【1.ヘタレ親父の一生のお願い】
「はぁ?転校?」
あたしがそう叫んだ後、この居間から見える日本庭園から、カポーンと鹿威しの音が鳴り響いた。
純和風の10畳ほどの和室で、漆塗りの大きなテーブルの上座に座っている男が、コクンと小さく首を縦に振った。
『任侠一筋』と意味のわからない掛け軸がかかってある床の間を背に、その男…
て言うか、あたしの父親なんだけど、その父が綺麗に整った顔を苦情の表情に変えて口を開いた。
「宙花…本当にスマン。男と男の約束…友情なんだよ。だから、たのむから転校してくれないか?」
「何、その男と男の約束とか友情って。つうか、あたし、今の高校、入学したばっかりなんだけど!!」
そう叫びながら、目の前のテーブルに、ガンッと両手を突いて思わず立ち上がったあたし、星野宙花、15歳。
先月、地元の公立高校に入学したばっかりの高校一年生。
同中の友達もけっこういて、楽しい高校生活をエンジョイしようと、胸をワクワクさせていた所に、このバカ親父の爆弾発言。
ふざけんのは、その顔と中身のギャップだけにしろっつうの!!
それを念に込め、ギロリと目の前の父親を見下ろしたら、眉尻を下げて実に情けない表情を作った。
「宙花ちゃ~ん、そんな怖い目で睨まないでくれよ~!可愛い顔が台無しじゃないか!」
顔と同じ位の情けない声で言ったこの親父、星野廉夜38歳。
職業、ヤクザの組長。
そう、あたしのウチは星野組というヤクザを生業にしている家で、父親はその一番偉い人間。
普段は漆黒の髪を後ろに撫でつけ、俳優顔負けの渋いイケメンで、自分のシマのホステスにモテモテの父。
だが、ナゼか娘のあたしの前では、ヘタレ王の称号を与えたいほど、あたしを激愛し甘やかす、激甘ナヨナヨ親父なのだ。
「何が『宙花ちゃ~ん』よ!その厳つい顔で、気色悪いっつうの!それに、あたしは可愛くないの!!」
またもやそう叫んで、あたしは両腕を組んでからツンとソッポを向いてやった。
「宙花ちゃ~ん、そんな意地悪言わないでよ~!宙花ちゃんは、宇宙一可愛い…あ、間違えた!宇宙で二番目だった。一番目は、お前の母さんなの忘れてたよ」
父廉夜は、おもむろに着ていた藍染の着物の懐から写真を一枚取り出し、とろける様な甘い顔でその写真を見つめた。
…だから、その顔、めっちゃ気持ち悪いんだってば!
「帆乃香~、お前が宇宙で一番愛しくてすばらしい女性だよ。そんなキミの娘は、宇宙で二番目に可愛くて素敵な女性だって言うのは、必然な事だと思わないかい?」
その、あたしそっくりの女性が写っている写真に向かって、そんな寒イボなセリフで語りかけている、一応、ここら一帯で幅を利かせている、ヤクザの組長。
…い、痛い、痛すぎる。
自分の父親ながらこの痛くて目の悪い男に、あたしは哀れな目を向けた。
このイケメン親父は、自分の父だからと贔屓目で見ているわけでなく、客観的に見ても本当に涼しげな顔立ちの色男。
そして、その馬鹿親父が持っている写真に写っている女性…
まぁ、あたしの母親なんだけど、彼女はどう贔屓目に見ても綺麗ではなかった。
100歩譲って、まぁ少しは愛嬌があって可愛いかな?
と思えるぐらいの、平凡な顔立ちの女性があたしの母親であり、その母親に瓜二つのあたしは、やっぱり平凡な女だった。
その母親はと言うと、あたしが中学生の頃、交通事故で他界した。
顔は平凡だが、とても優しく…そして、ヤクザの跡取り娘と言う事もあり、腕っ節がかなり強い母だった。
そんな母を、父は物凄い溺愛しており、自分はどこぞの大きな会社の御曹司だったにもかかわらず、その跡取りの座を双子の弟にあっさりと譲り、父は愛しの母の為に畑違いの”極道”という道へと足を踏み入れたのだった。
「母さんは高校の頃、そりゃ~モテたんだよ」
うんうん。
その話何回も聞いた。
父の通っていた男子校の姉妹校である女子高に通っていた母。
その女子高との合同ダンスパーティーで、母と父は知り合った。
しかし、そこで母と出会ったのは父ばかりではなく、父の親友とも悪友とも言える男たちも数人いたようで。
「あいつ等も母さんに惚れちまって大変だったよ…あいつ等全員がライバルで、おまけにその中で俺が母さんを恋人に出来て…俺は本当に宇宙一の幸せな男だよ」
はいはい。
そのセリフも何百回も聞いた…つうか、耳にタコ?
「だがな。実は最初、母さんが選んだのは、父さんじゃなかったんだ」
へいへい、その話もいつものセリフ……
て!!
「その話初耳なんですけど!!」
あたしは、思わず叫んでいた。
「ああ。この話は今までした事なかったからなぁ」
などと、父廉夜はのんびりした口調で遠い目をした。
「母さんは最初、父さんの親友と恋人同士になったんだ。だが、それぞれの両親の反対にあって、仕方なく別れた。
その男は世界有数の大企業の御曹司で、ヤクザの跡取り娘を嫁に迎えることは出来なかったんだ。
おまけに母さんは一人娘で、星野組でも母さんは養子を迎えて、その男を次の組長にする事は周知の事実だったからね」
少し寂しそうな声で言った後、その頃を思い出したのか切なげな表情を父は浮かべた。
「一人寂しさに落ち込んでいる母さんを、父さんが全身全霊で口説き落としたんだ。まぁ、その後は、母さんは俺にぞっこんラブだったけどな」
エヘン!とナゼか得意げな顔の父。
つうかさ、ぞっこんラブって…
いったいいつの時代の言葉なの、それ。
「その時、その親友の男と約束したんだ。
お互い子供が出来たら、自分たちの母校に入学させようと。
たぶん、奴は母さんとの繋がりを切りたくなかったんだろう。
俺はあいつの気持ちが痛いほどわかった。心底惚れてる女を諦めなければならない、あいつの心の内をな。
だから、約束に同意した」
傍から聞いたら美談かもしれないその話だが、その影響が自分に降りかかってくるとなると話は別。
「だからな、宙花、お前、父さんの母校に行ってくれないか?」
「でもさ、父さんの高校、男子校じゃなかった?」
「大丈夫、今は、男女共学になったんだよ」
「ふ~ん」
あたしはそれに適当に相槌を打ちながら、頭の中はどうすればいいのか、目まぐるしく回転していた。
「頼むよ、宙花、父さんの一生のお願いだ!」
て、そのセリフ、年に数回耳にするんですけど!!
冷めた目で父を見つめながらも、あたしは、はぁ…と大きなため息と共に口を開いた。
「しょうがないなぁ。『約束は守りなさい』って、母さんがいつも言ってた事だし」
「え、じゃあ!」
「言っとくけど!!ほんとーーーーに、しょうがなく、その高校に行くんだからね。
あたし、本当はこの地元の高校に通いたいんだから。
そこん所、くれぐれも忘れないでよ!!」
「うんうん。わかってるって!」
本当にわかってるのか、この親父は!
そんなヘタレ親父は、満面の笑みを浮かべ
「ああ、良かった。アイツに報告しなきゃなぁ」
なんて言いながら、いそいそと立ち上がり、用事が済んだとばかりにこの部屋を出て行こうとする。
その背にあたしは、ある事を思い出して声をかけた。
「ねぇ、宇斗はどうするの?」
宇斗とは、あたしの双子の弟だ。
双子と言う単語の意味を疑ってしまうほど、あたしと彼は似ても似つかない。
ちなみに、あたしは母似。
弟は父似。
…これ以上の説明はいらないよね。
あたしのその問いかけに
「ああ、アイツはいいんだ」とあっさり言って父は部屋から出て行ってしまった。
「ヘンなの、アイツも母さんの子供じゃん」
一人呟いたあたしは、けれど、その時その事を深く考えなかった。
と言うより、この微妙な時期に新しい学校へと行かなければならない状況に、どうしようかと頭はそっちの方ばかりに働いていた。
この時、もっとバカ親父にこの事を突っ込めばよかったと、後に後悔するあたしだった。