乙女と魔女と遭難者
ウィネスさんの特性薬湯の効果は抜群で、薬湯を飲み始めた翌朝にはもう私は寝台の上で半身を起こせるまでに体調が快復していた。
「ほらごらん!もう心配要らないと言っただろうに」
『むすめ きぶんわるい ないか?』
「うん、もう大丈夫だよお母さん。心配かけてごめんなさい」
『なら よい』
私が寝かされている寝台のすぐ横には窓があって、お母さんはそこから顔を覗かせてお見舞いをしてくれている。
チビちゃんならともかくお母さんの大きさでは人間用のサイズの扉を潜る事が出来ないから仕方ないんだけど、私としては今すぐお母さんに飛び付いてモフモフ甘えたい気分。
お母さんはそんな私に気が付いたのか、にゅっと首を伸ばし顔をペロリとひとなめしてくれた。
「…ありがとう、お母さん」
「あんたの娘はあたしが責任を持って預かるから、あんたとちびすけはいつも通りに過ごしておいで。いつでも様子を見に来て構わないからね」
ウィネスさんのその言葉にまだ心配そうにしてたお母さんもようやく安心したみたい。
帰りたくないと渋るチビちゃんを問答無用でカプリと口にくわえると、何度もウィネスさんの家の上を旋回してから山の上の巣に帰って行った。
ウィネスさんの家は巣のある山の麓付近であるらしく、お母さんの翼ならひとっ飛びの距離なんだって。
「…さて、ハネズ。ちょいと詳しい話を訊かせてもらおうか。なんだってまた人間の娘っ子が天狼の親子と一緒にいるんだい?あれの説明はサッパリ要領を得なくてねぇ」
「あ、はい」
改まって話を切り出したウィネスさんに、私はきちんと向き合った。
受けた恩に報いるには、せめて誠意を持って答えなければバチが当たるというもの。
「えっと…どこから説明したら良いのか」
自分がほんの数日前に“どこか遠い場所”からいきなりこの国に“落ちて”来たこと。
最初に落ちたのがよりによって牢獄で、そこで出会った人と不可思議な方法でその牢獄を脱け出したこと。
トレンカの町で商人らしき相手から逃げ出したチビちゃんと遭遇して、何故かそのままお母さんに“お持ち帰り”されたこと。
“異世界”というキーワードのみを省略して、私はありのまま全てをウィネスさんに語った。
「……こう言っちゃあなんだが、天狼ってのは本来気が荒くてねえ。子育て中の母親なんかは特に凶暴なもんさ。それがよくまぁ…、たかが数日でお互いなついたもんだよ!あたしゃ天狼の巣で寝こけてるあんたを見たときゃ腰を抜かすかと思ったさ」
イエイエ、寝こけてた訳では…。
「そういえば、どうやって私をここまで運んで来て下さったんですか?」
巣はかなりの高地にあって、しかもスンゴイ急斜面だったのに。
もしかしてまたお母さんに運ばれた?
「転移の陣を使ったんだよ。あたしの特技さ」
「転移……もしかして魔術…ですか」
「そうさ、これでもあたしゃ現役の魔術師だからね」
「!」
うーわー!なにそれリアルですか!
現実に魔術師とか、モロ興奮するんですけど!
「この家はちょっとばかし特殊な立地になってるから余所者は滅多に来ないし静かなもんだよ。あんたはとにかくキッチリ養生して、今後の身の振り方なんかはその後でゆっくり決めりゃ良い」
「ありがとうございます…ウィネスさん」
「なぁに、あたしもこれで当分退屈はせずに済むってもんさ」
涙が出るくらい嬉しかった。
お母さんの事はもちろん大好きだけど、複雑な会話は望めなくて……誰かにずっと話を聞いて欲しかったから。
どこに行って何をすればいいのかも何一つ分からない今の私に、かりそめにも居場所を与えてくれて、突然背負い込んだ厄介者に嫌な顔ひとつしないで笑い飛ばしてくれるウィネスさん。
私…ものすごく人の運に恵まれてるかも。
シグにもちゃんとお礼を言いたかったな……。
今頃どうしてるんだろう。
*
―――――その、今頃。
「えーい、クソ!迷ったじゃねえか!!」
……何やってんだ俺は。
いや、別にアレの後を追ってる訳じゃない。最初から山越えはするつもりだったんだ!
どのみちとっくに国の中枢からは追い落とされているだろうし、下手すりゃ適当な罪状擦り付けられて今頃お尋ね者になっている。
逃げるが勝ちだ。
シトラス山を越えれば他国の領土、ひとまずローエングラムの法からは逃れられる。
とまあ、勢いで山を登ったはいいが。
「……どこだよ、ここ」
せめてもの救いは、しっかり長旅の備えが出来ている点か。
トレンカで馬と食糧を手に入れ旅装を調えて、その日のうちに町を出た。
今思えば自分は何故あそこまで急いだのか。
自分に追手が掛かるとしても、非常識な手段で牢から消えた自分の足取りに辿り着くまでには、かなりの時間が費やされるはずだ。
……………………………………。
ちっ、あの小娘。
……後味悪過ぎなんだよ。
あいつが天狼にまるかじりされてたところで、俺は驚かねえし、だいたい自業自得だ。
何も知らん癖に余計な騒ぎを起こすから……。
何だってまた俺は、あんな貧相な小娘をいつまでも気にかけているんだ
たった半日。たった半日共にいただけの相手に、なんでこれほど思い煩う事がある。
やめだやめだ!
――――もう幾度となくそう思った。
迷い込んだ山の中、未だに道は影も形も見えず。
只今絶賛遭難中。
*
「それにしても……壁に“扉”が現れて、か。うーん…。本来移動のための術式には陣が必要なもんなんだがねぇ」
やっぱり本職の人にはそこが一番気になる箇所みたい。
腕組みをしてブツブツと呟くウィネスさんの頭の中では、いったいどんな知識が錯綜していることやら。
「あんたにゃ全く魔力は感じられないし……うん?……」
「な、なんでしょう…」
私にピタリと視線を当てたまま、ウィネスさんはじっと奥の方を探るみたいに目を細めた。
「おかしな物が見えるね…」
「えっ!?な、な、なんですか!?」
「ああ、ごめんよ。あたしゃなまじっか中途半端な『幻視』の能力があるから、時々変な物が見えちまうのさ」
「『幻視』…?」
「『千里眼』とも言うね。あたしの場合はボンヤリとしたイメージしか見えないから、たいした役には立たないんだけども」
それでも驚きますとも!
「そ…それでいったい何が…」
「あんたの中に方位磁石のような物が見えるのさ。多分あんたの特質が視覚化したものだと思うんだけど。……なんだろね?」
「方位磁石…」
ワケわからん。
私の中にそんな物があるなら何故、世界まで迷い込んでいるのか。
帰り道ぐらい示してよ。