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ユナヘル  作者: かなへび
1/9

第一章

 ユナヘルは石に閉ざされた夜道を走っていた。


 胸が苦しくて、頭はくらくらしている。

 喉の奥からせりあがってくる悲鳴を飲み下すのに必死だ。


 大通りを避け、果物屋の角を曲がり、入り組んだ裏路地に逃げ込む。

 夜道を歩く物乞いが、何事かとこちらを見た。

 街灯から遠ざかり、より深い暗闇の中へ身を投じていく。

 脚を止めることは出来ない。

 追っ手の気配はすぐ背後まで迫っている。


 ユナヘルの顔は、汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

 厳しい訓練によって体に馴染んでいる筈の防具が、ひどく重く感じる。

 全身を染め上げる血は、全て仲間のものだった。


 作戦は失敗した。

 ほかに逃げ出せた仲間はどれだけいるのだろうか。

 作戦終了後の集合場所は決められていたが、向かうつもりはなかった。


 特別仲の良かった兵士はいなかった。

 だがそれでも、一緒に姫を救い出そうと立ち上がったのだ。


 突然脚がもつれて、ユナヘルは固い石の地面の上に転がった。

 手を地面に着き、起き上がろうとしたが、出来なかった。

 見れば数歩ほど後方に、膝から下が転がっている。


 攻撃を受けたのだ。


 悲鳴も出なかった。

 遅れて、焼きごてを当てられたような痛みが右足から伝わる。

 こぼれた血液が石畳を覆い広がり、月光に照らされた。


「当たったぞ」

「へたくそ。足だ」


 背後から声。

 ユナヘルは体を引きずるようにして体を仰向けに起こすと、声のするほうへ顔を向けた。


 二人の男が立っていた。

 胸元にある鳥の羽が描かれた徽章は、彼らが第二階梯の兵士であることを示していた。


 彼らの手には、それぞれ魔法具があった。

 髭面の男は、岩をそのまま削りだしたような短槍<尖塔>を持ち、もう一人の長身の男は、鳥の翼のように羽毛に覆われた片手剣<雲切り箒>を持っていた。

 どちらも、ユナヘルには扱うことの出来ない高位の魔法具だった。


「干渉されたんだ。外したわけじゃない」


 <雲切り箒>を持つ長身の方が早口で言うと、<尖塔>を持つ髭面の方は顔をしかめた。


「……まだ見習い兵じゃないか」ユナヘルの姿を見た一人が言った。「干渉できるわけない。適当なことを言うな」


 ユナヘルは今年で十五歳だった。

 背丈は同年代と比べて頭二つ分低く、体格も小さい。

 浅黒く陽に焼けた肌には若者特有の瑞々しさがあり、茶色の髪は短く刈り揃えられていた。

 兵士仲間によくからかわれる、年齢にしては幼い顔立ち。

 そこには今、くっきりと恐怖が刻まれ、薄茶色の瞳は濁っていた。


「さっさと終わらせよう」髭面の兵士はそう言って、ユナヘルに向かって一歩踏み出した。


 ユナヘルはそこでようやく、自分の腰にも魔法具があることを思い出すことができたが、それだけだった。

 敵を前に震えることしかできない情けなさも、メィレ姫への忠誠心も、圧倒的な死への恐怖が塗りつぶしていく。


「良く頑張った」


 髭面の兵士は哀れみの篭った声でそう言うと、一歩前に出て<尖塔>を振り、魔法を放った。

 ぎちぎちと何かが押し潰されるような音が聞こえ、僅か一呼吸の間に生まれた身の丈ほどもある細長い石の槍は、ユナヘルの胸の中心を貫き、石畳に縫い止めた。

 衝撃が走っただけで、もはやユナヘルは痛みを感じていなかった。

 流れ出る血液に比例して、徐々に視界がぼやけていく。

 やがて、音も、匂いも、地面も消えて、何も感じなくなった。

 真っ暗な世界が広がり、自分の意識が霧散していくのを感じる。絶望も苦痛も全てが無に帰る。


 唐突に視界が開けた。


 ユナヘルは夜の路地を走っていた。鉄の防具に身を包み、自分の荒い呼吸音ばかりが聞こえてくる。

 足を止め、辺りを見回した。

 さっきまで走っていた王都の路地裏だった。


「は?」

 ユナヘルは間抜けな声を出した。


 全身に被った仲間の血の匂いを嗅ぐ。

 路地の向こうからは、近付いてくる追っ手の気配を感じる。

 体が震える。

 自分はさっき死んだはずだ。

 風の魔法で足を落とされ、石の魔法で胸を貫かれた。

 ざっ、と耳の奥から聞こえてきたそれが、自分の血の気が引いていく音だと気付く。

 夢でも見ていたのか、あるいは今も夢を見ているのか。

 やがて二人の追っ手が姿を現した。


「お、諦めたみたいだぜ」長身の兵士が意地の悪い笑みを浮かべた。


 敵が魔法具を構えても、ユナヘルは動けなかった。

 魔法が放たれる。

 先ほど右足を切り落とした不可視の風の刃は、今度は正確に首を両断した。

 ユナヘルの頭部は地面に転がり、噴水のように赤い血を撒き散らしながら倒れる自分の体を見上げていた。

 やがて意識が遠のき、真っ暗な世界に投げ出される。


 そして、ユナヘルは路地を走っていた。


「うわあああ!」ユナヘルは立ち止まり、叫び声をあげた。


 混乱で頭が上手く働かなくなる。

 死んだはずだ。

 それも二回も。

 それなのに、なぜ生きているのか。

 なぜ、また逃げているのか。

 背後から追っ手が姿を現す。


「お、諦めたみたいだぜ」さっきと同じ言葉が聞こえてくる。


「待て! 待って! 何かおかしい!」


 ユナヘルは叫んだ。

 二人の兵士たちは魔法具を構えたまま、僅かに眉をひそめた。


「いまさら命乞いか」<尖塔>を持った方が言った。「死ぬ覚悟くらいしてきてくれ」

「違う! 聞いてください! 僕はさっきも死んだんです! あなたたちに殺された!」

「……何を言ってるんだ?」

「まぁ待てよ、せっかくだ。聞いてみようぜ」


 もう一人がにやにやしながら言った。

 ユナヘルは縋り付くように叫ぶ。


「その魔法具にやられたんです! それも二回! なのに僕はまたこうして逃げているんです!」

「なんだそりゃ」

「僕だって混乱してるんです! 何か、何かがおかしい!」

「変な命乞いだ」

「待っ――」


 ユナヘルの懇願もむなしく、<雲切り箒>から風の刃が走り、首が落ちる。

 意識が遠のき、暗闇が訪れる。


 そして、ユナヘルは再び路地を走っていた。


「なんだ、一体何なんだよこれっ!」


 逃げ続けてもやがて背後から攻撃を受けることを知っている。

 ユナヘル程度の実力では防ぐことは出来ない。

 ならば反撃しなければ。

 全ての疑問を棚上げにして、足を止め、反転して魔法具を抜く。

 すぐに追っ手が姿を現した。


「お、諦めたみたいだぜ」

「うわああっ!」


 ユナヘルは恐怖を振り払うように声を張り上げると、腰に手を伸ばした。

 革の鞘から真っ赤に焼けたような赤い刀身を持つ短剣を取り出す。

 <篝火>と呼ばれる、初級者用の魔法具だ。

 長身の兵士は、面白がるようにユナヘルのことを見下ろしている。


 ユナヘルは<篝火>の切っ先を敵へ向けた。

 魔法具の柄を持った瞬間から、ユナヘルは体の中に臓器が一つ増えたような気分を味わった。

 それはまるで心臓のように鼓動しており、体の中から力が溢れてくるのを確かに感じ取った。

 湧き上がる魔力を切っ先に集め、火の魔法を紡ぐ。

 今日のために何度も練習したその魔法は、とても平静を保てない今のような状況にあっても正確に発動した。


 <篝火>から生まれた火を中心にして、あたりが一気に明るくなる。

 ユナヘルの生み出した炎は、刃の切っ先で人の頭部ほどの大きさに膨れ上がると、二人の敵に向かって矢のように放たれた。


 直後ユナヘルを襲ったのは、水の壁にぶつかったような抵抗感。

 相手の干渉だと気付いたころには、火球は二人の兵士に近づくほどに小さくなり、最後は頼りない蝋燭の火ほどになって消えてしまった。

 再び夜の闇が周囲を覆う。


「良く頑張った」


 その言葉はさっきも聞いた。

 石の槍が胸元に突き立つ。

 悲鳴を上げることも出来ずに、血を流して地に倒れ伏す。

 急速に意識が遠くなり、やがて視界が開けた。


 ユナヘルは路地を走っていた。






 殺された。

 殺され続けた。

 容赦なく、一方的に。

 そうした死を何度も経験して、何度死んだか分からなくなったころ、ユナヘルは一つの結論を得た。


 時間が巻き戻っている。


 路地を逃げ、背後から攻撃を受け、足が止まったところを殺される。

 再び路地を走り、死に、また路地を走る場面へ舞い戻る。


 ユナヘルは最初、夢を見ているのだと思った。

 本当の自分は今も兵舎の寝台に横たわって、朝の訪れを告げる鐘が鳴るのを待っているのだと。

 だが死に至るまでの痛みは紛れもなく本物で、ユナヘルはその度に恐ろしい現実を突きつけられた。

 間違いなく、死んでいる。


 不思議なことに、死ぬことに慣れると、死に至るまでの苦痛を感じる余裕が出てきた。

 四肢を切り落とされる痛み。

 胸を貫かれ、呼吸できず溺れるように死ぬ苦しみ。

 ユナヘルにできることは、ただ一歩でも遠くへ逃げ続けることだけだった。

 ユナヘルを殺す兵士の様子は変わらない。

 時間が戻ることを知っているのは自分だけのようだと、ユナヘルは考えた。


 死ぬことそのものよりも、永遠に終わりが来ないという現実に対する恐怖が、ユナヘルの心に根を張った。

 たとえ走ることをやめ、追っ手の前に膝を折ったとしても、どうにもならない。

 殺されてから意識が戻るまでの時間が短くなるだけだ。


 どうして時間が戻るのかということに関して疑問に思っていたのは最初だけで、死と蘇生を繰り返す中、そんなことは次第にどうでもよくなっていった。

 このまま気が狂うまで殺されるのだろうか。

 いやそれよりも、ちゃんと正気を失うことができるのか。そのことのほうが心配だった。






「おい、こいつ、笑ってるぞ。イカれたのか?」<雲切り箒>を持つ方の兵士が、忌々しそうに言った。「手こずらせやがって」


 ユナヘルは石畳の上に倒れこんでいた。

 疲労困憊で、心臓は破裂しそうなほど激しく鼓動している。

 両足は石になったかのように重く、一切動かない。


 目の前には背の高い塀が見える。

 王都を囲う外壁だ。

 壁沿いに行けば門から王都の外へ出ることができるが、王城からここまで追っ手の攻撃を避けながら全力疾走してきたのだ。

 もう一歩も進むことが出来なかった。


 実のところユナヘルは、目的地があって逃げていたわけではない。

 ただひたすら足を動かし、少しでも追っ手から遠ざかろうとしていただけだった。


「もしかして分かってないのか? お前らの作戦自体な、王子派の者が手引きしてたんだよ。不満分子の一斉処分ってやつだ」

「おいベロート、喋りすぎだ」

「あぁ?」


 強烈な蹴りがユナヘルの腹部に直撃する。

 ユナヘルは体を折り曲げ、石畳の上を転がった。


「別にいいじゃねぇか」


 どこか遠くで痛みを感じているような、不思議な感覚だった。


 姫。

 メィレ姫。

 ユナヘルはあの美しい横顔を思い出した。


 今の今まで忘れていた。

 姫を助け出そうとして、失敗して、今ここに居る。

 作戦はそもそも王子派の息がかかっており、姫を救出するために志願した兵たちはことごとく殺された。

 小さな反抗は終わり、最も大きな力を持つ者によってこの国は動いていく。


 長身の兵士から溜息が聞こえ、<雲切り箒>が振り上げられるが、それを制したのは髭面の兵士だった。


「聞きたいことがある」


 ユナヘルはぜいぜいとあえぎながら視線を上げ、これまでと異なる展開に驚いた。


「干渉の気配はなかった。どうやって俺たちの魔法を避けた?」

「フォグン、そんなの偶然だろ? 外したこと気にしてるのか?」

「能天気なのはお前の悪いところだ。五回も六回も偶然があってたまるか」


 髭面の兵士の疑問はもっともだった。

 ユナヘルがここまで逃げられたのは、稚拙な魔法具の技術などではなく、追っ手の攻撃パターンを「知っていた」ことが大きかった。

 どのタイミングで、どんな魔法が飛んでくるか、どこをどう逃げたら攻撃を受けやすいか。

 失敗しては死に、それらを一つ一つ覚えていったのだ。

 僅かずつ、逃げる距離を増やし、死ぬまでの時間は増えていった。

 圧倒的な経験量が、それを成し遂げさせたのだ。


 じきに魔法が飛んでくる。

 ユナヘルにはそれが良く分かった。

 胸を貫かれるか、首を落とされるか……。

 また最初の場面に逆戻り。


 そうだ、何度でも戻る。

 最初の場面へ。

 作戦が失敗し、無様に潰走する、あの恐怖と屈辱の光景へ。

 初めからやり直し。

 何度でも。

 姫様――。


 じりっ、と、何かが燃える音がした。


 終わったのか?

 本当に?


 それは誰の声だったか。

 ユナヘルは、自分の体を流れる血液の音の群れの向こうに、確かに聞いた。


 まだすべてが終わったわけじゃない。

 何の因果か、少なくとも今、自分はこうして殺され続けている。


 ついに風が吹き、首が落ちた。

 意識を失うまでの短い間、ユナヘルは自分の内側から熱いものがこみ上げるのを感じた。

 どうして絶望など感じていたのだろうと、疑問すら覚える。

 何一つとして終わっていない。

 こうして殺され続ける限り、全ては続いている。

 暗闇が広がり、意識が収束していく。






 逃げ足が速いだけの、小さな子供。

 ウルド国軍の正規兵士であるフォグンは、見習い兵士の逃げる背中を見ながらそう思った。


 裏路地に逃げ込んだ見習い兵は、時には建物の中へさえ躊躇無く飛び込み、裏口から飛び出していった。

 どこかの宿の勝手口から入り、無人の厨房を駆け抜けていく少年兵を追いながら、フォグンは自分たちをなんとしてでも振り切ろうとするその根性を賞賛すらしていた。


 フォグンたちに与えられた命令は至って単純だった。

 メィレ姫を牢から解放しようと集まった裏切り者を、見つけ次第処分する。

 蜘蛛の子を散らすように逃げ出した、成人するかしないかといった年齢の子供たちを、一人残らず殺していく。


 正直言って気持ちの良い命令ではない。

 だがそれでもやらなければならない。

 国の「頭」が挿げ変わったのだ。

 これからこの国は北のデフリクト国との戦争に、大きく傾いていくことになる。

 一介の兵士に何が出来ようか。

 フォグンは<尖塔>をきつく握り締めた。


 先を走るベロートが、<雲切り箒>から、見習い兵の背に向けて風の刃を放った。

 ちょうどそのとき、見習い兵は何かに躓くようにしてつんのめり、風の刃は見習い兵の頭上を通り過ぎていった。


「運の良い奴だ」


 悪態をつくベロートを、フォグンは睨みつけた。

 見習い兵はすぐに体勢を立て直すと、そのまま路地の奥へ逃げ込んでいく。

 見習い兵程度では、自分の所持する魔法具から漏れ出す魔力を遮断する技術を身につけていない。

 大声で自分の居場所を叫びながら走り回っているようなものだ。

 それに気付いていないのか、それとも冷静さを欠いているのか……。

 なんにせよ、追い易くて助かる。


 後を追っていくと、やがて突き当たりの路地にたどり着いた。

 道は左右に分かれている。

 二人は迷うことなく左の道へ走り進んだ。

 見習い兵は角の向こうで立ち止まっているようで、魔法具からは動く気配を感じられない。


 体力の限界だろう。

 無理もない。

 ここまで相当な距離を走り続けたはずだ。

 ベロートが先行し、路地の角でうずくまる見習い兵を見つけた――。


 はずだった。


「え?」ベロートは困惑の声と共に足を止めた。「捨てて逃げやがったのか」


 どうやら、あの少年兵は途中で魔法具のことに気付いたようだった。

 路地の先には<篝火>が転がっている。


 賢明な判断だといえる。

 走り回って頭が冷えたのだろうか。

 仕事が増えてしまった。


 ベロートが足元に転がっていた短剣状の赤い魔法具を拾い上げたとき、突然フォグンの首筋に衝撃が走った。

 焼け付く痛みが走り、フォグンはその場に膝から崩れ落ちた。


 背後から攻撃を受けたのだ。

 接近に気付かなかった。


 声を発そうとして、代わりに出てきたのは大量の血だった。

 フォグンは、自身の背後から影のように飛び出し、ベロートへ真っ向から向かって行ったその人物を見た。

 先ほど追いかけていた見習い兵にそっくりな姿をしており、手には血に染まった赤い短剣が握られている。


 否。

 「そっくり」ではないのだと、すぐに気付く。

 手にあるのも短剣ではなかった。

 ただの小さな包丁だ。


 襲撃者は、先ほどまで追いかけていた見習い兵本人だった。


 ウルドに生きる兵士が、魔法具でもなんでもないただの鉄の刃物によって傷を負ったのだ。

 煮えたぎる屈辱は疑問や困惑、痛みをかき消し、無理矢理にフォグンの意識をつなぎとめた。

 右手の<尖塔>から石の槍が生み出され、遠ざかる見習い兵士の背に向けて放たれた。


 それは何事も無く見習い兵に直撃した。

 背中から槍に貫かれた幼い兵士は、もんどりうって倒れこみ、それに気付いたベロートが驚いて魔法具を構える頃には、既に物言わぬ死体と化していた。


 ベロートが駆け寄ってくるが、フォグンは既に自分の命運を悟っていた。

 失った血が多すぎる。

 薄れゆく意識の中、フォグンの思考には疑問が残っていた。

 石の槍が直撃する寸前、見習い兵が僅かに体を傾けたように見えたのだ。

 まるで背後からの攻撃を避けようとするかのように。






 ユナヘルが最初に考えたのは、魔法具の訓練だった。

 何度でもやり直せるのなら、敵の技術を盗み、敵より強くなろうと考えたのだ。

 攻撃を避け、こちらの魔法を確実に叩き込む。

 言ってみればそれだけのこと。

 基礎の基礎ではあるが、魔法具の教練も受けている。

 あと必要なのは経験値だけだと思っていた。

 しかし何度戦っても、こちらの魔法はかき消されるし、向こうの魔法は確実に直撃する。


 ユナヘルには何が悪いのか、どうしたら良くなるのか分からなかった。

 魔法具の性能差が激しいせいなのか、何か致命的な間違いをしているせいなのか。

 ここには助言をくれる教官もいない。

 あれだけ本を読んで知識をつけたのに、息つく暇もない実戦の連続で、反省をする隙もない。


 一向に上達する気配のない戦いの中で、次第に焦りを感じていく。

 もしもこの「やり直し」に残り回数があったら?

 あと一万回死ねば上達するとしても、やり直しの残り回数が千回だったとしたら意味がないのだ。


 ユナヘルは現実を見ることにした。

 なにも魔法具の達人になる必要はない。

 目の前の敵を倒すことが出来ればいいのだ。


 そうしてユナヘルが考えたのは、魔法具を囮に使った奇襲作戦だった。


 捨てられた魔法具に気を取られているうちに背後から敵に忍び寄り、フォグンに包丁を突き刺し、即死ではない致命傷を狙う。

 フォグンは膝を着き、自分はその瞬間に前方にいるもう一人――ベロートへ向かって走り出す。

 二歩と、四分の一歩ほど進んだあたりで、飛び込むようにして石畳の上に転がる。

 早過ぎても遅過ぎても失敗する。

 射線も考慮しなければならない。

 ユナヘルは石畳の合わせ目を目印にしていた。

 足元の案内に従い、リズムに合わせてステップを刻む。

 たっ、たたっ、たん。

 街で見た踊り子を思い出す。


 あと五回失敗したら別の作戦――隠れ潜んで敵をまく作戦を立てよう、と考えていたところで、前転を終えて正面を見ると、<雲切り箒>を持ったベロートの背中に、石の槍が突き刺さっていた。


 成功。

 射線も完璧で、槍は肩を貫いており、ベロートは魔法具を落としていた。

 稚拙な自分の魔法は通用しない。

 敵の同士討ちを狙うほか無かったのだ。


 飛び上がるようにして懐へ飛び込み、うろたえるベロートの首を掻き切る。

 噴水のような血を噴き出すと、あっけなく倒れこんだ。


 ここまでは何度か成功したことがある。

 問題は次だ。


 ユナヘルは祈るような気持ちで振り返り、フォグンへ目を向ける。

 髭面の兵士は、魔法具を手放して横たわっていた。


「よしっ!」ユナヘルは思わず叫び、拳を握りこんでいた。


 最大の難所だった。

 一回だけ魔法を放てるが、その後力尽きるような、都合のいい傷を作る必要があった。


 髭面の兵士の顔はこちらを向いていた。

 表情には驚愕がこびりついているが、その目はもはや何も見ていなかった。


 ユナヘルはその場に腰が抜けたように座り込んだ。


 実際は大して経過していないだろうが、体感では恐ろしいほどの時間を走り回っていたのだ。

 膝はがくがくと震え、軽く眩暈を起こしている。

 しかし泥沼のような濃い疲労感は、体の芯から湧き上がる高揚によって打ち消されていく。


 勝った。

 勝ったのだ。

 ウルド国の正規兵士、それも二人相手に。


 ユナヘルは逃げる途中に侵入した宿の厨房で拾った武器を眺めた。

 人を殺した実感は沸いて来ない。


 深い深い溜息が、夜の闇に吸い込まれていく。


 ユナヘルは立ち上がり、囮に使った<篝火>を拾い上げた。


 コツは掴んだ。

 仮に、またやり直すことになっても、同じように倒せるだろう。


 喜びが胸中を渦巻いていく。

 姫様。

 あなたを、助け出してみせる。

 そこまで考えて、ユナヘルはふと、もう何度死んだか分からなくなっていたことに気づいた。

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