむき出しにして、我が物顔で村の中を闊歩し、逃げ惑う村人をあざ笑うように殺し食らっていった。

 村の大人たちは魔法具を手に取り果敢に戦ったものの、あっという間に殺されてしまった。


 そのときだ。

 メィレ姫を初めて見たのは。


 迫り来る魔物に怯えていると、多くの兵士を引き連れたメィレ姫が村に現れた。

 メィレ姫が手を振り下ろすと、それを合図にして、兵士が持つ魔法具から一斉に光が放たれた。

 溜息が出るほど美しい光景だった。

 目を奪うきらびやかな光が一斉に空を走り、魔物に殺到する。

 凶暴な魔物は物言わぬ肉片となり、生き残った村人たちは救助された。


 メィレ姫はユナヘルを見つけると、駆け寄って手を差し伸べた。

 もう大丈夫。

 敵はいない。

 姫は優しい声色でそう言ってくれた。

 鮮烈な体験はユナヘルの魂に刻み込まれ、人生の行動指針になった。


 後からユナヘルが聞いた話では、村を襲ったのは魔物領の奥地に生息していた魔物で、群れの頭領争いに敗れ、追放された個体だったのだという。

 その個体は凶暴化して近くの村に出没しては襲い掛かり、多くの死傷者を出した。

 話を聞いたメィレ姫――当時はまだ十四歳だった――が、周囲の制止も聞かず、辺境の村を救うために近衛兵たちを引き連れて王都を飛び出し、討伐に来た、ということだった。


 その話を聞いて、ユナヘルはますますメィレ姫に憧れた。

 弱い者を救うために、強い者が力を振るう。

 ユナヘルもそうありたいと願うようになった。


 姫の一行に保護され、王都の孤児院に連れて来られたユナヘルは、ウルド軍に入り活躍することを夢見て日々を過ごした。

 高位の階梯の兵士になり、近衛に抜擢されれば、姫の近くにいける。

 姫を守る存在になりたい。

 ユナヘルはそれだけを考えていた。




「命の恩人、か」


 ユナヘルの話を聞いたスヴェは静かに言った。

 動物の内臓で作った水筒の口を開け、中の水を飲み、視線を再びユナヘルに戻す。

 そう。

 命の恩人だ。

 恩は返さなければならない。

 ユナヘルは奥歯を強く噛んだ。


「わたしたち、よく似てる」

「誰かに助けられたの?」

「まあね」スヴェは小さく言った。


 ユナヘルは再び驚いた。

 スヴェの生まれや、旅の目的や、その強さをどこで手に入れたのかなど、気になることはいくつもあり、これまで何度も質問してきたが、スヴェは一度も答えたことはなかった。


「どうして、僕のことを助けてくれたの?」


 思えばユナヘルはこれまで、この質問をしたことが無かった。


「助けられたくなかったの?」

「そんなわけない」ユナヘルは呟くように言った。「感謝してる。すごく」

「言ったでしょ。私も昔、助けられた。その真似をしてるだけ」


 ユナヘルはスヴェを良く見た。

 俯き気味に目をそらし、少し、赤くなっている気がする。

 照れているのだろうか。


「さ、そろそろ寝よう。明日は魔物と戦うんだから」

「別の訓練にしてほしい」


 考えるよりも先に言葉が飛び出していた。

 ユナヘルは僅かに後悔したが、もう止められなかった。

 ユナヘルの目には、断頭台に送られるメィレ姫の姿が映っている。

 ここで足踏みしている場合じゃない。


「僕が戦う相手は魔物じゃない。兵士なんだ。スヴェが直接魔法具の使い方を教えてくれるとか――」

「その兵士が使ってるのはなに?」険しい薄緑の目がユナヘルを射抜いた。「わたしたちは、魔法具を通して、魔物の力で魔法を使っているの。人に魔法は使えない。その力は借り物。それを忘れちゃだめ。どうしても嫌なら、わたし以外の人のところへいけばいい」


 スヴェは仮面のような表情のままだったが、怒りや呆れがはっきりと伝わってきた。

 ユナヘルは何も言い返せなかった。


 スヴェはユナヘルの様子を見て、眉を潜めた。

 そして視線を落とし、咳払いをしてから口を開いた。


「魔物が苦手なの?」

「……うん」

「どうして?」

「分からない」ユナヘルは俯いた。「とにかく、魔物を前にすると、動けなくなってしまうんだ」


 沼の底へ落ち込んでいく気分だった。

 死ぬのは怖くないはずだ。

 人間相手なら何度死んでも戦えた。

 じゃあ、魔物の何が怖いのだろう。


 ――血だ。血が溢れている。


 柔らかな、ぶよぶよとした、血まみれの何かが体中に降り注いでいる。

 ユナヘルは肉片の海に漂っていた。

 指と眼と、あとは骨。


「ユナヘル?」


 スヴェが何か喋っている。


 ――大丈夫。何も心配要らないわ。

 ――逃げろ! 早く逃げるんだ!


 誰の声だろう。聞き覚えはあるが、思い出せない。


 ――ユナヘル!


 悲鳴と鉄の匂い。

 むせ返るような獣の吐息を感じる。

 体は冷たい石のよう。

 早く終わって欲しい。

 痛くても苦しくてもいいから。

 お願い。

 終わって!


「大丈夫」


 近くで声がする。


「わたしがいるよ。だから大丈夫」


 柔らかな体温を感じる。

 スヴェに抱きかかえられているらしい。

 息苦しさが僅かに和らぎ、止まっていた血が巡りだすのを感じる。


「何があったの?」


 ユナヘルの目は今、かつての光景を見ていた。

 ユナヘルを中心に、全てが赤く染まっている。


「賢い魔物だった」


 凍土の底から届くような、冷たい声がする。

 それが自分の声だとは、ユナヘルはとても信じられなかった。

 これは一体誰だろう。


「子供を生かしておけば、親が助けに来ることを知っていたんだ」

「子供?」

「母さんは、僕を守ろうとしていた。母さんは僕の体を隠そうとしていた。僕は体が小さかったから、母さんの体にすっぽり隠れていた」


 何も見えない。

 母の胸元に抱きかかえられ、真っ暗だ。

 母の服からは、さっきまで料理で使っていた香草の香りがした。

 ユナヘルはは嫌いだと言ったが、父が好きだからという理由で、その香草はいつもたっぷりと使われていた。


「母さんはすぐに死んだ。魔法を食らって、頭が半分になってしまって、僕を抱きかかえたまま倒れた。僕の上で、背中から魔物に食われはじめた」


 ぺちゃぺちゃ。ごりごり。ぶちぶち。

 耳を塞いでも振動が伝ってくる。

 血と、肉と、骨と、剥がされた皮を見た。

 母さんの体は、まるで花びらのように開いていて、中身が空っぽになってしまっていた。

 全ては夢の中の出来事のように現実感がない。

 何も考えられなくなった。

 早く終わって欲しかった。


「魔物は僕を見た。ばらばらになった母さんの下に、僕が震えているのを見つけた。でも僕は殺されなかった。だから父さんも死んだ」


 毎日畑で鍬を振っていた父さんが、骨董品みたいな魔法具を持って走ってくる。


「父さんはすぐに死ねなかった。しばらく叫んでいた。手と足がなくなって、それでも戦おうとしてて、まるで芋虫みたいだった。ゆっくり齧られながら、僕に逃げろと叫んでいた。ずっと。ずっと」


 ユナヘルはその光景に釘付けになっていて、動けなかった。


「……メィレ姫が助けに来てくれたのは、その後?」

「そう。父さんも母さんも死んだ後。助かった村人は、僕と、ほかに数人だけ」


 メィレ姫のために戦いたい。

 命を救われた恩を返すために。


 分かってる。

 嘘じゃないさ。

 でもそれが全てじゃないだろう?


 冷たい声に導かれて、ユナヘルはようやく自覚することが出来た。

 逃げ出したかったのだ。

 あの日、眼に焼きついた恐ろしい光景から。

 目をそらしていたかったのだ。






 焚き火は燃え尽きていた。

 空が明るくなり始めていることに気付くが、心地良いまどろみが襲ってきて、ユナヘルは寝返りを打った。

 こんな朗らかな気分になれたのは久しぶりな気がする。

 柔らかながらも、頼もしさを感じられる体に抱きつき、その温度を受け取った。

 汗のにおいがするが、不快ではなかった。


「おはよう」


 耳元を声でくすぐられ、眠気が吹き飛んだ。

 慌てて体を起こす。

 隣では薄着のスヴェが横たわっていた。


「ごっ、ごめん」


 着崩れた首元から見える肩から目をそらした。


「良く眠れた?」


 スヴェは体を起こすと、上着を着込み、掛け布団代わりにしていた外套を身にまとった。


 ユナヘルは気恥ずかしさをごまかすように立ち上がった。

 徐々に記憶が鮮明になっていく。

 ユナヘルは血の気が引くのを感じた。

 スヴェを見れば、いつも以上に表情が無いように見える。

 怒っているのかもしれない。


「誰にだってそういうときがある」スヴェは、ユナヘルが口を開こうとする前に言った。「だから気にしなくていい」

「その……」ユナヘルは伏し目がちに言った。「ありがとう」

「どういたしまして」


 スヴェはいつもの通り、無表情だった。






 オルトロス相手に、最初から<篝火>を構えてはいけない。

 警戒したオルトロスが放つ音の魔法で動けなくなり、そのままスヴェに割り込まれて訓練が終わる。


 オルトロスが徐々に近づいてくる。

 ユナヘルは少しずつ後退した。

 魔物と対峙することは、死ぬことよりも恐ろしい。


 だがユナヘルは一歩も引かなかった。

 震える足で前に出る。

 そのための体温は、既に受け取っている。


 ユナヘルの口は、音を出さないように拍子を刻んでいた。たっ、たたっ、たっ、たたっ……。

 ユナヘルはゆっくりとした動きで腰の後ろの<篝火>へ手をやった。

 火を生み出す想像をするが、それを現実に反映させなかった。

 虚構と現実の間に「蓋」をするような感覚。

 ユナヘルの手にある<篝火>こそが、その境界だった。

 ユナヘルの鼓動が早くなり、存在しないはずの臓器が熱を持ち始め、体内で何かが暴れ出すのを感じた。

 それは出口を求めて荒れ狂うが、ユナヘルはその手綱をしっかりと握っていた。


 オルトロスが前触れもなく飛び掛ってきた。

 二つの頭が、競うようにしてユナヘルの体に食らいつこうと口を開く。

 その動きは素早く、ユナヘルは目で追えないことを良く知っていた。


 オルトロスのたくましい脚が土を蹴る音がした直後、足の力を抜いて完全に脱力した。

 たっ、たたっ。

 練習した拍子の通り。

 膝を折るようにしてその場に仰向けに倒れこむ。

 そのままユナヘルは上空へ<篝火>の先を向けた。

 焼けたように赤い刀身の先へ、オルトロスの体が躍り出る。

 双頭の魔物の体は完全に宙に浮いており、ユナヘルの真上にあった。

 体の重みを利用したユナヘルの回避行動に、オルトロスは二組の耳をぴんと立てて目を見開いていた。


 ユナヘルは「蓋」を外した。


 <篝火>から放たれたのはただの「火の魔法」ではない。

 死を伴う実戦で鍛え上げた、「爆発の魔法」だった。


 小さな火はオルトロスの片方の頭に直撃し、爆音と共に炸裂した。

 背中からその場に倒れこんだユナヘルを飛び越え、オルトロスは地面に転がった。

 残ったもう一つの頭から苦悶の鳴き声が聞こえる。


 ユナヘルは起き上がると、間髪入れず全速力でオルトロスに接近した。

 吹き飛んだ片方の頭からは、煙と血が噴出している。


 残る頭がユナヘルを捉えた。

 口腔内が僅かに光る。

 音の魔法が来ることが分かったが、ユナヘルの方が速かった。


 ユナヘルは、生きているほうの頭の喉元に、<篝火>を深々と突き刺した。

 咆哮が放たれるはずだった口元からは真っ赤な炎が溢れ、オルトロスの体内を焼き焦がしていく。


 二つの頭を失い、オルトロスは動かなくなった。

 初めて倒したが、それほど喜んでいない自分に気付いた。

 緊張が抜け切っていないのだ。


 震える手で<篝火>を仕舞い、腰にある封印具を抜き、オルトロスの前足の少し後ろの胴体に勢い良く突き刺す。

 四足獣の心臓はこのあたりにあったはずだ。

 と、封印具の柄を通して、弱々しい心臓の鼓動がユナヘルの手に伝わってきた。


 魔物の最後の脈動が、徐々に小さくなっていく。

 それと同時に、封印具が不自然に蠢き始め、ユナヘルは思わず手を離した。


 透明感のあった封印具は、まるで水の中に血を垂らした様に濁っていった。

 やがてつるつるとしていた封印具の表面は波打ちはじめ、粘土をこねるように姿を変えていく。

 牙や爪といったオルトロスの特徴とも言える部位が飛び出したり、真っ黒な毛皮が刀身や柄に現れたり消えたりしている。


 初めて見る封印の場面に、ユナヘルは呆然としつつも、興奮していた。

 魔物を閉じ込めている。

 そんな言葉が自然に思い浮かぶような光景だった。


 しばらくして、封印具の変化が終わり、形状が安定した。

 ユナヘルは、動かなくなったオルトロスの体から魔法具を抜いた。

 魔法具「双牙」。

 黒い毛皮をなめしたような柄を中心にして、小ぶりな短剣ほどの長さの刀身が左右に伸びている。

 鍔に相当する部位はなかった。

 双剣、と言っていいのか分からないが、一つの柄から二つの刃が生えている様は、双頭の魔物を想起させた。

 僅かに曲がった刀身は、オルトロスの口に生えていた牙がそのまま生えているような外見で、切るより突く方が得意そうだった。

 柄は実に良くユナヘルの手に馴染んだ。

 まるでユナヘルの手に合わせて作られたようだった。


 意識を集中せずとも、ユナヘルは心臓が一つ増えたような感覚を覚えた。

 初めて<篝火>を手に取ったときよりも遥かに容易だった。

 自分が封印した本人だからだろう、とユナヘルは考えた。


 薄暗い森が、先ほどよりも良く見えることに気づいた。

 目だけではない。

 耳も鼻も、非常に鋭敏になっていた。


 全力で森の中を駆け抜けてみたい衝動に駆られ、気がついたら軽やかにその場で飛び跳ねていた。

 ちょっと足に力を込めただけで、自分の体の何倍もの高さまで飛び上がってしまった。

 驚いて安定を欠き、ユナヘルは地面に落下して転がった。

 相当な高さから落ちたにもかかわらず痛みはなく、ユナヘルはすぐに立ち上がることができた。


 これが獣化の魔法だろうか。

 しかし魔法を使おうという意識もなく、魔法具を手に持っているだけで、これだけの恩恵が得られている。

 少し集中するだけで喉元に不思議な熱を感じ、音の魔法を放てるだろうことも分かった。

 これが、魔法具<双牙>から得られる力。

 ユナヘルは戦慄と共に感動していた。


「やっぱり、きみには簡単すぎたかな」


 近付いてきたスヴェの言葉に、ユナヘルは苦笑した。


「スヴェのおかげだよ」

「わたしなにもしてないよ?」

「いいや」ユナヘルは首を振った。「なにもかも、きみのおかげだ」


 ユナヘルは、先ほどまでオルトロスが食べていた獲物を見た。

 そこに横たわっていたのは、何の変哲もない野生の鳥だった。


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