反乱 Rebellion
北上川沿いに広大な湿原と草原が広がる。春まだ浅き、一部の低湿地には斑に残雪が残る快晴のこの日、一頭の白馬が疾駆していく。ぶなの巨木がある付近に達すると巧みな手綱さばきで馬を御し、速度を落とさず迂回する。湿地に入り水しぶきが盛大に立って馬上の一弥=カズルイの裾を濡らす。
「ハイヤーッ」
赤銅色の逞しい体躯をアットウシと呼ぶアイヌ独特の樹皮衣で包み、マタンプシという文様付きの鉢巻、手甲、脚半姿は王者に相応しい凛々しさだ。暫くすると三十騎ばかりのアイヌ衣装の若者の軍団が必死に前を行く白馬の青年を追って駆け抜ける。
「おじいさま。カズルイ、凄くステキ」
「じゃろう。生まれながらの王者は風格が全く違う」エチリコホの小屋の前には絵里改めエリカ、A山改めアキルの二人が眼を細めて疾駆する集団を見ている。どッ、どッ、どッ、蹄の音が静かな草原に響いて、瞬く間に見えなくなった。
「エリカ様。ワシは嬉しい。たった一月あまりで江釣子中、イヤ岩手全域の青年男女が集まり、そのうち東北地方全ての若者達がカズルイ様の元に馳せ参じるであろう。見ていなさい。直ぐに戻ってくる」
老人の言葉が終わるやいなに、遠くに走り去った軍団が此方に向かってくる。今度はカズルイは先頭のママだが、集団は単縦陣を組み、一本の筋になり、直ぐに両翼に展開して三角形の布陣で疾駆する。
「うむ。白鷺の陣だ。見事じゃ」
「あ、わ、わ、わ、わ、わ、わ、わ、わ」
雄叫びをあげ一団が瞬く間に通り過ぎる。カズルイは白樺、他の部下はぶなの色調の衣服。一人が濃紺地に海老茶の羆を染め抜いた長三角形の軍旗を靡かせている。軍事調練はその後午前中一杯続いた。エリカとアキルのもとにカズルイが戻ってきたのは昼前。渦巻き文様の革鞘に太い直剣を背中に斜めに吊り、強靭な弓矢をもう片方の肩にかけている。手には雪割草の一束。
「髪にこれを飾りなさい。一汗かいた。エリカ、ワシの背を拭ってくれい」
上衣を脱ぎ半裸になると、凄まじく発達した筋骨隆々とした肉体。
「今拭き取らせて頂きます。素敵なお背中」
エリカはカズルイの逞しい背に唇をあてる。
「よさんか。ワシは腹が減った」
「た、只今用意いたします」
「アキル。ワシが戻る時間にすぐ食事が出せるよう用意しておけ」
「は、はい」
「声が小さい。馬鹿者」
半裸のママ、丸太を組み合わせたテーブルの前にドッカと腰を下ろす。山海の珍味が山盛りで運ばれてくる。
「酒だ。捧酒箆を持て!」
カズルイはなみなみと注がれた大盃を一気に飲み干すと、山鳥の丸焼きにかぶりつく。
「カズルイ様。我が砦も和賀岳山麓を中心に三十を超えました。今後はどちらへ勢力を伸ばされますか?」
「うむ。砦もいいが、城郭も欲しい。このヘチリコホに壮大な城を築こう」
「かなり、日本政府に刺激的ですが。最近マスコミは我々の行動を反乱軍と見なしている風潮でございます。カズルイ様は反旗を翻すお積りでしょうか?」
「反旗と申すならそうさせておけば良い。ワシはワシの王国を築きたいだけだ」
「今日もこのヘチリコホに入隊希望の若者数千人が訪れて参りました。我が軍の目下の勢力は五万でございます。城郭や周辺に集落をつくれば十万には達しましょう」
「左様か。よきに計らえ」
食事が終わるとエリカを寝屋に引き込んで、真昼間からヤリ始める。
「ヤレ、ヤレ。一日に五度も攻められては、エリカ様の身がもたん。早く側室をお世話しなければ。相変わらずスキだのオ」
小泉内閣総理大臣は緊急に主要関係閣僚を官邸に召集、非常時安全保障会議を開催した。
「官房長官。岩手の族はどういう動きだ?」
「はい。ますます数も増え不穏な情勢です。最早地元警察力ではいかんともしがたい、強大な勢力になりました」
「今朝、畏くも陛下より、一刻も早く平穏な岩手地方を取り戻せとのお言葉を賜った。防衛庁長官。東部方面隊は出動態勢は整ったか?」
「は、はい。しかし隊員達は動けません。カズルイの父親弥ェ門は元師団長。殆ど全員が弥ェ門の部下であります」
「野党の動きは?」
「甚だ憂慮すべき状況です。民主党の実質的党首、小沢一郎は、ご存知の通り、水沢が地盤。カズルイとも気脈を通じているとの噂でございます。公明、社民は賛同、同調して世論を煽っています」
「米軍の出動を依頼できぬか?」
「それは尤も愚策です。国内の反乱鎮圧に外国勢力を頼ったなどと言われ、国連常任理事国入りは無論不可能となり、世界中から笑いものになってしまいます」
「そうだ、イラク派遣軍を回そう。それならイケルかも知れん。官房長。至急検討し今晩中に結論を出せ。私はこれより危機管理室にこもる。警察、消防、自衛隊その他危機管理要員を緊急召集しなさい。現時点で海上警備活動認可を発令。首都圏に戒厳令発布準備。自衛隊予備役召集。流言飛語防止の為、IT全回線閉鎖、携帯電話制限、高速道路、航空路、鉄道、海運全路線閉鎖準備。戦後初めての非常事態だ。マスコミ各社に協力依頼を行う。各社幹部を呼んでくれ。急げ!」
首都全域に非常警報のサイレンが響き、騒然とした、大災害直後の様相だ。小泉首相は官邸の地下七階に秘密裏に設けられた危機管理室、実は戦時作戦指導本部の赴き、二週間前から詰めている幹部達を呼び寄せ、事態の把握に努める。防衛庁情報部局長、高取昭吾大佐からまず話を聞く。
「現在の状況は?」
「はっ。カズルイ本名伊藤一弥。二十六才。身長百八十二、体重六十二キロ、面長、ヤヤ細面にて一見素朴の風貌。性格は野獣質にて獰猛。かって単身巨大羆を弄り殺した男。岩手県北上市上江釣子出身。北海東北王を自称。蝦夷王者アテルイが末裔とも言われております。傘下凡そ十万。ニヶ月程前、カムイヘチリコホで蜂起、そのときの手勢は三十人足らずでありました。ヤツの唱えた文明再構築、農業復興、弱者救済、女性庇護などが北海道、東北地方の老若男女を惹きつけ、言わば燎原の火の如く彼の地方全域に賛同者を増やしつつあります。日夜山野を移動して拠点は定まっておりません。目下偵察衛星にて所在を監視中ですが、一晩で二百キロも移動する機動力に、イージス艦やT-3Cでの追跡は困難な情況であります。現在茨城、栃木、新潟、長野県境付近に二十万の精鋭部隊を遠巻きに配置、事態の推移を見舞っているところであります」
「川田警察庁公安部長の見解は?」
「公安部長の川田晋です。先ほど耳よりな情報を入手いたしました。一弥にはアキル本名A山T也、六十才なる軍師とも言うべき、知恵袋の老人が付いております。潜行捜査官の調査では、一弥はA山のそそのかしにより、立ち上がったものと推測されます。エリカ本名絵里二十三才、身長百五十五、バスト八十、ウェスト五十五、ヒップ七十八。卵型で美形、二重目蓋、色白、髪は漆黒で肩あたりまで伸ばしております。一弥はその情婦と懇ろでありますが、絵里は先々月、A山と共に上京、多大な衣料、美容その他商品を購入いたしました」
「それが一弥の蜂起とどう結びつくんだ」
「A山の無礼な行為に怒った一弥は、自らの尊厳を高めるにはどうすれば良いかを、なんと、A山その人に聞き、自らの出生の秘密を打ち明けられ、闇雲に立ち上がったとの報告もあります」
「良く判らんが」
「一弥を抑えるにはまず、A山の攻略が必要です。A山の言うことなら、一弥は何でも聞くものと思われます」
「A山の弱点は?」
「首相。それでございます。A山にはR恵という恋人がおり、R恵には全く頭が上がりません。R恵三十才。身長百六十八、バスト八十五、ウェスト六十、ヒップ八十二、色白、美形なモデル体型」
「解った。ではR恵を抑えろ」
「はっ。早速R恵の立ち回り先に自衛隊部隊を派遣、問答無用で逮捕、監禁いたします」「くれぐれもマスコミには気取られるなよ」
「心得ております」
家にいたR恵は難なく自宅で軟禁。恵比寿三丁目の居宅周囲はたちまち総勢一万の自衛隊員でびっしり固められてしまう。周辺の道路、JR、地下鉄などは全て閉鎖、立ち入り禁止となり、人通りも皆無で廃墟の様相。
「一体全体、どうなってるの?いきなり自宅軟禁だなんて。アンサンスーチー女史の心境解るわ」
カムイヘチリコホの本陣では、城郭の建設が進んでいる。以前の小さな小屋の面影は跡形も無く、巨岩、巨木を積み上げた堅牢無比な城砦は完成間近。奥まった巌屋に王の座所、重臣アキル、愛妾エリカの寝所が並んでいる。アキルの部屋にはエリカが忍んで来ている。
「おじいさま。絵里少しこの生活飽きてきちゃった。又この前みたいに東京でお食事やらお買い物したいナ」
「絵里ちゃん。今は無理じゃないか?我が軍は包囲されている。ワシとキミが動いたらタチドコロにタイホされちまう」
「そうなの?つまんなぁ〜い。絵里一弥に抱かれて寝るよりおじいさまにそうして欲しいの。だって、一弥何でも力ずくなんだもん」
「そうか、やはりランボウなのか。よし、よし。エリちゃん。いつでもじいのベッドにおいで。優しくしてあげる」
「うれし〜い。今晩でもいいの?」
「いいとも、いいとも。待っているよ」
「アキル!アキルは居らぬか?」
「ちっ。噂をすればカズルイだ。あの喚っきぷり、尊大さはどうにもならん
」アキルが王の座所に罷り、平伏してご機嫌を伺う。「大王様。蝦夷大国の構想もほぼ予定通り実現の運びとなりました。これも一重に大王の威厳のなすところでございます。ご機嫌麗しく何よりでございます」
「アキルよ。ワシはこれほどのことで満足してはおらぬ。これより軍勢を率い、長野県県北部を攻略する。尚今次作戦には精鋭のみ百騎にて行おう。従軍戦士の選抜を急げ」
「はっ!畏まりましてございます。アキルは従軍を控え、本陣の守りを固めまする」
「馬引けいっ!直ちに出陣じゃ。もの共、トキの声を上げろっ!」
「エイエイ、オウッ」
早くも馬上の人となったカズルイ、いち早く先陣を駆ける。
「ワレに続けッ!」
「行っちまった。ヤレヤレ。なんかほっとする。絵里ちゃん。今日は鬼のいぬまのナントカ、たっぷりしましょう」
A山が自室に入り絵里を抱き寄せたその時、伝令のチエが走りこんでくる。
「何事じゃ。ノック位せい」
「アキル様、大変で御座います。只今内閣総理大臣、小泉純一郎よりホットラインがございました。なんでもA山の恋人R恵は確保した。R恵の命が欲しければ、直ちに武装解除、降伏し、お縄に付けとの連絡です」
「な、なにいっ!R恵が?おのれ、卑怯千万」
「あら、なによ。お爺様には他に恋人がいたんですかぁ。許せない」「え、絵里ちゃん。これには深ぁ〜い訳があります」
周章狼狽しきったA山。
「か、か、カズルイ大王と連絡する方法はないか?」
「ありません。でもこの隼、ハヤト号に電信を運ばせたら如何でしょう」
「うむ。良いところに気が付いた。ハヤトは王の愛玩の鷹。解き放てば、大王のもとに飛んでいく。チエ。筆と巻紙をこれに。手紙を書く」
「ちょいとオ。絵里の質問に答えなさい」
「い、今は緊急事態。キミへの回答は後日行う」
「ずるウ〜い。いいよ。絵里、今度この前の五倍の服買ってもらおうっと。今晩苛めちゃうから」
チエの持参した巻紙にA山は急ぎ、この事態の緊急性とR恵奪還の手筈を書き記し、鷹を大空に放つ。ハヤト号は天上高く舞い上がると、弾丸のように一直線で、遠く走り去った軍団めがけて、飛翔して行く。長野目掛けて山野をまっしぐらに進むカズルイ大王の軍団。先頭のカズルイが急角度で突っ込んでくる愛鷹、ハヤトに気づき、馬の速度を落とすと、たちまちハヤトが大王の肩に止まる。
「む、何やら書状を運んできたようじゃ。ものども。停止じゃ。休息」
骨の管に入った細く丸められた巻紙には、細字でびっしりとR恵の誘拐、A山率いる特別攻撃隊による奪還作戦。それにはカズルイの助力が是非とも必要と書いてある。頭脳明晰なカズルイ、即座に断を下す。
「皆のもの。転進だ。これより北上川沿いを南進。水沢より平泉、一関より釜石に向かう。そこでアキル率いる軍団と合流。一気に猪苗代、その後会津街道、桧枝岐、日光、佐野、岩槻に攻め上る。八王子付近の山間部に潜み、機会を伺い、R恵奪還を果たす。いざ!」
「おうッ!」
白馬の王は馬首を水沢に向け、砂塵を掻き揚げ、一気に走駆し始める。百人余の精鋭が負けじと追う。
「閣下。佐野・岩槻の自衛軍が突破されました。カズルイ軍は首都東京が目的地であります」
「なにィ。もう敗れ去ったのか。かくなる上はR恵の確保に全力を注げ。十重二十重にR恵の居宅を取り囲み、ねずみ一匹たりとも通さぬ布陣を敷くんだ」
「はっ。陸上自衛隊主力首都防衛本部隊員を集結させるだけでなく、近衛師団、航空、海上自衛隊にも出動命令を下しております。凡そ五万。対するカズルイ軍はせいぜい百五十人たらず。いかに勇猛なカズルイもこの布陣には怖気づいて、直ぐに降伏してしまうでしょう」
「油断は禁物だ。相手はゲリラ戦を得意とする。とんでもない秘策に出るやもしれぬ。身を引き締め、覚悟してかかれ。万一首都への突入を許したら、我が内閣は総退陣に追い込まれよう。そうなると小沢一郎が総理総裁。岩手の天下だ。無論カズルイは王者として北海道、東北をその傘下に治め、独立国を樹立してしまう。国体の完全な破壊。天皇陛下の安寧は完全に犯され、わが国は二分されてしまう。国家の安危に関わる。諸君。言い古された言葉ではあるが、「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ。各員一層奮励努力セヨ」斯様全軍に申し伝えよ。ミサイル、迫撃砲、戦車、航空機、艦船よりの砲撃、全て戦闘配置。かかれ!」
危機管理室の巨大モニターがチカチカと点滅、平行レーダー及びGPSに捉えられた、カズルイ軍兵士一人一人の現況を地図の上にプロット、即首相より攻撃開始の命が下り、百里基地司令官がカバーを取り外してレッドボタンを押す。地対地ミサイルMLRS自走多連装ロケット・システムの標的探査装置が瞬く間に多標的を捉えロックオン。たちまち大量のミサイルロケット弾を次々発射される。
「これで終わりでしょう」
「うむ。割とカンタンに済みそうだ」
「あれ、これはなんだ?」
モニターには点々と移動する騎馬軍団の姿。移動が早く、ロックオンされた標的が外されたようだ。
「ま、まずい。民家を破壊している。民衆に被害がでる。奴らは山から降り、市街地に逃げ込んでいる」
「攻撃中止!攻撃中止!」
「姿が消えたぞ。どこに潜んだのか?」「わ、解りません。偵察衛星の照準から外れ、視野範囲外に出た模様です」
カズルイ軍はミサイル攻撃を察知、散開して熊谷市街に散り、再び集結すると荒川上流に向かう。秩父路だ。秩父湖より更に南進、支流浦山川より一気に広河原、日向沢峰の要衝を越え、川苔谷、日原、愈々多摩川。このあたりの地形、地勢、間道、杣道などはA山は四十年に渡る山行で誰よりも詳細に知悉、迷う恐れはない。奥多摩の沢筋を走りぬける百五十騎の騎馬軍団。八王子滝山山中に陣を張ったのは、夜十時。途中掠め取った食料で腹を満たす。意気は甚だ盛んで、円陣を組んで気勢を上げる。
「カズルイ様。今暁闇、多摩川を下り二子兵庫島で川を上がり、間道を通って渋谷、恵比寿R恵宅迄攻め上ります。この間凡そ八里、一時間足らず。私、毎週ここを散策しております。敵軍に気取られず、到達できるルート取りに自信がございます」
「そうか。ここが貴公が自慢しておった散歩道なのか。相解った。恵比寿までの行軍の指揮、貴様に任せる。この地を午前二時に出立する。それまで暫しの間、皆の者休息を取れ。ワシは少し眠る」
僅かな見張り要因を残し全員が休息を取り眠った。ここまで連れてきた隼、ハヤトが鬨の声を上げる。丁度午前2時。がばっと立ち上がる面々。
「出立じゃぁ!」
軍旗を高々と掲げ、軍団は夫々愛馬に跨って、一気に多摩の断崖を駆け下り、多摩川河原を一直線。茫漠たる枯野に砂塵が舞い、すざまじい速度で野川との合流点兵庫島に向かった。
危機管理室に缶詰になって既に二十日。頑健な高取大佐も疲労をかくせず、大欠伸。
「カズルイ軍の所在は未だ掴めぬのか。死に物狂いで探索せよ。情報部より敵軍の通信傍受は出来ているのか」
「残念乍、彼らは一切の電波も発していないだけでなく、鳥を使った通信で原始的なため、現代の機器は全く機能致しません」
「超音波ソナーはどうか。いくら原始的集団でも音は立てる」
「恐らく山間部に潜んでいるため、音波が届かぬのであります」
「偵察機からは、なにか情報はないのか」
「現在、無人探索機を五機、P3-Cを二機、首都圏各地を隈なく探索させておりますが、なんの情報もありません」
「全ての幹線道路、鉄道、港湾を封鎖している。蟻の子一匹通すな。この警戒態勢に引っかからんところを見ると、ヤツラどこぞで逼塞しているに違いない。明朝大大規模の山狩りを実施する。さすればきっと炙り出されよう。ワシは眠たくて堪らん。ここで一眠りする」
大佐は傍らの仮眠ベッドに横たわり、熟睡。途端に警報が鳴り響く。
「な、何事だ。まだ数分しか寝ておらん」
「大佐。夜間漁をする川漁師より連絡が今ございました。多数の武装騎馬軍団が多摩川河原を駆け抜けるのを見たとのことであります」
「カ、カズルイだ。貴ヤツに違いない。緊急配備」
「既に行っております。警備本部への情報では、既に何処ともなく立ち去ったあとでした」
「川か。気づかなかったぞ。川なら封鎖線に引っかからず一直線で首都に到達できる。現地対策本部を呼び出せ」
「はっ。今繋ぎます」
「達する。こちらは非常事態対策本部高取大佐である。緊急通達。カズルイ軍は現地に向け直進している。ただちに迎撃態勢をとれ。発見次第捕獲せよ。射殺は止むを得ない場合に限る。コレは演習ではない。繰り返す。コレは演習ではない。以上」
「高取大佐。手ぬるいぞ。私が現地で陣頭指揮を取る」
危機管理室の一角で苦虫をかみ締めたような表情で事態を見つめていた、陸上自衛隊軍令部第一部長宮里千恵准将。日本のライス国務長官と言われる男勝りの豪快な将軍。
「み、宮里閣下、おん自ら出陣。危険すぎます」
「大佐。命が惜しくて軍人が勤まりますか。至急武装ヘリを官邸屋上のヘリポートへ寄越しなさい。高取。お前も付いて参れ」
「はっ。只今。装備を身に付けております」
「遅い!カズルイは既に渋谷付近に到達したという情報もある。急ぎ屋上へ
」爆発的下降気流を激しく放出して、RAH-66 コマンチ ステルス武装偵察ヘリは勢い良く恵比寿上空へ。その間僅か5分。機外拡声装置を使い准将が叫ぶ。
「サーチライトで全方位を照らし出せ。ボヤボヤするな。敵はミサイル攻撃などでは撃破できない。火炎放射機だ。馬は炎に弱い」
「流石、軍令部長だけのことはある。作戦の要諦を心得ておられる」
コマンチを急旋回させヘリから強力なサーチライトで侵入予想方向を照らし上げる。そのサーチライトがプシュンと音を立て急に沈黙。地上のライトも次々消えていく。
「大佐。何事ですか」
「残骸を見るに敵は石弓を使用したものと思われます。容易ならざる敵でございます
」光源を全て失い、あたりは漆黒の闇。選別された屈強な兵が闇の中、音もたてず倒れていく。十重二十重の囲みの一角が無残に崩れ、そこを騎馬軍団が走り抜ける。兵達も何が起こっているのか見当もつかぬ。
道案内のアキルに代わって先頭を突っ走るカズルイは高揚していた。
「うゐ〜〜ん。うゐ〜〜ん。うゐ〜〜ん」
モンゴルのホーミイにも似た独特なバイブレーションと共鳴。これこそアイヌ戦場の雄叫び。軍団が唱和すると、その叫びは何者も震え上がらせずにはおられぬ、不気味な響きで、守りの自衛隊兵士を震撼させる。あっという間にR恵宅の玄関戸が蹴破られ、軟禁されていたR恵がA山に救い出され、共に馬上に。
「うゐ〜〜ん。うゐ〜〜ん」
風の如く軍団は去った。空しく上空を旋回するヘリ。地上で茫然自失の隊員達。負けたのだ。圧倒的な兵力が、只の原始的騎馬軍団百五十騎に敗れ去った。
皇居新宮殿地下三階に鳳凰の間という秘密の部屋が設けられていることを知る人は殆どおらず、造営以後その部屋が使用されたことは無い。宮内庁より首相官邸に連絡があったのはその日の午前十時。首相始め主要閣僚、統合参謀本部議長、陸海統幕議長に緊急召集令。急ぎ参内する面々。緊張の面持ちの長官に出迎えられ、鳳凰の間に案内される。
「これより臨時御前会議を開催する。お上がご来臨あそばされる。一同恐懼しお迎え奉る」
「はっはぁ」
天皇が政府要人を呼び、会議を主催するのは、戦後初めてで異例中の異例。巨大長テーブル短辺正面に陛下がご着座される。背面に日本国国旗と神器。厳かにお上がご発声あそばされる。
「朕ハ、帝国政府ヲシテ、蝦夷、陸奥、出羽等北海道、東北六県ニ対シ蝦夷末裔カズルイニ割譲スベキ旨、連絡致セシメタリ」
「恐れながら陛下、軍、政府の相重なる失策により首都を騒擾させ、拠って深く宸襟を悩ませ賜うたのは、臣純一郎深く憂慮し且つその責の尋常あらざること、重々承知致しており、恐懼に絶えざるところであります。然し乍我が軍は未だ敗戦と決まったわけでは御座りませぬ」
「お上に左様な口答えされる首相。ただちに御退席願います」
「朕カ意ヲ體セヨ」
「は、はぁ」
かくして、北海道、東北六県はカズルイに帰属した。
翌々日、意気揚揚と故郷に凱旋するカズルイ。住民総出で歓呼のうちに迎えられる。精鋭軍百五十騎がヘチリコホ城に到着、R恵も馬上だ。
「お帰りなさいませ。エリカ待ちかねました。そこにおわすお方様はもしや、R恵様?カズルイが后、絵里に御座います。ようこそこのような遠路、遥遥お越しくださいました。お疲れでございましょう。こちらでお休みくださいませ」
「おい、おい。R恵サンも疲れておるだろうが、ワシはもっと疲れておる。まず第一に労わりの言葉をかけられるのはワシのほうじゃ」
「カズルイ様は文字通り北海東北王別名蝦夷大王と成られました。遠征で疲労したなどと口が裂けても申してはなりませぬ」
「そうか。王はツライ」
A山は甲斐甲斐しくR恵の世話に走り回る。
「R恵ちゃん。今晩ナニが食べたいノ?ここではロクな食べ物ないから、私が作ります。おいっ!R恵様は極めて大切な大王の客人。居室、寝間、風呂、便所、厨房を最新近代設備で作り変えろ。今日中にだ」
「あら、A山サン。多少の不便は覚悟しておりますよ」
「王妃エリカ様同等以上にせよ。これよりリエ姫君様と呼ぶのだ」
命令通り、R恵の居室が整備され、落ち着いたのは夕刻。A山手作りのあさりチャーハン、蒸し餃子、小籠包、玉子スープなどの中華料理を食べながら、ひそひそ話。
「こんな田舎、私耐えられない。直ぐにでも帰りたい」
「うん。こんな場所では買い物も食事も出来ない。第一非常に野蛮で粗野な集団だ。あのカズルイ、女に目がなくすぐ手篭めにしちゃう、超危険人物。都会に出たがっている絵里を連れて、密かに脱出、今晩の新幹線でR恵の家に行っちゃおう」
「あのさぁ、蝦夷大王とかこのお城どおなっちゃうの」
「知らん。あとは一弥一人でなんとかするだろ」
そのころ、金ピカのカズルイの御座所にぼろを纏った老夫婦が訪れ、何段階もの取次ぎで疲れきって、大王カズルイに面会を求めた。
「カ、カズルイ様。なんでも上江釣子の伊藤っちゅう、夫婦が大王様に会いたいとヌカシております。すぐ追い返しましょうか?」
「なに、伊藤?ま、まさか、ワシのオヤジとお袋ではあるまいな」
御座所の板戸が開いて、夫婦が顔を出す。
「一弥ぁ!!なにフンゾリ返ってるだ。おめ、おっかぁとおとうの顔忘れたわけじゃあんめえ。バカもんが」
「ありっ、おとうにおかあ、なっしてこったらトコくんだぁ?」
「おめがノ、カズルイなんちゅうアホななめえ名乗りやがって、郷土の誇り、アテルイ様の末裔だなんてヌカスから、おら達村中の笑いモンじゃ。おめはノ、レッキとしたかぁちゃんの子じゃ。アイヌの血ィなんちゅうもんは一滴もはいっちやネェ。一弥っちゅう、立派な名がありながら、なんちゅうことしでかしたンじゃ。昨日、テレビで天子様の玉音放送あった。したら、おめが北海道、東北六県を陛下より分けて貰ったっていっちょった。なして、そげなバカバカシイことになるんだ。直ぐ天子様に謝れ。おめのハラキリぐれえじゃおさまらんゾ。伊藤は勿論、親類縁者皆、磔じゃ。村全部焼かれるかもしんねえ。どえらいことしでかしたモンだ。あ〜、どうすんべえ。取り返しのつかんごとやりやがって」
「待てや。おらちっとも悪さなんてしてねえ。おらの仲間増やしてどこが悪りい。この城だってノ、廃材やら、落っこてる石集めて作ったんダァ。村も綺麗ェになってよかんべ」
いきなりカズルイの頬が二度三度と張られる。
「い、いってえ。あにすんダ」
「ムカスからおめはバカじゃったが、こうまでバカとは思わなかった。おめの性根入れ替えてヤル。さっさとそのアホらしいアイヌの真似事の服サ脱いで、野良着に着替えろ。こっちサ来い。家帰んぞ。そだ。この荒縄、一弥の首さ巻きつけて、引っ張って行くとすんか」「く、苦じい。おっとう。おらが悪がった。勘弁してけろ。家行くだ」
元自衛隊師団長弥ェ門は、今回事件の関係者、天皇陛下、内閣総理大臣、同補佐官、官房長官、防衛庁情報局長、警察庁公安部長、軍令部長らに平身低頭して謝罪し、頭を丸め、やっと許しを貰った。一弥は逼塞していたが、許しが出ると、江釣子神社で精進潔斎、田植えの準備を始めたのである。かくして一弥のささやかであるが激しかった反乱は終わりを遂げた。絵里、R恵、A山のその後の消息は伝えられていない。