あの果てを目指して
ようやくの完成です。いややはり一次創作は難しいですね。どこで区切るか凄い悩みました。今回はこんな感じですが、もっと腕をあげたいとおもいます。やっぱり文章を書くのは楽しいですね。
世界にはまだ人の知らない神秘、不思議に溢れている。故に人は目指すのだ。
誰も見たことの無い景色を、その神秘を。
僕、クルス・ライオットの世界はとても狭かった。
人が滅多に訪れる事の無い森に捨てられていた僕は一人の男性に拾われた。
拾ってくれた男性、オーラン・ライオットはドラゴンと世界を旅をしている旅人だと言っていた。
彼は名無しの僕に名をくれ、生きる術を教えてくれた。
命を救ってくれ、ありとあらゆる知識を与えてくれた彼に家族としての情を抱くのに
そう時間は掛からなかった。
爺ちゃんとドラゴン――レッド・ドラゴンの雌でカレンと言うらしい――世界の果てに
あると言われているとある場所を目指し旅をしているのだと言う。
その場所の名を『ドラゴンコロニー』。
名前を聞いただけでは何も分からなかった。
そんな僕の様子を見たのか爺ちゃんは笑いながら一冊の本を取り出した。
本の名前は『世界の果てへ』
その本は縁に着いた手垢や擦り切れ具合から何百、何千回と読まれてきた事が窺えた。
爺ちゃんが開いたのは本に描かれていた一枚の絵だった。
描かれていた絵は何処までも雄大で美しかった。
どこまでも広がる空と果てしなく続く荒野。
荒野を照らす夕陽の赤と、それに敗けない位鮮やかな朱だった。
バサリ、と大きな翼を広げたドラゴンは空を優雅に遊泳し、その存在を強く主張する。
それに続く様に様々な色彩を誇る翼が空に軌跡を描いていく。
絵を見ただけで僕の心はそれに魅了されていた。
爺ちゃんは、お前も俺と同類だなあ、と笑い、僕もそれに釣られて笑った。
そして爺ちゃんは話してくれた。
世界には数多くの生物が命を営んでいる。
ドラゴンはその中でも絶対的な強者として君臨する生物であり、その雄大さ、美しさは
様々な物語でも語られる程だ。
そんなドラゴンには王様がいる。
クリムゾンと呼ばれる王はどんなドラゴンよりも大きく、そして美しいと言われる。
そのクリムゾンが居ると噂されるのがドラゴンコロニーなのだ。
ドラゴンコロニーにはクリムゾンの他にも数多くのドラゴンが生活を営んでおり、
クリムゾンが、ドラゴン達が空を舞う姿はどんな宝石にも劣らないほどに美しいと言う。
爺ちゃんの話を聞いた時の僕の目はきっと輝いていたのだろう。
何故なら爺ちゃんがとても嬉しそうに笑っていたからだ。
そうして僕と爺ちゃん、そしてカレンの二人と一匹の旅は続いた。
ドラゴンコロニーに関する何がしかの噂を聞く度に針路を変え、世界を東から西へ。
海を、山を、野を、街を。
世界を皆で歩いた日々はとても素晴らしく、正に黄金の様な時間だった。
だが、どんな時にも終わりはある。
旅を始めてから8年ほど経ったある日、爺ちゃんが倒れた。
直ぐに近くの医者に診せた結果、悪くなったのは心臓だった。
高齢となっても旅を続けた爺ちゃんの体は既にボロボロだったのだ。
旅を続けていたという言葉に医者は驚きの表情を浮かべており、そして首を振った。
ここまでボロボロだと今の医術でもどうしようも出来ない。そう言われた。
そして、もしも命を繋げても旅を再開するのは到底無理だと。
爺ちゃんの静養の為に街に逗留し始めてから2週間が経った。
病は治るどころか悪化していた。
咳は止まらず、時には血を吐くようになっていた。
見ていられなかった。
捨て子だった僕に全てを与えてくれた爺ちゃんが病に敗ける所なんて見たく無かった。
気がつけば僕は宿を飛び出し、一人影でうずくまって泣いた。
どれほどの間泣いていただろうか。
泣きはらし、赤くなった目をゴシゴシと拭い立ち上がり周りを見渡すと、既に夜の帳は
降り、街は月の光と看板を照らすランタンの灯りが街を彩っていた。
逃げ出すように飛び出してきた事に恥ずかしさと少しの罪悪感を覚えながら僕は爺ちゃん
のいる宿屋に戻る事にした。
宿に戻った僕を迎えてくれたのは宿屋にある厩舎にいたカレンだった。
「カレン……」
僕はカレンの前まで歩を進める。
彼女は僕の泣きはらした顔を見ると、仕方のない子、と言わんばかりにフゥと一回吐息
を吐き、大きな顔を近づけ、僕の顔をベロリと舐めてきた。
ザラリとした舌の感触に少しだけ鳥肌が立ったが、カレンの気遣いに僕は心の中にあった
重しが少しだけとれた気がした。
「ありがとう、カレン」
僕の言葉にカレンは一鳴きする事で返事とし、早く爺ちゃんの所に行け、と
顔を爺ちゃんのいる部屋に向ける。
爺ちゃんの部屋の前まで来ると部屋の中から苦しそうに咳き込む音が聞こえる。
部屋に入ろうとする意気込みがまたシオシオと萎びていくのを感じ、足が鉛の様に重くなる。
「……クルス、いるんだろう? 入ってこい」
爺ちゃんは扉越しで見えない筈なのにそこに僕が居ることを見抜いていた。
恐る恐ると扉を開けると、ベッドに横たわり、健康だった頃に比べ明らかに痩せ衰え、
皺の増えた爺ちゃんが目だけはいつもと変わらない優しげな光を宿して、僕を見ていた。
「爺ちゃん、調子はどう?」
「駄目だなあ。咳が止まらんからなあ」
「なんで、なんでそんなに楽しそうに笑うんだよ!」
自分の病だというのにまるで他人事のように話す爺ちゃんに僕は言葉を荒げる。
すると爺ちゃんは怒る僕を見てまた嬉しそうに笑い、こっちに来るように手招きをする。
「すまんなあ、お前が心配してくれているというだけで嬉しくなってなあ」
「心配しない訳がないだろ」
少しだけ拗ねた風に口を尖らせながら爺ちゃんの直ぐ傍まで近づく。
爺ちゃんはクシャクシャと僕の頭を撫でる。
乱暴だけど、とても暖かい。
いつもの爺ちゃんの手だ。
暫くの間、僕は爺ちゃんに頭を撫でられ続けていた。
「クルス、よく聞きなさい。私の病は恐らくもう治らないだろう」
「そんな事……」
「私の体だ。私が一番良く分かっている。治らんという事ぐらいは分かる」
そこで一度言葉を切り、僕の目を真っ直ぐに見据え、
「私の旅はここまでだ。ここからはお前とカレンで旅を続けなさい」
「何を、言ってるの? 僕は爺ちゃんが治るまで此処にいるよ」
「クルス。お前も分かっているのだろう? 私はもう長くないと」
認めたくない。
「この目でドラゴンコロニーを見ることが出来ないのは心残りだが、これも天意だろうて」
聞きたくない。
「クルス、お前は若い。私の分まで旅を続けて、いつか見つけなさい」
それ以上言わないで。
「お前には私の全てを教えてきた。世界を回るのに不足はないだろう」
嫌だよ。
「……でも、爺ちゃんがいない」
「無茶を言うな。私はもう体を起こすのも億劫なのだ」
離れたくない。
「嫌だよ、爺ちゃんと一緒がいいよ……」
「嬉しい事を言ってくれる。クルス、私の愛しい家族。お前は強い子だ。大丈夫、お前は
決して一人ではない。カレンが居る。彼女と世界を回ると良い」
爺ちゃんはそこまで言うと、最後にゆっくりと体をベッドから起こし、ギュッと僕を
抱きしめる。
「クルス、お前を拾ってからの旅は大変だったがそれ以上に楽しかった。
ありがとう。私の下に来てくれて」
「お礼を言うのは僕だよ。ありがとう、僕を拾ってくれて。ありがとう、僕の世界を広げてくれて」
どれほどの時間そうしていただろう。
暫くの間抱き合っていた僕らはどちらからというでもなく離れ、笑った。
爺ちゃんは深く、深く息を吐く。
「もう大丈夫だな?」
何が大丈夫かは聞かない。
ただ僕は元気よく言うだけだ。
「大丈夫。僕は進めるよ」
その言葉を聞いた爺ちゃんは静かに笑みを浮かべる。
「ああ、大丈夫そうだ。クルス、いつか見つけなさい。私達の夢を、ドラゴンコロニーを」
「うん。必ず見つけてみせる。僕と爺ちゃん、カレンの夢を」
「きっとお前なら見つけられる。ああ、少し話し過ぎたか。疲れてしまったよ。
私はもう寝る事にしよう。お前ももう寝なさい」
「うん、爺ちゃんお休み」
「ああ、お休み」
僕は分かっていた。
このお休みはいつものお休みじゃないって事ぐらいは。
でも、だからこそ僕はいつも通りに言うのだ。
じゃないと爺ちゃんが安心して眠れないから。
その翌朝、オーラン・ライオットはその生涯を静かに閉じた。
旅人であった彼に親族は居らず、その葬儀は静かに旅の共であったドラゴンと少年に
よって行われた。
彼の死に顔はとても穏やかな笑顔だったという。
西大陸、フォラノ王国首都にある安宿の部屋の一つでは一人の青年、
クルスが寝息を立てていた。
10代後半にまで成長した彼の適当に切りそろえた金色の髪が窓から差し込む陽の光で
キラキラと光っていた。陽の光はクルスの顔を照らし、彼は光から逃げるかの様にゴロリ
と一つ寝返りを打ち、そのままベッドから落ちた。
ベッドから落ちたクルスはうめき声を上げながら瞼を開ける。
床に落ちた際についた細かなゴミを払い、背伸びをする。
祖父、オーランとの死別から10年の月日が経ち、クルスはオーランとの約束を忘れる
事なくドラゴンコロニーを探す旅を続けていた。
旅を続けていたクルスの体は程よく日に焼け、細身ではあるが、鍛えられており、
弱々しさとは無縁といった様子だった。
「クルス、起きてるかい?」
部屋の扉が叩かれ、開かれる。
姿を見せたのは恰幅の良い女性だった。
彼女こそが現在クルスが止まっている宿屋の女主人であるアンナである。
「はい。おはよう御座います、アンナさん」
「母ちゃんで良いって言ってるだろう。うちの宿に止まる客は皆あたしの子供さ」
カラカラと快活に笑う彼女にクルスも釣られて笑う。
「ああ、そうだ。あんたの相棒がお腹空かせて待ってるから、早く行ってやんな。
そんで帰ってきたらご飯にしようじゃないか」
アンナはそう言うと、部屋を出ていき今度は隣の部屋に止まっている客を起こしに行く。
余談だが、彼女が客を起こしに行く時、彼女の両手にはフライパンとオタマが握られて
おり、寝起きの悪い客はフライパンによる起床の鐘で強制的に起こされるのだ。
客を泊め、客の都合に合わせるのが普通の宿屋なのだが、ここ『団欒亭』ではその常識
は通用しない。こういった行為は本来ならば嫌われる要因となる筈なのだが、アンナの気
性もあってか家族と離れて旅をする旅人達からは大人気の宿屋なのだ。
クルスは水瓶に溜められていた水で軽く顔を洗い、自らの相棒の下に向かう。
宿屋の裏にある厩舎小屋には旅人達の馬などが入れられており、そこにクルスの相棒も居る。
「おはよう、ラグ」
クルスは馬の厩舎から少し離れた場所に作られた小屋に彼はいた。
翠緑色の鮮やかな鱗を生やした大型の牛程の体躯を持つグリーンドラゴンだ。
このグリーンドラゴンこそがクルスの相棒であるラグだった。
ラグはクルスの顔を見ると嬉しそうに喉を鳴らし、足元に用意されているご飯を入れる
容器を前爪で鳴らす。
「はいはい。直ぐに肉を入れてやるから」
相棒の早速の催促にクルスは苦笑いを浮かべながらも、満更では無い様子で肉を盛って
いく。ラグは盛られていく肉の塊の一つをヒョイと咥え、噛みながら飲み込んでいく。
自身の相棒の食事風景を見ながら、クルスはラグとの出会いを思い出していた。
ラグと出会ったのは、オーランと死に別れてから一人で旅を始めて2年が経った頃だった。
この時、オーランの相棒だったカレンは既にクルスの側にはいなかった。
オーランの葬儀を終え、彼の荷物の整理などを終えた後、いざ旅に出ようとした時の事だ。
宿の外で待機していた筈のカレンの姿はそこには無かった。
クルスは確信があった訳では無かったがカレンの居場所はなんとなく分かっていた。
そして、心当たりの場所、オーランの眠る墓の前に彼女の姿はあった。
オーランの墓の前でカレンはただ佇んでいた。
その大きな頭をコツンとオーランの墓に当て、動かない彼女はまるでオーランがそこに
おり会話しているかのように見えた。
どれほどの時が経っただろうか。
カレンは首をゆっくりと上げると、空に向かって大きく咆哮した。
まるで別れを告げるかのように。
咆哮は空に木霊し、長い間その場に響き続けた。
カレンはクルスの姿を見つけると、彼の下までやってきて彼の顔を一舐めする。
クルスはなんとなくだが理解した。
カレンは行くのだ、と。
「……いってしまうの?」
その問いに対するカレンの答えは翼を大きく広げる事だった。
「うん。今までありがとう。じゃあね、カレン」
祖父に続き、カレンとも別れる。
その事に涙が溢れそうになるが、クルスは泣いては駄目だ、と自分を叱咤する。
だが、既に目尻には涙が溜り今にも溢れそうだ。
カレンはそんな彼の姿を見て、笑った気がした。
泣くのはおよし、と言うかのように彼女はクルスに顔を擦りつけ、それを別れの挨拶
とした。
「ばいばい、カレン」
翼が起こす風でクルスの髪が乱れるが、気にするでもなく高く高く上がっていくカレン
を只々見送った。
空に赤い点が、カレンが舞っている。
カレンは最後にぐるりと旋回し、咆哮を上げ去っていった。
カレンの姿が見えなくなるまで、クルスは空を見上げていた。
そして、彼女の姿が完全に見えなくなると、彼はグイ、と目尻を拭い踵を返す。
――旅を始めよう。それが約束だから。だよね、爺ちゃん。
クルスは最後に一度だけ墓に視線をやると、墓の前に祖父が立ち笑っていた気がした。
その後、彼は一人で旅を続けていく事となり、とある大陸にある森で傷を負って動けなく
なっていたグリーンドラゴンを見つけたのだ。ドラゴンというだけでクルスが動くには十分だった。
クルスはドラゴンの傷を治し、彼の傷が完全に消えるまで共にいた。
そして、彼の傷が完治したのを確認するとその場を去ろうとするが、ドラゴンがクルス
の服の裾を噛み、それを留める。
なんとなくではあるが、クルスにはドラゴンの言いたい事が分かった気がした。
だから言うのだ。
「一緒に来るかい?」
そして、ドラゴンはクルスの旅の供となり、彼の相棒となった。
相棒となったドラゴンにクルスはラグという愛称を付けたのだ。
そして現在、彼はこうしてラグと旅を続けていた。
そんな思い出に想いを馳せている内にラグは肉を食べ終えたのか、クルスを見つめていた。
「ああ、ごめん。食べ終わったかい? じゃあ仕事を始めようか」
クルスの言葉にラグは一声唸る事で返事とした。
一定の場所に長く留まる事のない旅人生活を続けているクルス達だが、何事にも例外が
ある。それは、路銀が尽きかけになった時だ。
生活をするうえでも旅を続けるうえでもお金というのは重要である。
お金が無ければ食料を買うことも出来ず、関所などに通行料を払う事も出来ない。
その為、クルスは路銀が尽きかけると現在の様に一つの街に長期滞在し、路銀を稼ぐ
ようにしているのだ。
クルスはラグの背中に大きな木箱や樽を括りつける。
木箱や樽の中身は様々な小物や手紙などの運搬物である。
そう、クルスが行う仕事というのが運搬業である。
牛馬やそれに類する家畜を利用しての運搬が主となっているのでドラゴンという大きな
翼を持ち、悪路などに影響されずに物を運搬できる存在というのは希少なのだ。
クルスはそこに目を付け、こうして運搬業を請ける事で路銀を稼いでいるのだ。
荷物を括り終え、クルスは定位置となっているラグの背中に跨る。
「さあ、行こうか」
ラグに跨っての運搬業はどこの街でも人気となる事が多い。
人気となる最たる理由はやはりその速度だろう。
空の支配者であるドラゴンの速度は牛馬のそれとは比べ物にならない。
牛馬ならば丸一日かける距離を数時間で終えるのだから、その速さが分かるという物
である。まあ、その分通常の運搬と比べてやや割高なのだが……。
それでも急を要する手紙や足の早い果実などの運搬依頼が絶える事はないのでクルスと
してはお金を稼げるので文句など出るはずも無かった。
そして今日もまた、クルスとラグは荷物を運ぶ。
今日の荷物は果実類が多い様で木箱から甘い香りがしており、ラグなどは休憩中に何度
か木箱に視線を送り、食べたそうに目を潤ませていた。
その瞳にクルスは何かあげたくなるが、木箱の中の物は依頼品なのであげる訳にもいか
ず、ラグを軽くたしなめていた。
木箱の中の荷物の運搬を終え、最後に残ったのは大きな木の樽であった。
この木の樽は依頼人から時間は気にしなくて良いから最後にしてくれ、加えて樽の中身
は見ないように、という不思議な依頼だった。当然の事ながらクルスはそれに疑問を覚え
たが、依頼人の事情があるのだろうという事で納得し、木樽の運搬は最後にしていた。
「さて、と。この木樽で最後だな。何が入ってるのか聞いてないんだけど、まあ良いか。
これは何処に運ぶのかなっと」
クルスは木樽から視線を外し、依頼の紙をめくる。
その時だった。
「すー、すー」
何かが聞こえた。
「ラグ?」
ラグの方に視線をやると、ラグは自分ではない、と首を振る。
空耳かと思い再び手元の紙に視線を戻すが、
「すー、すー」
やはり聞こえた。
クルスとラグは顔を見合わせ、音の出処を探す。
音の出処は直ぐに分かった。
それはラグの背中に括りつけられている最後の依頼品である樽であった。
依頼では決して中を見ないようにという物もあったが、もしも誘拐などの悪事の片棒を
担がさせれていたら旅どころではないのでクルスは木樽をゆっくりとラグから下ろす。
取り敢えず木樽の蓋部分を叩いてみる。
「すー、すー」
反応は無かった。
いや、定期的に呼吸の音は聞こえるのだから何かしらの生物が入っているのは確かだ。
クルスは覚悟を決め、樽を開ける事にした。
この依頼が駄目になっても悪事の片棒を担ぐよりマシという考えであった。
樽の蓋を開けてみると、そこには見目麗しい少女が入っていた。
「いやいや、ありえんでしょ」
樽から視線を外し、もう一度樽の中身に視線をやる。
やはり幻ではなく、少女は安らかに寝息を立てていた。
「あれ、これは本格的に悪事の片棒?」
どうしたものか、と頭を抱えるクルス。
一方でラグは樽の中の少女を見たままである。
ここで思い出してみよう。
少女の入っている樽は果実が大量に入っていた木箱に隣接していた為ある程度その香り
が染み付いている。加えて、ラグは先程は果実を食べさせてもらえなかった事でお腹が空
き始めていた。
結果、ラグは大きく口を開け、樽の中の良い香りがする中身を食べようと首を突っ込む。
ベロリ、とまずは味見。
ザラリとした舌の感触で少女が目を覚ます。
「ううん。なによ、くすぐったいわねえ」
瞼を開け、上を見る。
ずらりと並んだ鋭い牙、そして顔に吹きかかる息。
自身をじっと見つめるドラゴンの瞳。
それら全てが少女の顔から血の気を引くには十分過ぎた。
「き、きゃあああああああ!」
瞬間、悲鳴が響き渡る。
「あ、目覚めた。ラグー、それは食べちゃ駄目だぞー」
クルスの言葉に、またお預けかとガックリとしながら樽から顔を出すラグ。
樽の中身の少女はラグが退いた事でようやく樽からはい出てくる。
歳はクルスと同じ位かそれより少し下といった所だろう。
水色の瞳と肩口まで伸びた髪を持った少女は樽の中にいた間に服に着いた埃をはたき落とす。
身にまとう服もどこか華美すぎず、しかし地味ではないという程よい調和を感じさせる
高級感が溢れる服である事から良い所の少女であるという事が分かる。
「えー。どちら様でしょうか?」
クルスは恐る恐ると尋ねる。
もしも、ここで彼女から誘拐犯扱いされたらたまった物ではない。
「あなた、私を知らないの?」
「自分は旅の者でして。すいません、知りません」
クルスが少女の事を知らない、と言うと少女は口元に手をやり何かを考えこむ。
そして、
「私の名前は、そうアリアよ。それで貴方は?」
今、思いついたとでも言うような名前を名乗る少女にクルスは疑惑を覚えるが、ここで
追求しても何も得る物はないか、と判断し疑惑は一旦忘れることとした。
「俺はクルス、旅人だ。で、こっちが相棒のラグ」
紹介された事でラグがグルル、と唸る。
先程の牙が脳裏にちらついたのかアリアの口元がやや引きつるが、直ぐに真顔に戻し、
「それでここはどの辺りなのかしら?」
「はい?」
「フォラノ王国は出たのかって聞いてるのよ」
「いや、ここはまだフォラノ王国郊外の森だけど」
クルスの答えにアリアはあちゃーと言わんばかりに天を仰ぐ。
「それで、アリアさんだったか。家どこ?」
「え?」
「いや、樽に人が入ってるなんて思わないしね。俺としては君を家に送り届けて旅に出る
つもりだからさ。家、どこ?」
クルスの質問にアリアは答えず、
「私も旅に連れてって!」
そう言った。
「いやいや何言ってんの? 家、どこ?」
「戻りたくないの」
「…………家出?」
「…………………………」
沈黙は肯定である、と何処かで聞いた事がある。
「いやいや、家に戻りなよ。家族も心配してるよ?」
「いいのよ、あんな家どうでも。それより私も旅に連れてって」
「えー」
難色を示すクルスにアリアは何かを思いついたのか、
「貴方、依頼はちゃんと請けるのよね?」
「まあ、信用第一だからねえ」
「じゃあ樽の依頼をもう一度見てみなさい」
クルスはずっと持っていた依頼表をめくり樽の横を見る。
そこには、
『依頼、この樽を世界の果てまで』
「どう?」
ドヤ顔で言ってくるアリアにクルスは頭を抱えた。
なんでこんな依頼請けたんだろう、と。
まあ、実際の所依頼料が破格だったのに釣られたというのがとても大きい。
「貴方、今さっき言ったわよね? 仕事は信用第一だって」
どうするの、とニヤニヤ笑う彼女をひと睨みするが、彼女はそれを柳に風とばかり流す。
「分かった、分かったよ。俺の敗けだよ。あんたを旅に同行させてばいいんだろ!?」
「うん、ありがとう!」
クルスの言葉にアリアは満面の笑みを浮かべた。
「ぐう、なんでこんな事に」
「さあ、出発よ!」
項垂れるクルスと上機嫌に舞うアリア。
そして、ハラ減ったなあ、と空を見上げるラグ。
目指すは夢幻と謳われるドラゴンコロニー。
予期せぬ同行人アリアを加えての祖父、オーランとの約束を果たす為のクルスの旅は続いていく。
いかがでしたでしょうか?
残暑が続きますが、この短編がいっときの暇つぶしになれたら幸いです。
ご意見、ご感想お待ちしております。
それではまた今度。