「一章・守護者」
その男、カシス・ミリキュアールが、世界を制したその日、
私はちょうど17の春を迎えた時であった。
片田舎のトルトナ村には、世界を覆す大事件の影響は、まだ届いていなかった。
「おめでとう、我らが姫君!」
周囲を霊峰が囲み、花の咲き誇る窪地の中心に、
古めかしい巨大な石碑が1つそびえ立つ。
この場所をトルトナ村の者は、神と声交わす地、と定め
生誕の祝いの際に、ここで宴を催し神に昨年一年の命を
御守り頂いたことの感謝と、次の一年の祈願を行うのが通例である。
人口が100人に満たないこの村では、総出で村の者の生誕を祝う。
そんな大勢の前で姫君等と気恥ずかしい俗称で私を呼ぶのが
かれこれ、10年は守護者として私の生誕を祝ってくれた、フィルという"人間"の男である。
生誕の儀では、宴の中心である生誕者が、神と声交わす地において
自らの守護者を報告し、その者に今年一年、自らを守る力を授けてもらう、ということになっている。
通例では、親族や恋人、夫婦同士が守護者となるが、私は親族がいないため
不承不承、このフィルという人間に、10年間も守護されていることになってしまっている。
「フィル、今年も神託の享受をあなたにお願いできますか?」
フィルという男は、少々冗談が過ぎる点を除けば
それ程わるい人間ではないと思う。守護者とするのに不足があるわけじゃない。
村の青年団をまとめており、村の者たちからの信頼も篤い。
ただ、フィルは親が決めた、とある女性の守護者として、すでに神託を受けてしまっている。
同じ年頃の男女が守護者と生誕者の間柄を結ぶ場合は、俗に言う、許嫁に近い関係であることが多い。
フィルの場合もご多分に漏れず、という奴だ。
両親を無くし、これといった特定の"お相手"もいない私は
居候させてもらっているティンクル家に相談し、
新しい相手を見つけるまでの間、という条件付きで
ティンクル家のご子息であるフィルに守護者をお願いしている。
この村で、守護者を持たないことは村の掟として許されることではない。
守護者のいないものは、不幸を招く存在として、迫害されることになる。
いや、迫害されるものには守護者がつけられない、という方が正しいのだが。
そういった経緯で、今回もフィルは、二股の守護者と陰口をたたかれるハメになるわけで
いくら無神経な私といえども、多少なりとも心が痛むというものだ。
「今年も姫君のお目に止まる王子様は現れませんでしたか?
トルトナ村の若者は、智勇誉れ高い者ばかり。姫君も家にばかりこもらず
少しでもご見聞を御広めになれば、きっと良いお相手が見つかると思うのですが・・・。」
実際、私が村の男達の誘いをいつも断って、家に籠もり
薬品のたぐいをいじっているのは村人には周知の事実。
フィルの芝居がかったこの言葉にも、周囲からは笑いがもれる程には。
そもそも、私が姫君と呼ばれたり、守護者を掛け持ちさせてまで
特定の守護者をつくらず、年を重ねる"わがまま"が許されるのは
私の母方の血筋が、古くは王家の地を引くと言われているからだ。
ことの真偽は定かではないが、トルトナ村の者は皆それを信じているし
だからこそ、私は両親を亡くしても何不自由なく暮らしてこれた。
「ごめんなさい、でも成人の儀を行うまではフィル、あなたにお願いしたいの。」
成年に達する頃には、恐らく必要な理論は全て確立できるはず。
それまでは、この村のしきたりに合わせる必要があるため
一番気心のしれたフィルに、お願いすることにしている。
「我らが姫君は相も変わらぬご様子。姫君に恋寄せる、智勇誉れ高き若者達。
残念ですが、やはり成人の儀まで姫を信じてまつしかないようです。」
周りから聞こえる落胆の声。どうも私はこの村では
それなりの人気を集めることに成功しているようだ。
それは"王族"という血の魅力かもしれないし、私の人に似せたこの器が
人らしからぬ程、人らしい均整のとれた体だからかもしれない。
「それでは、僭越ながら今年も、私が務めさせて頂きます。」
さぁ姫君。神託を授かりますので、こちらへ。」
フィルは巨大な石碑の前に立ち、こちらへ手を差し伸べている。
「フィル、守護者を務めてくれるのなら姫君はやめてくれない?」
フィルの手を取り、ややふくれっ面でそういう私。
「まだ、神託が下るまでは、守護者ではありませんので。
さぁ姫君、石碑に手を・・・。」
石碑には二つの大きな手形のような跡があり
左が守護する者、右が生誕者、二人が石碑に手をあて、
互いの関係を神に示し、神託を授かることで、
守護任命の儀が終わり、無事年を1つ数えることになる。
生誕前夜に、守護完了の儀を行ってから、ずっとフィルは
私のことを姫君、姫君と呼ぶ。村の者は皆そういうのだけれども、
フィルにまで言われるのは、なんだか違和感を感じて仕方がない。
でも、彼に言わせれば、それが成人までの守護代役たる者の分別というものだそうだ。
私はフィルの手を取り、もう片方の手を石碑にあて、神託の儀を受けた。
何でもない、いつもの決まり文句。でも、このありきたりな言葉が
やがて、私にとって忘れられないものとなるのだった。