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ユナヘル  作者: かなへび
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第二章


 その広い書斎は、実に雑多だった。


 並んだ棚は本で隙間無く埋め尽くされている。

 絨毯が引かれた床には魔物の爪や牙や、毛皮、目玉などが所狭しと転がり、足の踏み場は無い。

 窓際にある大きな書斎机の上には、分厚い本が乱雑に積まれていた。


 窓の外から柔らかな朝の光が差し込み、部屋の隅に転がっていた透明な鉱石――封印結晶に反射した。


 ユナヘルは、来客用の机に向かい、古ぼけた書物に埋もれながら、真っ白な紙に羽ペンを走らせていた。


「つまり、デュリオ王子の方が、根回しが上手い、ということだよ」


 ユナヘルはインク壺にペン先を漬けながら言った。


「根回し?」部屋のどこからか、若い女――ミセリコルデの声が返ってきた。


「メィレ姫は、魔物領から魔物が溢れないように、国内に目を向けてる。でも、ウルドの領主たちの大半は、外の土地を欲しがってる。自国内の魔物と戦うより、人と戦いたいんだ。『北』との軋轢も、限界だし」

「ふぅん? それで?」


 ちらりと部屋を見渡した。

 ミセリコルデの姿は全く見えない。

 部屋のどこかにいるのは確実だが、すぐ傍に立っているのか、隅にいるのか、それすら分からない。


「デュリオ王子派は、そこに目をつけた」


 ユナヘルは汚く走り書きされた紙片をにらみつけながら、自分の考えをミセリコルデに話していった。


 ウルド国王、シノームル・リードルファ・ウルドが床に伏せてから、十日が過ぎていた。

 高齢ということもあり、王の死は時間の問題と考えられていた。

 当然問題となるのは王位継承についてだが、第一王位継承権を持つメィレ姫を押しのけ、第二王位継承権を持つデュリオ王子派がここにきて勢力を増していた。


 デュリオ王子はシノームル王の側室の子である。

 母親は、ウルド国に隣接する南の大国フェブシリアの姫であり、正室の子であるメィレ姫の立場は揺るがないはずだった。


 だがデュリオ王子はフェブシリア国からの援助を背景に、いずれ来るであろう北のデフリクト国との全面戦争への備えをちらつかせ、武力派の領主たちをまとめ上げた。

 結局、長いものに巻かれる主義の日和見派たちは取り込まれ、いまやメィレ姫の味方には、発言力の無い強情な保守派が少し残っているばかりとなってしまった。


 もちろん、このほかにも継承権を持つ王の子らは多くいるが、まだ幼いこともあり、争いの舞台にすら立てていないのが現状だった。

 連日、王子派の領主たちがシノームル王の見舞いに行っているが、そのたびに王位をデュリオ王子に渡すようにと進言していることだろう。


「王子派になったの?」ミセリコルデは驚いたような声を出した。

「まさか。どうして?」

「王子は凄い、と言ってるみたい」

「……僕が今ここでいくらメィレ姫の良い所を言っても、王子の優位は揺るがないよ」

「王子は腹芸が得意そうには見えない顔してたけど」


 ミセリコルデはけらけらと笑った。

 視線を上げると、若い女性が壁際にある本棚を眺めていた。

 肩まで伸ばした赤毛はゆるく巻いており、背丈はユナヘルと同じくらいだ。


「見えてるよ」

「あれ?」ミセリコルデは自分の姿を見て、それから手元の魔法具を見た。「時間切れみたい」


 彼女の手には、針のような刀身を持つ短剣が握られていた。

 下位の魔物であるバンシーを封じた<眠り姫>だ。

 姿隠しの魔法の効力が切れたらしい。


「駄目ね、まだまだ練習しないと」


 疲れたような声を出して、ミセリコルデは魔法具を仕舞った。


 ミセリコルデは同期の兵の中でも飛び切り才能があり、既に第一階梯に至っていた。

 今は第二階梯へ昇格するべく、研鑽を積んでいるようだった。


 自分は未だ第一階梯にすらなれない、ただの見習い兵士に過ぎない。

 ユナヘルはミセリコルデの胸元にある獣の牙が描かれた徽章――第一階梯の証を盗み見た。


「せっかくの休日なのに、こんなところに来てていいの?」

「いいの」ミセリコルデは大きく伸びをした。「フリード様にいいようにこき使われてる間抜けの顔を見たくて来たの」

「……いいように使われてるわけじゃないよ。好きでやってるんだ。手伝いをするなら、ここの本をいくらでも読んで良いって言われてるし」

「あらためて、凄いことになってるわね……」ミセリコルデは机に近付くと、ユナヘルの仕事ぶりをしげしげと眺めた。「あたしそんなにたくさん読んだり書いたりしたら、死んじゃう」

「今回は植物型の魔物についてまとめてるだけだからね。大した量じゃないよ」

「……ユナヘルは、やっぱり文官になったほうがいいんじゃない?」

「いやだよ」

「だったら、知識をつけるより先に、魔物恐怖症を治すべきじゃないかしら」


 突き放すような言葉だ。


 先月行われた魔物との戦闘訓練を思い出し、ユナヘルは沈痛な面持ちになった。

 上官や同僚の笑い声が聞こえたが、醜態を晒したことによる羞恥心よりも、魔物を前にした恐怖心が勝っていた。


 と、部屋の扉からノックの音が聞こえた。

 ユナヘルが返事をすると、両開きの扉が開け放たれた。


 来客の姿を見るや、ミセリコルデは床の上に膝をつき、深々と頭を垂れた。

 ユナヘルも慌てて椅子から立ち上がると、ミセリコルデの横に並び同じ姿勢をとった。


 口角が釣り上がるのを必死の思いで止め、ユナヘルは毅然とした態度を取り繕う。


「ユナヘル、ミセリコルデ、おはようございます。顔を上げて」

 鈴の転がるような声。

 柑橘系の香料が鼻をくすぐった。


「メィレ姫。おはようございます。本日はどういったご用件で?」

 顔を上げて応えたユナヘルに、姫はにっこりと笑った。

「フリードに会いに来たのですが、いないようですね」

 メィレ姫はユナヘルとミセリコルデに近付くと、その肩に触れて立ち上がらせた。

「フリード様は一昨日から王都を出て魔物領へ調査に出ております。朝からお見えになっておりませんので、もしかしたらまだ王都へ帰っていないことも考えられます」

 ユナヘルは声が震えないように気をつけながら答えた。


 今年で二十一になるメィレ姫は、すらりと背が高く、あらゆる人間を虜にする美貌と、快活さを持っている。

 普段なら豪奢な衣装に身を包んでいる姫だったが、今日は動きやすいように質素な上着と脚衣を身に着けていた。

 それでも下々の者が身に付けるようなぼろきれとは比べるべくもない上質なものではあるのだが。

 メィレ姫の象徴ともいえる腰まである金の髪は、今は後頭部で結われていた。 宝石に例えられる大きな碧眼を正面から見たとき、ユナヘルは、普段とは違う雰囲気を感じ取った。

 王である父親の死期が迫り、国内の領主たちはことごとく王子派に取り込まれていく。

 いくら気丈な性格の姫とはいえ、無理もない話だった。


 続けて、長髪の男性が現れた。すらりと背が高く、柔和で美しい顔立ちをしていた。

 彼の名前はオルコット。

 メィレ姫の近衛を務める男だった。

 魔法具の腕前はウルド国内でも五本の指に入るほどで、最高位である第五階梯に到達している。

 彼の胸元には、その証である竜の横顔が描かれた徽章があった。

 手には、身の丈ほどの長さの杖がある。

 持ち手は細長い骨のようで、先端は鳥の口ばしのような格好をしており、大きく湾曲していた。

 くちばしの根元には立派な羽毛が生えている。

 鳥型の中でもとびきり強力な魔物、ガルダが封じられた、<霊峰の哨戒者>という魔法具だ。


 オルコットの姿を視界に納めると、ミセリコルデの背筋がさらにぴんと伸ばされた。近衛兵になり、王族の護衛を務めることは最高の栄誉。

 あまねくウルドの兵の羨望の的だ。

 近衛兵こそが、ユナヘルが目指す地位だった。


「相変わらず、汚い部屋ですみません」オルコットはメィレ姫に頭を下げた。「何度も何度も注意しているのですが、あの頑固頭はろくに言うことを聞きません。昔からそうなんです。あの男は」

「私は別に気にしていませんよ。まあ確かに、足の踏み場が無いのは考え物ですが……」メィレ姫は苦笑いした。

「だいたい、あの男は落ち着きが無さ過ぎます。いくら実力があっても、上に立つものがあの様では下に示しが付きません」


 オルコットは流れるようにフリードの欠点をあげつらった。


 フリードとオルコットが言い争いをしているのは、よく見る光景だった。

 顔を合わせれば口喧嘩が始まるが、お互いに心から憎く思ってるわけではないらしい、ということが最近分かってきた。


「フリード様と何かお約束が?」ユナヘルはオルコットに割り込むように言った。

「ええ、少し。大したことではありませんが」メィレ姫は答えた。


 おそらく、今後の対応についての相談だろう。

 この書斎の主、フリード・パルトリは、ユナヘルやミセリコルデが所属している第七兵団の団長にして、ウルド国でも一二を争う魔法具使いであり、メィレ姫派の筆頭でもある。


「わざわざいらっしゃならなくても、人をやってお呼び出しいただければ……」

「あら、私の顔は見たくなかったとでも――」

「そのようなことはありません!」ユナヘルは真剣な表情で言った。


 オルコットとミセリコルデは顔を逸らし、笑いをこらえていたが、ユナヘルにはそんなことは分からなかった。


「ふふふ、ごめんなさい。そんなに喜んでもらえるなんて、嬉しいことです。いじめるつもりは無かったんですよ。本当に久しぶりですね。こうして会うのは――」

「五十と二日ぶりです」ユナヘルはメィレ姫の言葉を遮って勢い良く答えた。

 すぐに恥ずかしくなって、口をつぐむ。

「もうそれほどになるのですね」


 姫はにこやかな笑みを絶やさずに言った。

 全てを委ねたくなる様な、心地よい感情が、ユナヘルの中で湧き上がった。


 それからユナヘルは、メィレ姫と少しだけおしゃべりをした。

 聞きたくてたまらないことはたくさんあったが、全て飲み込んだ。

 メィレ姫が当たり障りの無い話を望んでいるような気がしたからだ。


「ごめんなさい、もっとたくさんお話したいのですが、そうもいきません」メィレ姫は残念そうに眉をひそめた。「私は行きます。フリードが帰ってきたら、私の部屋へ来るように伝えてください」

「わかりました」


 メィレ姫とオルコットが部屋を出て行き、扉が閉じ、足音が遠ざかったのを確認して、ユナヘルとミセリコルデは大きく溜息をついた。

 二人して、来客用の椅子に深く腰掛け、背もたれに体重を預ける。


「ユナヘル、あんたいつも姫様の前ではしゃいでるの?」

「はしゃいでって……」ユナヘルは困ったように頬をかいた。「はしゃいでるように見えた?」

「大はしゃぎだった」ミセリコルデは疲れたように言った。


 ユナヘルは、姫様の顔を久々に見ることができた嬉しさをかみ締めるように天井を仰いだ。


 結局フリードは帰ってこなかった。

 翌日になり、そのまた翌日になっても。






 それから数日後、シノームル王は没し、その日のうちにメィレ姫は捕らえられた。

 姫は敵国であるデフリクトと内通しており、ウルド国を売ろうとしていたのだという。

 内通の証拠も抑えられており、まるではじめから決まっていたかのような滑らかさで、姫の死刑が決まった。


 メィレ姫派の者たちは、フリード・パルトリの失踪を契機に急速に勢いを失った。

 フリードほどの実力者が、魔物領で魔物に襲われ死んだなどとは考えられず、デュリオ王子派の陰謀を疑わない者はいなかった。

 最終的に行動を起こしたのは、姫に心酔する多数の若い――そして愚かな――兵士だけだった。


 全てが罠だったと気付いたのは、第二階梯の兵士しかいないはずの駐屯所に、多数の第四階梯の兵士が詰めていたときだ。

 行われたのは一方な虐殺。

 ユナヘルが助かったのは、単に運が良かっただけだった。

 先頭を進む兵士の頭が破裂したおかげで、ユナヘルは足を止めることが出来た。

 この救出作戦そのものが、不穏分子のあぶり出しに過ぎないのだと、ほんの僅かでも考えていれば、もっとやりようがあったはずだった。


 突然叩きつけられたメィレ姫の死刑宣告に冷静さを失い、降って湧いた都合の良い奪還作戦に縋り付き、メィレ姫を救うことができるのは自分たちだけだと舞い上がった。

 そのくせ作戦が失敗すれば戦場に背を向けて逃げ出す。

 これほど無様な姿はない。






 どれくらい意識を失っていたのか。

 石畳の上に横たわっている。

 周囲に自分の血が広がっていることに気付いた。


 だんだんと記憶がはっきりしてくる。

 長距離からの魔法を腹部に受け、そのまま転倒して頭部を強打し、失神したのだろう。

 ユナヘルはずきずきと痛む後頭部へ手を伸ばした。

 全身は氷のように冷え切っていて、先が長くないことはすぐに分かった。

 どのみち、魔法を撃った本人が止めを刺しに来る。

 どちらが早いか、というだけの話だ。

 腹部には拳大の穴がぽっかりと開いており、魔法で生み出された何かが通過したことが分かった。

 月明かりに照らされた赤黒い血は、今も流れ出続けている。

 八方塞がりの現状に、ユナヘルは悪態もつけなかった。


 ここまでで分かったことは二つ。

 一つは、魔法具がなくても、魔法具を持つ兵士を倒すことができる、ということ。

 もう一つは、それには限界があるということ。


 第二階梯の兵士が相手ならば、油断を誘い隙を突くことで、運次第で倒すことが出来る。

 だが第三階梯以上ともなると、油断もしなければ突くべき隙もない。

 魔法具を所持していないというのにこちらの位置は察知され、近付くことも出来ずに殺される。

 これでは姫を助け出すどころではない。

 ほんの僅かでも可能性があるのなら、回数を重ねることで理想の未来へ近付くことが出来る。

 だが可能性が全く無いのなら、同じ道筋を辿るだけだ。


 周囲を見回すと、背の高い建物の路地裏にいることが分かった。

 確か、娼館通りが近くにあったはずだ。

 これだけ近ければ喧騒が聞こえてきてもおかしくなかったが、まるで静かだった。

 これまで王都中を走り回ってきたが、人にはほとんど遭遇しなかった。

 時折物乞いが怯えた目でこちらを見るだけだ。

 皆、争いの音を聞いて、建物に篭っているのだ。


 ユナヘルは改めて周囲を見回した。

 この辺りで死んだことは無かった。

 この調子で行けば、王都の全ての場所で死ぬのも、そう遠くないことだろう。


 足音が近付いてくる。

 せめて自分が誰に殺されるのか、顔を見てやろうと、路地の角を睨みつける。

 少しでも情報を集め、次に生かすのだ。

 諦めてたまるものか。


 現れたのは、外套にすっぽり身を包み、フードを目深に被った人物。

 背丈はユナヘルより少し高いくらいだった。

 ウルド国の兵士ではない。近くの宿に泊まっていた旅人だろうか。


 ユナヘルに近付くと、血で汚れるのも構わずに膝を着き、ユナヘルの傷を確かめた。

 ユナヘルは驚いて目を見開いた。


「傷が深い」声から若い女だと分かった。「誰にやられたの?」


 ユナヘルは痛みがすっと引いていくのを感じた。

 女は傷を癒す魔法を使ったのだろうか。


「麻痺させただけ」女はユナヘルの手を取り、傷口を押さえさせた。「まだ間に合う。諦めないで。治癒魔法が使える人がいれば――」

「逃げて」


 ユナヘルは必死の思いで言った。

 この人はとんでもないお人好しだ。

 自分のせいで死なせてしまいたくない。


「すぐに、敵が来る」

「兵士同士で殺し合ってるの?」

「いいから――」


「誰だ」


 路地の角から、ウルドの兵士が二人現れた。

 手にある魔法具は見たことが無く、自分はこの兵士たちにはまだ殺されたことがないのだと分かった。


「あなたたちは、何をしているの?」女は立ち上がり、強い口調で言った。

「我々はウルド国の兵士だ。犯罪者を処分している」


 兵士の一人が警戒心をむき出しにして、精霊の姿が描かれた徽章を見せ付けた。

 第四階梯の兵士だ。


「犯罪者って……」女は、傷口を押さえるユナヘルを見下ろして言った。


「お前は何者だ。答えろ」

「面倒だ、まとめて殺そう」兵士の一人が言う。「身なりを見ろ。貴族じゃない。どうとでもなる」

「ばかなことを言うな」


 静止を聞かず、片方の兵士が魔法具を向けてきた。


 そこから何が起きたのか、ユナヘルには理解できなかった。

 分かったのは、その兵士からユナヘルと女をまとめて殺しきるような何らかの攻撃が放たれ、そして、それが消え去ってしまったということだけだ。


 残り香のような微風が、フードと外套をめくった。

 外套の下は、まさに旅人といった風な出で立ちだった。

 ユナヘルはぼんやりとした頭で、その目つきの鋭い女性の、後頭部で結われた黒髪を眺めていた。


「『減衰』じゃないぞ!」片方の兵士が叫ぶ。「『消失』だ!」


 二人の兵士は殺気立った。

 女は腰の魔法具に手をかけた。

 薄汚れた布で包まれたそれは、細身の長剣のようだったが、刀身は螺旋状にねじれており、魔法具であることは明白だった。


 戦いは一瞬で終わった。

 派手な光も音も無い。

 いくつかの攻防が交差したようだったが、ユナヘルにはその一端も見えなかった。

 ウルド国の誇る高階梯の正規兵は、二人とも、糸の切れた人形のように倒れ、それきり動かなくなった。

 女は再び膝を着き、ユナヘルの様子を伺った。


「あなたは、誰ですか?」


 掠れた声が出た。

 聞かずにはいられなかった。

 その女は表情の変化が乏しく、何を考えているのか分からない。


「ただの旅人」

「名前を、教えてください」


 最後は音になっていなかったが、声は届いたようだった。


「私はスヴェ。きみは?」


 声が出ない。

 息が出来なくなって、目を開けているはずなのに何も見えなくなった。


 スヴェ。

 音が胸のうち深くに刻まれる。

 それは希望の名前だった。






 スヴェは、城から遠くにある、小さな宿に泊まっているようだった。

 近くで戦えば必ず現れて、ユナヘルの味方についてくれた。

 致命傷を負わずにスヴェの元へ向かうのは非常に難しく、経路を確保するのに数十回も死んでしまった。


「怪我は無い?」


 スヴェは動かなくなった第四階梯の兵士を見下ろしながら、ユナヘルに言った。

 相変わらず無表情だ。

 第四階梯の兵士が弱いわけが無い。

 同時に魔法具を三つまで使いこなすことが出来るその実力は本物だ。

 それを一瞬で蹴散らしてしまうスヴェの力は、一体どれほどなのか。


「は、はい」声が震える。「ありがとうございます」

「どうして仲間同士で――」スヴェは言葉を切った。「見られてる」

「え?」

「魔法で監視されてる。私はもう街から出るけど、きみはどうする?」

「えっ、あっ、つ、連れてってもらえますか?」

「いいよ」スヴェはあっさり言った。「ちょっと待ってて」


 スヴェは宿の中へ駆け戻っていった。

 そして本当にすぐに戻ってくると、その背には大きな背負い袋があった。

 旅の荷物だろう。


 スヴェはユナヘルの手を取り、走り出した。ほっそりとした手で、冷たかった。


「放しちゃだめだよ」


 スヴェはそれだけ言うと、路地裏を走り出した。

 時折足を止め、影から影へ滑り込むように進んでいく。

 ユナヘルが兵士に見つかり何度も死んだ場所を嘘のように通過し、あっという間に王都の外壁に辿りついてしまった。

 何らかの魔法の効果によるのだろうが、どんな魔法なのか、ユナヘルは自分の知識と照らし合わせたが、見当もつかなかった。

 机の上で得たものなど、実戦では役に立たないのだと、見せ付けられたような気がした。


 外壁の上の通路には等間隔で松明が並べられ、煌々とした明かりを放っている。


「あっ、あの」ユナヘルは、五階建ての建物以上の高さがある外壁を見上げるスヴェに、小さな声で言った。「外門は閉じられています。どうやって外へ――」

「じっとしてて」


 スヴェはユナヘルの背後に回ると、脇の下から両手を通した。

 背中から抱きかかえられたユナヘルは、次の瞬間に空高く飛び上がっていた。

 突然の衝撃にも声を漏らさなかった自分を、ユナヘルは褒めてやりたくなった。

 スヴェはユナヘルを抱えたまま、外壁の上の通路に音も無く着地した。

 ユナヘルは、見張りの兵士がこちらに背を向けているのを視界の端に捉えた。

 一呼吸の間もなく、スヴェは再び足を踏み出し、誰にも気付かれることなく街の外の闇に飛び込んだ。






 夜が明けようとしていた。

 ユナヘルはスヴェに手を引かれたまま、王都の周りに広がる平原を走り続け、北にある小さな森の中に入り、そこでようやく歩を緩めた。


「事情は分かったよ」


 スヴェはユナヘルの前を歩き、時折ユナヘルの様子を伺うように振り返っていた。


「スヴェさんは、どちらへ行かれるのですか?」

「自分の村へ帰るよ。元々その予定だったし」スヴェは振り返った。「そんな喋り方やめてよ。そんなに年も離れてないでしょ?」

「分かり――」ユナヘルは咳払いした。「……分かったよ」

「それで、きみはどうする? ついていってあげることはできないけど、国境に出る安全な道まで案内することはできるよ」

「図々しいのは承知してる。でも、お願いしたいことがあるんだ」

「姫様を助ける手伝いをしてくれってのなら無理だよ」

「僕に、魔法具の使い方を教えて欲しい」


 スヴェの強さを目の当たりにしてから、ずっと考えていたことだった。

 今のままでは、ある一定以上の実力を持つ兵士相手には、何度やり直しても戦いにならない。

 実戦の機会はいくらでもある。必要なのは師だった。

 スヴェは足を止めて振り返った。


「……どうして?」

「スヴェのように、強くなりたいんだ」

「えっと……」

「別に今日明日に王都へ突っ込もうってわけじゃない。自分でも実力が無いのは分かってる。長い時間をかけて作戦を練ってからだよ。だけどそのまえに、自分が弱いままじゃ、何も出来ないんだ」


 スヴェに一通りの事情を話したユナヘルだったが、姫の処刑の日取りが決まっていることは伏せてあった。

 破れかぶれの突撃をかけると思われては、協力を取り付けられないと考えたからだ。


 それに、今の言葉に嘘はない。

 もっと強くなる必要がある。

 長い時間をかけて作戦を練る必要もある。

 そして弱いままでは何も出来ない。

 スヴェは、ユナヘルの目を正面からじっと見つめた。


 ユナヘルはそこで初めて、自らの救い主の顔を、その姿を、じっくりと見た。

 彼女は小顔で、まつげが長かった。

 一目で将来美人になるだろうと分かる、整った顔立ちをしている。

 健康的に陽に焼けた肌は、たくましさを感じさせた。

 体の線は細いが、華奢な印象はない。

 研ぎ澄まされ、洗練された生命力があるように思えた。

 貴族の娘が持つきらびやかさとはまた違った美しさだった。

 外套の下は、まさに旅人といった風な出で立ちだった。

 動きやすそうな革製の薄手の胴着によって慎ましく膨らんだ胸が守られていた。

 足首まである脚衣にすっぽり足を包み、ほっそりした足の形が良く分かった。

 あらゆるものを退ける力を秘めているような、透明感のある緑の瞳を覗き込んだとき、ユナヘルの脳裏には、メィレ姫の美しい横顔が浮かび上がった。

 メィレ姫の穏やかな笑顔とは違い、スヴェの表情はまるで氷のようだった。


「分かった。いいよ」スヴェは頷いた。


 ユナヘルは驚いた。

 断られても何度だってやり直して、なんとしてでも師になってもらうつもりでいたのだが、拍子抜けしてしまった。

 具体的な方法としては、スヴェの願いを聞きだし、叶えることが可能そうなものを叶えて弟子入りの交換条件とする、といったことを考えていた。

 やり直しが出来るからこそ可能な芸当だ。


「ありがとう」ユナヘルは弾むように礼を言った。

「ただし、村に帰る途中まで。私はきみの面倒を最後まで見ることは出来ないよ。私の村でかくまう事も出来ない。ウルドの軍隊を敵に回すわけには行かないからね。きみは、私と別れたら、自力で生きていかないといけない。あてはあるの?」

「その辺は大丈夫だよ。スヴェと別れたら、とりあえずは故郷に帰ることにする」

「故郷はどこ?」

「すごく遠く。山をいくつも越える」


 ユナヘルは目をそらして言った。

 スヴェは納得していないようだったが、追求はされなかった。


「それで、まずは何をすればいい?」


 ユナヘルは腰から<篝火>を抜いた。

 ユナヘルが柄を握り込むと、刀身はぼんやりと熱を持ち始めた。

 どんな過酷な訓練でも、強くなるためにやり遂げる決意があった。

 ウルド軍の訓練を思い浮かべる。

 やはりまずは防御の強化だろうか。


 スヴェはユナヘルの手の魔法具に目を落とした。


「きみ、自分で魔法具を造ったことある?」






 ウルド国は、気候こそ温暖なものの山岳地帯が多く、農耕には向かない荒れ地ばかりが広がっている。

 領土内には魔物が支配する「魔物領」が数多く存在し、毎年民に多くの被害が出ている。

 東と西を海に囲まれ、南にあるフェブシリア国とは同盟状態にあるが、北のデフリクト国とは常ににらみ合っている。

 シノームル王が死に、デュリオが王位を継承すれば、小競り合いが本格的な戦争状態になることは間違いない。


 ウルド国を支えているのは、隣国が作るものよりも遥かに良質な「魔法具」であり、デフリクト国の狙いはまさにそれだった。

 ウルド国は魔法具の元になる「封印石」を産出する鉱脈を無数に持ち、そして封印石を加工し「封印具」を製造する高い技術力を所有している。

 封印具に魔物を封じ込める知識と技術を持つ「封印士」たちは、自国内の魔物領から溢れてきた凶悪な魔物に対抗すべく魔法具を生み出し、ウルド国の兵士たちはその魔法具をもって魔物や敵国の兵士と戦っている。


 無論、デフリクトやフェブシリアも魔法具を製造する技術を持っている。しかしウルド国ほどの国は他に類を見ず、ウルドの兵士は桁外れの実力を持っていた。

 まして高階梯の兵士ともなれば、その力は計り知れず、ユナヘルのような見習い兵など、束になってもかなわないだろう。

 だが、それら封印具の加工技術や、兵士たちの高い能力は、いかに民たちが魔物の脅威にさらされているかということの裏返しにほかならず、自国内に魔物領を多く持つウルド国の民が、生き残るために必死で身につけたものだった。


 今、ユナヘルの目の前には、ウルド国に点在する魔物領の一つである「セドナの大森林」が広がっている。

 緑を通り越して黒々とした葉を生やした木々が乱立するこの森は、昆虫型や獣型の魔物が数多く生息する魔物領であり、温厚な亜人種も多数生息している。


 この魔物領は、王都から馬で数日はかかる場所にある。

 だがスヴェの魔法具のおかげで、わずか二日でたどり着いてしまった。

 スヴェがユナヘルと手をつないでいると、ユナヘルの足は異様に早くなり、疲れを知らず、まるで獣のように野を駆けることができた。

 景色が滑るように背後へ流れていく光景は実に爽快だった。


「さてと。今から魔物領に入るわけだけど」

 スヴェの言葉に、ユナヘルは頭を切り替えた。

「これ」


 スヴェは背負い袋の中から、厚手の布に包まれた封印具をユナヘルに渡してきた。

 見れば、ほかにもう二本持っているようだった。


 なるほど、とユナヘルは感心した。

 旅の途中で魔法具を造り、それを売って路銀にしているのだ。

 第四階梯の兵士を越えるほどの実力があって、初めて成せる業だった。


 布をはぎ、受け取った封印具をまじまじと見つめた。こうして手に取るのは初めてだった。


 その封印具は短剣に似ていたが、鍔は無く、柄の端から刀身の先までまっすぐ伸びている。

 刀身と柄の長さはほとんど同じだった。

 封印具の一番の特徴は、硝子細工のような透明さだった。

 柄も刀身も、かざすと向こうの景色が透けて見える。

 見た目は脆そうだが、持ってみると案外しっかりしている。

 重さは同程度の大きさの鉄の長剣より、少し軽い。


「オルトロスって知ってる?」


 ユナヘルは頷いた。

 国内の主要な魔物に関しては、ある程度頭に入っている。

 頭が二つある、獣型の中位の魔物だ。

 非常に素早く、縄張りに入ってきたものを許さない気性の荒さを持つ。


 スヴェが指定した魔物を自力で封印し、魔法具を造る。それが最初の訓練だった。


「オルトロスのところまでは案内してあげる。そこからはきみが自力で封印する。いい?」

「わかった」


 オルトロスは、実のところ大した魔物ではない。

 魔法具を人並みに扱うことが出来れば、苦戦するような魔物ではないのだ。

 スヴェもそれが分かっていて、ユナヘルの相手に考えたのだろう。

 仮に負けて殺されたとしても、何の問題もない。どうせやり直せる。


 問題は別にあった。






 まだ昼間だというのに、森の中は薄暗かった。

 背の高い木が空を覆い隠しているせいだ。

 強靭な太い根が張り出した地面は起伏が激しく、慣れるまで少々時間がかかった。

 空気はじっとりと湿っており、そこら中に緑の苔が生えていた。


 しばらく歩いたが、一体も魔物と遭遇していない。

 スヴェのおかげに違いないが、どんな魔法なのか、ユナヘルには聞く余裕がなかった。


 がさがさと音がして、ユナヘルはその度に音のするほうへ目を向けた。


「大丈夫?」前方を歩くスヴェが振り返って言った。

「……え?」

「なんでもない」


 ユナヘルは鼓動が早くなるのを抑えようと努めた。

 嫌な汗が背中を伝っていく。


「いた」スヴェが足を止めて言った。「このまままっすぐ進んで。今は食事中だから動きは鈍いみたい」


 魔物の位置がどうして分かるのか、どうやったら分かるようになるのか。

 ユナヘルはそれを聞くつもりだった。


「しょ、食事中? 何を食べてるの?」


 スヴェは無表情のまま言った。「顔真っ青だよ」


 ユナヘルはスヴェより前に出て、森の奥を睨みつけた。

 何かが潜んでいるようには思えない。


「いきます」


 震えた声で言って、無理矢理に一歩踏み出した。

 これ以上ここに留まっていたら、うずくまってしまいそうだ。

 不審な顔をしたスヴェに見送られ、ユナヘルは一人森の奥へ進んでいった。


 呼吸が浅くなっている。

 視野が狭まって、頭はぼんやりしていた。

 胃の中に重たい石を詰め込まれたような気分だ。


 自分を保とうとするように、ユナヘルは魔物を封印する手順を頭の中で何度も繰り返した。

 いつでも腰から封印具を抜けることを確認した。


 ユナヘルの右手に握られてる<篝火>には、イグニスと呼ばれる低位の魔物が封じられている。

 イグニスは死霊型の魔物で、火の魔法を操ることができる。

 つまるところ魔法具とは、封じられている魔物の力を行使することが出来る武器である。


 では具体的に、どのようにして封印具へ魔物を封じ、魔法具を造るのか。

 その方法は極めて単純で、やろうと思えば誰にでもできる。

 特別な呪文も、特殊な儀式も、特異な才能も必要ない。


 封印具で魔物を殺す。

 それだけだ。


 正確には、封印具によって与えた傷で、魔物の命を奪う。

 そのため、魔物を弱らせるところまでは、すでに作った魔法具で行ったり、大人数で攻撃すれば効率が良い。


 魔法で攻撃、弱ったら封印具でとどめ。

 言葉にしてみればそれだけのこと。

 だが魔物との戦いは初めてだ。

 そんなに上手くはいかないだろう。

 まずは魔物との戦いがどのようなものか肌で感じる必要がある。

 なに、たとえ失敗しても、初めからやり直しになるだけだ。

 焦る必要は無い。

 慌てる必要は無い。


 ユナヘルの頭の片隅に僅かに残った冷静な部分が、ユナヘルの体全体へそう言い聞かせていた。


 しばらく歩くと、血の匂いがしてきた。

 進むごとに濃くなっていき、木々の向こうに影が動くのが見えた。

 自分の心臓が破裂しないことだけを祈り、ユナヘルは意を決して歩を進めた。


 そこにいたのは真っ黒な毛並みの魔物だった。

 全長は成人の身長の二倍ほどある。


 オルトロスはユナヘルに気付くと、牙をむき出しにして二つの頭で同時に唸り声を上げた。

 内臓が直接揺さぶられるような感覚がする。

 四つの目は、ユナヘルの顔や、手元の魔法具へ向けられている。

 真っ赤に濡れた牙が見える。

 食事中というのは本当だった。

 オルトロスの足元には――。


 ――ぺちゃぺちゃ。ごりごり。ぶちぶち。

 耳を塞いでも振動が伝ってくる。

 真紅に染まった視界は何も映さない。

 全身の感覚が溶けてなくなっていくようで――。


 ユナヘルが我に返ると、地面が大きく揺れ、上昇を始めた。

 視界が傾いて、冷たい地面の感触が尻から伝わってくる。


 魔物から攻撃など受けていないことにすぐに気付く。

 怯えて、腰を抜かして、尻餅をついた。

 それだけだ。


 ユナヘルは震える手で双頭の魔物へ<篝火>を向けた。

 胸の内に巣食う泥を振り払うように魔法を使うが、制御できていないことに気付いたのは、放った火が真っ先に自分を焼いた直後だった。


 体中を走る激痛に、ユナヘルは魔法具を落として転げまわった。

 聞こえてくる悲鳴は、腹の底からひねり出した自分自身のものだ。

 肉が焼ける匂いがしたが、それは一瞬のことで、吸い込んだ空気と一緒に入り込んだ炎が、鼻と口の中を焼き尽くし、すぐに息が出来なくなった。

 胎児のように丸まり地面に転がっているが、ユナヘルにはもう理解できていない。



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