乙女と男前リターンズ (でも女)
『それって、まるっきり人間側からの理屈だよ』
あれには内心ぐうの音も出なかった。
何も知らない小娘が。何も知らないからこその言葉。
表面上対等に見えている人間と異形種族の間にも、同様の問題が常につきまとう。
口では対等だと言いながら、その実多勢に託つけて人間の考えを異形種族に押し付け強要する。
もちろんあの小娘がそこまで見抜いていたはずもない。
あれはただ自分の思った事を口にしただけだ。
だが自分はあの時、ネージュの声に糾弾の響きを感じて間違いなく戸惑った。
いつも自分が周囲に抱いている憤りを自らに向けられて焦ったと言ってもいい。
見掛けはほぼ人間となんら変わらぬ自分でさえも、ひとたび異能を晒せば人間の紛い物よと嘲り蔑まれる。
それほど人間だけが貴いのかと、燻る怒りを常に己の胸に抱えていながら、『相手が獣であれば人間の身勝手を赦すのか』と責められたような気がしたのだ。
――――そして苦し紛れに吐いた台詞が。
『そうだ、そして俺もおまえも人間だ』
…よくもこれほど白々しい言い様があったものだ。
そして突然降って現れたおかしな小娘は、姿を消すのもまた唐突だった。
よりによって子供を奪われ怒り狂ってるはずの天狼の親の前に自ら身を晒し―――どこぞに連れ去られてしまったのだ。
あんの、馬鹿娘が!!
…それにしても、あの状況で周りに一切被害が出なかったのは奇跡的と言って良いだろう。
あの金色の天狼は間違いなく上位種だ。
本気で暴れられたら人間なんぞに止められるもんじゃない。
鎮めたのは…多分あの小娘だ。
――――もともと成り行きだけの間柄にしか過ぎず、出会ったのはほんの半日前。
行方が知れなくなったところで、気にかける必要はどこにも無い相手じゃないか。
そう、思おうとした。
ただ気付けば、身体はひとりでに動き出していた。
*
何だか少し体調が変だと感じたのはその日の夜の事。
ざわざわと悪寒がしてたまらず、私は早々にお母さんのお腹の毛皮に潜り込んだ。
心当たりなんか考えるまでもない。
(やばー…風邪ひいたかも…)
住環境の激変に加えて精神的な疲労もある。
更には山の上には不釣り合いな薄着で何日も過ごしたのが堪えた。
(私にも毛皮があったらなぁ……)
そんな事をボンヤリ考えているうちに段々気が遠くなってきて、じきにすぐ何も考えられなくなった。
(寒いのに…暑い……。熱が出たのかも…)
チビちゃんがキュウキュウ泣きながら必死に私の顔をなめて励ましてくれているのが分かった。
いつになく取り乱したお母さんが鼻声で私を呼ぶのも。
もしここで死んだら私、今度はどこへいくのかな……?
ああ、でも。
せめて生前に一度くらいは、好きなひとと結ばれてみたかったかも…。
乙女の夢だしね。
なんてことを思ったのを最後に、私の意識はプッツリ途切れた。
*
*
シュンシュンお湯が沸く音がする。
それになんだかとっても良い匂い。
お布団もふかふかだし、もうちょっと寝ていたいな。
だって夢なら覚めると消えちゃうしね……。
「……あれ?……」
消えてないんですけど。
ワタクシ只今混乱しております。
なんだか記憶が大幅にショートカットされていて、状況がまったく分かんないんどすけど。
なぜワタクシは知らぬ間に見知らぬお宅にお邪魔して…、そんでどうしてぬくぬくと寝床に寝っ転がってたりするのでしょう。
ぐるぐるぐる。
目が回る………あー…そういや、風邪ひいてたんだっけ……。
まとまらない思考でアレコレ考えてたら、いつのまにか枕元に知らないお婆さんがいて、こっちを見て笑ってた。
「もうちょい寝ときな、まだ起きるにゃ無理だ」
「……あの、私…」
「話も後におし。―――あんたの『親』があたしんとこに半狂乱で飛び込んで来たんだよ。そりゃあもう心配してたさ。とりあえず薬飲んでもういっぺん眠っちまいな」
「お…おかあ…さん…」
そっか…、ここ『お母さん』の知り合いのうちなんだ…。
それを聞いたらなんだかすごく安心して、私はまた意識が遠くなりかけた。
眠る前にと飲まされた薬湯は蜂蜜味でとっても甘くておいしかった。
キュルルル クゥン…クゥン…
「これ、坊。静かにおしよ。おまえの姉さんが目を覚ましちまうだろ」
キャウン!
「―――あ…れ?チビちゃ…ん?」
今度の目覚めは比較的スッキリとやって来た。
驚いた事に、少し前までの目眩や悪寒が嘘のように治まっていて、わずかに怠さを感じる程度までに回復しているみたいだった。
さっきの薬湯が効いたのかな。
『はねじゅ~! しんぱいしたのー 』
目が覚めるのと同時に寝台の枕元にお行儀良くお座りしていたチビちゃんに半泣きで突撃されて、例によって顔中をペロペロとなめ回され私は窒息寸前に。
(うぉう…ギブギブ!こ…呼吸が…っ)
「ちびすけ、姉さん死んじまうよ。息ぐらいさしてやりな」
ナイスなタイミングでお婆さんがチビちゃんを私の顔からベリッと引き剥がし、お布団の上に転がしてくれた。
「…あ、ありがとうございました、あの、私は――――」
「慌てて喋んなくてもいいよ。事情は後でゆっくり訊くからさ。私はグウィネス、呼びにくいならグウィンでもウィネスでも好きなように呼んでくれていい」
「………私は華朱といいます」
『はねじゅー!』
「“ハネズ”?不思議な響きだね」
「!」
発音バッチリです、お婆さん!
―――――お婆さん…?というか、またしても格好いいお婆様です。
かなりな年齢とお見受けしますが、白髪混じりのセピアの髪をキッチリ結い上げ、背中に定規でも仕込んでいるのですか!と言いたくなるほど姿勢の良いお方。
「あんたとそのちびすけの親はあたしの古い友人でね。頼まれれば何でもしてやりたいと思うくらいには仲が良い。ま、大船に乗った気で楽にしてなよ」
「………!」
なんて男前な…!いやいや、なんて女っぷりの良いお方!
お婆様!私、クラクラきちゃいます。
クラクラ……あれ?身体に力が入らない……。
「あぁ、ほら。もう何日もマトモに食べてないんだから弱ってんだよ。粥を用意してあるから、落ち着いてちゃんとゆっくりお食べ」
…………はうっ。
そういえば山の上の巣では、生でイケそうな野草の類いしか口に出来てなかった。
うう、エネルギー不足か。
「お腹がすいて力が出ない…」
情けなく呟いた私の前に現れたのは、まるいお顔の国民的ヒーローではなく素晴らしく男前なお婆様で。
…お手製のお粥は素晴らしく美味しかったです。