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ラプソディー  作者: 遠夜
6/20

乙女の覚悟とお別れと

『たすけて たすけて!』


胸が締め付けられるような切ない声が通りに響き渡る。

だけどその小さな仔犬の声に反応する人間はほとんど誰もいなかった。

まるで誰も何も聴こえていないみたい。


(―――――どうして?)


私は人混みを掻き分けるようにして、その声の元に急ぐ。


(あの子、お母さんを呼んでる。

人間に馴らされた愛玩動物ペットじゃなかったの!?

どうしてあんな声で…)


この人混みの中、人間ひとに踏まれないようにすり抜けるだけでも精一杯だろう。

私自身何度も人間ひとにぶつかり揉みくちゃになった。


「――――おチビちゃん、いた!こっちにおいで!!」


やっと見つけた仔犬に声をかけると、その子はピキリと固まって動かなくなった。


当然だ、私も『人間』なんだから。

―――――警戒されて当たり前。


どっちも動けないまましばらく見つめあっていると、仔犬の逃げてきた方角から数人の男達が走り寄って来るのが見えた。

その手に口輪や鎖といった拘束具と何故か弓矢を携えて、口々にいなくなった仔犬の事を周囲に尋ねながら近付いて来る。


「お願い、早くこっちに来て!見つかっちゃう!」


私が切羽詰まって小さく叫ぶと、仔犬はようやくこちらに駆け寄しながら足下に身体を擦り寄せてきた。


「……あそこから逃げてきたのね?おいで、匿ってあげる」


手を伸ばして仔犬を抱き上げ素早くその場から離れるつもりが、追っ手の男達の人数が多すぎてあっという間に私達は取り囲まれてしまった。


(―――たかが仔犬一匹にどういうこと?)



「やあ、お嬢ちゃん。そいつを捕まえてくれたのかい、ありがとよ―――急に逃げ出して困ってたんだ」


薄ら笑いを浮かべた中年の男が仔犬にむかって手を伸ばそうとすると、仔犬が腕の中で更にブルブルと震え怯えた声を上げ始めた。


『こわいよぅ こわいよぅ』


私は仔犬をぎゅっと強く抱き締めて後ろに後ずさった。

順々に追い付いてきた仲間の男達は、何やら顔を見合わせて包囲を狭めて来ようとしている。


「……この子に酷いことしないで!逃げたのはお母さんに会いたかったからよ、泣いてるじゃないの!」


「……!」


そう言った途端、何故か最初に近付いて来た男が顔色を変え、周りの仲間に指示を出した。


「―――早くそれに口輪を着けろ!親を呼ばせるな!」


(何?……何で!?)


「止めて!触らないで!!」


「こいつは元々うちの商品だ。捕まえてくれたことには礼を言うが、勝手に逃がすつもりなら嬢ちゃんは盗人だぜ」


「―――――!」


事実なだけに反す言葉が無い。

それでも、どうしても仔犬を目の前の男に素直に渡す気にはなれなかった。


「……っ、お願い。怖がってるのよ!せめて武器を離してあげてっ」


話にならないとでも言いたげに、男達は力付くで仔犬を私から引き剥がしにかかる。


「チビちゃんっ!!」


――――アオオォ――――ウ―――


「チッ、口輪をしろ、早く!!」


私と男達で揉み合いになり、仔犬を抱いたままよろけた私が転倒しそうになった、その時――――。


「なーにやってんだぁ、小娘ぇ―――」


「…―――シグっ………」


黙って消えた私を探しに来たのか、額に汗を浮かべたシグが後ろでガッシリ身体を支えてくれていた。








「チョロッと姿を眩ましたと思ったら、ナニ面倒な真似をしてやがるんだ!」


うわっ、怒られた!

反射的に亀みたいに首がすくまる。


「この娘さんはあんたの連れかい?」


「―――ああ。迷惑かけて済まないな」


「いーやぁ?娘さんには逃げ出したうちの商品を捕まえてもらったんだが、気に入ったのかなかなか離してくれなくてねえ」


「ほう―――天狼の仔か。用立てるのに苦労してそうだな」


「まあ、そういうことだ」


「―――――…シグ?」


「ネージュ。そいつを持ち主に返すんだ」


「………っ」


「ここにはここの流儀がある。事情を知らない余所者が安い同情で他人の商売に口を出すもんじゃない」


それは、……頭では理屈が分かってるんだよ、シグ。

こんなとこで要らぬ騒ぎを起こすべきじゃないって事くらいは!

無意識に唇をきゅっと噛み締めて言葉を呑み込む。


「野性の天狼のヒナを手に入れるのは命懸けの仕事だ。盗人が親に見つかれば当然生きたまま食い殺されてお仕舞いだ」


シグの台詞には皮肉るような響きがある。

褒められたやり方じゃない、と言ってるようにも聞こえるよ。


「つまり、……この子は、親元から拐われて来てるの?そんな…それじゃあ、あの泣き声も当たり前じゃないの!」


「…………野生動物の売買ってのは、そうしたものだ。天狼の親子の繋がりはそりゃあ強くて、雛を奪われた親は死に物狂いで子供を探す―――それこそ、地の果てまでも追う」


「そうさ。ウッカリ逃がしちまったが、こっちはとっとと口輪を嵌めてしまいたいんだ。鳴き声で親を呼ばれでもしたら大惨事になる―――これ以上鳴くようならそいつは殺さなきゃならん。こっちは大損害なんだよ!」


なにそれ。

それであの弓矢なの…。


大通りで騒いでるだけあって、既に私達の周りには成り行きを見詰める大勢の人目が集まっている。

そのほとんどが早く仔犬に口輪をしろと言いたげだ。

中には同情的な視線を送る人もいるけど、その大多数は獣人だ。




「………随分勝手な事を言うんだね」


「……そうだ。盗人連中だけが報復を受けるなら自業自得だが、怒り狂った天狼の親に盗人もその他の人間も区別がつくはずもない」


万一親が現れたら周囲にどんな被害が出ることか。

だから仔犬を盗人に戻せと、そう言うんだ。

言いたいことは解るよシグ…、でもね。


「それって、まるっきり人間側からの理屈だよ」


「そうだ、そして俺もお前も人間だ」


「………っ」


だから人間の常識に従え?


分かってるよ……シグが悪いんじゃない。

シグが納得してない事なんて、その顔を見れば解る。

せっかくの男前が台無しなくらい眉間にシワが寄ってる。



「……そうだね。私がこの世の人間だったら従うべきなんだろうけど。悪いけど……私はこの世の生き物じゃないから、従えないよ」


「―――ネージュ…?」


私は腕の中の仔犬をもう一度そっと抱え直した。

見事な手触りのきれいな毛並みなのに、空を翔んで逃げないようにと無惨にも切り取られている風切り羽根。

どこまでも人間の都合ばかりを押し付けられて。


勝手に親から盗み出しておいて、手に負えなくなったら死ねってどういうこと!?


――――私にだって『これだけはどうしても我慢出来ない』ってものがある。


この男達と同じものにはなりたくない。



ごめんね…、会ったばかりの小娘の面倒を見てくれて嬉しかったよ。ありがとうシグ。

でももう、一緒に行けない。


「チビちゃん、お母さんが迎えに来たよ」


「――――何だと!?」


周囲の男達が一斉に顔色を変えて辺りを窺う。


さっきからずっと、私の頭の中に必死の呼び声が響いている。


『 ぼうや  あたしの ぼうや 』


きっとチビちゃんにも聴こえてる。

なんだか嬉しそうだもの。

早く、早く来てあげて“お母さん”―――あなたのぼうやはここにいるよ。








天狼のお母さんは私が想像したよりも遥かに立派な姿をしていた。

長い金色の体毛に蒼い星の瞳。―――そして圧巻の双翼。

なによりその身体の大きさときたら、仔犬の数十倍

はありそう。


そんな『お母さん』が爛々と眼を光らせ、喉の奥で唸り声を上げながら空から舞い降りて来たものだから、通行人は皆とっくに逃げ出して遠くの方からこちらの様子をチラチラと窺っている。


この場に留まっているのは腰を抜かした商人の男数人と、シグひとりだけ。


私は覚悟を決めると仔犬を抱いたまま、お母さんに向かって足を踏み出した。


「よせ!近づくなネージュ」



「…来てくれてありがとうお母さん。チビちゃん…を…お返しします」


ごめんなさい、お母さん。

どれだけ謝っても足りないと思う。

チビちゃんはお母さんに再会出来た嬉しさで、無邪気に尻尾をパタパタ振り回して喜んでるけど、そんな様子にかえって私は胸が痛くなった。


ごめんね、ごめんね、お母さん…。


華朱は帰れそうにないよ。





お母さんは不思議と静かな目でこちらを見ていた。

あれだけ悲痛な声でチビちゃんを探し回っていたのにどうして……。

私は怒り狂ったお母さんに噛み殺されても仕方ないと覚悟を決めて、前に立ったつもりだったのに。


――――お母さんは仔犬ごと私をベロりとなめると、それから牙で傷つけないように慎重に身体を口でくわえ、私は仔犬と一緒に何処かへ運び去られる事になった。















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