#A-06 次への一矢
既に今季の授業は終了。春休みに入っているところだが、奏と紫苑は学校の廊下を歩いていた。
「ごめんなさいね、響さん。休みなのに手伝ってもらって」
「いえ、構いませんよ。それで、山根先生。今日はどうすればいいんですか?」
先を歩く山根先生(担当教科日本史、28歳未婚、彼氏有)の後に続いて歩きながら奏が問いかける。
「実は今日、私が顧問をしている弓道部で他校との合同練習を組んだのだけど、私昼から出張に行かなくてはいけなくなって。他の先生に任せるにも、入学説明会の準備で忙しいでしょう?一応、他校の生徒さんたちが来るわけだからある程度責任持てる人がいないといけない――と大野先生と話し合った結果、風紀委員長の響さんにお任せしようということになりまして」
大野先生(担当教科体育、32歳、山根先生の彼氏(公認))への文句を100通りぐらい考えながら、そうだったんですか、と頷いておく。
「しかし、私でもそこまで責任を持てる立場というわけではないですよ?」
「でも、成績優秀品行方正な響さんなら施錠の確認なんかもお任せできるし、響さんがいれば何となく場が引き締まるでしょう?橋上部長も言ってたわよ?」
尋にも文句を言うことが確定した。
確かに、先生よりも奏の前の方がフリーダムに行動できるのは、付き合いの長い尋位の物だろう。ただ、そのことを考えると、尋は割と自由なふるまいをできるような気がする。
「バイト代、とかはさすがに出せないけどお弁当とかはこっちで用意させてもらってるから。お願いします」
「えっと、はい。もうここまで来ちゃったんでいいですよ」
弓道場の前。
見覚えのない顔がちらほら入っていくのを見かけたのでおそらく他校の生徒だろう。
「それでは、私は挨拶をしてきますので、詳しくはそこの橋上部長に聞いてください。あ、2人の事はこちらで紹介しておきますので」
「わかりました。じゃあ、そういう事だから、尋」
「ひっ」
「逃がしませんよ」
「え!?池内さん、いつの間に背後に!?」
尋を挟み撃ちにし、さっさと謝罪の言葉を貰った後は、普通に仕事にかかる。
「とりあえず、午前中は男子で、女子は午後からかな。まあ、午前中は私の話し相手になってくれれば」
「まあ、いいけどさ。寒いけどみんなも頑張ってね」
はい!と整列していたうちの学校の男子からいい返事が返ってくる。
向こうは弓道衣だが、こちらは制服の上にコートとマフラー装備。3月といえどもここは冷え込む。
練習をぼーっと眺めながら、紫苑と尋と共に騒ぎすぎない程度に話をする。
本当にただそれだけで、午前は終了した。だが、相手の高校の顧問もいつもより緊張感があるいい練習になったと言っていた。理由はわからないが。
少し早めに昼食を貰った奏と紫苑は花をつけ始めている梅の木がある陽だまりの下でお弁当を開く。思っていたよりもいいものだったので驚いたが、よくよく思い出してみれば、生徒たちに配る用の物とはパッケージが違っていたような気がする。
「奏さん、お茶どうぞ」
「ありがと、紫苑」
魔法瓶の水筒から温かいお茶を入れて渡してくれる紫苑に礼を言いながら、よく晴れている空を見上げる。
「何をしているというわけでもないけど、こういうのもいいね」
「そうですね」
紫苑との昼食は向こうでも何度か過ごしてきた時間だが、紫苑も奏も常に会話をし続けたいタイプではないので、ゆったりと静かな昼食を済ませた。
食後に、もう一度紫苑からお茶を注いでもらっていると、着替えを済ませた尋がやってくる。
「あれ?そろそろ時間?」
「探しに来たんだけど、よくこんないいところ見つけたね」
「そういうの得意だから」
奏は袋に弁当箱のごみを入れると立ち上がる。
「これ、どうすればいい?」
「まとめて捨てるから預かっておこうか?……あれ、私たちに配られたやつと違う」
「先生たちは同じの食べてたよ」
「山根先生また、自費で自分たちの分だけグレードアップさせてるのかぁ……」
どうやら自費だったらしい。
弓道場に戻ると、先ほどとは一転。華やかな雰囲気があった。
「よーし、みんな。監督役も戻ったから、そろそろ始めるよー」
尋の声に女子部員たちが整列する。
「部長、響先輩と池内さんどうしてここに?」
「山根先生に頼まれたんだって」
「ま、半分は尋のせいだけどね。とりあえず、山根先生の代理として、この場にいるので何かあれば仰ってください。そちらの顧問の先生も引き続きお願いします」
奏が頭を下げると、かなり年配の男性教諭が腕を上げて返す。
「えっと、それじゃあ、始めるけど……そっちの部長は?」
「あれ?そういえばどこ行ったんだろう」
「お手洗いですかね」
「あ、すいません、もう始まってましたか」
1人遅れて入ってくる女子生徒。
相手方の高校の部長らしい。
「じゃあ、みんな練習に入ってください。奏、前に言ったことあると思うけど、私が唯一勝てなかった選手がこの人、丹波明日香さん」
「たんば……?」「あすか、さんですか……」
奏と紫苑がその相手の顔をまじまじと見ながらつぶやく。
「あれ?どうしたの?奏も池内さんも固まって、あ、ごめんね、丹波さん……あれ、こっちも?」
「かかか……カナデー!シオンー!」
唐突のハグをなんとか二人で受け止める。
「うわーん!会いたかったよー!」
「あれ、アスカってこんなのだっけ……」
「おそらく周りに誰も連絡を取れる人がいなくて、確認を取れず不安だったのではないかと」
「え?どういう状況?」
尋たちも向こうの部員たちも相当困惑している。
「……尋、ちょっと落ち着かせてくるから」
「えっと、うん。任せます」
号泣している明日香を支えながら一度外へと連れて行く。
「うっ、うっ、目が覚めて、そういえば誰の連絡先も知らないことに気づいて、みんな無事だとは思ってたけど、やっぱり不安で」
「わかったから落ち着いて、ほら鼻水出てるよ」
「ポケットティッシュです、明日香さん」
「ありがとう、紫苑」
鼻をかんで落ち着くのを待った後、改めて話をする。
「改めまして、響奏です」
「池内紫苑です」
「丹波明日香です。今日、お二人に会えて本当によかったです」
「敬語敬語」
「はっ……でもまあ、これは癖みたいなものなので許してください。これでも家は割と厳しい方でして、こっちでは奔放にしすぎると後で何を言われるやら」
「そうなんだ。あ、あとで連絡先交換しようね」
「私ともお願いします。落ち着いたのでしたら、練習に戻りましょうか」
「そうですね、でも、奏とも紫苑とももっとお話をしたいですけど」
その後、明日香は普通に練習に交じっていたが、暇ができればこちらに来て紫苑と共に奏をかまっていた。
あまり見慣れない明日香の姿に部員たちは困惑していたが、先ほどの号泣が効いているのか強く止める者はいなかった。
「そうだ、尋。明日香と勝負とかしてみなくてよかったの?ルールとかはよくわかんないけど」
「え?いいのかな?」
「いいですよ。でも、奏の前で負けるつもりはありません」
「こっちの台詞だ!」
奏の友人として新たなライバル心を燃やしている尋は始まる前よりもやる気であったが、残念なことに時間切れが先に来てしまった。
「……え、もう終わりの時間?」
「そうみたい。もう少し早く言い出せばよかったかな?」
「奏さん、一応施錠まで確認しないといけないのでそろそろ切り上げてもらったほうが」
「あ、うん、そうだね」
奏が向こうの顧問と3言ほど交わすと、顧問が号令をかけ、速やかに終了した。
「それじゃあ、明日香。またね。あ、今度うちに遊びに来てよ。萌愛にも声かけておくから」
「わかりました。あ、あとで電話してもいいですか?」
「いいよー」
部員たちに何やら冷やかされながら帰っていく明日香を見送り、奏も施錠の確認の報告を職員室にしたのち、紫苑と別れ尋と共に帰路についた。
「いやー、まさか奏が丹波さんと知り合いだったとは」
「私もびっくりだよ」
「しかも、既に完全に落ちてるし」
「なにが?」
「いやなんでもない」




