傀儡の夢
二作目のお題小説です。今回のお題は、「森林」。
2時間ほどしか使っていないので、低クオリティです(笑)
それでは、どうぞ。
「きみはそうやって、これからも、こんな辛気くさい場所にひとりきりで、現実から目を背けて埋もれているつもりかい」
ざわざわと、葉擦れの音がする。
深い緑の中、沈み込むように黒い影。
今にも夜に取り込まれてしまいそうな二つの影は、寄り添うように大木にもたれ、息をすることを忘れたかのようにうずくまっていた。
一段と小柄な方の影がもうひとりに反応したようにわずかに身じろぐ。
「…………」
「きみも分かっているはずだ。この森はもはや僕たちが知っている場所ではない。太古のいのちも、繁栄も、受け継いできた知識でさえも、きみの代で消える」
「……まだ、終わりじゃない」
小柄な少年がはじめて、口を開く。その低く、張りつめた声にも、かたわらの青年はまるで頓着せず、ため息をつく。
「これは、宿命。決してきみの背負うべきものではない。はるか昔から、ここは滅びる運命にあったんだ。はきちがえるな。きみができることなどない」
青年は決して鋭い声を出したわけではないのに、そのあくまで穏やかな声は少年の肩を震わせた。
「きみで最後だ。これからはない。きみにやるべきことがあるとするならば、それはこの森にはない」
少年は黙っていた。
風が彼らの蒼白な頬を撫でていく。青年が言葉を選ぶように口をつぐんだ。
ざわざわと、葉擦れの音がする。
はるかな昔から、この森は聖森とされていた。人里とは隔絶された、なんの手も入れられていない森。守と呼ばれる一族と彼らを守る血族のみが住むことを許され、それ以外のものは徹底的に拒む、生きた森。
聖森を守るは、森の守。守はひとつの世代に一人のみ。必然的に、さきの守が死ねば、あとの守が生まれる。
選ばれなかったほかの血族は守を守るものとなる。
それほどまでに制限された血を持ち、どの世界とも断絶されていたにも関わらす、森は不思議と栄えた。
守の一族が並外れて優秀だったとも言えるし、生きた聖森の加護をうけたとも言われている。だれに教わるでもなく技術をみにつけ、それを着実に生活へ反映していった森の文明は、栄華を極めた。
けれどそれも泡沫の夢。
聖森のきまぐれか、それとも運命だったのか。
隔絶された森になんの因果か「外」の人間がさまよいこみ、その完結された世界の繁栄を目の当たりにした。
そして何の因果か命を落とすこともなく、自らの国へ帰還し、目にしたものを国中に触れて回った。
当然のようにその国は聖森に国中をあげて侵攻をし、ひとつの血筋だけで生きながらえていた守の一族は命を奪われていく。
森の繁栄はもはや遠く、ただ凄惨な戦の跡が残るのみ。
滅びは目前にせまり、残された血は当代の守とその兄だけ。
この一瞬にして奪われた泡沫の夢は、聖森の気まぐれか、それとも。
ざわざわと、葉擦れの音がする。
「……僕は、ここを出て行くよ」
言葉を探しあぐねていた青年が、ぽつりと呟く。
ゆっくりと自分を見る少年を尻目に、青年は空を見上げた。
嘲笑うような三日月が端に引っかかる、紫黒の夜空。
あの襲撃から何日もたったはずなのに、いまだに焼けた匂いがする。
ここにいてはいけない。この森は、きっと聖森ではなかったのだ。森を一族賭して守っていた守の一族さえ滅ぼしたのだから。
滅びゆくさだめ。妖森。人を喰らう、生きた森。
「僕がいなければ、きみは死んでしまうよ。護衛がいなければ、守は力を使うまでもなく、風で吹き飛んでしまうほど弱いのだから。それでも、ここに残るというの?」
少年の、ちっぽけな体を見下ろすように立ち上がる。着込んでいるものを全て取り払ったら、文字どおり吹き飛ばされてしまうほど弱々しく軽い体。
嘲笑のような三日月に照らされて、少年の見上げる瞳が冴え冴えとした光を宿す。
「……これが森の意思だ。守もろとも滅びるのが森の願いだ。守は、それに従わなければいけない」
頑で、人一倍守であることに誇りを持っていた少年。
そのひき結ばれた唇と揺らがない瞳をみて、青年はひとつため息をついた。
「…これで最後だ。僕は、ここを出て行く。きみにも、ついてきてほしい」
きっと、生まれて初めて少年にしたお願い。声が震えないように踏ん張った。
「……これは、兄としての、弟に生きてほしいという願いだ。森の願いと兄の願い、どちらをとる?」
「……」
「きみに、……生きていてほしいんだよ。兄として」
初めて、弟の瞳が揺らいだ気がした。けれど、それも嘲笑する月が見せた幻なのかもしれない。
どちらにしろ、もう時間はあまり残っていなかった。
守ではなく、ただびとでしかない青年には、この豹変した森に居続けることが困難となっていた。
守の一族を守る聖森から、守以外の血族でさえも排除する妖森へと。
この森は、確実に、守である少年を喰らおうとしていた。
青年は、その前に少年を連れ出したかった。
憔悴する体を森の出口へと向ける。
「きみがたったひとりの兄の願いを聞いてくれるのなら、……森を出てきてくれ」
戦闘で傷ついた体を押し進め、森を出る。
外の空気は、今までになく清浄に感じられた。
嘲笑する月。
それを見上げ、後ろへ耳を澄ます。
小さな足音を、期待する。
「………っ」
風が、吹いた。
葉擦れの音が、
青年は後ろを急いで振り返る。
「……あ…」
葉擦れの音が、
……消えている。
「……っ」
青年は瞠目した。夜闇に黒々と広がっていた森が。ついさきほどまで後ろで命を喰らおうと構えていた森が。
跡形もなく消えていた。
青年は呆然と視線をさまよわせた。開けた視界に、炎の残り香。
ここに確かに存在していたのに。
「………なぜ」
答えは分かっていた。
「苑樹……っ」
青年はあえいだ。滅多に呼ぶことのなかった、弟の名前を呟く。
弟は、森に喰われてしまった。
妖森の守などに生まれついてしまったために。
「えんっ…苑樹っ…」
なぜ、この森は。
共に生きてきた一族でさえ。
おまえのことを守ってきた守でさえ。
青年は頬に流れる涙をそのままに、憎悪に瞳を凍らせた。
風が青年の髪をもてあそぶ。
残された守の血は、もはやひとりのみに。
青年は一歩、踏み出した。森の入り口から、中への一歩。
嘲笑の三日月が、裸となった大地にぽつんと立つ青年を照らす。
この森は、守でさえ喰らう。
いや。
守だからこそ喰らったのだ。
守の一族は、さしずめ妖森への贄。
森があの侵入者を許したのも、そういうことだったのだ。
森に肥えるまで育てられた子羊。
この、森は。
「おまえを許さない…」
青年の脳裏に、次々と葬られていった同族の顔が思い浮かぶ。
なにも知らずに、この隔絶された世界で、ただ喰らわれるために。
こんな馬鹿げた芝居を打たされていたなど。
「苑樹、ごめん。僕は間違っていた」
青年は足を止めた。
ちょうど、37歩。少年と別れてから、歩いた距離。
つかの間、少年の面影を探すようにあたりを見回し、ただ広がる土を認めると。
青年は短剣を抜いた。
「僕で、最後だ」
風が、青年の髪をもてあそぶ。
この世界の果てには、黒々とただ広がる荒れ野があるという。
遥か昔には、一度入ったら無事では出てこられないような、大きな森があり、どの国にも所有されない聖域であったという。
いつの頃か、その森は忽然と消え失せ、その地は荒れ野となった。
その荒れ野は、植物が一種たりとも育たず、その地にだけは雨が降らず、もう誰も覚えていないような昔から雲がかかり日も射したことがない。
人々は、その地を呪われた森跡と呼ぶ。
その地には。
ただ赤黒い土が、呪いのように広がっている。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ずいぶんと間の空いた三作目でしたが、少しでも楽しんでいただけたのなら嬉しいです。
引き続き、お題を募集しています!